戦に勝つと、何が手に入るのだろう。
土地。
金。
食料。
あるいは、名誉。
前世の歴史の授業では、戦争の結果をそんなふうに習った気がする。
でも、山の王が秦国から持ち帰ったものは、そのどれとも少し違っていた。
(……交易路、ですか)
私は、目の前に積まれた荷物を眺めていた。
布。
塩。
それから、見慣れない形の金属製の道具。
どれも白淵族では作れないものばかりだ。
そして、その荷物を運んできたのは。
「久しいな」
仮面をつけた男。
バジオウだった。
◇◇◇
楊端和が咸陽から帰還して、ひと月ほどが過ぎた。
山界では、秦国との同盟についてさまざまな話が広まっていた。
秦国の王が、山の民を友と呼んだ。
山の王が、秦国の王宮を取り戻した。
山の民が、平地の兵士たちを圧倒した。
どこまで本当なのかは分からない。
ただ、楊端和が秦国の王と手を結んだことだけは、確かな事実だった。
そして、その影響は少しずつ山界へ広がり始めていた。
◇◇◇
「……それで、なぜお前が来た」
セイランが尋ねた。
バジオウは、いつものように落ち着いた声で答えた。
「道の確認だ」
「南の古道か」
「ああ」
バジオウは、黒角族の使者とともに、数名の戦士を連れていた。
いずれも楊端和の配下らしい。
彼らは、白淵族の集落の外れで足を止め、族長への面会を求めた。
そして、以前交わした約束に従い、通行の目的と人数を伝えてきた。
(……律儀)
私は、少し感心した。
あの山の王、ちゃんと約束を守っている。
「秦国との往来が増える可能性がある」
バジオウが言った。
「その前に、山道の状態を確認しておきたい」
族長は頷いた。
「我らの土地を通る必要があるのか」
「今すぐではない」
バジオウは答えた。
「だが、山界の各地を結ぶ道は、今後重要になる」
「……なるほど」
族長は、少し考え込んだ。
◇◇◇
山の民と秦国が同盟を結んだ。
それだけ聞けば、めでたい話に思える。
しかし、同盟というのは、握手をして終わりではないらしい。
物資を運ぶ。
人が行き来する。
知らせを届ける。
そのためには、道が必要になる。
そして、山界の道というものは、そう簡単ではない。
崖。
谷。
急な坂。
雨が降れば崩れる斜面。
……。
(……本当に)
よくこんなところに住んでいるなぁ。
いや。
私も住んでいるんですけど。
◇◇◇
「秦国と交易を始めるつもりなのか」
族長が尋ねた。
バジオウは首を横に振った。
「すぐに大きな交易が始まるわけではない」
「では?」
「まずは、互いの行き来を妨げぬことだ」
バジオウは、静かに続けた。
「これまで、山の民と秦国は敵対してきた。道を使うにも、互いに警戒があった」
「……そうだな」
「だが、今は違う」
……。
(……おお)
なるほど。
私は、少しだけ感心した。
同盟を結ぶというのは、単に一緒に戦うことではない。
これまで敵だった相手と、話ができるようになること。
それだけでも、大きな変化なのだろう。
◇◇◇
「……しかし」
セイランが口を開いた。
「秦国と盟を結んだのは、楊端和だ」
「ああ」
「我らではない」
バジオウは頷いた。
「承知している」
「ならば、秦国の者が我らの道を使う場合は、別に話をする必要がある」
「その通りだ」
……。
(……おお)
話が早い。
私は、少し安心した。
セイランも、わずかに表情を緩めた。
「……分かっているならいい」
バジオウは、静かに答えた。
「山の王も、同じ考えだ」
◇◇◇
その後、バジオウたちは南の古道を確認することになった。
案内するのは、セイランとハク。
それから、黒角族の戦士たち。
そして。
当然のように、私も連れていかれた。
……。
(……またですか)
私は、少しだけ不満だった。
最近、よく働いている気がする。
もちろん、嫌ではない。
嫌ではないのだけれど。
……。
(……魚)
帰ったら、大きいのをお願いします。
◇◇◇
古道へ向かう途中。
バジオウが、私を見上げた。
「……以前より大きくなったか」
セイランが答えた。
「少しな」
(……え)
本当?
私は、少し嬉しくなった。
成長期?
いや、もう結構大きいけれど。
バジオウは、私の脚を見た。
「……山道を歩くには、便利そうだ」
「便利という言い方は好かん」
セイランが言った。
バジオウは、少しだけ首を傾けた。
「……そうか」
「スイは、道具ではない」
……。
(……セイラン)
私は、少しだけ嬉しくなった。
すると、バジオウは静かに頷いた。
「……分かった」
それだけだった。
言い訳もしない。
余計なことも言わない。
……。
(……うん)
この人、やっぱり嫌いじゃない。
◇◇◇
古道の確認は、思ったより時間がかかった。
崩れやすい斜面。
細い橋。
雨が降ると水が溢れる谷。
バジオウは、一つひとつを丁寧に確認していた。
「……ここは、何人通れる」
「一度に十人ほどだ」
セイランが答える。
「荷を持っていれば、もっと少ない」
「……そうか」
バジオウは頷いた。
「ここを広げることはできるか」
「できる。だが、時間がかかる」
「分かった」
……。
(……真面目)
私は、少し感心した。
バジオウって、もっと戦うことばかり考えている人かと思っていた。
でも、こういう仕事もするんだ。
いや。
軍を率いるなら、道を知ることは大事なのだろう。
◇◇◇
昼過ぎ。
私たちは、少し広い場所で休憩することになった。
黒角族の戦士たちが、水を汲みに行く。
ハクは、バジオウの配下と何やら話していた。
私は、近くの水場に身体を沈めた。
(……ああ)
気持ちいい。
最高。
すると、バジオウがセイランに尋ねた。
「……お前たちは、秦国へ行ったことがあるか」
「ない」
「そうか」
「なぜ聞く」
バジオウは、少し考えた。
「……あの国は、面白い」
……。
(……おや)
私は、耳を動かした。
◇◇◇
「何がだ」
セイランが尋ねた。
「……建物が大きい」
……。
(……え)
そこ?
