秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第二話 美形を乗せるのも楽じゃない

 

世の中には、乗り物に向いている者と、そうでない者がいる。

 

例えば馬。人を乗せるために飼い慣らされ、長い年月をかけて騎乗技術が発達してきた、実に優秀な生き物である。

 

一方、闘蛇。

 

こちらは、正直なところ乗り物にはあまり向いていない。

 

いや、乗れないわけではない。実際、白淵族では昔から闘蛇を騎獣として利用してきた。

 

ただし、問題がある。

 

とにかく、気性が荒いのだ。

 

少しでも気に入らないことがあれば暴れるし、驚けば走り出す。興奮した時など、背中に乗っている人間のことなんて忘れてしまう。

 

つまり、何が言いたいかというと。

 

闘蛇に乗るには、それなりの技術と覚悟が必要なのである。

 

そして、どうやら今日。

 

私の背中に、一族で最も恐ろしい男が乗ることになったらしい。

 

……いや、待って。

 

聞いてないんですけど。

 

◇◇◇

 

「本当にこいつでいいのか?」

 

目の前の男が、レンに尋ねた。

 

「うん。スイなら大丈夫だと思う」

 

「他の闘蛇は、俺が近づくだけで騒ぐぞ」

 

「だからスイなんだよ」

 

なるほど。どうやら私の知らないところで、話が進んでいたらしい。

 

ちなみに、この男の名前はセイランという。白淵族の戦士であり、一族最強と呼ばれる男だ。

 

年齢は二十代半ば。長い黒髪を無造作に束ね、鋭い目つきをしている。普段はあまり喋らない。そして、笑わない。

 

先ほど笑ったところを見たのは、私にとっても珍しい出来事だった。

 

顔が良い。非常に良い。

 

……いや、そんなことはどうでもいい。

 

問題は、この男が私に乗ろうとしていることである。

 

「まずは歩かせてみよう」

 

レンが言った。

 

「無理はさせないでね」

 

「分かっている」

 

セイランはそう答えると、私の横に回り、背中に手を置いた。

 

……ちょっと。

 

触るなら一声かけていただきたい。心の準備というものがあるでしょう。

 

そんな私の抗議など知る由もなく、セイランは軽く地面を蹴った。

 

次の瞬間、ふわりと身体が浮き、私の背中に着地する。

 

……軽い。

 

いや、もちろん人間一人分の重さはある。だが、九メートルもある私からすれば、大した負担ではない。

 

それよりも驚いたのは、着地の衝撃がほとんどなかったことだ。

 

普通の人間なら、背中に乗る時に多少は身体が揺れる。ところが、この男は違う。

 

私の動きに合わせるように、自然と重心を移している。

 

……何この人。乗馬、上手すぎない?

 

いや、乗闘蛇か。

 

「……落ち着いているな」

 

セイランが呟いた。

 

「でしょ?」

 

レンが嬉しそうに答える。

 

「スイは本当に賢いんだ」

 

ふふん。もっと褒めてもいいのよ。

 

私は得意げに首を持ち上げた。

 

「スイ、歩いてみて」

 

はいはい、了解しました。

 

私はゆっくりと歩き出した。

 

一歩、二歩、三歩。

 

背中の男は、ほとんど揺れない。

 

いや、正確には揺れているのだろう。だが、その揺れに合わせて身体を動かしている。

 

まるで、私の身体の一部になったような感覚だ。

 

……ちょっと待って。

 

これ、結構すごくない?

 

「速度を上げるぞ」

 

セイランが言った。

 

え、もう?

 

いや、別にいいけど。

 

私は歩幅を広げた。湿った地面を蹴り、身体を前へと運ぶ。

 

周囲の景色が流れ始め、風が鱗の間を抜けていく。

 

気持ちが良い。

 

やっぱり走るのは好きだ。

 

前世では運動が得意だったわけではないけれど、この身体になってからは別である。

 

何しろ、足が速い。しかも、疲れにくい。

 

人間だった頃には考えられないほど、自由に身体を動かせる。

 

……まあ、細かい作業はできないけど。

 

「右だ」

 

セイランの声が聞こえた。

 

はい、右ね。

 

私は身体を傾けた。

 

「左」

 

はいはい。

 

「止まれ」

 

了解。

 

私は足を踏ん張り、ゆっくりと速度を落とした。

 

背中の男が黙り込んだ。

 

おや、どうしたの。

 

何か問題でも?

 

「……レン」

 

「何?」

 

「こいつ、本当に闘蛇か?」

 

……失礼な。

 

どこからどう見ても闘蛇でしょうが。

 

「俺も時々そう思うよ」

 

レンまでそんなことを言い出した。

 

おい、育ての親。

 

そこは否定してくれ。

 

◇◇◇

 

その後、訓練は少しずつ難しくなっていった。

 

まず、急な方向転換。次に、障害物を避けながらの走行。さらに、狭い道を通る訓練。

 

ここまでは問題なかった。

 

むしろ、楽しい。

 

何しろ、セイランの指示は的確なのだ。

 

無駄がない。私が動きやすいタイミングで声をかけてくれる。

 

そして何より、身体の使い方が上手い。

 

こちらが曲がろうとする前に、わずかに重心を移す。だから、次に何をしたいのかが自然と分かる。

 

……あれ?

