商売というものは、なかなか難しい。
前世の私は、買い物をする側だった。
欲しいものを見つけて、お金を払って、商品を受け取る。それだけである。
もちろん、値段が高ければ悩むし、安ければ嬉しい。たまに衝動買いをして、後から反省することもあった。
だが、売る側となれば話は別だ。
商品を用意し、運び、相手と交渉し、利益を出す。
しかも、今回の場合。
その商品を運ぶのは、私たち闘蛇である。
……。
…………。
(……あれ?)
これって、もしかして。
私たち、運送業を始めるってこと?
◇◇◇
「スイ、今日は頼むよ」
朝。
レンが私の背中に荷を固定しながら、そう言った。
……。
(……任せなさい)
私は堂々と胸を張った。
今日はいよいよ、南の湿地を通る交易路の試運用である。
先日、私たちが荷物を運んでみたところ、予想以上にうまくいった。
そこで族長は、商人たちと相談し、少量の荷を実際に運んでみることにしたらしい。
今回の荷物は、白淵族が採った薬草と獣の皮。
湿地の向こうで商人に引き渡し、代わりに塩や金属の道具を受け取る予定だ。
……。
(……なるほど)
なかなか合理的である。
北の道は獣が増えて危険。
南の道は人間には歩きにくい。
だが、闘蛇なら通れる。
……。
(……ふふん)
まさに、適材適所。
私は満足げに喉を鳴らした。
すると、隣の闘蛇も喉を鳴らした。
……。
…………。
(……君たち)
今日も元気ですね。
◇◇◇
今回の参加者は、私を含めて五頭の闘蛇。
人間はレン、トウエン、セイラン、それから荷の管理を担当する男が二人。
……。
(……豪華)
またしても、美形が揃っている。
しかも今日は、セイランが私に乗るらしい。
……。
(……最高)
私は上機嫌で身体を低くした。
セイランは慣れた動作で背に乗り、荷の位置を確認した。
「……重くないか」
……。
…………。
(……おや)
珍しい。
セイランが、そんなことを聞くなんて。
私は軽く身体を揺らした。
問題ありません。
まだまだ余裕です。
「……そうか」
セイランは短く答えた。
そして、私の首筋を軽く叩いた。
「行くぞ」
……。
(……はい!)
私は勢いよく歩き出した。
後ろの闘蛇たちも続く。
……。
…………。
(……よし)
スイ族、出勤である。
◇◇◇
南の湿地は、相変わらず水が多かった。
足元には柔らかな泥が広がり、ところどころ深い水たまりがある。
人間だけで歩くには、なかなか厳しい道だ。
だが、私たちにとっては庭のようなものである。
……。
(……ふふん)
私は先頭を進んだ。
背中にはセイラン。
後ろには仲間たち。
皆、荷を背負いながらも順調に歩いている。
……。
(……いい感じ)
私は時々振り返り、仲間たちの様子を確認した。
すると、後ろの一頭が少し足を滑らせた。
……。
(……おっと)
私はすぐに足を止めた。
低く喉を鳴らす。
すると、後続の闘蛇たちも止まった。
レンが駆け寄る。
「大丈夫?」
闘蛇は少し不安そうに喉を鳴らしたが、怪我はなさそうだった。
……。
(……よかった)
私は安心して、再び歩き出した。
セイランが小さく呟いた。
「……よく見ているな」
……。
…………。
(……まあね)
族長ですから。
スイ族の。
私は少し誇らしくなった。
◇◇◇
湿地を抜けた先には、細い山道が続いていた。
その途中に、小さな平地がある。
今回の荷の受け渡し場所だ。
すでに、商人たちが待っていた。
……。
(……おや)
見覚えのある顔がいる。
先日、私を見て腰を抜かしていた商人である。
……。
…………。
(……こんにちは)
私は軽く首を傾げた。
すると、男の顔が引きつった。
「……ま、またあの獣が」
……。
…………。
(……あら)
まだ怖い?
