白淵族には、五十頭の闘蛇がいる。
……らしい。
(……そんなにいたの?)
いや、別に知らなかったわけではない。
ただ、数えたことがなかっただけだ。
私が普段暮らしているのは、集落の南側にある川沿いの飼育場。
そこには、同じくらいの年齢の闘蛇が多い。
一緒に水浴びをしたり、餌を食べたり、時には日当たりのいい場所を取り合ったり。
そんな日々を過ごしてきた。
一方、年長の闘蛇たちは、北側の岩場や山の斜面で暮らしている。
荷運びを担当する闘蛇は、集落の西側にある作業場にいることが多い。
つまり、五十頭すべてが一か所に集まることは、ほとんどない。
……。
(……そりゃ、そうか)
全長数メートルの巨大な獣が五十頭。
一か所に集まったら、それだけで大騒ぎである。
◇◇◇
「……全頭を集めるわけではない」
トウエンが言った。
集落の広場には、セイラン、ハク、そして数人の戦士たちが集まっていた。
「まずは、戦闘に適した十五頭から始める」
「十五頭か」
ハクが呟く。
「普段の遠征より、ずいぶん多いな」
「だからこそ、準備が必要だ」
トウエンは、地面に簡単な図を描いた。
「白淵族には、五十頭の闘蛇がいる。そのうち、戦闘に適した体格と気性を持つのは十五頭だ」
「残りは?」
若い戦士が尋ねた。
「十頭は輸送や移動に向いている。十頭は騎乗に向かない成獣。若い闘蛇が十頭、老齢の闘蛇が五頭だ」
「……なるほど」
「だが、戦闘に適しているからといって、すぐに戦えるわけではない」
トウエンは、戦士たちを見回した。
「それを確かめるための訓練だ」
◇◇◇
「……俺も参加したいです」
一人の若い戦士が手を上げた。
まだ二十歳前後だろうか。
背は高く、身体つきもしっかりしている。
「闘蛇に乗る訓練を受けたいんです」
トウエンは、その男を見た。
「お前は、まだ騎乗を許されていないな」
「はい」
「ならば、まずは飼育場へ来い」
「……飼育場ですか?」
「そうだ」
若い戦士は、少し戸惑った顔をした。
「戦い方を教わるのではないんですか?」
トウエンは、静かに答えた。
「闘蛇のことを知らずに、どうやって戦うつもりだ」
◇◇◇
白淵族では、闘蛇に乗れる者は限られている。
戦士であれば、誰でも乗れるわけではない。
闘蛇の習性を理解し、危険を察知し、必要なときには自分よりも闘蛇の安全を優先できる者。
そうした者だけが、正式な騎乗者として認められる。
「……闘蛇は馬とは違う」
トウエンが言った。
「命令すれば、何でも従うわけではない」
「はい」
「嫌がることもある。怖がることもある。機嫌が悪い日もある」
……。
(……それは、ありますね)
私は、少し離れたところで話を聞いていた。
今日は朝から、何やら大勢の人間が集まっている。
気になって、つい近づいてしまったのだ。
「だからこそ、騎乗者には闘蛇を理解する責任がある」
トウエンは続けた。
「闘蛇に乗ることは、闘蛇を支配することではない」
若い戦士は、真剣な顔で頷いた。
「……分かりました」
「まずは、餌やりからだ」
「……はい!」
……。
(……頑張れ、若者)
餌やり、大事。
非常に大事。
◇◇◇
その日の午後。
私は、セイランに連れられて北側の岩場へ向かった。
そこには、普段あまり顔を合わせない闘蛇たちが集まっていた。
……。
(……おお)
大きい。
私より一回り大きな個体もいる。
鱗の色も、さまざまだ。
深い緑。
灰色がかった青。
黒に近い濃紺。
中には、古い傷を持つ個体もいた。
「……久しぶりだな」
セイランが、一頭の闘蛇へ声をかけた。
その闘蛇は、ゆっくりと顔を上げた。
大きな雄だった。
首のあたりには、古い傷がある。
「……ガン」
セイランが呼んだ。
どうやら、名前らしい。
(……ガンさん)
私は、少しだけ姿勢を正した。
年長者には、礼儀が必要だ。
……いや。
年長蛇?
