秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第十九話 山の王は、獣の使い道を尋ねない

 

前世で映画を観ていたとき、私は山の民が好きだった。

 

仮面を着けた戦士たちが、ものすごい勢いで敵に襲いかかる。

 

人間離れした身体能力。

 

独特の武器。

 

そして、彼らを率いる美しい女王。

 

格好よかった。

 

とても格好よかった。

 

ただし。

 

それは、あくまで映画の話である。

 

実際に目の前にすると、感想は少し変わる。

 

(……怖い)

 

私の周囲には、武器を構えた山の民たちがいた。

 

皆さん、上半身はほとんど裸。

 

筋肉がすごい。

 

そして仮面が怖い。

 

何より、その武器が怖い。

 

いや、私の方がずっと大きいんだけどね?

 

それでも、鋭い刃物を向けられるのは気分がよくない。

 

そもそも私は戦いたくないのだ。

 

魚を食べて、日向ぼっこをして、美形を眺めていたい。

 

それが私の理想の闘蛇生である。

 

「武器を下ろせ」

 

静かな声が響いた。

 

楊端和だった。

 

「客人を脅かすな」

 

その一言で、戦士たちが武器を下げる。

 

ただし、一人だけ動かなかった。

 

私の正面に立つ、獣の仮面を着けた大柄な男。

 

バジオウである。

 

彼は私の目をじっと見ていた。

 

私も、彼を見ていた。

 

(……あれ?)

 

この人。

 

もしかして。

 

映画に出てた?

 

記憶の奥で、何かが引っかかった。

 

確か、楊端和の側近に、ものすごく強い人がいたはずだ。

 

名前も、そんな感じだったような。

 

……いや。

 

さっき名前を聞いたときは思い出せなかったけど。

 

(……バジオウ!)

 

そうだ!

 

バジオウだ!

 

映画にもいた!

 

……はず!

 

私の記憶は、非常に頼りない。

 

映画館で観たときは夢中だったのに、細かいところはすっかり抜け落ちている。

 

それでも、目の前の男がただ者ではないことくらいは分かった。

 

彼は私の牙ではなく、前脚と尾の位置を見ていた。

 

もし私が暴れたら、どこから動くのか。

 

そんなことを確かめているように思えた。

 

(……やだなぁ)

 

私は戦うつもりなんてありませんよ。

 

そっと鼻先を地面に下ろす。

 

それを見て、バジオウはようやく武器を下げた。

 

◇◇◇

 

「驚かせたようだな」

 

楊端和が言った。

 

セイランは私の横に立ったまま、短く答えた。

 

「こちらの不手際だ」

 

「構わぬ。これほど大きな獣なら、声も大きかろう」

 

……。

 

(……ありがとうございます)

 

大変寛大な対応で助かります。

 

もっとも、今回に限っては完全に私が悪い。

 

楊端和という名前に驚いて叫ぶ闘蛇なんて、普通はいない。

 

いや、絶対にいない。

 

私は知らん顔をして、前脚を揃えた。

 

レンが隣にしゃがみ、私の首筋をゆっくり撫でている。

 

「もう大丈夫だよ、スイ」

 

その声を聞くと、不思議と落ち着いた。

 

卵から育ててくれたレンには、私がどれほど大きくなっても、昔と変わらないらしい。

 

ありがたいことだ。

 

「その者は、飼育を任されているのか」

 

楊端和がレンを見た。

 

「はい。幼い頃から世話をしています」

 

「よく懐いている」

 

「……そうですね」

 

レンは少し笑った。

 

「でも、懐いているというより、一緒に育った家族みたいなものです」

 

(……レン)

 

私は思わず目を細めた。

 

家族。

 

そうだ。

 

私は白淵族の一員なのだ。

 

人間ではないけれど。

 

牙もあるし、尻尾もあるし、魚を丸呑みにするけれど。

 

それでも、私の家族は白淵族だ。

 

楊端和はレンをしばらく見つめていた。

 

「そうか」

 

そして、セイランに向き直った。

 

「お前たちの一族は、あの獣と共に暮らしているのだな」

 

「そうだ」

 

「戦にも使うのか」

 

「必要ならば」

 

「ならば、強いだろうな」

 

セイランは答えなかった。

 