私は少しだけ残念になった。
まあ、仕方ない。
初対面であれだけ驚かせてしまったのだ。
トウエンが前へ出た。
「約束の荷だ」
「……あ、ああ」
商人は慌てて姿勢を正した。
「本当に、あの湿地を越えてきたのか?」
「見ての通りだ」
トウエンが答えた。
「荷も濡れていない」
商人は驚いた様子で荷を確認した。
「……これは」
……。
…………。
(……ふふん)
どうですか。
我らスイ族の運送技術は。
なかなかのものでしょう?
私は得意げに胸を張った。
すると、後ろの闘蛇たちも胸を張った。
……。
…………。
(……うん)
今日も息ぴったりである。
◇◇◇
商人たちが荷を確認している間、私は周囲を観察していた。
白淵族の集落とは違い、この辺りには背の高い木が少ない。
山道も、少しだけ広い。
……。
(……へえ)
何だか、外の世界に近づいている気がする。
私は少しわくわくした。
その時だった。
「……おい」
低い声が聞こえた。
振り返る。
そこには、見知らぬ男たちが立っていた。
三人。
いずれも、白淵族とは違う服装をしている。
身体には獣の皮をまとい、腰には短い刃物を下げていた。
……。
…………။
(……おや)
また外の人だ。
私は興味深く見つめた。
すると、男たちは私を見て、目を見開いた。
「……何だ、あれは」
「獣か?」
「でかいな……」
……。
…………。
(……はい)
闘蛇です。
よろしくお願いします。
私は軽く首を傾げた。
すると、男の一人が一歩後ずさった。
……。
…………။
(……あら)
やっぱり怖いらしい。
◇◇◇
「何の用だ」
セイランが静かに尋ねた。
男たちは、彼を見た。
「……お前たち、白淵族か」
「そうだ」
「この道を使うようになったと聞いた」
……。
…………。
(……ん?)
何だろう。
少し、空気が変わった。
私はそっと首を上げた。
男たちの表情は、あまり友好的ではない。
「この辺りは、俺たちが使っている道だ」
先頭の男が言った。
「勝手に荷を運ばれては困る」
……。
…………。
(……あ)
なるほど。
縄張り問題ですね。
これは、なかなか面倒なやつだ。
トウエンが前へ出た。
「この道は以前から使われている。誰か一族だけのものではないはずだ」
「だが、最近は俺たちが見張っている」
「見張り?」
「北の道に獣が増えてから、こちらへ流れてくる者が多い。危険も増えた」
……。
…………။
(……ふむ)
なるほど。
ただの言いがかりというわけでもなさそうだ。
確かに、人が増えれば問題も増える。
道を管理する者が必要になることもあるだろう。
……。
(……でも)
だからといって、勝手に通行を止めるのはどうなのだろう。
私は少し考えた。
すると、男の一人が私を指差した。
「それに、そんな獣を連れて歩かれては困る」
……。
…………။
(……え?)
私?