まあ、どちらでもいい。
◇◇◇
ガンは、私を見た。
じっと。
……。
(……何でしょう)
私は、静かに見返した。
ガンは、ゆっくりと近づいてきた。
大きい。
かなり大きい。
私よりも、明らかに体格がいい。
……。
(……ちょっと圧が強いですね)
ガンは、私の周囲を一度回った。
そして、鼻先を近づける。
匂いを確かめているらしい。
私は、動かなかった。
しばらくして。
ガンは、興味を失ったように顔を背けた。
……。
(……え)
それだけ?
私は、少し拍子抜けした。
◇◇◇
「……ガンは、昔から気難しいんだ」
ハクが笑った。
「でも、腕は確かだぞ」
セイランが頷く。
「山道での移動なら、あいつほど頼りになる闘蛇はいない」
「……そうなんだ」
レンが呟いた。
「スイとは、あまり会ったことがないよね」
「そうだな」
セイランは、私を見た。
「スイは、南側の若い闘蛇たちといることが多いからな」
……。
(……まあね)
いつもの仲間たち。
一緒に育った子たち。
私が水へ入れば、ついてくる。
私が日陰へ移動すれば、同じように移動する。
……。
(……いや、別に率いてるわけじゃないんだけど)
気づけば、後ろにいる。
そんな感じだ。
◇◇◇
やがて、訓練に参加する闘蛇たちが集められた。
十五頭。
広い岩場に並ぶ姿は、なかなか壮観だった。
……。
(……すごいな)
普段は、三頭で移動することが多い。
それが、今日は五倍。
しかも、年長の闘蛇が多い。
若い闘蛇たちは、少し落ち着かない様子だった。
私の近くへ寄ってくる。
一頭。
二頭。
三頭。
……。
(……ちょっと)
近い。
私は、少しだけ身体を動かした。
すると、若い闘蛇たちも一緒に動いた。
……。
(……だから、ついてこなくていいって)
その様子を見て、ハクが笑った。
「……相変わらずだな」
レンも笑う。
「スイの周り、いつもこうなるんだよね」
セイランは、少しだけ目を細めた。
「……そうだな」
◇◇◇
一方。
年長の闘蛇たちは、私たちを見ていた。
特に、ガン。
大きな身体を岩の上に伏せ、こちらをじっと見つめている。
……。
(……何でしょう)
私は、少しだけ居心地が悪くなった。
若い子たちが集まってくるのは、いつものことだ。
でも、年長の闘蛇たちに見られていると、少し緊張する。
……。
(……いや、私、別に何もしてないんですけど)
ただ、立っているだけ。
それなのに。
何だか、試されているような気がした。
◇◇◇
「……さて」
トウエンが、戦士たちへ声をかけた。
「今日は、まず全員の動きを見る」
「……戦うのか?」
ハクが尋ねた。
「まだだ」
トウエンは首を横に振った。
「最初から戦わせるつもりはない」
「じゃあ、何を?」
「騎乗者と闘蛇が、どのくらい互いを理解しているかだ」
セイランが頷いた。
「……なるほど」
「普段の移動では問題なくても、急な判断が必要なときは違う」
トウエンは、十五頭の闘蛇を見回した。
「まずは、そこを確かめる」
◇◇◇
最初の訓練は、簡単なものだった。
広い岩場に、いくつかの目印を置く。
騎乗者たちは、それぞれの闘蛇に乗り、決められた道を進む。
途中で、合図によって進路を変える。
止まる。
戻る。
別の道へ進む。
普段の移動でも行うことだ。
だから、最初は問題なかった。
……。
(……余裕ですね)
私は、セイランの合図に従い、ゆっくりと進んだ。
右。
左。
停止。
……。
(……はいはい)
いつものこと。
しかし。
次の合図で、少しだけ状況が変わった。
◇◇◇
「……全員、同時に進路を変えろ!」
トウエンの声が響いた。
騎乗者たちが、それぞれ合図を出す。