楊端和も、それ以上は聞かなかった。

 

私は少し意外に思った。

 

これほど大きな獣を見たら、普通はもっといろいろ聞きたくなるものではないだろうか。

 

何を食べるのか。

 

どれほど速く走るのか。

 

何人乗れるのか。

 

戦では何人倒せるのか。

 

……最後の質問は嫌だけれど。

 

楊端和は、そういうことを尋ねなかった。

 

代わりに、別の質問をした。

 

「白淵族は、何を守るために戦う?」

 

セイランは少し考えた。

 

「一族だ」

 

「土地ではなく?」

 

「土地も、一族が生きるために必要なものだ」

 

「なるほど」

 

楊端和は小さく笑った。

 

「では、我らと同じだな」

 

◇◇◇

 

その言葉に、セイランの表情がわずかに変わった。

 

「同じ、とは?」

 

「我らもまた、山の民が生きる場所を守るために戦っている」

 

楊端和は中庭の外へ視線を向けた。

 

「山には数え切れぬほどの部族がいる。それぞれに言葉があり、習わしがあり、守るべきものがある」

 

(……うん)

 

それは、よく分かる。

 

白淵族と黒角族だって、全然違う。

 

暮らす場所も、食べるものも、獣との付き合い方も。

 

「だが、部族が違うというだけで争う者もいる。弱い部族から奪い、従わぬ者を滅ぼす者もいる」

 

楊端和の声は、静かだった。

 

「それを終わらせたい」

 

セイランは黙って聞いていた。

 

「山の民が、互いの違いを理由に殺し合わずに済む場所を作る。そのために、私は山界をまとめている」

 

(……おお)

 

格好いい。

 

さすが楊端和。

 

映画で観たときも思ったけれど、実際に聞くと迫力が違う。

 

ただ。

 

私は、そこで少し引っかかった。

 

争いを終わらせるために、戦う。

 

それは、簡単なことではないはずだ。

 

現に、昨日だって戦があった。

 

負けた側には、怪我人もいた。

 

家族を失った人もいるかもしれない。

 

(……うーん)

 

理想は立派だ。

 

でも、理想だけでは人は救えない。

 

私は少しだけ、前世の自分に戻ったような気がした。

 

映画なら、格好いい台詞で場面が終わる。

 

けれど、ここでは。

 

戦が終わっても、怪我をした人間は痛い。

 

食べ物がなければ、お腹がすく。

 

家族が帰ってこなければ、悲しい。

 

そんな当たり前のことが、今は妙に重く感じられた。

 

◇◇◇

 

「一つ、聞きたい」

 

セイランが言った。

 

「何だ」

 

「従わぬ部族は、どうする」

 

中庭が静かになった。

 

周囲の戦士たちが、わずかに身じろぎする。

 

……。

 

(……相棒)

 

それ、かなり大事な質問ですね。

 

白淵族の族長も、きっと気にしていることだ。

 

楊端和は、すぐには答えなかった。

 

「理由による」

 

「理由?」

 

「我らを拒むだけなら、無理に従わせるつもりはない」

 

(……おお)

 

「だが、他の部族を襲い、奪うことをやめぬ者ならば、戦う」

 

セイランは静かに聞いていた。

 

「白淵族が我らに加わらずとも、それだけで敵とは見なさぬ」

 

楊端和は、まっすぐセイランを見た。

 

「ただし、我らの敵に加わるなら話は別だ」

 

「当然だ」

 

セイランは短く答えた。

 

二人の間に、妙な緊張が流れる。

 

私はそっとレンの方へ顔を寄せた。

 

(……大丈夫かな)

 

レンは私の鼻先を撫でた。

 

「大丈夫だよ」

 

……。

 

(……本当に?)