「人を襲うかもしれん」
……。
…………။
(……いやいや)
襲いませんよ。
私は慌てて首を振った。
すると、男が身構えた。
「動いた!」
……。
…………။
(……だから)
動くでしょうが。
私は小さくため息をついた。
……いや。
闘蛇なので、ため息に見えたかどうかは分からないけれど。
◇◇◇
「……スイ」
セイランが低く呼んだ。
……。
(……はい)
私はすぐに動きを止めた。
セイランは男たちを見据えた。
「この獣は、俺が制御している」
……。
…………。
(……おや)
「人を襲わせるつもりはない」
……。
…………。
(……うん)
そうです。
私は良い子です。
非常に良い子です。
男たちは、セイランの目を見て少し黙った。
……。
(……あ)
分かる。
分かりますよ。
その目。
怖いよね。
私も最初は驚いたもの。
セイランは静かに続けた。
「道を使うことに問題があるなら、族長同士で話せばいい」
……。
…………。
(……おお)
正論。
しかも、穏便。
素晴らしい。
「ここで争う理由はない」
男たちは顔を見合わせた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、先頭の男が口を開いた。
「……分かった」
……。
…………。
(……ほっ)
よかった。
どうやら、争いにはならずに済みそうだ。
「だが、次に通る時は、こちらにも知らせろ」
「伝えておく」
セイランが答えた。
男たちは、それ以上何も言わずに去っていった。
……。
…………。
(……ふう)
私は安心して、身体の力を抜いた。
すると、後ろの闘蛇たちも一斉に力を抜いた。
……。
…………。
(……君たち)
本当に、何でも真似するね。
◇◇◇
「……危なかったな」
商人が呟いた。
「この辺りの部族は、最近少し気が立っている」
トウエンが眉をひそめた。
「何かあったのか?」
「山の外で兵が動いているせいか、交易の道が変わり始めている。山の民同士でも、通り道や狩り場を巡って揉めることが増えた」
……。
…………。
(……なるほど)
外の世界が騒がしくなると、山の中にも影響が出る。
そういうことらしい。
私は少し考え込んだ。
前世でも、遠くの国で起きた出来事が、物の値段や生活に影響することはあった。
……。
(……似てるなぁ)
時代が違っても、人間の暮らしというのは、どこかつながっているのかもしれない。
◇◇◇
帰り道。
私はセイランを乗せて、湿地を進んでいた。
荷物は軽くなった。
代わりに、塩や金属の道具が増えている。
……。
(……うん)
交易は成功。
大きな問題もなし。
なかなか良い一日だった。
……。
…………。
ただし。
少し気になることがある。
私は前方を見つめた。
山の外。
秦。
兵の動き。
そして、道を巡って争う山の民。
……。
(……うーん)
どうやら、この世界は。
私が思っていたほど、平和ではないらしい。
「……スイ」
セイランが声をかけた。
……。
(……ん?)
「疲れたか」
……。
…………。
(……え?)
私は少し驚いた。
いや。
疲れてはいない。
むしろ、まだまだ元気である。
私は軽く身体を揺らした。
セイランは短く頷いた。
「……そうか」
そして、私の首筋を軽く叩いた。
「なら、帰るぞ」
……。
…………。
(……うん)
私は歩調を速めた。
帰ろう。
我が一族のもとへ。
◇◇◇
夕方。
集落に戻ると、レンが嬉しそうに声を上げた。
「スイ! お帰り!」
……。
(……ただいま!)
私は思わず尻尾を振った。
……が。
途中で止めた。
危ない。
今日こそ、レンを濡らさない。
私は慎重に鼻先を寄せた。
レンは笑って、私の頭を撫でた。
「今日は大活躍だったんだって?」
……。
…………。
(……まあね)
私は少し得意げになった。
「ご褒美に、魚を多めに用意しておいたよ」
……。
…………。
(……!!)
魚。
多め。
……。
…………。
(……最高)
私は嬉しくなって、喉を鳴らした。
すると、後ろの闘蛇たちも一斉に喉を鳴らした。
……。
…………。
(……あ)
君たちも聞いてたのね。
レンは笑った。
「もう、スイ族は食いしん坊ばっかりだなぁ」
……。
…………။
(……ふふん)
当然である。
働いたら、食べる。
食べたら、眠る。
それが、我らスイ族の基本方針だ。
私は満足げに胸を張った。
すると、後ろの闘蛇たちも胸を張った。
……。
…………。
(……うん)
今日も平和である。
ただし。
山の向こうでは、何かが少しずつ変わり始めていた。
その変化が、いつか白淵族にも届くのかもしれない。
……。
…………。
(……まあ)
その時は、その時だ。
今は。
目の前の魚を、全力でいただこう。
私は大きく口を開けた。
ばくっ。
……。
…………。
(……美味しい)
やっぱり。
平和というものは、実に素晴らしい。