秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

13 / 14
第四十三話 狭い沢の攻防

 

大きいことは、必ずしも有利とは限らない。

 

広い場所なら、私の身体はそれなりに役に立つ。太い尻尾を振れば木の枝くらいは折れるし、四本の脚で踏ん張れば、人間が数人がかりで押しても簡単には動かない。

 

けれど、今いるのは沢沿いの細い道だ。

 

右には岩壁。左には木々が密集した斜面。

 

その間に、槍を持った男が二人。

 

さらに奥には、縄で縛られた子どもがいる。

 

(これ、下手に動けないやつだ)

 

私は慎重に前脚を置いた。

 

足元の石が、ぱきりと割れる。

 

男の一人が、びくりと肩を震わせた。

 

ごめん。

 

別に脅すつもりはなかった。

 

いや、少しはあったかもしれない。

 

◇◇◇

 

「それ以上、近づくな!」

 

男が槍を突き出した。

 

セイランは、私の背に乗ったまま答えた。

 

「その子を放せ」

 

「こいつがどうなってもいいのか!」

 

茂みの奥から声がした。

 

先ほど逃げた男だ。

 

どうやら子どものところへ回り込んでいたらしい。

 

男は子どもの襟をつかみ、短い刃物を首元に当てていた。

 

(うわ、最悪)

 

子どもは唇を噛みしめ、声を出さずに耐えている。

 

セイランの手が、私の首筋に触れた。

 

いつもより少し長く、押さえるような合図。

 

停止。

 

私は四本の脚に体重をかけ、その場にとどまった。

 

「望みは何だ」

 

セイランが尋ねる。

 

「道を空けろ。追ってくるな」

 

「その子は?」

 

「俺たちが離れたら放してやる」

 

(絶対に信用できない)

 

そう思ったのは、私だけではなかったらしい。

 

セイランは返事をせず、男たちの位置を確かめていた。

 

◇◇◇

 

「セイラン」

 

後方にいた一族の戦士が、小さく声をかけた。

 

「右の岩壁を登れば、上から回れます」

 

「見えている。だが、今動けば気づかれる」

 

「では……」

 

「待て」

 

セイランは短く答えた。

 

男たちにも聞こえる距離だ。

 

ここで不用意に相談を始めれば、相手を刺激する。

 

私は首を動かさずに、目だけで周囲を見た。

 

子どもを押さえている男は、茂みの奥。

 

槍を持った二人は、その手前。

 

そして私たちは、沢の下流側。

 

相手が逃げるとすれば、上流へ向かうしかない。

 

ただ、そこには細い獣道が続いている。

 

(あそこを塞げればいいんだけど)

 

私の身体では、茂みの奥まで入り込めない。

 

無理に突っ込めば、子どもを傷つける可能性もある。

 

そこで、ふと思いついた。

 

(水の中なら?)

 

沢は浅い。

 

けれど、私の身体が入るには十分な幅がある。

 

陸から回り込むより、ずっと動きやすい。

 

問題は、背中のセイランだ。

 

私は鼻先を沢へ向け、前脚を少しだけ水に入れた。

 

セイランが気づく。

 

「スイ?」

 

私は、そこで止まった。

 

勝手には動かない。

 

セイランは沢を見て、それから子どもの位置を確かめた。

 

数秒後。

 

彼の手が、私の首筋を二度叩いた。

 

後退。

 

(あ、違う?)

 

私は指示に従い、ゆっくりと後ろへ下がった。

 

するとセイランが背から降りた。

 

「俺はここに残る。お前は水際へ」

 

小さな声だった。

 

私は鼻先を下げる。

 

(なるほど)

 

一人で回れ、と。

 

◇◇◇

 

「何をしている!」

 

槍を持った男が怒鳴った。

 

セイランは、地面に降りたまま槍を構えた。

 

「見ての通りだ。闘蛇を下げる」

 

「もっと下がれ!」

 

「その子を放せば、そうする」

 

男たちの視線は、セイランへ向いている。

 

私はゆっくりと身体を後退させた。

 

一歩。

 

二歩。

 

岩陰に入る。

 

そこから首を低くして沢へ降りた。

 

水が腹の下を流れる。

 

(よし)

 

水の中なら、足音も多少は紛れる。

 

とはいえ、九メートルの巨体である。

 

完全に隠れるのは無理だ。

 

私は岸の木々を利用しながら、少しずつ上流へ進んだ。

 

◇◇◇

 

その間、セイランは男たちとの距離を保っていた。

 

「荷車を襲ったのは、お前たちか」

 

「まだそんなことを言ってるのか!」

 

「答えろ」

 

「うるさい!」

 

男は苛立っていた。

 

子どもを押さえる男も、落ち着かない様子で周囲を見回している。

 

