山の民と一口に言っても、その暮らしは実にさまざまらしい。
白淵族は、川と湿地に囲まれた山奥で暮らしている。
闘蛇を育て、背に乗り、狩りをし、荷を運ぶ。
一方、黒角族は険しい岩場に暮らし、山羊に似た獣を飼っている。
住む場所が違えば、暮らし方も違う。
それは分かる。
分かるのだけれど。
(……仮面、多くない?)
私は目の前の戦士たちを眺めながら、そんなことを考えていた。
◇◇◇
「出発するぞ」
セイランの声に、私は顔を上げた。
朝日が山の稜線を照らしている。
昨夜休んだ谷には、すでに大勢の戦士たちが集まっていた。
その多くが、顔に仮面を着けている。
木を削ったような仮面。
獣の牙を模した面。
目元だけを隠すものもあれば、顔全体を覆うものもある。
中には、大きな角が生えた仮面まであった。
(すごい)
私は思わず見入ってしまった。
同じ山の民でも、これほど文化が違うのか。
白淵族では、顔を隠す習慣はほとんどない。
だから、こうして大勢の仮面を着けた戦士たちを見ると、少し不思議な気分になる。
それに、もう一つ。
(……服、少なくない?)
そう。
皆さん、なかなか大胆な格好をしている。
腰には布や獣皮を巻き、上半身はほとんど裸。
筋肉が、これでもかというほど露わになっている。
(……おお)
これは、なかなか。
仮面で顔は見えないけれど、別の意味で目の保養かもしれない。
私は少し感心した。
「スイ」
セイランが私の首筋を叩いた。
「行くぞ」
私はゆっくりと歩き出した。
後ろから、二頭の闘蛇が続く。
それぞれの背には、白淵族の戦士が乗っていた。
一人はハク。
もう一人も、普段から闘蛇に乗って狩りをしている戦士だ。
黒角族の案内役は、ハクの闘蛇に同乗している。
そして、レンは私の背に乗っていた。
今回の旅では、私の世話役として同行している。
(……ふふん)
つまり。
私の背には、セイランとレン。
美形二人乗り。
実に贅沢な状況である。
……もっとも。
二人とも真剣な顔をしているので、あまり浮かれてはいられない。
◇◇◇
「白淵族の獣は、三頭だけか」
隣を歩いていたリョウが尋ねた。
彼は昨日、谷で出会った戦士だ。
今日は顔の上半分を覆う仮面を着けている。
(ああ……)
昨日は見えていた顔が、今日は見えない。
残念。
非常に残念。
「今回はな」
セイランが答えた。
「集落には、まだいる」
「そうか」
リョウは私たちを見渡した。
「噂では聞いていたが、実際に見ると壮観だな」
私は前を向いたまま、一定の歩調を保った。
後ろの闘蛇たちも、慣れた様子でついてくる。
「しかも、よく揃って動く」
「スイが先頭にいるからだ」
セイランが言った。
「他の闘蛇は、あいつの動きをよく見る」
リョウは興味深そうに私を見た。
「獣にも、長がいるのか」
「少なくとも、こいつらの間ではな」
セイランはそう答えた。
私は何も反応せず、ただ山道を進んだ。
(ふふん)
そうです。
私、スイ族の族長なので。
……ただし。
それを人間に説明するつもりはない。
何しろ、私は闘蛇である。
人間の言葉が分かることを、あからさまに示す必要もない。
普通の闘蛇として振る舞う。
それが、私の平和な暮らしを守るための知恵なのだ。
◇◇◇
昼過ぎ。
山道を抜けると、突然、視界が開けた。
私は思わず足を止めた。
山と山の間に、広い谷があった。
その斜面には、いくつもの集落が見える。
木と石で組まれた建物。
高く掲げられた旗。
岩場を行き来する山の民たち。
そして、谷の中央には、大勢の戦士たちが集まっていた。
(すごい)
白淵族の集落とは、まるで規模が違う。
しかも、そこにいる山の民たちの姿は実に多彩だった。
大きな角のある仮面を着けた者。
腰に獣皮を巻いた、筋骨隆々の戦士。
腕や胸に独特の模様を描いた者。
背中に巨大な武器を背負った者。
同じ山の民でも、これほど違うのか。
私は驚きながら、ゆっくりと谷へ下りた。
すると。
「……何だ、あれは!」
声が上がった。
(あ)
またですか。
「あんな獣、見たことがないぞ!」
「三頭もいる……!」
「待て、人を乗せているのか!?」
私は慣れた様子で歩き続けた。
だが、今回は少し違った。
驚いているのは、子供たちだけではない。
武器を持った戦士たちまで、私たちを見て足を止めている。
中には、槍を構える者もいた。
(おっと)
これは、ちょっとまずいかも。
