世の中には、通っていい道と、通ってはいけない道がある。
例えば、私が毎日使っている川沿いの道。
あそこは、白淵族の皆が通る。
人も通るし、闘蛇も通る。
たまに鹿が通ることもある。
鹿が通ると、ちょっと嬉しい。
なぜなら。
(……お肉)
魚が一番好きだけれど、肉も美味しい。
白淵族の集落では、狩りで仕留めた獣の肉を分けてもらうこともある。
私たち闘蛇は、別に魚しか食べられないわけではないのだ。
ただ、できれば新鮮なお魚がいい。
これは譲れない。
……話が逸れた。
道の話である。
白淵族の集落へ続く道は、誰でも通っていいわけではない。
私たちの暮らしを守るためだ。
そして今、我が一族は、その道を誰に通させるかで頭を悩ませていた。
◇◇◇
楊端和のもとから帰って三日。
族長の家には、再び人が集まっていた。
ただし、今回は白淵族だけではない。
黒角族の族長、ガクが来ていた。
大柄な男で、角を模した飾りを頭につけている。
その後ろには、数人の戦士。
以前から顔見知りの案内役もいる。
「……随分と大きな話になったな」
ガクが言った。
白淵族の族長は静かに頷いた。
「我らだけで決めるわけにはいかぬ」
「当然だ。南の古道は、我らの土地にも続いている」
私は建物の外で、いつものように話を聞いていた。
中には入れない。
身体が大きすぎるからだ。
(……会議室、もう少し大きくならないかな)
いや。
私が入れる建物を作ろうとしたら、相当な大工事になる。
そこまでしてもらうのは申し訳ない。
私は大人しく地面に伏せた。
◇◇◇
「楊端和という王は、信用できるのか」
ガクが尋ねた。
セイランが答えた。
「少なくとも、話は通じる」
「それだけか」
「それだけでも、十分珍しい」
ガクは声を上げて笑った。
「ははっ! 違いない!」
……。
(……通じた)
相棒の言葉は、どうやら黒角族にも通用するらしい。
ガクは笑いを収めると、真剣な顔になった。
「だが、話が通じる王でも、その下の者が同じとは限らん」
白淵族の族長が頷く。
「だからこそ、決まりを作る」
◇◇◇
最初に決まったのは、通行できる道だった。
白淵族の集落へ続く道は使わせない。
闘蛇の繁殖地にも近づけない。
通行を認めるのは、南の古道だけ。
ただし、その道は細い。
大勢の兵士が一度に通れば、道が荒れる。
荷を運ぶにも、整備が必要になる。
「道を壊されたら、困るのは我らだ」
ガクが言った。
「修繕の責任も決めておくべきだな」
「同意する」
族長が答えた。
(……なるほど)
道って、貸すだけじゃないんだ。
使ったあとも考えなければならない。
前世でいうところの、施設の貸し出しみたいなものだろうか。
使うのはいいけれど、壊したら直してくださいね、と。
……意外と普通の話なのかもしれない。
◇◇◇
次に決まったのは、通行する人数だった。
「軍が通るなら、事前に知らせてもらう」
セイランが言った。
「人数と目的、それから通る日だ」
ガクが頷く。
「少人数ならともかく、大軍が来れば狩り場にも影響する」
「獣が逃げる」
「そうだ」
(……ああ)
それは困る。
鹿や猪が逃げたら、白淵族の暮らしにも影響する。
そして、闘蛇たちの食料にも。
私は少しだけ、真剣になった。
◇◇◇
「もう一つ」
トウエンが口を開いた。
「闘蛇のいる水場には、勝手に近づかないでもらいたい」
ガクが彼を見た。
「理由は?」
「事故を防ぐためです」
トウエンは落ち着いて答えた。
「闘蛇は、人に慣れている個体ばかりではありません」
(……そうそう)
私みたいに穏やかな子ばかりではないのです。
……いや。
私も、魚を横取りされたら怒るけれど。
「知らない者が近づけば、闘蛇も驚きます。人が怪我をすることもあります」
「なるほどな」
ガクは納得したようだった。
「ならば、水場の位置も知らせておく必要があるか」
「いえ」
トウエンは即答した。
「知らせない方が安全です」
……。
(……おお)
さすが。
飼育責任者。
「通ってよい場所だけを教えれば十分です」
族長が頷いた。
「その通りだ」
◇◇◇
話し合いが終わった頃には、昼を過ぎていた。
私は川辺で身体を休めていた。
レンが魚を持ってきてくれる。
「スイ、お待たせ」
(……待ってました!)
