人間というのは、不思議な生き物だと思う。
十人ほどなら、話し合いで何とかなる気がする。
二十人を超えると、少し不安になる。
三十人近くが武器を持って現れたら。
(……帰りたい)
これが、私の率直な感想である。
◇◇◇
谷の奥から現れた男たちは、三十人ほどだった。
全員が武装しているわけではない。
斧や鍬を持った者もいれば、槍を持った者もいる。
だが、武器を持つ者たちは、明らかに戦い慣れていた。
歩き方が違う。
互いの間隔を保ち、こちらを囲むように広がっていく。
(……嫌な感じ)
私は、地面に爪を立てた。
セイランが、私の首筋に手を置く。
「まだだ」
(分かってます)
私は、じっと動きを止めた。
◇◇◇
「随分と大勢で道を直すんだな」
キョウが言った。
商人を名乗る男は、相変わらず笑っていた。
「山道は危険ですから」
「その危険というのは、我らのことか?」
「まさか」
男は、軽く手を広げた。
「ただ、山には獣もおりますし」
その視線が、私に向いた。
(……失礼な)
確かに大きいですけど。
今のところ、何もしてませんからね。
◇◇◇
「名前を聞いていなかったな」
セイランが言った。
男は、少しだけ首を傾げた。
「これは失礼。私はソウと申します」
「どこの商人だ」
「南の方から参りました」
「南のどこだ」
「色々と」
(……答える気、ないな)
私は、心の中でため息をついた。
◇◇◇
キョウが、一歩前に出た。
「この道を作る許しは、誰から得た」
ソウは、困ったように笑った。
「先ほども申し上げましたが、道というのは誰のものでもないでしょう」
「そういう話ではない」
「では、どういう話でしょう」
キョウの表情は変わらない。
「この山には、暮らしている者がいる。狩りをする場所も、獣を育てる場所もある。勝手に道を通せば、それらを荒らすことになる」
「なるほど」
ソウは、頷いた。
「では、通行料を払えばよろしいですか?」
ダンの眉が跳ねた。
「金の話ではない」
「おや。では、何が問題で?」
◇◇◇
私は、少しだけ感心した。
(……この人、話がうまい)
いや、褒めているわけではない。
相手の言葉を、わざと違う方向へ持っていく。
何を言っても、少しずつ論点がずれていく。
前世でも、こういう人はいた。
会議で出会うと、非常に疲れるタイプである。
◇◇◇
「ここで作業を続けることは認められない」
セイランが言った。
ソウは、初めて笑みを薄くした。
「……困りましたね」
「道を戻せ。少なくとも、これ以上は掘るな」
「それは、難しい」
「なぜだ」
ソウは、谷の奥を見た。
「もう、かなりの手間をかけていますので」
(……知らんがな)
私は、思わず鼻を鳴らした。
◇◇◇
そのとき、ハクが私の隣へ来た。
「スイ、落ち着いて」
(落ち着いてます)
「いや、尻尾が動いてる」
(……あ)
私は、そっと尻尾を止めた。
ハクは、小さく笑った。
「分かるよ。俺も、あの商人は苦手だ」
(気が合いますね)
◇◇◇
セイランとキョウは、短く視線を交わした。
そして、キョウが言った。
「一つ聞きたい」
「何でしょう」
「この道は、どこへ続けるつもりだ」
ソウは、少し考える素振りを見せた。
「南の低地へ」
「その先は?」
「商いの道ですからね。町へも、村へも」
「秦へ抜けるのか」
その言葉に、ソウの目がわずかに動いた。
(……あ)
私は、気づいた。
今の質問。
少しだけ、反応が違った。
キョウも見逃さなかったらしい。
「……そうか」
ソウは、笑みを戻した。
「秦へ行く商人もいるでしょう」
「魏へ向かう者も?」
「さあ。商人の行き先までは、私には」
「では、誰がこの道に金を出した」
沈黙。
今度は、ソウもすぐには答えなかった。
◇◇◇
ダンが、低く言った。
「……山を抜ける道を、誰かが欲しがっている」
セイランが頷く。
「白淵族と黒角族の見張りを避けて」
「そういうことだ」
ソウは、肩をすくめた。
「随分と大げさに考えますね」
「ならば、説明しろ」
キョウが言った。
「誰がこの道を使う」
ソウは、ゆっくりと息を吐いた。
「……それを話せば、通していただけますか?」
「内容による」
「では、話しても無駄かもしれませんね」
◇◇◇
(……面倒くさい!)
私は、心の中で叫んだ。
話が進まない。
こういう時、口が利けないのは不便だ。
いや、口が利けたところで、私に交渉ができるとは限らないけど。
◇◇◇
そのときだった。
谷の奥で、誰かが叫んだ。
「おい! 何をしている!」
振り向くと、男たちの一人が、こちらへ走ってきていた。
「荷が来るぞ!」
ソウの顔色が変わった。
ほんの一瞬。
けれど、確かに。
(……荷?)