私は歩調を緩めた。
後ろの二頭も、それに合わせて速度を落とす。
セイランが静かに言った。
「止まれ」
私はすぐに足を止めた。
リョウが前へ出る。
「武器を下ろせ! 客人だ!」
戦士たちは顔を見合わせ、ようやく槍を下げた。
(ふう)
よかった。
初対面で戦闘開始なんて、勘弁してほしい。
◇◇◇
「……あれが、白淵族か」
少し離れた場所から、低い声が聞こえた。
振り返ると、大柄な男が立っていた。
顔には、獣のような大きな仮面。
上半身は裸で、腰には獣皮を巻いている。
手には、私の前脚ほどもありそうな武器を持っていた。
(でっか)
人間としては、かなり大きい。
もちろん、私の方が大きいけれど。
男はゆっくりと近づいてきた。
そして、私を見上げた。
「面白い獣だな」
私は首を動かさず、静かに男を見つめた。
男は愉快そうに笑った。
「はっはっは! この大きさで、人を乗せるのか!」
セイランが答えた。
「そうだ」
「ほう。大したものだ」
男は私の身体を興味深そうに眺めた。
「名前はあるのか?」
「スイだ」
「スイ、か」
男は笑った。
「よく育てたものだな」
レンが少し嬉しそうに答えた。
「卵から育てたんです」
「ほう! それは見事だ!」
(ふふん)
そうでしょう。
レンは優秀な飼育担当なのです。
私は心の中で、少しだけ胸を張った。
◇◇◇
「お前は?」
セイランが尋ねた。
男は胸を張った。
「バジオウだ」
(……ん?)
私は一瞬、耳を疑った。
バジオウ。
……。
(……ばじおう?)
どこかで聞いたことがあるような。
だが、すぐには思い出せなかった。
(……まあ)
山の民の名前は、まだ慣れない。
私はそのまま、静かにしていた。
バジオウはセイランを見た。
「お前たちが、我らの主に会いに来た白淵族か」
「そうだ」
「ならば、案内しよう」
バジオウは谷の奥を指差した。
「あちらで待っておられる」
(おお)
ついに、ご対面ですね。
◇◇◇
谷の奥には、大きな建物があった。
木と石で作られた、頑丈そうな建物である。
その前には、何人もの戦士が立っていた。
やはり、全員が仮面を着けている。
(徹底してるなぁ)
私は少し感心した。
白淵族も同じ山の民だけれど、これほど仮面が当たり前の光景は初めてだった。
それぞれの部族が持つ習慣や誇りが、仮面の形にも表れているのかもしれない。
まあ、我が一族の場合。
顔を隠してしまったら、非常にもったいない。
せっかくの美形なのだから。
ぜひ、そのままでいてほしい。
私はそんなことを考えながら、建物の前で伏せた。
セイランとレンが背中から降りる。
ハクたちも、それぞれの闘蛇から降りた。
三頭の闘蛇は、建物の脇にある広い場所で待つことになった。
(え?)
待つ?
私は顔を上げた。
ちょっと待って。
私は?
私も会いに来たんですけど?
セイランは私の頭を軽く撫でた。
「スイ、ここで待っていろ」
(えええ)
そんな。
ここまで来たのに。
私は不満を込めて、小さく喉を鳴らした。
「グルル……」
レンが私の顔を覗き込んだ。
「スイ、置いていかれるのが嫌なの?」
(……レン)
さすが。
よく分かってる。
私は鼻先をレンの肩に寄せた。
レンは少し困ったように笑った。
「セイラン、スイも一緒じゃ駄目かな」
セイランは少し考えた。
「聞いてみる」
(!!)
相棒!
素晴らしい!
私は嬉しくなったが、尻尾を振るのは我慢した。
周囲には大勢の人間がいる。
危ないからね。
◇◇◇
しばらくして、セイランが戻ってきた。
「中庭までなら、入っていいそうだ」
(やった!)
私は立ち上がった。
セイランとレンが、私の横を歩く。
後ろの二頭の闘蛇は、ハクたちと一緒に待機することになった。
私はゆっくりと中庭へ進んだ。
◇◇◇
中庭は、思った以上に広かった。
石が敷き詰められ、周囲には木の柱が並んでいる。
そして、その奥。
一段高くなった場所に、一人の人物が座っていた。
(おや)
私は足を止めた。
その人物は、他の戦士たちとは少し違う装束をまとっていた。
顔には、独特の形をした仮面。
身体は細身だが、背筋はまっすぐ伸びている。
周囲の戦士たちとは、明らかに雰囲気が違った。
(へえ)
あれが、山の民をまとめようとしている主。
私は興味深く見つめた。
すると、その人物が静かに立ち上がった。
「白淵族か」
声が響いた。
(ん?)