私は嬉しくなって、首を伸ばした。
今日の魚は大きい。
なかなか立派だ。
私はありがたく食べた。
すると、レンが私の鱗を撫でながら言った。
「また、外へ行くことになるかもしれないね」
(……おや)
そうなの?
「楊端和さんに、返事を届ける人が必要だから」
……。
(……ああ)
なるほど。
確かに。
話し合いで決めたことを、相手に伝えなければならない。
それはそうだ。
「セイランが行くなら、スイも一緒かな」
(……もちろん)
私は魚を飲み込んだ。
相棒が行くなら、私も行く。
それは、もう決まっている。
◇◇◇
その日の夕方。
セイランとハクが、族長に呼ばれた。
私も、少し離れた場所で待っていた。
「楊端和への返答は、お前たちに任せたい」
族長が言った。
セイランが頷く。
「分かった」
「黒角族からも、使者を出す」
ガクが続けた。
「道は両方の土地に関わる。片方だけで話を進めるわけにはいかん」
「そうだな」
族長は、二人を見た。
「ただし、急ぐ必要はない」
私は少し首を傾けた。
急がないの?
「まずは、古道を整えねばならん」
族長が続けた。
「道が使える状態でなければ、約束だけしても意味がない」
(……なるほど)
確かに。
通っていいですよ、と言っておきながら、道が崩れていたら困る。
「セイラン、ハク」
「はい」
「古道の状態を調べてくれ」
……。
(……あ)
そっちが先なんですね。
私は少しだけ、肩透かしを食らった気分になった。
楊端和のところへ行くのかと思っていた。
でも、考えてみれば当然だ。
道を貸すなら、まずは道を確認する。
何事も、準備が大切なのである。
◇◇◇
翌朝。
私たちは、南の古道へ向かった。
セイランとレンが私に乗る。
ハクと、もう一人の戦士も、それぞれ闘蛇に乗った。
黒角族からは、案内役が同行する。
いつもの顔ぶれだ。
何だか、久しぶりの遠出。
私は少しだけ気分が上がった。
ただし、今日は戦ではない。
道の確認である。
平和。
素晴らしい。
私は鼻歌でも歌いたい気分だった。
……歌えないけど。
闘蛇なので。
◇◇◇
南の古道は、以前よりも静かだった。
かつては、黒角族との行き来も少なかった道。
それが、最近になって少しずつ使われるようになっている。
ただし、まだ整備は十分ではない。
倒木。
崩れた石。
水が溜まった場所。
あちこちに、通りにくい場所があった。
「……ここは直した方がいいな」
ハクが言った。
セイランが頷く。
「雨が降れば、さらに崩れる」
黒角族の案内役が答えた。
「我らの方でも、何人か出せます」
「助かる」
私はゆっくりと歩きながら、周囲を見た。
大きな石がある。
木の根が張り出している。
川を渡る場所もある。
人間なら、少し工夫すれば通れるかもしれない。
でも、大勢の兵士や荷を運ぶとなると話が違う。
(……大変だなぁ)
私は改めて思った。
◇◇◇
昼過ぎ。
私たちは、古道の途中にある広い岩場へ到着した。
ここは、以前から休憩場所として使われていたらしい。
周囲には木々があり、近くには小さな川も流れている。
(……おお)
いい場所。
私は早速、水辺へ向かった。
すると。
「……スイ」
セイランが呼んだ。
私は足を止めた。
彼は、川の向こう側を見ていた。
「……誰かいる」
私は目を凝らした。
確かに。
木々の間に、人影がある。
一人。
いや、二人。
こちらを見ている。
旅人?
それとも、黒角族の人?
私は静かに様子を見た。
すると、人影が動いた。
こちらへ近づいてくる。
そして、木々の間から姿を現した。
二人とも、山の民だった。
ただし、白淵族でも黒角族でもない。
身につけている装飾も、衣服も違う。
一人は年配の男。
もう一人は、まだ若い女性だった。
二人とも、かなり疲れているように見えた。
「……何者だ」
セイランが尋ねた。
年配の男は、私たちを見て目を見開いた。
「……な、何だ、その獣は」
(……あ)
また、その反応。
そろそろ慣れてきました。
セイランは答えなかった。
「先に名乗れ」
男は少し迷ったあと、口を開いた。
「……我らは、南の山から来た」
「南?」
「ああ。秦国との境に近い山だ」
私は、思わず耳を動かした。
秦国。
あの秦?
