秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

12 / 14
第十二話 山の民にもいろいろ事情がある

 

世の中には、話し合いで解決できる問題と、そうでない問題がある。

 

前世の私は、できることなら何でも話し合いで解決したい派だった。

 

何しろ、喧嘩は疲れる。

 

怒鳴り合いなんて、できれば一生したくない。

 

それに、相手の言い分を聞いてみれば、案外どうにかなることも多い。

 

……ただし。

 

今の私には、一つ大きな問題がある。

 

話し合いに参加したくても、言葉が話せないのだ。

 

「グルル」

 

「スイ、魚はさっき食べただろ」

 

……。

 

違います。

 

そういう話ではありません。

 

◇◇◇

 

三日後。

 

白淵族の集落に、客人がやって来た。

 

先日、交易路で揉めた山の民たちである。

 

ただし、今回は様子が違った。

 

先頭に立っているのは、以前の男ではない。

 

背の高い、壮年の男だった。

 

日に焼けた顔には古い傷があり、肩には黒い獣の毛皮を掛けている。

 

そして、その後ろには、十人ほどの男たち。

 

……。

 

(……多いな)

 

私は水辺から様子を眺めていた。

 

もちろん、ただの野次馬ではない。

 

我が一族の一大事である。

 

一族の一員として、状況を把握しておく必要があるのだ。

 

「スイ、あんまり近づいちゃ駄目だよ」

 

レンが私の首を撫でた。

 

……。

 

(……分かってます)

 

私はおとなしく伏せた。

 

すると、隣にいた若い闘蛇も伏せた。

 

……君は別に、会議に参加しなくていいんだけどね。

 

◇◇◇

 

客人たちは、**黒角族(こっかくぞく)**と名乗った。

 

白淵族の南東に暮らす山の民で、山羊に似た獣を飼い、険しい岩場を行き来しているらしい。

 

……。

 

(……へえ)

 

山の民にも、いろいろいるんだなぁ。

 

白淵族は闘蛇。

 

黒角族は山の獣。

 

それぞれ、暮らす土地に合わせて生きている。

 

私は少し感心した。

 

黒角族の族長は、ガクという名前だった。

 

彼は白淵族の族長と向かい合い、低い声で言った。

 

「先日は、うちの若い者が無礼をした」

 

……。

 

(……おや)

 

いきなり謝罪。

 

これは、なかなか好印象である。

 

白淵族の族長は穏やかに頷いた。

 

「怪我人も出ておらぬ。気にすることはない」

 

「そう言ってもらえると助かる」

 

ガクは少し表情を緩めた。

 

だが、すぐに真剣な顔へ戻った。

 

「ただ、南の道については、こちらにも事情がある」

 

……。

 

(……ふむ)

 

来ました。

 

本題です。

 

私はそっと首を伸ばした。

 

レンに鼻先を押し戻された。

 

……。

 

(……はい)

 

おとなしく聞きます。

 

◇◇◇

 

「北の道が使えなくなってから、こちらを通る者が増えた」

 

ガクは言った。

 

「商人だけではない。獣を追う狩人も、住む場所を失った者もいる」

 

……。

 

(……あ)

 

なるほど。

 

「その中には、他の部族の狩り場を荒らす者もいる。荷を奪う者も出始めた」

 

……。

 

(……うーん)

 

それは困る。

 

黒角族が警戒するのも、無理はないかもしれない。

 

「だから、道を守る者を置いた。だが、人を出せば食い扶持がいる」

 

……。

 

(……ああ)

 

そこで、通行料。

 

話がつながった。

 

白淵族の族長は、しばらく考え込んだ。

 

「ならば、道を使う者で負担を分けるのがよかろう」

 

「そうしたい」

 

「だが、荷をどれだけ渡すかは、互いに決めねばならん」

 

ガクは頷いた。

 

「そのために来た」

 

……。

 

(……おお)

 

いいですね。

 

実に建設的。

 

私は少し嬉しくなった。

 

何だ。

 

ちゃんと話せば、分かり合えるじゃないですか。

 

◇◇◇

 

話し合いは、思ったより長く続いた。

 

どこからどこまでを黒角族が見張るのか。

 

道が崩れた時は、誰が直すのか。

 

荷を運ぶ者が怪我をしたら、どうするのか。

 

……。

 

(……うわぁ)

 

細かい。

 

