秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第三話 うちの相棒、ちょっと怖すぎる

 

世の中には、顔が良いのに近寄りがたい人間というものがいる。

 

例えば、我が一族最強の戦士、セイラン。

 

長い黒髪に鋭い目つき。黙って立っているだけで、周囲の空気がぴんと張り詰めるような男である。

 

これが人間同士なら、単に「怖そうな人」で済むのかもしれない。

 

だが、我々闘蛇にとっては少々事情が違う。

 

何しろ、闘蛇という生き物は、人間が思っている以上に周囲の気配に敏感なのだ。

 

特に、殺気。

 

これには滅法弱い。

 

……いや、弱いというより、反応しすぎると言った方が正しいかもしれない。

 

危険を感じれば牙を剥き、相手が近づけば威嚇する。場合によっては、飼い主の制止すら聞かなくなる。

 

そして、セイランという男。

 

この人、どうやら殺気がものすごいらしい。

 

……らしい、というのは、私自身はあまり怖いと思ったことがないからだ。

 

だって、顔が良いし。

 

いや、顔が良ければ何でも許されるわけではない。

 

もちろん、そんなことは分かっている。

 

分かっているのだが。

 

……顔が良いんだよなぁ。

 

◇◇◇

 

「今日は北の森へ行く」

 

朝食を終えた私の前で、セイランがそう言った。

 

その隣では、レンが何やら心配そうな顔をしている。

 

「本当にスイを連れていくの?」

 

「ああ」

 

「昨日初めて乗ったばかりだよ?」

 

「問題ない」

 

「でも、北の森って……」

 

レンが言いかけたところで、セイランは私を見た。

 

「こいつなら大丈夫だ」

 

……。

 

いや。

 

そんなに信頼されても困るんですけど。

 

私、昨日初めてあなたを乗せたばかりですよ?

 

せめて、もう少し段階というものを踏んでいただきたい。

 

「スイ、嫌だったら無理しなくていいからね」

 

レンが私の鼻先を撫でた。

 

ああ、優しい。

 

本当に優しい。

 

この人はどうしてこんなに優しいのだろう。

 

私は甘えるように鼻先を押しつけた。

 

「……大丈夫そうだね」

 

いや、違う。

 

今のは単なる愛情表現です。

 

承諾の意思表示ではありません。

 

だが、そんな私の抗議が伝わるはずもなく、セイランはさっさと背中に乗ってしまった。

 

……。

 

仕方ない。

 

行きますか。

 

◇◇◇

 

北の森は、白淵族の集落から少し離れた場所にある。

 

普段私たちが暮らしている湿地帯とは違い、背の高い木々が密集し、地面には太い根が張り巡らされている。

 

闘蛇にとって、あまり走りやすい場所ではない。

 

何しろ、身体が大きい。

 

狭い道では尻尾が木にぶつかるし、足元の根に引っかかることもある。

 

とはいえ、今日は狩りである。

 

つまり、獲物がいる。

 

そして、獲物がいるということは。

 

……ご飯になる可能性があるということだ。

 

素晴らしい。

 

俄然やる気が出てきた。

 

「スイ、止まれ」

 

セイランの声が聞こえた。

 

私は足を止める。

 

前方には、深い茂みが広がっていた。

 

セイランは背中から降りると、地面に片膝をついた。

 

何やら足跡を調べているらしい。

 

……。

 

あの姿勢、格好良いな。

 

いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 

私も鼻先を下げ、地面の匂いを嗅いだ。

 

湿った土の匂い。

 

草の匂い。

 

そして、その奥に混じる、獣の匂い。

 

……おや?

 

これは、なかなか大きそうですね。

 

「いるな」

 

セイランが呟いた。

 

私は小さく喉を鳴らした。

 

うん、いるね。

 

しかも、結構近い。

 

「行くぞ」

 

セイランが再び背中に乗った。

 

私はゆっくりと歩き出した。

 

◇◇◇

 

最初に姿を現したのは、大きな猪だった。

 

いや、猪と言っていいのだろうか。

 

前世で見たものより、ひと回りもふた回りも大きい。

 

黒々とした毛に覆われ、口元からは太い牙が突き出している。

 

……。

 

でっか。

 

あれ、食べられるのかな。

 

いや、食べられるんだろうけど。

 

どうやって調理するんだろう。

 

そんなことを考えている間に、セイランが静かに槍を構えた。

 

空気が変わった。

 

……あ。

 

これか。

 

私は初めて、レンが言っていたことを理解した。

 

セイランの身体から、何かが溢れ出すような感覚。

 

目には見えない。

 

音もしない。

 

だが、確かに分かる。

 

獲物を仕留める。

 

その一点だけに意識が集中している。

 

……。

 

うわ。

 

すごい。

 

さっきまで普通に背中に乗っていた人と、同じ人物とは思えない。

 

これが、殺気というものなのだろうか。

 

猪がこちらに気づいた。

 

そして、次の瞬間。

 

「グオオオッ!」

 

凄まじい声を上げて突進してきた。

 

……え。

 

ちょっと待って。

 

こっち来るの!?

