旅先で迎える朝というものは、なかなか気持ちがいい。
いつもとは違う空気。
いつもとは違う景色。
そして、いつもとは違う朝食。
……。
(……朝食?)
私は目の前の籠を見つめた。
中に入っているのは、干した魚だった。
……。
…………。
(……干物)
なるほど。
旅先仕様ですね。
私は少し考えた。
生魚の方が好きだけれど、干物も悪くない。
むしろ、噛めば噛むほど味が出る。
……。
(……うん)
これはこれで、美味しい。
私は満足げに魚を飲み込んだ。
すると、隣にいたレンが笑った。
「スイ、気に入った?」
……。
…………。
(……え?)
私は顔を上げた。
レン?
……。
…………。
(……あれ?)
そういえば、今回の旅にはレンも同行していたんだっけ。
……。
(……いや)
昨日はセイランの背中ばかり見ていたから、少し忘れていた。
私は慌てて鼻先を寄せた。
レンは笑って、私の頭を撫でた。
「今日は長い道のりになるよ」
……。
(……うん)
頑張ります。
私は元気よく喉を鳴らした。
◇◇◇
山道を進み始めて、しばらく。
空気が変わった。
最初に気づいたのは、セイランだった。
「……止まれ」
一行が足を止める。
私は耳を澄ませた。
遠くから、何か聞こえる。
……。
(……ん?)
金属の音。
人の声。
そして。
何かがぶつかるような、鈍い音。
……。
…………。
(……え)
これって。
「……戦っているな」
セイランが低く呟いた。
……。
(……やっぱり)
私は思わず身体を低くした。
前世では、映画の中でしか聞いたことのない音。
だが、今は違う。
本当に、すぐ近くで。
人間同士が戦っている。
◇◇◇
「……どうする」
同行していた戦士が尋ねた。
セイランは周囲を見渡した。
「……まず、様子を見る」
……。
(……うん)
そうだよね。
いきなり飛び込むのは危険だ。
私たちは岩場を回り込み、少し高い場所へ出た。
そこから、谷の様子が見えた。
……。
…………。
(……あ)
いた。
谷の向こうで、二つの集団が向かい合っていた。
一方は、毛皮をまとった男たち。
もう一方は、揃いの装束を身につけた戦士たち。
人数は、どちらも数十人ほど。
……。
(……うわ)
本当に。
戦だ。
私は息を呑んだ。
◇◇◇
「……西の勢力だ」
黒角族の案内役が呟いた。
……。
(……え?)
私は顔を上げた。
「あの揃いの装束の者たち。最近、山の部族をまとめている連中だ」
……。
(……なるほど)
あれが。
カンロの言っていた勢力。
私はじっと見つめた。
揃いの装束の戦士たちは、隊列を崩さずに動いていた。
一人が前へ出ると、他の者がその動きを支える。
無闇に突っ込まない。
仲間同士で声を掛け合いながら、少しずつ相手を押し戻している。
……。
(……おお)
統率が取れている。
私は少し感心した。
だが。
次の瞬間。
毛皮の男が一人、地面に倒れた。
……。
…………。
(……あ)
私は思わず目を逸らした。
戦いなのだから、怪我人が出るのは当然だ。
頭では分かっている。
けれど。
実際に目にすると、やはり怖い。
◇◇◇
「……あいつらは、何を争っている」
セイランが尋ねた。
案内役は首を振った。
「詳しくは分からん。ただ、あの谷を通る道は、いくつかの部族が取り合っていたはずだ」
……。
(……また道)
私は少し考えた。
山の民にとって、道は大切なのだ。
食料を運ぶにも、他の部族と交易するにも、道が必要になる。
その道を誰が使うか。
誰が守るか。
誰が支配するか。
……。
(……うーん)
思っていた以上に、重要な問題らしい。
◇◇◇
戦いは、長くは続かなかった。
揃いの装束の戦士たちが、毛皮の男たちを包囲した。
そして、先頭に立つ男が大声で叫んだ。
「武器を捨てろ!」
……。
(……おお)
降伏勧告。
私は少し安心した。
「これ以上、血を流す必要はない!」
……。
(……うん)
そうだよね。
もう十分だ。
毛皮の男たちは、しばらく抵抗していた。
だが、やがて一人が武器を落とした。
続いて、もう一人。
そして、最後には全員が武器を捨てた。
……。
…………。
(……ほっ)
終わった。
私はようやく息を吐いた。
◇◇◇
「……見事だな」
同行していた白淵族の戦士が呟いた。
「数では大きく変わらなかったのに、あれだけ早く決着をつけるとは」
……。
(……確かに)
私は頷いた。
西の勢力は、強い。
それは間違いない。
だが、私が気になったのは、別のことだった。
戦いが終わると、揃いの装束の戦士たちは倒れた者たちのもとへ向かった。
敵味方を分けずに、怪我人を運び出している。
……。
(……あ)
私は少し驚いた。
もちろん、全員を助けられるわけではないだろう。
だが、少なくとも、見捨ててはいない。
……。
(……なるほど)
これが。
カンロの言っていた「無闇な争いを望まない」ということなのかもしれない。
◇◇◇
「……行くぞ」
セイランが言った。
……。
(……え?)
