人間というのは、自分が慣れ親しんだ環境を、つい普通だと思ってしまう生き物である。
例えば、食事。
例えば、服装。
例えば、暮らし方。
自分にとって当たり前のことが、他人にとっては驚くべきことだったりする。
前世でも、旅行先でそんな経験をしたことがあった。
だが。
今の私が暮らす白淵族には、一つだけ確実に言えることがある。
……。
(……うちの一族)
(……顔が良すぎるんだよなぁ)
これは、どう考えても普通ではない。
私は今日も、目の前の美形を眺めながら、そんなことを考えていた。
◇◇◇
「……スイ」
セイランが私の前に立った。
「今日は少し走るぞ」
……。
(……はい!)
私は勢いよく立ち上がった。
今日は久しぶりの訓練である。
交易路の試運用や、黒角族との話し合いが続いていたため、ここ数日はあまり身体を動かしていなかった。
……。
(……ふふん)
運動不足解消。
大事です。
私は軽く身体を伸ばした。
すると、隣の闘蛇も同じように身体を伸ばした。
……。
…………。
(……君たち)
本当に、何でも真似するね。
◇◇◇
訓練場には、すでに何人かの戦士が集まっていた。
白淵族の戦士たちは、闘蛇に乗って戦う。
もちろん、全員が乗れるわけではない。
闘蛇は大きく、力も強い。
慣れていない人間が乗れば、振り落とされることもある。
それに、闘蛇にも性格がある。
大人しい個体もいれば、気の荒い個体もいる。
……。
(……まあ)
人間と同じですね。
私は周囲を見回した。
訓練場には、五頭の闘蛇が並んでいる。
それぞれの背には、白淵族の戦士たち。
……。
(……おお)
なかなか壮観。
しかも、全員美形。
……。
(……うん)
やっぱり、我が一族は素晴らしい。
私は満足げに頷いた。
◇◇◇
「……始めるぞ」
セイランの声が響いた。
戦士たちは一斉に動き出した。
まずは、隊列を組んで走る訓練。
闘蛇たちが、地面を蹴って進んでいく。
……。
(……おお)
いいですね。
なかなか格好良い。
私はセイランを乗せて、先頭を走った。
後ろの闘蛇たちも続く。
……。
(……ふふん)
スイ族、出陣。
……いや。
訓練ですけど。
◇◇◇
しばらく走った後、訓練は次の段階へ進んだ。
今度は、戦士たちが槍を構える。
木で作られた的が、訓練場の端に並べられていた。
……。
(……なるほど)
突撃訓練ですね。
私は少しわくわくした。
セイランが私の首筋を軽く叩いた。
「……行くぞ」
……。
(……はい!)
私は勢いよく走り出した。
地面を蹴る。
風が身体を撫でる。
背中で、セイランが槍を構えた。
……。
(……おお)
格好良い。
非常に格好良い。
私は少し速度を上げた。
そして。
セイランの槍が、木の的を正確に貫いた。
ばきん!
……。
…………。
(……おおお!)
すごい。
完璧。
私は思わず興奮した。
……が。
その瞬間。
隣の闘蛇が、私の動きを真似して急加速した。
「うわっ!」
背中の戦士が、慌てて身体を伏せる。
……。
…………。
(……あ)
しまった。
私は慌てて速度を落とした。
すると、隣の闘蛇も速度を落とした。
……。
…………。
(……君たち)
真似するなら、もう少し考えて真似してほしい。
いや。
普通の闘蛇に、それを求めるのは無理か。
私は少し反省した。
◇◇◇
「……スイ」
セイランが低く呼んだ。
……。
(……はい)
「勝手に速度を変えるな」
……。
…………。
(……すみません)
私は素直に頭を下げた。
セイランは小さく息を吐いた。
「……だが」
……。
(……ん?)
「動きは悪くない」
……。
…………。
(……おや)
褒められた。
私は少し嬉しくなった。
「……次は、合図を待て」
……。
(……はい!)
私は元気よく喉を鳴らした。
……。
…………。
(……うん)
やっぱり。
訓練は楽しい。
◇◇◇
訓練が終わる頃。
集落の入口から、見慣れない声が聞こえた。
「……本当に、獣に乗っているのか」
……。
(……ん?)
私は振り返った。
そこには、黒角族の男たちが立っていた。
先日、交易路の件で訪れた者たちである。
……。
(……おや)
また来たのね。
どうやら、今回は物資の交換に来たらしい。
男たちは訓練場を見つめていた。
その表情は、驚きに満ちている。
「……あんな大きな獣を」
「しかも、槍を使っているぞ」
……。
…………。
(……ふふん)
どうですか。
我が一族の騎乗技術は。
なかなかのものでしょう?