私がいなくなったことに気づいたのだろう。

 

「おい、あの獣はどこへ行った!」

 

(あ、ばれた)

 

私は水の中で動きを止めた。

 

セイランは表情を変えなかった。

 

「下げた。お前たちが望んだ通りだ」

 

「見える場所に出せ!」

 

「その子を放せ」

 

「くそっ!」

 

男が子どもの肩を強く引いた。

 

子どもが、痛みに顔をしかめる。

 

(やめなさいよ)

 

私は思わず喉の奥で低く唸った。

 

水面が、わずかに震える。

 

◇◇◇

 

その音に気づいたのは、子どもだった。

 

彼がこちらを見た。

 

目が合う。

 

(あ)

 

まずい。

 

叫ばれたら終わりだ。

 

けれど彼は、何も言わなかった。

 

ただ、大きく目を見開いたまま、私を見つめている。

 

私はゆっくりと鼻先を下げた。

 

(お願い、静かにしてて)

 

通じるはずはない。

 

それでも彼は、唇を固く結んだ。

 

◇◇◇

 

「セイラン!」

 

突然、下流側から声が響いた。

 

一族の戦士の一人だった。

 

「後方に人影! 二人、こちらへ向かっています!」

 

セイランが振り返る。

 

「確認しろ。無理に近づくな!」

 

男たちも、そちらへ顔を向けた。

 

その一瞬。

 

私は沢の中で身体を進めた。

 

水が跳ねる。

 

木の枝が揺れる。

 

(今!)

 

私は子どものいる茂みのさらに奥へ首を伸ばした。

 

そして、逃げ道になっている獣道へ、太い前脚を置いた。

 

どすん。

 

地面が震えた。

 

男が振り返る。

 

「なっ……!」

 

彼の目の前には、私の顔があった。

 

(こんにちは)

 

男は、完全に固まった。

 

◇◇◇

 

「動くな!」

 

セイランの声が響いた。

 

一族の戦士たちが、一斉に前へ出る。

 

男たちは反射的に槍を構えた。

 

しかし、逃げ道は塞がれている。

 

前にはセイランたち。

 

後ろには私。

 

そして沢の反対側は急な斜面だ。

 

「くそっ!」

 

子どもを押さえていた男が、刃物を振り上げた。

 

(!)

 

私は反射的に首を動かしかけた。

 

だが、間に合わない。

 

その瞬間。

 

子どもが、男の足を思いきり踏んだ。

 

「ぐあっ!」

 

男の身体が揺れる。

 

刃物が首元から離れた。

 

子どもは、そのまま地面へ転がった。

 

「伏せろ!」

 

セイランが叫んだ。

 

私は、子どもの上へ伸びかけた男の腕を、鼻先で強く押しのけた。

 

男は足を滑らせ、浅い沢へ転がり落ちる。

 

水しぶきが上がった。

 

(よし!)

 

私は、子どもと男の間に首を差し入れた。

 

彼は地面に伏せたまま、震えている。

 

けれど、大きな怪我はなさそうだ。

 

◇◇◇

 

残る二人は、すぐに槍を捨てた。

 

「降参だ!」

 

「殺さないでくれ!」

 

セイランは、一族の戦士たちへ指示を出した。

 

「武器を離させろ。縄で縛れ」

 

「分かった!」

 

沢へ落ちた男も、抵抗できなかった。

 

私がすぐそばで見下ろしていたからである。

 

(いや、そんなに怖がらなくても)

 

男は、私の顔を見たまま青ざめていた。

 

まあ、口を開けば人間の頭くらい簡単に入りそうな大きさではある。

 

怖いか。

 

◇◇◇

 

「大丈夫か」

 

セイランが子どものそばに膝をついた。

 

彼は何度も頷いた。

 

「兄ちゃんは?」

 

「生きている。先に我らの集落へ運んだ」

 

子どもの顔が、くしゃりと歪んだ。

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「よかった……」

 

そのまま、彼は泣き出した。

 

セイランは何も言わず、手首の縄を解いてやった。

 

「名前は?」

 

「……リク」

 

「リクか。よく頑張ったな」

 

リクは、涙を拭いながら頷いた。

 

私は少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 

(よかった)

 

本当に。

 

◇◇◇

 

だが、問題はまだ残っていた。

 

捕らえた男たちの素性である。

 

「お前たちは、どこの者だ」

 

セイランが尋ねた。

 

男たちは互いの顔を見合わせた。

 

誰も答えない。

 

セイランは、少しだけ声を低くした。

 

「荷を奪い、人を傷つけ、子どもを縛った。黙っていれば済むと思うな」

 

一人の男が、顔を上げた。

 

「俺たちは、ただの盗賊だ」

 

「どこの部族だ」

 

「部族なんて関係ない」

 

「では、誰に命じられた」

 

男の表情が変わった。

 

ほんの一瞬だった。

 

けれど、セイランは見逃さなかった。

 

「誰かに命じられたのか」

 

男は慌てて首を振った。

 

「違う!」

 

◇◇◇

 

「セイラン、これを」

 

戦士の一人が、男の荷物を持ってきた。

 

小さな革袋だった。

 

中には乾いた肉と石の刃。

 

それから、黒い布が一枚。

 

布の端には、角のような模様が縫い込まれていた。

 

セイランの目が、わずかに細くなる。

 

「黒角族のものか」

 

(え)

 

黒角族?