 

いや、そりゃそうか。

 

こっちが狩りに来てるんだから、向こうだって必死だよね。

 

私は反射的に身体を横へ動かした。

 

巨大な猪が、すぐ横を駆け抜けていく。

 

その瞬間、背中のセイランが動いた。

 

槍が閃く。

 

一瞬だった。

 

猪の首元に、深々と穂先が突き立った。

 

……。

 

…………。

 

え?

 

終わり?

 

猪は数歩進んだところで崩れ落ち、そのまま動かなくなった。

 

私は呆然とそれを見つめた。

 

……いや。

 

強すぎない?

 

今の、何?

 

ほとんど一瞬だったんですけど。

 

セイランは静かに槍を引き抜いた。

 

その表情には、何の変化もない。

 

まるで、道端の小石を拾ったかのような顔である。

 

……。

 

怖。

 

いや、格好良いけど。

 

格好良いんだけど。

 

これは確かに、他の闘蛇が怖がるのも分かる気がする。

 

◇◇◇

 

「……スイ」

 

セイランが私の首元に手を置いた。

 

「お前、平気なのか」

 

……。

 

何が?

 

私は首を傾げた。

 

セイランは少し考え込むように黙った。

 

「普通の闘蛇なら、今の気配で暴れている」

 

なるほど。

 

確かに、さっきの殺気は凄かった。

 

だが、私としては。

 

……まあ、セイランだしなぁ。

 

という気持ちの方が強い。

 

怖くないわけではない。

 

ただ、彼が私を傷つけるつもりではないことは分かっている。

 

だから、別に暴れる必要もないのだ。

 

私は小さく喉を鳴らした。

 

すると、セイランはわずかに目を細めた。

 

「……そうか」

 

いや、何が「そうか」なのかは分からないけど。

 

どうやら納得してくれたらしい。

 

「もう少し奥へ行くぞ」

 

……。

 

え。

 

まだ行くの?

 

もう十分じゃない?

 

猪、一頭仕留めたじゃないですか。

 

でも、セイランは私の返事など待たずに、前方を見据えていた。

 

……。

 

仕方ない。

 

行きますか。

 

◇◇◇

 

それからしばらく、私たちは森の奥へ進んだ。

 

途中、小さな獣を何匹か見かけたが、セイランは手を出さなかった。

 

どうやら、狙っている獲物が別にいるらしい。

 

やがて、開けた場所に出た。

 

そこには、先ほどの猪よりさらに大きな獣がいた。

 

……。

 

…………。

 

いやいやいや。

 

何あれ。

 

大きすぎない?

 

肩の高さだけでも、人間の背丈を軽く超えている。

 

身体は分厚い毛皮に覆われ、頭には湾曲した角が二本。

 

牛に似ているが、牛とは思えないほど凶暴そうな顔をしている。

 

……。

 

あの。

 

セイランさん?

 

まさかとは思いますが。

 

あれを狩るつもりですか?

 

「……いたな」

 

ですよね。

 

そうですよね。

 

嫌な予感はしてました。

 

セイランは静かに槍を構えた。

 

そして、再び空気が変わる。

 

先ほどよりも、さらに鋭い殺気。

 

私は思わず背筋を伸ばした。

 

……うわ。

 

これは確かに怖い。

 

だが、不思議と逃げたいとは思わなかった。

 

むしろ、身体の奥が熱くなるような感覚がある。

 

何だろう。

 

興奮しているのだろうか。

 

獣がこちらに気づいた。

 

低く唸り、地面を蹴る。

 

来る。

 

そう思った瞬間、セイランが短く告げた。

 

「右へ回れ」

 

了解。

 

私は身体を傾けた。

 

だが、獣の動きを見た瞬間、考えを変えた。

 

……いや。

 

右じゃない。

 

あれは、こちらの動きに合わせて突進してくる。

 

右へ回れば、正面からぶつかることになる。

 