 

これ、もしかして。

 

私たち、相性が良いのでは?

 

「次は、あの木まで走る」

 

セイランが前方を指さした。

 

そこには、大きな木が一本立っていた。距離はそれほど遠くないが、途中には倒木や岩が転がっている。

 

なるほど、障害物競走ですね。

 

任せなさい。

 

私は地面を蹴り、一気に加速した。

 

風が唸る。背中のセイランが、わずかに身体を低くした。

 

いいね。分かってるじゃないの。

 

私は倒木を飛び越え、岩を避けながら進んだ。

 

そして、最後の曲がり角。

 

セイランが右へ重心を移した。

 

はい、右ね。

 

……いや、待てよ。

 

私は一瞬、前方を見た。

 

右側には大きな岩。その向こうは狭い道。

 

確かに、右へ曲がれば目的の木に近づける。だが、そのまま進めば速度を落とさなければならない。

 

一方、左側には少し遠回りになるものの、開けた場所がある。

 

……よし、こっちだ。

 

私は左へ身体を傾けた。

 

「……!」

 

背中のセイランが反応する。だが、止めようとはしなかった。

 

私は左へ回り込み、大きく弧を描くように走った。そして、その勢いを保ったまま木の前へ。

 

最後に足を踏ん張り、ぴたりと止まる。

 

よし、完璧。

 

どうですか、この走り。

 

私は得意げに首を持ち上げた。

 

だが、背中の男は何も言わない。

 

……あれ?

 

もしかして、怒ってる?

 

指示と違う方向に行ったから?

 

いや、でも。こっちの方が速かったと思うんだけど。

 

しばらくして、セイランが口を開いた。

 

「……今のは」

 

はい。

 

「俺の指示を無視したな」

 

……すみません。

 

でも、理由がありまして。

 

私は小さく喉を鳴らした。

 

「だが」

 

セイランは続けた。

 

「正しい判断だった」

 

……!

 

おお、分かってくれましたか。

 

「右へ曲がれば、岩を避けるために速度を落とす必要があった。左へ回り込めば、勢いを保ったまま進める」

 

そうそう! そうなんですよ!

 

「……まさか、そこまで考えて動いたのか?」

 

はい! 考えました!

 

私は勢いよく首を上下させた。

 

セイランが黙り込む。

 

……あ。

 

しまった。

 

今の、ちょっと人間っぽすぎた?

 

「……面白い」

 

男が小さく笑った。

 

また笑った。本日二度目である。

 

これはもう、記念日として制定しても良いのではないだろうか。

 

◇◇◇

 

訓練を終えて戻ると、レンが駆け寄ってきた。

 

「どうだった?」

 

セイランは私の背中から軽やかに降りた。

 

「問題ない」

 

「本当?」

 

「ああ」

 

短い返事。だが、その表情はどこか満足そうだった。

 

「それどころか……」

 

セイランは一度、私を振り返った。

 

「こいつは、俺が考えていることを理解して動く」

 

レンが目を丸くした。

 

「そんなことが?」

 

「分からん。だが、少なくとも他の闘蛇とは違う」

 

ふむ。まあ、そうでしょうね。

 

中身が人間ですから。

 

「俺が右へ進もうとした時、こいつは左へ進んだ」

 

「えっ?」

 

「だが、その方が速かった」

 

レンは驚いたように私を見た。

 

「スイ……お前、そんなことまで考えられるのか?」

 

ふふん。もっと褒めてもいいのよ。

 

私は得意げに胸を張った。

 

……いや、闘蛇に胸を張るという表現が適切なのかは分からないけれど。

 

「決めた」

 

セイランが言った。

 

「何を?」

 

「今後、俺が乗るのはこいつだ」

 

……え。

 

ちょっと待って。

 

今、何て?

 

「スイを?」

 

「ああ」

 

レンは少し考え込んだ。

 

「でも、スイは他の闘蛇たちの面倒も見ているし……」

 

「必要な時だけでいい」

 

セイランは私を見た。

 

「こいつなら、俺についてこられる」

 

……いや、それはまあ。

 

ついていけるとは思いますけど。

 

でも、そんな真剣な顔で見つめられると困るんですよ。

 

顔が良すぎて。

 

「スイ」

 

セイランが私の鼻先に手を置いた。

 

「これからよろしく頼む」

 

……はい、こちらこそ。

 

私はそっと、その手に鼻先を押しつけた。

 

すると、セイランはわずかに目を細めた。

 

……ああ。

 

今日も顔が良い。本当に良い。

 

こうして私は、一族最強の戦士の騎獣となった。

 

もっとも、この時の私はまだ知らなかった。

 

この男を背に乗せるということが、どれほど大変なことなのかを。

 

そして、彼が戦場で見せる姿が、普段の何倍も恐ろしいということを。

 

……いや。

 

顔が良いことだけは、間違いないのだけれど。

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