 

私は思わず顔を上げた。

 

以前、白淵族と境界について話し合った部族だ。

 

族長のガク。

 

使者のダン。

 

確か、南の旧道にも関わりがあったはず。

 

(まさか)

 

◇◇◇

 

「黒角族の者なのか」

 

セイランが尋ねた。

 

男は唇を噛んだ。

 

「違う」

 

「では、なぜこれを持っている」

 

「拾ったんだ」

 

「どこで」

 

男は答えなかった。

 

セイランは、しばらくその顔を見つめていた。

 

やがて、立ち上がる。

 

「集落へ連れて帰る」

 

戦士たちが頷いた。

 

◇◇◇

 

帰り道。

 

リクは、私の背に乗ることになった。

 

セイランが前に座り、その後ろへリクを乗せる。

 

もちろん、しっかりと身体を支えている。

 

「怖くないか」

 

セイランが尋ねた。

 

リクは、私の背中を見つめた。

 

「少し」

 

(まあ、そうだよね)

 

私はできるだけゆっくり歩いた。

 

揺れないように。

 

急に動かないように。

 

背中のリクは、最初こそ身体を固くしていた。

 

けれど、しばらくすると、少しだけ力を抜いた。

 

「あったかい」

 

リクが、小さく呟いた。

 

(え)

 

そう?

 

私は、少しだけ嬉しくなった。

 

◇◇◇

 

集落へ戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。

 

入口には、ハクとレンが待っていた。

 

「セイラン!」

 

ハクが駆け寄る。

 

「無事でしたか!」

 

「ああ。リクも助けた」

 

レンが、ほっと息をついた。

 

「よかった……」

 

リクは、セイランに支えられながら背から降りた。

 

そのまま、レンに案内されて兄のいる家へ向かう。

 

私は静かに身体を伏せた。

 

(疲れた)

 

今日は、さすがに疲れた。

 

◇◇◇

 

その夜。

 

族長の家では、捕らえた男たちについて話し合いが行われていた。

 

「黒角族の布か」

 

族長が低く呟いた。

 

セイランが頷く。

 

「ただし、本人たちは否定しています」

 

「布だけで決めつけるわけにはいかんな」

 

「はい」

 

トウエンが口を開いた。

 

「黒角族に知らせるか?」

 

族長は、しばらく考えた。

 

「知らせよう。ただし、責めるためではない」

 

「では?」

 

「確かめるためだ」

 

族長は黒い布を見つめた。

 

「山の道で争いが起きるとき、最初に失われるのは信用だ」

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

私は川辺で身体を休めていた。

 

昨日の疲れが、まだ少し残っている。

 

けれど、身体に怪我はない。

 

セイランも無事。

 

リクも、兄のところへ戻れた。

 

(よかった)

 

私は水面へ鼻先を近づけた。

 

冷たい水が、気持ちいい。

 

そのとき。

 

背後から、ゆっくりと足音がした。

 

振り返ると、ガンが立っていた。

 

(おや)

 

おはようございます。

 

ガンは私の隣へ来ると、静かに身体を伏せた。

 

しばらく、二頭で川を眺める。

 

やがて、ガンが低く喉を鳴らした。

 

私は少しだけ首を傾げた。

 

(何でしょう)

 

ガンは、私の肩に残っていた泥を鼻先で軽く押した。

 

それから、沢の方角へ顔を向ける。

 

(ああ)

 

昨日のこと?

 

私は、ゆっくりと尻尾を揺らした。

 

大丈夫。

 

ちゃんと帰ってきましたよ。

 

ガンはしばらく私を見ていた。

 

そして、静かに目を閉じた。

 

◇◇◇

 

その頃。

 

族長の家では、一通の使いが準備されていた。

 

宛先は、黒角族の族長ガク。

 

内容は、南の旧道で起きた襲撃事件について。

 

そして、捕らえた男たちが持っていた黒い布について。

 

白淵族は、まだ誰かを敵と決めたわけではない。

 

だが、山の向こうで何が起きているのか。

 

確かめる必要があった。

 

南の旧道を巡る小さな事件は、やがて二つの部族を再び向き合わせることになる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。