嬴政が王様をしている、あの秦?
男は続けた。
「……山を離れてきた」
セイランの表情が変わった。
「なぜだ」
男は、少しだけ顔を伏せた。
「……兵が動いている」
「兵?」
「ああ。秦の兵だ」
……。
私は、静かに二人を見つめた。
男は続けた。
「詳しいことは分からん。ただ、国境に近い道で兵の往来が増えている。山の民の集落にも、警戒するよう話が回ってきた」
「それで、山を離れたのか」
「……ああ」
男は頷いた。
「争いに巻き込まれたくない」
……。
(……なるほど)
それは、分かる。
私たちだって、同じだ。
白淵族の暮らしを守りたい。
戦に巻き込まれたくない。
この二人も、きっとそうなのだろう。
◇◇◇
セイランは、少し考えていた。
そして、ハクに言った。
「……水と食料を」
「分かった」
ハクが頷く。
レンも、すぐに動いた。
二人に水を渡し、持ってきた干し肉を分ける。
年配の男は、驚いたように顔を上げた。
「……よいのか」
「困っている者を、見捨てる理由はない」
セイランが答えた。
……。
(……相棒)
そういうところ。
本当に好き。
私は、少しだけ嬉しくなった。
◇◇◇
二人は、しばらく休んでから話し始めた。
南の山では、最近になって兵の動きが増えていること。
秦国の国境に近い集落では、警戒が強まっていること。
そして、山の民の間でも、不安が広がっていること。
ただし、何が起きているのかは分からない。
秦国の内側で争いがあるのか。
それとも、別の国との戦に備えているのか。
二人には、判断できないらしい。
(……ふむ)
私は、静かに考えた。
秦国。
兵の動き。
そして、山の民。
前世で観た映画の記憶が、少しだけ蘇る。
確か、嬴政が山の民のところへ行く場面があった。
楊端和と会って。
何か、同盟のようなものを結んでいた。
……。
(……あれ?)
そういえば。
あの出来事って、いつ頃だったっけ。
私は、しばらく考えた。
……。
(……分からん)
映画を観たのは、前世の話である。
細かい時系列なんて、覚えていない。
しかも、私は原作の漫画を読んでいない。
知っているのは、映画で観た範囲だけ。
だから、今がどの時点なのかも分からない。
(……まあ)
分からないものは、仕方がない。
私は静かに息を吐いた。
◇◇◇
夕方。
私たちは、二人を連れて古道を戻ることにした。
ただし、白淵族の集落へ連れていくかどうかは、族長の判断を仰ぐ。
まずは、黒角族との境にある休憩地まで案内することになった。
年配の男は、深く頭を下げた。
「……恩に着る」
セイランは短く答えた。
「礼は要らない」
私は、その様子を見ながら考えていた。
秦国。
楊端和。
白淵族。
これまで、私にとっては別々の存在だった。
でも、少しずつ。
つながり始めている。
それが、良いことなのか。
悪いことなのか。
まだ、分からない。
◇◇◇
夜。
私は川辺で身体を休めていた。
レンが、魚と肉を持ってきてくれた。
「今日は、こっちもあるよ」
(……おお)
お肉!
素晴らしい。
私は嬉しくなった。
魚が一番好きだけれど、肉も嫌いではない。
むしろ、普通に美味しい。
私は大きな肉の塊を食べた。
……。
(……うん)
悪くない。
非常に悪くない。
レンが笑った。
「スイ、何でも美味しそうに食べるね」
(……それは)
食べ物に失礼ですから。
私は心の中で答えた。
◇◇◇
少し離れた場所では、セイランとハクが話していた。
「……秦国の兵か」
ハクが呟く。
「ああ」
「楊端和にも、知らせた方がいいだろうな」
「そうだな」
セイランは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……だが、まずは族長に報告する」
「分かっている」
二人は、夜の山を見つめていた。
私は、その背中を眺めながら、ゆっくりと身体を丸めた。
秦国の兵。
山の民。
そして、楊端和。
これから、何が起こるのだろう。
……。
(……まあ)
とりあえず。
今日は、お腹いっぱいになったので。
満足です。
私は、静かに目を閉じた。
明日になれば、また何かが動くのかもしれない。
でも、今夜くらいは。
平和な夢を見たいものだ。
できれば。
魚がたくさん泳いでいる、そんな夢を。