私は、少し驚いた。
バジオウは続けた。
「山にはない形の建物が多い。道も広い」
「そうだろうな」
「……兵も多い」
「聞いている」
バジオウは、少しだけ黙った。
そして、ぽつりと言った。
「……だが、王は若かった」
……。
(……おお)
嬴政。
私は、静かに耳を動かした。
「若い王が、山の王に助けを求めたのか」
セイランが尋ねた。
「ああ」
「……変わった王だな」
「そうだな」
バジオウは、少しだけ笑ったように見えた。
「……だが、目は強かった」
……。
(……うん)
分かる。
映画でも、そうだった。
嬴政。
若いけれど、王様らしい人だった。
◇◇◇
「……楊端和は、なぜ秦国を助けた」
セイランが尋ねた。
バジオウは、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……山の王が決めたことだ」
「それは分かっている」
「ならば、それでいい」
……。
(……おお)
出た。
無口同士の会話。
私は、少し面白くなった。
セイランは、わずかに眉を寄せた。
「……理由を聞いている」
バジオウは、少しだけ考えた。
「……山の外にも、道を作るためだろう」
……。
(……あ)
私は、静かに顔を上げた。
道。
山の外へ続く道。
それは、単に人が歩く道ではない。
これまで敵だった相手と、話をするための道。
山の民が、山の外と関わるための道。
……。
(……なるほど)
楊端和が持ち帰ったのは、そういうものなのかもしれない。
◇◇◇
夕方。
古道の確認を終えた私たちは、白淵族の集落へ戻った。
バジオウは、族長に報告した。
「……南の古道は、今のままでも少人数なら通れる」
「そうか」
「だが、大勢の兵を通すには、修繕が必要だ」
族長は頷いた。
「必要になれば、改めて話し合おう」
「承知した」
そして、バジオウは持ってきた荷物を差し出した。
布。
塩。
金属製の道具。
「……山の王からだ」
族長は、少し驚いた。
「これは?」
「道の確認に協力してもらった礼だ」
「……そうか」
族長は、静かに頷いた。
「ありがたく受け取ろう」
◇◇◇
その夜。
白淵族の集落では、少しだけ賑やかな夕食になった。
秦国から持ち込まれた塩を使って、肉が焼かれた。
……。
(……いい匂い)
私は、少し離れた場所で身体を伏せていた。
すると、レンが肉を持ってきてくれた。
「スイ、少しだけね」
(……おお)
ありがとうございます。
私は、ありがたくいただいた。
……。
(……美味しい)
塩。
偉大。
前世では当たり前に使っていたけれど、この世界では貴重なものらしい。
私は、しみじみと思った。
◇◇◇
食事のあと。
セイランとレンが、川辺で話していた。
「……秦国との同盟で、山界も変わるのかな」
レンが尋ねた。
セイランは、少し考えてから答えた。
「……変わるだろうな」
「どう変わるんだろう」
「分からん」
……。
(……潔い)
私は、少し笑いたくなった。
セイランは、続けた。
「だが、変わることが悪いとは限らない」
レンは、少し驚いたようだった。
「……そうだね」
「大事なのは、何を守るかだ」
……。
(……うん)
私は、静かに頷きたくなった。
白淵族の暮らし。
川。
森。
闘蛇たち。
そして、家族。
それを守れるなら。
山の外と関わることも、悪くないのかもしれない。
◇◇◇
翌朝。
バジオウたちは、楊端和のもとへ帰ることになった。
セイランが見送りに出た。
「……また来るのか」
「ああ」
バジオウが答えた。
「必要があればな」
「そうか」
「……お前たちも、山の王のもとへ来るといい」
セイランは、少しだけ考えた。
「……用があればな」
……。
(……ふふ)
似た者同士。
私は、静かに二人を見ていた。
バジオウは、最後に私を見上げた。
「……またな」
(……どうも)
私は、ゆっくりと瞬きをした。
◇◇◇
バジオウたちが去ったあと。
私は、川辺へ向かった。
水は、今日も冷たくて気持ちがいい。
私は、ゆっくりと身体を沈めた。
……。
(……道、か)
山の王が、秦国から持ち帰ったもの。
それは、単なる勝利ではなかった。
山の外へ続く、新しい道。
そして、山の民がこれまでとは違う未来を選ぶための可能性。
……。
(……何だか)
少し、わくわくする。
もちろん。
私は、まだ山の外へ行ったことがない。
秦国の王宮も、広い平原も、見たことがない。
でも、いつか。
この山を越えて、知らない世界を見る日が来るのかもしれない。
そのときは。
セイランと。
レンと。
一緒に行けたらいいな。
私は、静かに目を閉じた。
遠くで、鳥が鳴いていた。
山の向こうには、まだ知らない世界が広がっている。
そして、その世界へ続く道が。
少しずつ、開かれ始めていた。