私は顔を上げた。
「……話を聞く」
……。
(……おお)
ついに。
直接接触ですね。
私は少し緊張した。
◇◇◇
谷へ下りると、西の勢力の戦士たちが一斉にこちらを見た。
……。
…………。
(……あ)
また、この反応。
「……何だ、あの獣は」
「でかい……」
「人を乗せているぞ」
……。
(……はいはい)
闘蛇です。
よろしくお願いします。
私はおとなしく伏せた。
すると、先頭に立っていた男が近づいてきた。
……。
(……おや)
見覚えがある。
昨日、宿泊した集落で私を見つめていた男だ。
顔を布で隠していた、あの人。
男は私を見て、小さく笑った。
「……やはり、白淵族か」
……。
(……え?)
知ってるの?
セイランが尋ねた。
「……何者だ」
男は布を外した。
現れたのは、若い男の顔だった。
鋭い目つき。
日に焼けた肌。
そして、どこか余裕のある表情。
……。
(……おお)
なかなかの美形。
私は少し嬉しくなった。
男は静かに答えた。
「俺は、西の軍に属する者だ」
……。
(……ふむ)
なるほど。
「名は、リョウ」
……。
(……リョウさん)
覚えました。
私は小さく頷いた。
◇◇◇
「……お前たちは、何をしに来た」
リョウが尋ねた。
セイランは短く答えた。
「……話を聞きに来た」
「何の?」
「お前たちの主について」
……。
…………。
(……おお)
直球。
相棒。
実に直球である。
リョウは少し笑った。
「なるほど」
そして、私を見た。
「……その獣も、連れて?」
……。
(……はい)
同行者です。
私は堂々と胸を張った。
リョウは目を細めた。
「……面白い」
……。
(……ふふん)
よく言われます。
◇◇◇
リョウは、私たちを谷の奥へ案内した。
そこには、戦いを終えたばかりの戦士たちがいた。
怪我人の手当てをする者。
武器を集める者。
食料を運ぶ者。
……。
(……へえ)
ちゃんと役割分担がある。
私は少し感心した。
リョウは歩きながら話した。
「我らの主は、山の民を一つにしようとしている」
……。
(……うん)
聞いてます。
「だが、全ての部族が素直に従うわけではない」
……。
(……まあ)
そうでしょうね。
「だから、時には戦う必要がある」
……。
(……うーん)
やっぱり。
簡単ではないらしい。
◇◇◇
「……お前たちの主は、何を目指している」
セイランが尋ねた。
リョウは少し考えた。
「……山の民が、山の民として誇りを持って生きられる世界だ」
……。
(……おや)
私は顔を上げた。
何だか。
少し、格好良い。
「今は、部族ごとに分かれ、互いに争っている。だが、それでは外の大きな国々に対抗できない」
……。
(……なるほど)
確かに。
山の外には、秦という国があるらしい。
きっと、他にも大きな国があるのだろう。
「我らの主は、山の民を一つにまとめ、その力を外の世界にも示そうとしている」
……。
…………။
(……へえ)
なかなか大きな夢だ。
私は少し感心した。
◇◇◇
「……そのために、白淵族の力が必要なのか」
セイランが尋ねた。
リョウは頷いた。
「そうだ」
そして、私を見た。
「特に、その獣」
……。
…………။
(……え)
私?
また?
「山道を自在に進み、人を乗せ、荷を運ぶ」
……。
(……ふふん)
そうです。
「戦でも、役に立つだろう」
……。
…………。
(……あ)
また、その話。
私は少しだけ、気持ちが沈んだ。
戦うために生まれたわけではない。
もちろん、我が一族を守るためなら戦う。
でも。
誰かを傷つけるために使われるのは、嫌だ。
私は静かに目を伏せた。
◇◇◇
「……闘蛇は、道具ではない」
セイランが言った。
……。
…………。
(……え?)
私は顔を上げた。
リョウも、少し驚いたようだった。
「……何?」
「俺たちは、闘蛇と共に暮らしている」
セイランは静かに続けた。
「戦に使うためだけに育てているわけではない」
……。
…………။
(……セイラン)
私は、少しだけ胸が温かくなった。
リョウはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……なるほど」
……。
(……おや)
分かってくれた?
「それは、我らの主にも伝えておこう」
……。
…………。
(……よかった)
私は少し安心した。
◇◇◇
夕方。
私たちは谷の外れで休むことになった。
リョウたちは、明日さらに西へ進むらしい。
そして、私たちも、その先へ向かうことになった。
……。
(……ふむ)
いよいよ。
山の民をまとめようとしている主に近づいている。
私は少し緊張した。
だが。
同時に、少し楽しみでもあった。
何しろ。
あれだけの戦士たちをまとめる人物である。
きっと、ただ者ではない。
……。
(……うーん)
どんな人なんだろう。
強い人。
賢い人。
そして。
できれば。
……。
(……美形)
私は少し期待した。
その時。
セイランが私の頭を撫でた。
「……スイ」
……。
(……はい)
「疲れたか」
……。
(……大丈夫)
私は小さく喉を鳴らした。
セイランは静かに頷いた。
「……明日も歩くぞ」
……。
(……はい!)
私は元気よく首を上げた。
山の向こうには、まだ知らない世界が広がっている。
そして、その先には。
私たちの暮らしを変えるかもしれない、誰かがいる。
……。
(……うん)
会ってみよう。
まずは、それからだ。
私はそう思いながら、静かに目を閉じた。