私は得意げに胸を張った。
すると、後ろの闘蛇たちも胸を張った。
……。
…………。
(……うん)
今日も息ぴったり。
◇◇◇
黒角族の男の一人が、トウエンに尋ねた。
「……あの獣は、戦にも使えるのか?」
……。
(……え?)
戦?
私は思わず耳を澄ませた。
トウエンは少し考えた。
「戦に使うために育てているわけではない」
「だが、あれだけ大きければ……」
「狩りや移動には役立つ。危険があれば、身を守ることもある」
……。
…………。
(……なるほど)
確かに。
白淵族は、闘蛇を戦争の道具として育てているわけではない。
私たちは、狩りをしたり、荷物を運んだり、時には人を乗せたりする。
戦うこともあるけれど、それが目的ではない。
……。
(……うん)
それでいいと思う。
私は少し安心した。
◇◇◇
「……しかし」
黒角族の男は、なおも訓練場を見つめていた。
「これほどの獣を使える部族は、他に聞いたことがない」
……。
…………。
(……おや)
そうなの?
私は少し驚いた。
闘蛇は、白淵族では当たり前の存在だ。
子供の頃から、いつも近くにいた。
だが、山の外ではほとんど知られていないらしい。
……。
(……へえ)
そう考えると。
我が一族。
結構、珍しいのかもしれない。
私は少し得意げになった。
◇◇◇
その日の夕方。
黒角族の男たちは、族長と話をしていた。
私は水辺で魚を食べながら、何となく耳を傾けていた。
「……山の向こうでは、部族同士の争いが増えている」
男の一人が言った。
「特に西の山では、いくつかの部族がまとまって動き始めているらしい」
……。
(……ん?)
私は顔を上げた。
まとまって動く?
どういうことだろう。
族長が静かに尋ねた。
「誰が率いている?」
「詳しくは分からん」
男は首を振った。
「ただ、かなり強い部族が中心になっていると聞く」
……。
…………。
(……ふむ)
山の民の勢力争い。
そういうことか。
私は少し考え込んだ。
前世でも、歴史の授業で似たような話を聞いたことがある。
小さな国や部族が、争いながら大きな勢力になっていく。
……。
(……うーん)
もしかして。
今、この山の中でも。
そういうことが起きているのだろうか。
◇◇◇
「……我らには関係のない話だ」
トウエンが言った。
「白淵族は、山奥で静かに暮らしている」
族長はゆっくりと頷いた。
「そうありたいものだ」
……。
…………。
(……うん)
私もそう思う。
争いなんて、できれば避けたい。
魚を食べて。
水浴びをして。
美形を眺めて。
時々、セイランと訓練して。
……。
(……最高)
それだけで、十分幸せである。
私は満足げに魚を飲み込んだ。
◇◇◇
夜。
私は水辺で、今日のことを思い返していた。
闘蛇に乗って戦う白淵族。
それを見て驚く黒角族。
そして、山の向こうで広がり始めた部族同士の争い。
……。
(……なるほど)
どうやら、私が思っていた以上に。
白淵族は、少し変わった一族らしい。
……。
…………。
(……まあ)
当然かもしれない。
何しろ。
美形揃いで。
闘蛇を飼っていて。
しかも、その闘蛇が運送業まで始めているのだ。
……。
…………。
(……うん)
変わっている。
かなり変わっている。
私は少し笑った。
……いや。
闘蛇なので、笑って見えたかどうかは分からないけれど。
気持ちは笑っていた。
その時。
隣の闘蛇が、私の顔を覗き込んだ。
……。
(……ん?)
どうしたの?
闘蛇は小さく喉を鳴らした。
そして、私の隣に身体を寄せてきた。
……。
…………。
(……あら)
甘えん坊ですね。
私はそっと身体を寄せ返した。
すると、闘蛇は満足そうに目を閉じた。
……。
…………。
(……うん)
やっぱり。
こういう時間が、一番好きだ。
私は静かに目を閉じた。
山の向こうで、何が起きているのか。
今の私には、まだ分からない。
でも。
もし、いつか何かが起きたとしても。
私は、我が一族を守りたい。
レンも。
トウエンも。
族長も。
セイランも。
そして、スイ族の仲間たちも。
みんな、大切だから。
……。
…………。
(……よし)
私は心の中で、そう決めた。
……。
…………。
ただし。
その前に。
明日の訓練では、もう少し上手に走れるようになりたい。
何しろ。
相棒に怒られるのは、ちょっと悲しいのである。
私は小さく喉を鳴らした。
すると、隣の闘蛇も喉を鳴らした。
……。
…………。
(……君たち)
本当に、何でも真似するね。
まあ。
それも含めて。
我が一族は、今日も平和である。