キョウが、すぐに尋ねた。
「何の荷だ」
ソウは答えない。
代わりに、後ろの男へ鋭く言った。
「止めろ」
「ですが、もう――」
「止めろと言っている!」
◇◇◇
谷の奥から、車輪の音が聞こえた。
ごろ、ごろ。
木々の間から、荷車が現れる。
一台。
二台。
三台。
布で覆われた荷が、山積みになっていた。
それを引いているのは、馬ではない。
大勢の男たちだった。
(……え)
何で、人が引いてるの?
私は、首を傾げた。
◇◇◇
「……荷を見せろ」
セイランが言った。
ソウは、黙っていた。
「この道が何のために作られているのか、確かめる」
「それは困ります」
「なぜだ」
「商売の秘密ですから」
キョウが、静かに言った。
「ならば、我らも通せない」
ソウの笑みが、消えた。
◇◇◇
しばらく、誰も動かなかった。
谷の中を、風が通り抜ける。
やがてソウが、低く言った。
「……皆さんは、少し勘違いをしておられる」
ダンが、槍を構えた。
「何をだ」
「この道は、もう止められない」
ソウは、後ろへ一歩下がった。
それを合図にしたように、武装した男たちが動いた。
(……来る)
私は、身体を低くした。
◇◇◇
「スイ」
セイランの声がした。
「動くな。まだだ」
(……はい)
私は、じっと待った。
セイランは、槍を構えながらキョウへ言った。
「荷を押さえたい」
「ああ」
「だが、ここで争えば、谷が血で汚れる」
キョウは、少しだけ笑った。
「……俺も同じことを考えていた」
(……え)
何ですか。
その、通じ合ってる感じ。
ちょっと格好いいじゃないですか。
◇◇◇
「ハク」
セイランが呼んだ。
「はい」
「笛を」
ハクは、腰から小さな笛を取り出した。
(……あ)
あれは。
闘蛇笛。
◇◇◇
ぴぃっ。
人間には、かすかにしか聞こえない高い音。
けれど、私にははっきりと聞こえた。
(……了解)
私は、すぐにハクへ視線を向けた。
少し離れた場所にいた、ハクの闘蛇も顔を上げる。
それだけ。
笛は、攻撃の合図ではない。
注意を向けるためのものだ。
次の指示を待つ。
◇◇◇
ハクが、私に向かって手を動かした。
右へ。
少しだけ。
(……そっち?)
私は、ゆっくりと身体を動かした。
谷の入口に、身体を横たえるように位置を変える。
ハクの闘蛇も、反対側へ動いた。
二頭で、道を挟む形になった。
◇◇◇
「……何をしている」
ソウが、警戒した声を上げた。
セイランが答える。
「通さないだけだ」
「……は?」
「我らは、争いたいわけではない。だが、道を使わせるつもりもない」
キョウが続ける。
「荷を見せれば、話は進む」
ソウは、私たちを見た。
そして、初めて明確に顔をしかめた。
◇◇◇
(……ふふ)
どうですか。
九メートルの通行止め。
簡単にはどかせませんよ。
◇◇◇
だが、そのとき。
荷車の一つから、かすかな音が聞こえた。
こん。
こん。
私は、首を持ち上げた。
(……ん?)
木を叩く音。
いや。
違う。
今度は、荷車の中から。
こん。
こん。
一定の間隔。
(……まさか)
私は、じっと荷車を見つめた。
◇◇◇
私は、短く喉を鳴らした。
「……どうした、スイ」
セイランが、すぐにこちらを見た。
私は、荷車へ鼻先を向けた。
もう一度。
こん。
こん。
セイランの表情が変わった。
「……荷の中に、何かいるのか」
(……たぶん)
私は、荷車を見つめたまま、もう一度低く喉を鳴らした。
◇◇◇
キョウが、荷車へ歩み寄ろうとした。
すると、ソウが鋭く叫んだ。
「近づくな!」
その声は、先ほどまでの穏やかなものではなかった。
完全に、余裕を失っている。
(……ああ)
私は、ようやく分かった。
この人たちが隠しているのは。
ただの荷物じゃない。
◇◇◇
セイランが、低く言った。
「……中を見せろ」
ソウは、唇を噛んだ。
「……断る」
「ならば、ここは通せない」
キョウが、静かに剣へ手をかけた。
「最後に聞く。荷の中には何がある」
ソウは答えなかった。
代わりに、後ろの男たちへ視線を送った。
そして。
荷車の布が、内側からわずかに動いた。
(……え)
私は、息を止めた。
布の隙間から。
小さな手が、見えた。
◇◇◇
(……子ども?)
私の背筋を、冷たいものが走った。
荷車の中にいるのは、人間だ。
しかも。
一人ではない。
こん。
こん。
助けを求めるような音が、もう一度響いた。
私は、ゆっくりと身体を起こした。
セイランも、キョウも、気づいていた。
そして、ソウは。
もう、笑っていなかった。