でも、大事。

 

私は前世の仕事を少し思い出した。

 

契約というものは、こういうところが難しい。

 

最初に曖昧にしておくと、後から揉める。

 

……。

 

(……うんうん)

 

大事だよね。

 

非常に大事。

 

私は真剣に聞いていた。

 

すると、レンが私の顔を覗き込んだ。

 

「スイ、眠いの?」

 

……。

 

(……違います)

 

考えているんです。

 

「もう少しで終わるからね」

 

……。

 

(……いや)

 

だから。

 

眠いわけじゃないんですって。

 

◇◇◇

 

その時だった。

 

集落の入口から、慌ただしい足音が聞こえた。

 

「族長!」

 

若い男が駆け込んできた。

 

白淵族の見張り役だ。

 

「南の道で、荷車が動けなくなっています!」

 

……。

 

(……え?)

 

荷車?

 

「黒角族の者が、岩場を越えようとして車輪を壊したようです!」

 

ガクが立ち上がった。

 

「何だと?」

 

見張り役は息を整えながら続けた。

 

「荷車には塩と干し肉が積まれています。人手だけでは動かせません!」

 

……。

 

(……あらら)

 

それは大変。

 

しかも、よりによって今日。

 

私はガクを見た。

 

彼の顔が、みるみる険しくなっていく。

 

「……あの馬鹿ども」

 

……。

 

(……あ)

 

怒ってる。

 

かなり怒ってる。

 

どうやら、族長に黙って荷を運んでいた者がいるらしい。

 

◇◇◇

 

「場所は?」

 

セイランが尋ねた。

 

見張り役が答える。

 

「南の岩場を越えた先です!」

 

「……分かった」

 

セイランは立ち上がった。

 

そして、私を見た。

 

「スイ」

 

……。

 

(……はい!)

 

来ました。

 

出番です。

 

私は勢いよく立ち上がった。

 

すると、隣の闘蛇も立ち上がった。

 

……。

 

(……いや)

 

君は待ってて。

 

今日は私だけで十分です。

 

◇◇◇

 

現場に着くと、状況は思ったより深刻だった。

 

細い山道の途中で、荷車が横倒しになっている。

 

車輪の一つは完全に壊れていた。

 

そして、その横には、困り果てた顔の男たち。

 

……。

 

(……うわぁ)

 

これは、なかなか。

 

荷車は大きく、荷物も重そうだ。

 

しかも、道の片側は急な斜面になっている。

 

下手に動かせば、荷ごと落ちてしまうかもしれない。

 

……。

 

(……危ないなぁ)

 

私は慎重に近づいた。

 

すると、男たちが私を見て飛び上がった。

 

「うわっ!」

 

「何だ、その獣は!」

 

……。

 

(……はいはい)

 

いつもの反応ですね。

 

もう慣れました。

 

私はおとなしく立ち止まった。

 

セイランが前へ出る。

 

「……荷を降ろせ」

 

男たちは顔を見合わせた。

 

「だが、荷を降ろしても車が動かん!」

 

「車は後だ」

 

……。

 

(……おお)

 

的確。

 

セイランは周囲を見回した。

 

「まず、人を離せ」

 

……。

 

(……うん)

 

そうだよね。

 

安全第一。

 

私は少し感心した。

 

◇◇◇

 

荷を降ろす作業が始まった。

 

男たちが袋を運び出し、道の広い場所へ移していく。

 

私はその様子を眺めていた。

 

……。

 

(……ん?)

 

ふと、気になるものが目に入った。

 

荷車の下。

 

壊れた車輪の近くに、細い縄が垂れている。

 

……。

 

(……あれ?)

 

何だろう。

 

私は首を伸ばした。

 

よく見ると、縄の先は荷車の下に潜り込んでいる。

 

……。

 

(……んん?)

 

私はさらに近づこうとした。

 

「スイ、待て」

 

セイランが声をかけた。

 

……。

 

(……あ)

 

はい。

 

私は止まった。

 

だが、どうしても気になる。

 

私は低く喉を鳴らし、鼻先で荷車の下を示した。

 

「……何だ」

 

セイランが近づいてくる。

 

そして、荷車の下を覗き込んだ。

 

……。

 

…………。

 

「……子供がいる」

 

……。

 

(……え!?)

 

子供!?