ならば。

 

私は一瞬だけ左へ身体を振った。

 

獣が反応する。

 

そして、その瞬間。

 

私は大きく右へ跳んだ。

 

獣の巨体が、すぐ横を通り過ぎる。

 

「……!」

 

背中のセイランが、わずかに息を呑んだ。

 

だが、すぐに動いた。

 

槍が閃く。

 

今度は、獣の肩口を深く切り裂いた。

 

「グオオオオッ!」

 

獣が咆哮する。

 

まだ倒れない。

 

むしろ、怒り狂っている。

 

……。

 

あ、これ。

 

ちょっとまずいかも。

 

獣が再びこちらを向いた。

 

その目は血走り、鼻息が荒い。

 

セイランが槍を構え直す。

 

「スイ、次は――」

 

言い終わる前に、私は動いた。

 

今度は大きく弧を描くように走る。

 

獣は私を追いかけようとするが、巨体が邪魔をして方向転換が遅い。

 

よし。

 

やっぱり。

 

あの身体なら、小回りは利かない。

 

私は速度を落とさず、獣の側面へ回り込んだ。

 

その瞬間、背中のセイランが身体を低くした。

 

……あ。

 

分かった。

 

ここね。

 

私は足を踏ん張り、身体を安定させた。

 

そして。

 

槍が、獣の首元へ深く突き刺さった。

 

巨大な身体が揺れる。

 

一歩。

 

二歩。

 

そして、地面に崩れ落ちた。

 

……。

 

…………。

 

勝った。

 

勝ちましたよ。

 

すごい。

 

私たち、すごくない?

 

私は興奮して尻尾を振った。

 

「……っ!」

 

背中のセイランが、わずかに身体を揺らした。

 

あ。

 

ごめん。

 

つい。

 

◇◇◇

 

集落へ戻る頃には、日が傾き始めていた。

 

獲物は、後から来た狩人たちが運んでくれることになった。

 

私たちは一足先に帰還する。

 

レンは私たちの姿を見るなり、駆け寄ってきた。

 

「おかえり! どうだった?」

 

セイランは私の背中から降りると、短く答えた。

 

「問題ない」

 

……。

 

いや。

 

問題は結構あったと思いますけど。

 

巨大な猪とか。

 

巨大な牛みたいなやつとか。

 

「スイは大丈夫だった?」

 

レンが心配そうに私の身体を確認する。

 

ああ。

 

優しい。

 

本当に優しい。

 

私は鼻先を押しつけた。

 

「怪我はないみたいだね。良かった」

 

レンがほっと息をついた。

 

すると、セイランが静かに言った。

 

「レン」

 

「何?」

 

「こいつは、ただ賢いだけじゃない」

 

レンが顔を上げる。

 

「俺の動きを読んでいる。いや、それ以上だ」

 

「それ以上?」

 

「ああ」

 

セイランは私を見た。

 

「俺が考えるより先に、最善の動きを選ぶことがある」

 

……。

 

いや。

 

そこまで褒められると、ちょっと照れるんですけど。

 

「まるで、人間と組んで戦っているようだった」

 

……。

 

…………。

 

あ。

 

それ、結構核心を突いてます。

 

私は思わず目を逸らした。

 

レンはしばらく考え込んでいたが、やがて笑った。

 

「やっぱり、スイは特別なんだね」

 

ふふん。

 

まあね。

 

もっと褒めてもいいのよ。

 

すると、セイランが私の鼻先に手を置いた。

 

「……いい相棒だ」

 

……。

 

…………。

 

相棒。

 

今、相棒って言いました?

 

私は思わず喉を鳴らした。

 

すると、セイランはほんの少しだけ笑った。

 

……ああ。

 

やっぱり顔が良い。

 

本当に良い。

 

そして、何より。

 

その笑顔を見た時、私は少しだけ嬉しくなった。

 

単に顔が良いからではない。

 

……いや、それもあるけど。

 

この人は、私をただの乗り物として見ていない。

 

一緒に考え、一緒に動く相手として扱ってくれている。

 

それが、何だか嬉しかったのだ。

 

私はそっと鼻先を押しつけた。

 

セイランは何も言わず、私の鱗を撫でた。

 

こうして、私たちの初めての狩りは終わった。

 

ちなみに、その日の夕食。

 

私はいつもより多めの魚をもらった。

 

大変、美味しゅうございました。

 

……。

 

あれ?

 

猪のお肉は?

 

私、結構頑張ったと思うんですけど。

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