秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第二十四話 山の外の争いは、山の中にも届く

 

平和とは、何だろう。

 

朝起きたら魚があること。

 

日向ぼっこをしていても、誰にも邪魔されないこと。

 

レンが私の鱗を丁寧に磨いてくれること。

 

そして何より、大好きな人たちが、今日も元気に暮らしていること。

 

私にとっての平和とは、おそらくそういうものだ。

 

だから、争いというものが、どうにも好きになれない。

 

前世でも、今世でも。

 

できることなら、ずっと平和に暮らしていたい。

 

……。

 

(……まあ)

 

キングダムの世界に生まれてしまった時点で、それは難しいのかもしれないけれど。

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

南の古道で出会った二人は、白淵族と黒角族の境にある休憩地で夜を明かした。

 

年配の男は、ロクという名だった。

 

若い女性は、ミナ。

 

二人は親子ではなく、同じ集落の者らしい。

 

ほかにも山を離れた者がいるが、途中で別々の道を選んだという。

 

「……秦の兵が、村を襲ったわけではないのだな」

 

セイランが尋ねた。

 

ロクは頷いた。

 

「ああ。少なくとも、我らの村は襲われていない」

 

「ならば、なぜ逃げた」

 

「……以前にも、同じことがあったからだ」

 

セイランは黙って続きを待った。

 

「兵が動き始めると、道が塞がれる。狩りにも行けなくなる。荷を運ぶ者が来なくなり、食料が足りなくなる」

 

ロクは、少しだけ目を伏せた。

 

「戦が始まってから逃げても、遅いことがある」

 

……。

 

(……なるほど)

 

私は、静かに話を聞いていた。

 

戦が起きていなくても、兵が動くだけで暮らしが変わる。

 

そういうことなのか。

 

◇◇◇

 

「それで、北へ向かったのか」

 

ハクが尋ねた。

 

「そうだ。黒角族の土地まで行けば、しばらく身を寄せられるかもしれないと思った」

 

黒角族の案内役が、少し驚いた顔をした。

 

「我らのことを知っているのか」

 

「昔、交易に来た者から聞いた」

 

ロクは答えた。

 

「山の奥に、外の者とも物を交換する一族がいると」

 

(……おお)

 

黒角族。

 

意外と有名。

 

いや、私たち白淵族が知られていなさすぎるだけかもしれない。

 

何しろ、闘蛇に乗って暮らしているのに、ほとんど外へ出ない一族なのだ。

 

……。

 

(……もったいない)

 

我が一族、顔も良いのに。

 

もっと知られてもいいと思う。

 

いや、知られすぎるのも困るか。

 

難しいところである。

 

◇◇◇

 

話し合いの結果、ロクとミナは、ひとまず黒角族のもとで保護されることになった。

 

白淵族の集落まで連れていく必要はない。

 

彼らも、闘蛇のいる土地へ入ることには不安があるらしい。

 

……。

 

(……え)

 

私たち、そんなに怖い?

 

私は少しだけ傷ついた。

 

まあ、目の前に巨大な爬虫類が三頭もいたら、普通は怖いだろう。

 

分かっている。

 

でも、少し寂しい。

 

レンが私の首筋を撫でた。

 

「スイ、今日は帰ろうね」

 

(……はい)

 

私は素直に立ち上がった。

 

◇◇◇

 

白淵族の集落へ戻ると、セイランたちはすぐに族長へ報告した。

 

南の古道の状態。

 

修繕が必要な場所。

 

そして、秦国の国境近くから来た二人のこと。

 

族長は、最後まで黙って聞いていた。

 

「……秦の兵か」

 

「ああ」

 

セイランが答える。

 

「まだ、何が起きているのかは分からない」

 

「分からぬうちは、軽々しく動けんな」

 

族長は、しばらく考え込んだ。

 

「黒角族にも、南の様子を探ってもらおう」

 

「分かった」

 

「ただし、危険な場所へ近づく必要はない」

 

族長は、静かに続けた。

 

「我らは、秦国の争いに加わるために生きているのではない」

 

……。

 

(……うん)

 

そうだよね。

 

私は、少し安心した。

 

◇◇◇

 

その日の夕方。

 

レンとトウエンが、私の身体を調べていた。

 

長い道を歩いたあとは、こうして鱗や脚を確認してくれる。

 

傷がないか。

 

足裏に石が挟まっていないか。

 

鱗が剥がれていないか。

 

(……至れり尽くせり)

 

ありがたいことである。

 

「……ここ、少し擦れているな」

 

トウエンが言った。

 

(……え?)

 

どこ?

 

私は少しだけ気になった。

 

「古道の石に当たったのかもしれない」

 

レンが答える。

 

「深い傷じゃないよ」

 

……。

 

(……よかった)

 

鱗は大切だ。

 

防御力の問題もあるけれど、何より見た目が大事なのである。

 

私の鱗は、なかなか美しい。

 

自分で言うのも何だが、光の当たり方によって、少し青みがかって見えるところなど、非常に気に入っている。

 

だから、傷がつくと少し悲しい。

 

レンは、丁寧に泥を落としてくれた。

 

「スイは、いつも綺麗だね」

 

……。

 

(……レン)

 

分かってる。

 

分かってるよ。

 

この子、本当に良い子。

 

私は、そっと目を閉じた。

 

◇◇◇

 

数日後。

 

黒角族から、知らせが届いた。

 

南の山で、秦国の兵が動いているという話は、ほかの集落にも広がっているらしい。

 

ただし、詳しい事情は分からない。

 

国境を守るためなのか。

 