 

私は驚いた。

 

よく見ると、荷車の陰に、小さな人影があった。

 

十歳くらいだろうか。

 

黒角族の少年が、荷車の下に潜り込んでいた。

 

どうやら、落ちた荷を拾おうとして、動けなくなってしまったらしい。

 

……。

 

(……ちょっと!)

 

危ないでしょうが!

 

私は思わず喉を鳴らした。

 

「グルルッ!」

 

少年がびくっと震えた。

 

……。

 

(……あ)

 

ごめん。

 

怒ってるわけじゃないよ。

 

私は慌てて身体を低くした。

 

◇◇◇

 

「……動くな」

 

セイランが少年に言った。

 

「今、助ける」

 

少年は涙目で頷いた。

 

だが、問題があった。

 

荷車は斜面に傾いている。

 

下手に持ち上げれば、さらに崩れるかもしれない。

 

……。

 

(……うーん)

 

これは、力任せでは駄目だ。

 

私は周囲を見回した。

 

そして、ふと思いついた。

 

……。

 

(……あ)

 

私の尻尾。

 

長い。

 

太い。

 

しかも、かなり力がある。

 

……。

 

(……これなら)

 

私はそっと荷車の反対側へ回り込んだ。

 

セイランが私を見た。

 

「……スイ?」

 

私は尻尾をゆっくりと動かした。

 

荷車の下に差し込む。

 

……。

 

(……よし)

 

これで、支えられる。

 

私は身体を低くし、尻尾で荷車を押さえた。

 

セイランが目を細めた。

 

「……なるほど」

 

……。

 

(……ふふん)

 

分かってくれましたか。

 

「トウエン!」

 

セイランが声を上げた。

 

「スイに車を支えさせる。子供を引き出せ!」

 

「分かった!」

 

……。

 

(……よし)

 

作戦開始。

 

◇◇◇

 

私は慎重に力を込めた。

 

荷車が、わずかに動く。

 

……。

 

(……おっと)

 

強すぎた。

 

私はすぐに力を緩めた。

 

壊れた車輪が、ぎしりと音を立てた。

 

……。

 

(……怖い怖い)

 

慎重に。

 

慎重に。

 

セイランが少年へ手を伸ばした。

 

「……こっちへ来い」

 

少年は震えながら、ゆっくりと這い出してくる。

 

……。

 

(……頑張れ)

 

あと少し。

 

私はじっと荷車を支えた。

 

尻尾の筋肉が、じわじわと疲れてくる。

 

……。

 

(……うう)

 

重い。

 

思ったより、重い。

 

でも。

 

まだ大丈夫。

 

「……よし!」

 

トウエンの声がした。

 

少年が、無事に引き出された。

 

……。

 

(……やった!)

 

私は思わず力を抜きかけた。

 

「スイ、まだだ!」

 

セイランが叫んだ。

 

……。

 

(……あっ)

 

そうだった。

 

荷車!

 

私は慌てて力を戻した。

 

そして、周囲の人間たちが離れたのを確認してから、ゆっくりと尻尾を引き抜いた。

 

荷車が、がたんと傾いた。

 

……。

 

…………。

 

(……ふう)

 

危なかった。

 

本当に。

 

◇◇◇

 

「……助かった」

 

ガクが、私を見つめていた。

 

その腕の中には、先ほどの少年がいる。

 

どうやら、彼の一族の子供らしい。

 

少年はまだ少し震えていた。

 

……。

 

(……大丈夫かな)

 

私はそっと鼻先を近づけた。

 

すると、少年がびくっとした。

 

……。

 

(……あ)

 

怖いよね。

 

そりゃそうだ。

 

私はすぐに顔を引っ込めた。

 

だが。

 

少年が、小さな声で言った。

 

「……ありがとう」

 

……。

 

…………。

 

(……え?)