 

私は少し不安だった。

 

だって、相手は楊端和だ。

 

映画では味方だったけれど。

 

それは、あくまで秦にとっての話。

 

白淵族にとっても味方になるとは、まだ限らない。

 

◇◇◇

 

そのときだった。

 

中庭の外が、急に騒がしくなった。

 

「道を開けろ!」

 

「怪我人だ!」

 

複数の足音が近づいてくる。

 

楊端和が振り返った。

 

「何事だ」

 

一人の戦士が駆け込んできた。

 

仮面の下から、荒い息が聞こえる。

 

「北の谷から戻った者たちです。負傷者が多く、運びきれません」

 

「何があった」

 

「崖道で落石がありました。昨日の戦で傷を負った者たちを移送していたところ、道が崩れたようです」

 

(……え)

 

私は顔を上げた。

 

昨日の戦。

 

あの谷で見た、怪我人たちだろうか。

 

「死者は」

 

「まだ分かりません。谷に残された者もおります」

 

楊端和の声が鋭くなった。

 

「救援を出せ」

 

「はっ!」

 

戦士が走り去ろうとした、そのとき。

 

「待て」

 

セイランが声をかけた。

 

戦士が足を止める。

 

「その谷は、どのあたりだ」

 

「ここから北へ半日ほど。細い崖道を通ります」

 

「荷車は?」

 

「通れません。人が二人並ぶのがやっとの道です」

 

セイランは少し考えた。

 

そして、楊端和を見た。

 

「俺たちの獣なら、運べるかもしれない」

 

(……え?)

 

私は顔を上げた。

 

ちょっと待って。

 

今、何て?

 

◇◇◇

 

「スイたちは、荷を運ぶことにも慣れている」

 

セイランが説明した。

 

「だが、道を見なければ分からない」

 

楊端和は私を見た。

 

「崖道を通れるのか」

 

「場所による」

 

「ならば、案内をつけよう」

 

……。

 

(……ええと)

 

話が進んでいる。

 

ものすごい速さで進んでいる。

 

私、まだ何も言ってないんですけど?

 

いや。

 

言えないんだけど。

 

私はレンを見た。

 

レンも少し驚いた顔をしていた。

 

「セイラン、本当に行くの?」

 

「怪我人がいる」

 

「それは、そうだけど……」

 

セイランは私の首筋に手を置いた。

 

「無理なら引き返す」

 

(……相棒)

 

その言葉を聞いて、私は少し安心した。

 

そうだ。

 

セイランは、私に無理をさせる人ではない。

 

これまでだって、危険な場所では必ず様子を見てくれた。

 

何より。

 

怪我をした人が、山道で動けなくなっている。

 

それを知ってしまった以上、知らん顔をするのも気分が悪い。

 

(……仕方ないなぁ)

 

私はゆっくりと身体を起こした。

 

レンが私の背を撫でる。

 

「スイ、お願いできる?」

 

私は答えなかった。

 

ただ、いつものようにセイランが乗りやすい姿勢を取った。

 

それだけで十分だったらしい。

 

セイランは小さく笑った。

 

「行くぞ」

 

◇◇◇

 

中庭を出ると、ハクたちが待っていた。

 

事情を聞いたハクは、すぐに表情を引き締めた。

 

「俺たちも行く」

 

「三頭で運べるだけ運ぶ」

 

セイランが答えた。

 

黒角族の案内役も、崖道の場所を聞いて顔をしかめた。

 

「そこは足場が悪い。雨が降れば、人でも滑る」

 

(……え)

 

嫌な情報をありがとうございます。

 

私は足元を見た。

 

大きな爪。

 

丈夫な四本の脚。

 

長い尻尾。

 

確かに、普通の馬よりは踏ん張りが利くかもしれない。

 

でも。

 

(……高いところ、得意ってわけじゃないんですよね)

 

私は水辺の生き物なのだ。

 

川や沼なら、いくらでも泳げる。

 

しかし、崖から落ちたら話は別である。

 

落ちた先が川なら、まだいい。

 

岩だったら。

 

……考えるのをやめよう。

 

そのとき、バジオウが近づいてきた。

 

「俺も行く」

 

(……おお)

 

バジオウさん。

 

頼もしい。

 

彼は私を見上げた。

 

「この獣が、どれほど山を歩けるのか見てみたい」

 

……。

 

(……いや)

 

見世物ではないんですけど。

 

でも。

 

楊端和の側近が同行するなら、現地での話も早いだろう。

 

セイランも異論はないようだった。

 

「好きにしろ」

 

バジオウは短く笑った。

 

「面白い男だな、お前は」

 

(……それは)

 

こちらの台詞です。

 

◇◇◇

 

出発の準備が整うまで、少し時間があった。

 

私は建物の脇で、レンから水を飲ませてもらっていた。

 