私は少し驚いた。
声が、思ったより高い。
(え)
もしかして、女性?
◇◇◇
「遠いところを、よく来た」
その人物は、落ち着いた声で言った。
セイランが一歩前へ出る。
「白淵族のセイランだ」
「話は聞いている。巨大な獣を乗りこなす山の民がいるとな」
セイランが答えた。
「闘蛇という」
「闘蛇……」
その人物は、初めて聞く名を確かめるように繰り返した。
「なるほど」
そして、私を見た。
「だが、乗りこなすという言い方も、少し違うようだな」
セイランは、わずかに目を細めた。
「どういう意味だ」
「その獣は、無理に従わされているようには見えぬ」
(おお)
よく見ていらっしゃる。
私は静かにその人物を見つめた。
「共に暮らしているのだな」
「そうだ」
セイランは短く答えた。
その人物は、少しだけ笑ったように見えた。
仮面のせいで表情は分からない。
けれど、何となくそんな気がした。
◇◇◇
「名は?」
その人物が尋ねた。
セイランが答えた。
「スイだ」
「スイ」
その人物は、ゆっくりと私の名前を繰り返した。
「良い名だ」
(ありがとうございます)
私は心の中で礼を言った。
もちろん、実際には何も反応しない。
ただ静かに伏せたまま、その人物を見つめていた。
「随分と落ち着いているな」
その人物が言った。
レンが少し嬉しそうに答えた。
「小さい頃から、人と一緒に育ったので」
「そうか」
その人物は、興味深そうに私を見つめていた。
◇◇◇
「さて」
その人物は、セイランへ向き直った。
「白淵族が、我らの使者に返事を出さず、自らここへ来た理由を聞こう」
セイランは静かに答えた。
「見極めるためだ」
(おお)
相棒。
相変わらず直球ですね。
「お前たちが何を望み、何をする者なのか」
その人物は、しばらく黙っていた。
そして、静かに頷いた。
「なるほど。ならば、よく見ていくといい」
「我らが何を目指し、何のために戦っているのか」
(ふむ)
私は少し考えた。
この人、思ったより話が分かりそうだ。
少なくとも、いきなり「従え」と命令するような人ではないらしい。
(よかった)
私は少し安心した。
その時、セイランが尋ねた。
「お前の名は?」
(あ)
そういえば、まだ聞いてなかった。
私は顔を上げた。
仮面の人物は、少しだけ顎を上げた。
そして、静かに答えた。
「楊端和」
(え?)
私は固まった。
楊端和。
(よう、たんわ?)
どこかで聞いたことがある。
いや、聞いたことがあるどころではない。
(ちょっと待って)
私は必死に記憶を探った。
前世。
映画。
山の民。
仮面。
そして。
(あ)
思い出した。
長澤まさみ。
(長澤まさみ!?)
いや、違う!
長澤まさみが演じてた人!
キングダム!!
(ええええええ!?)
私は思わず、天を仰いだ。
「グオオオオオオッ!!」
中庭に、盛大な咆哮が響き渡った。
「なっ!?」
「何だ!?」
「獣が!」
周囲の戦士たちが一斉に武器を構える。
(あ)
しまった。
私は慌てて口を閉じた。
セイランが、ものすごく静かな声で言った。
「スイ」
(すみません)
本当に。
悪気はないんです。
ただ、ちょっと衝撃が大きすぎただけで。
私はそっと身体を低くした。
レンが慌てて私の首筋を撫でた。
「スイ、大丈夫。落ち着いて」
(レン……)
ありがとう。
私は少しずつ呼吸を整えた。
楊端和は、そんな私をじっと見つめていた。
そして、仮面の奥から小さな笑い声が聞こえた。
「面白い獣だな」
(いやいやいや)
それどころじゃないんですけど!?
私は必死に頭を働かせた。
キングダム。
秦。
山の民。
楊端和。
(待って待って)
つまり、ここは。
あの、映画で見た。
キングダムの世界!?
(ええええええ!?)
私は再び叫びそうになった。
だが、何とか耐えた。
偉い。
私。
非常に偉い。
いや、そんなことを考えている場合ではない。
私は目の前の仮面の人物を見つめた。
楊端和。
山の民の王。
そして、秦の王と手を組む人物。
(え?)
ということは。
もしかして。
あの。
吉沢亮が演じていた人も。
大沢たかおが演じていた人も。
この世界のどこかにいる?
(!!)
私は、思わず目を輝かせた。
(ちょっと待って)
これは、もしかして。
とんでもない世界に来てしまったのでは?
私は静かに、しかし確実に、闘蛇生最大の衝撃を受けていた。
そして、その衝撃のあまり。
目の前の山の王が、こちらをじっと観察していることに。
私は、まだ気づいていなかった。