 

私は思わず目を瞬いた。

 

少年は私を見上げていた。

 

「……助けてくれて、ありがとう」

 

……。

 

…………。

 

(……あら)

 

私は嬉しくなった。

 

そっと喉を鳴らす。

 

「クルル」

 

少年は少し驚いた顔をした。

 

そして、ほんの少しだけ笑った。

 

……。

 

…………。

 

(……よかった)

 

私は安心した。

 

どうやら、怖がらせるだけではなかったらしい。

 

◇◇◇

 

集落へ戻ると、話し合いは再開された。

 

ただし、先ほどまでとは空気が違った。

 

ガクは白淵族の族長に向かって、深く頭を下げた。

 

「……借りができた」

 

族長は首を振った。

 

「困っている者を助けただけだ」

 

「それでも、助かった」

 

ガクは私を見た。

 

「……あの獣は、ただの荷運びではないのだな」

 

……。

 

…………。

 

(……ふふん)

 

そうです。

 

私は、なかなか優秀なのです。

 

私は胸を張った。

 

すると、後ろの闘蛇たちも胸を張った。

 

……。

 

…………。

 

(……君たち)

 

今日は何もしてないでしょうが。

 

ガクは少し笑った。

 

「……面白い一族だ」

 

……。

 

(……でしょう?)

 

私もそう思います。

 

◇◇◇

 

その日の夕方。

 

白淵族と黒角族は、南の道について一つの約束を交わした。

 

道の見張りは黒角族が担当する。

 

白淵族は、荷を運ぶ際に少量の物資を渡す。

 

そして、危険な場所があれば、互いに知らせ合う。

 

……。

 

(……なるほど)

 

なかなか良い落としどころではないだろうか。

 

私は満足げに頷いた。

 

すると、族長がこちらを見た。

 

「スイのおかげで、話が進んだな」

 

……。

 

…………。

 

(……え)

 

私?

 

「人を助ける姿を見れば、あの者たちも闘蛇を恐れるばかりではなくなる」

 

……。

 

…………。

 

(……ああ)

 

なるほど。

 

そういうことか。

 

私は少し嬉しくなった。

 

ガクも頷いた。

 

「白淵族が、なぜあの獣を大切にするのか、少し分かった気がする」

 

……。

 

…………。

 

(……ふふん)

 

当然です。

 

何しろ、我が一族ですから。

 

……。

 

…………。

 

ん?

 

ちょっと待って。

 

「あの獣を大切にする」

 

……。

 

(……あれ?)

 

私も一族なんですけど?

 

私は首を傾げた。

 

だが、誰も気づいてくれなかった。

 

……。

 

…………。

 

(……まあ)

 

いいか。

 

細かいことは。

 

◇◇◇

 

夜。

 

私は水辺で、魚を食べていた。

 

今日も、レンが少し多めに用意してくれた。

 

……。

 

(……美味しい)

 

働いた後の魚は、格別である。

 

私は満足げに喉を鳴らした。

 

すると、隣の闘蛇も喉を鳴らした。

 

……。

 

…………。

 

(……君たち)

 

今日は本当に、何もしてないよね?

 

私は少し呆れた。

 

だが、まあ。

 

仲間が元気なのは良いことだ。

 

私は再び魚を口に運んだ。

 

その時。

 

少し離れた場所で、族長とトウエンが話している声が聞こえた。

 

「……山の民も、変わり始めているな」

 

「そうですな」

 

「北の道だけではない。あちこちで、部族同士の争いが増えていると聞く」

 

……。

 

(……ん?)

 

私は耳を澄ませた。

 

トウエンが言った。

 

「黒角族も、他の部族との境を気にしていました」

 

「……うむ」

 

族長はしばらく黙っていた。

 

そして、静かに呟いた。

 

「山が騒がしくなる時は、大きな力が動く前触れかもしれん」

 

……。

 

…………。

 

(……大きな力?)

 

私は首を傾げた。

 

何だろう。

 

戦争?

 

部族同士の争い?

 

それとも、もっと別の何か?

 

……。

 

…………。

 

(……うーん)

 

分からない。

 

ただ、一つだけ思う。

 

我が一族には、平和でいてほしい。

 

レンも。

 

トウエンも。

 

族長も。

 

セイランも。

 

そして、スイ族の仲間たちも。

 

みんな、元気で暮らしていてほしい。

 

……。

 

(……うん)

 

私はそっと目を閉じた。

 

何が起きても。

 

できることは、やろう。

 

私はそう決めた。

 

……。

 

…………。

 

ただし。

 

その前に。

 

もう一匹、魚を食べてもいいだろうか。

 

私はそっと、残りの魚へ鼻先を伸ばした。

 

すると。

 

隣の闘蛇も、同じように鼻先を伸ばした。

 

……。

 

…………。

 

(……こら)

 

それは、私のです。

 

スイ族の平和は、今日も小さな争いから始まるらしい。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。