冷たい水が喉を通る。

 

(……生き返る)

 

やっぱり水はいい。

 

できれば魚も欲しい。

 

朝からいろいろあって、お腹がすいてきた。

 

レンは私の口元を拭きながら、小さく言った。

 

「スイ、今日は大変な一日になりそうだね」

 

(……本当にね)

 

まったくです。

 

山の王に会うだけのはずだったのに。

 

まさか、怪我人の救助に行くことになるとは。

 

私はゆっくりと目を閉じた。

 

そのとき、少し離れた場所から声が聞こえた。

 

「……あの獣は、どこまで理解しているのだろうな」

 

楊端和だった。

 

私は目を開けずに、耳だけを動かした。

 

「さあな」

 

答えたのはバジオウだ。

 

「だが、普通の獣とは違う」

 

「そうか」

 

「俺が近づいたとき、逃げも威嚇もしなかった」

 

「それだけか?」

 

「こちらの動きを見ていた」

 

少しの沈黙。

 

「……戦う相手を見定めるようにな」

 

(……え)

 

いやいや。

 

違いますよ。

 

私は戦いたくなかっただけです。

 

何だか、ものすごく強そうに評価されている。

 

困る。

 

非常に困る。

 

楊端和が小さく笑った。

 

「ならば、なおさら興味深い」

 

「何がだ」

 

「あの獣を従える者ではなく、共に歩く者がいることだ」

 

私は、そっと目を開けた。

 

楊端和は、こちらを見ていなかった。

 

その視線は、遠くの山々へ向けられていた。

 

「山の民も、そうありたいものだな」

 

……。

 

(……ああ)

 

私は少しだけ、その言葉の意味を考えた。

 

従えるのではなく、共に歩く。

 

白淵族と闘蛇の関係を、そう見てくれたのだろうか。

 

だとしたら。

 

この人は、思っていた以上に、私たちの一族と相性がいいのかもしれない。

 

もちろん、まだ分からない。

 

それでも。

 

私は少しだけ、楊端和のことを好きになった。

 

◇◇◇

 

やがて、出発の声がかかった。

 

セイランが私の背に乗る。

 

レンも後ろに続いた。

 

ハクたちは、それぞれの闘蛇に騎乗している。

 

そして、バジオウは先頭に立った。

 

(……よし)

 

行きますか。

 

私はゆっくりと歩き出した。

 

目指すは、北の崖道。

 

怪我人の救助。

 

……。

 

(……あれ?)

 

そういえば。

 

私、映画の世界に来たんだよね?

 

だったら。

 

これから先、いろんな事件が起こるのでは?

 

秦の王様。

 

王騎将軍。

 

戦。

 

山の民。

 

私は、遠くの山々を見つめた。

 

(……うーん)

 

何となく、嫌な予感がする。

 

いや。

 

正確には。

 

映画の内容を、ほとんど覚えていないことに気づいた。

 

(……あれ?)

 

キングダムって。

 

最初、どういう話だったっけ?

 

吉沢亮が王様で。

 

大沢たかおが将軍で。

 

長澤まさみが山の王で。

 

……。

 

(……それしか覚えてない!)

 

私は心の中で頭を抱えた。

 

前世の私。

 

もう少し、ちゃんと覚えておいてほしかった。

 

だが、今さらどうにもならない。

 

私は大きく息を吐いた。

 

そして、背中の二人を感じながら、山道へ踏み出した。

 

映画の続きを知っているわけではない。

 

この先に何があるのかも分からない。

 

でも、一つだけ決めていることがある。

 

私は、白淵族の一員だ。

 

どんな世界であろうと、それは変わらない。

 

だから。

 

(……まずは、怪我人を助けましょうか)

 

難しいことは、その後で考えよう。

 

私は、少しだけ歩調を速めた。

 

背中で、セイランが静かに言った。

 

「……頼むぞ、スイ」

 

(任せてください)

 

もちろん、声には出さない。

 

ただ、足元の石を踏みしめて、前へ進んだ。

 

山の向こうでは、まだ誰かが助けを待っている。

 

そして私は、このとき初めて。

 

楊端和という山の王が、何を守ろうとしているのか。

 

その一端を、自分の目で確かめることになるのだった。

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