誰かと争うためなのか。

 

それとも、単なる兵の移動なのか。

 

情報は、曖昧だった。

 

「……噂ばかりだな」

 

ハクが言った。

 

セイランが頷く。

 

「山の外のことは、分からない」

 

「秦国は大きな国だ。兵が動くこと自体は珍しくないだろう」

 

「そうだな」

 

……。

 

(……確かに)

 

私は、少し考えた。

 

キングダムの世界では、戦は日常茶飯事だ。

 

秦国だって、いつもどこかで戦っている。

 

だから、兵が動いているというだけでは、何も分からない。

 

……。

 

(……うーん)

 

前世で、もっとちゃんと映画を観ておけばよかった。

 

いや。

 

観ていた。

 

かなり真剣に観ていた。

 

ただ、顔の良い人たちに気を取られていただけで。

 

……。

 

(……反省)

 

少しだけ。

 

◇◇◇

 

その夜。

 

族長は、セイランを呼んだ。

 

「楊端和への返答を届ける準備を進めよ」

 

「分かった」

 

「ただし、南の情勢も伝えておけ」

 

セイランは頷いた。

 

「秦国の兵のことか」

 

「ああ」

 

族長は、静かに言った。

 

「山の王を名乗る者ならば、すでに知っているかもしれぬ。だが、知らぬ可能性もある」

 

「分かった」

 

「そして、もう一つ」

 

セイランが顔を上げた。

 

族長は、少しだけ表情を険しくした。

 

「我らは、まだ楊端和の配下ではない。そのことを忘れるな」

 

「……ああ」

 

セイランは、短く答えた。

 

「分かっている」

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

私は、川辺で魚を食べていた。

 

すると、レンがやってきた。

 

「スイ、また出かけるよ」

 

(……おや)

 

今度こそ?

 

「楊端和さんのところへ、返事を届けに行くんだって」

 

(……おお)

 

いよいよ。

 

私は、少しだけ気分が上がった。

 

楊端和。

 

山の王。

 

あの、美しくて強い人。

 

また会えるのか。

 

(……楽しみ)

 

私は、魚を飲み込んだ。

 

すると、レンが笑った。

 

「そんなに嬉しい?」

 

……。

 

(……いや)

 

別に。

 

美人に会えるから嬉しいわけではない。

 

……。

 

(……少しはあるけど)

 

私は、そっと視線を逸らした。

 

◇◇◇

 

出発の準備は、数日かけて行われた。

 

南の古道の状態を確認し、修繕が必要な場所を記録する。

 

黒角族との取り決めをまとめる。

 

楊端和へ伝える条件を整理する。

 

そして、同行する者を決める。

 

セイラン。

 

ハク。

 

黒角族の使者。

 

それから、レン。

 

もちろん、闘蛇たちも一緒だ。

 

私を含めて三頭。

 

前回と同じ顔ぶれだった。

 

(……ふむ)

 

外交団、再結成。

 

何だか、少し格好いい。

 

私は、密かにそう思った。

 

◇◇◇

 

出発の前夜。

 

セイランが、私のところへ来た。

 

彼は、しばらく黙って私を見つめていた。

 

そして、私の首筋に手を置いた。

 

「……また、頼む」

 

(……もちろん)

 

私は、静かに息を吐いた。

 

セイランは、少しだけ笑った。

 

「お前がいると、心強い」

 

……。

 

(……あ)

 

それは。

 

ちょっと。

 

嬉しい。

 

私は、そっと目を細めた。

 

この人は、あまり多くを語らない。

 

でも、たまにこういうことを言う。

 

だから、困る。

 

……。

 

(……美形の破壊力)

 

本当に、恐ろしい。

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

私たちは、再び山の王のもとへ向かった。

 

空は晴れていた。

 

山の風は、少し冷たい。

 

私は、ゆっくりと歩き始めた。

 

背中には、セイランとレン。

 

隣には、ハクたちの闘蛇。

 

そして、黒角族の使者。

 

いつもの道。

 

いつもの仲間。

 

でも、少しだけ違う。

 

山の外では、何かが起きている。

 

秦国の兵が動き、山の民が不安を抱えている。

 

そして、私たちは今、楊端和という王に会いに行く。

 

……。

 

(……何だか)

 

本当に、物語が動き始めている気がする。

 

私は、前方の山々を見つめた。

 

あの向こうには、私の知らない世界が広がっている。

 

前世で観た映画のような世界。

 

でも、今の私にとっては、ただの物語ではない。

 

ここで暮らす人たちは、皆、生きている。

 

笑って。

 

怒って。

 

悩んで。

 

そして、何かを守ろうとしている。

 

私も、その一人だ。

 

……いや。

 

一頭か。

 

まあ、どちらでもいい。

 

私は白淵族の一員なのだから。

 

◇◇◇

 

山道を進みながら、私はふと思った。

 

もし、いつか。

 

この山の外で、大きな戦が起きたら。

 

そのとき、私はどうするのだろう。

 

セイランたちが戦うなら、私も戦うのだろうか。

 

それとも、白淵族の暮らしを守るために、山へ残るのだろうか。

 

……。

 

(……分からない)

 

今は、まだ。

 

でも、一つだけ決まっていることがある。

 

私は、レンとセイランを守りたい。

 

トウエンも。

 

族長も。

 

白淵族の皆も。

 

そして、できることなら。

 

この山の平和も。

 

私は、静かに歩き続けた。

 

遠くで、鳥が鳴いていた。

 

山の向こうには、まだ見ぬ出来事が待っている。

 

けれど、今は。

 

この道を、進むだけだ。

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