闘蛇たちは、動いた。
……が。
全員が同じように動いたわけではなかった。
一頭は、すぐに方向を変えた。
別の一頭は、少し遅れた。
さらに別の一頭は、前にいる闘蛇を避けようとして、大きく回り込んだ。
……。
(……あら)
私は、少しだけ首を傾げた。
三頭での移動なら、こんなことは起きない。
互いの癖を知っているし、動く順番も分かっている。
でも、十五頭となると違う。
それぞれの動きが、ほかの闘蛇に影響する。
……。
(……なるほど)
数が増えるだけで、こんなに変わるのか。
◇◇◇
「……止めろ!」
トウエンが声を上げた。
訓練が中断された。
戦士たちが、闘蛇から降りる。
「……思ったより難しいな」
ハクが呟いた。
セイランは頷いた。
「三頭なら問題ない」
「ああ」
「だが、十五頭では、同じようにはいかん」
トウエンは、地面に図を描いた。
「これまでは、騎乗者がそれぞれの闘蛇を動かせばよかった」
「……はい」
「だが、数が増えれば、互いの動きを考える必要がある」
セイランは、静かに頷いた。
◇◇◇
そのとき。
私は、少し離れたところにいるガンを見た。
ガンは、相変わらず落ち着いていた。
周囲の闘蛇が動いても、慌てる様子はない。
……。
(……さすが年長者)
私は、少し感心した。
ただ。
ガンの近くには、年長の闘蛇たちが集まっていた。
一方、私の周りには、若い闘蛇たち。
……。
(……あれ)
何だか。
二つの集団に分かれている。
私は、少しだけ考えた。
……。
(……もしかして)
これって。
人間でいうところの。
派閥?
……。
(……いやいや)
まさかね。
私は、静かに首を振った。
すると、近くにいた若い闘蛇たちも、つられるように首を動かした。
……。
(……だから、真似しなくていいって!)
◇◇◇
その日の訓練は、そこで終わった。
トウエンは、戦士たちへ告げた。
「……明日から、少しずつやり方を変える」
「どうするんです?」
ハクが尋ねた。
「まずは、闘蛇たちの動きをよく見る」
「……動き?」
「そうだ」
トウエンは、ガンと私を見比べた。
「闘蛇同士にも、関係がある」
セイランが頷く。
「……確かに」
「我らは、騎乗者と闘蛇の関係ばかり考えてきた」
トウエンは、少しだけ笑った。
「だが、闘蛇たち自身が、互いをどう見ているのか。それも知る必要があるようだ」
◇◇◇
夕方。
私は、川辺へ戻っていた。
いつもの若い闘蛇たちが、近くで身体を休めている。
……。
(……疲れた)
今日は、思ったより気を遣った。
知らない年長者がたくさんいたし。
妙に見られていたし。
何だか、落ち着かなかった。
私は、川へ入った。
冷たい水が、身体を包む。
……。
(……ああ、最高)
やっぱり、これが一番。
すると。
後ろから、水音がした。
振り返る。
若い闘蛇たちが、次々と川へ入ってきた。
……。
(……はいはい)
今日も、ついてくるのね。
私は、少しだけ笑った。
いや。
正確には、笑ったつもりだった。
闘蛇の顔で、どのくらい伝わるのかは分からない。
でも。
何となく、悪い気はしなかった。
◇◇◇
その頃。
北側の岩場では、ガンが静かに身体を休めていた。
近くには、年長の闘蛇たちがいる。
そのうちの一頭が、南側の川を見た。
そこには、若い闘蛇たちが集まっていた。
中心にいるのは、スイ。
ガンは、しばらくその様子を見つめていた。
やがて、ゆっくりと目を閉じた。
若い雌。
まだ経験は浅い。
だが、周囲の闘蛇たちが自然と後を追う。
それは、ただの偶然なのだろうか。
ガンには、まだ分からなかった。
ただ。
あの若い闘蛇のことを、少しだけ覚えておこうと思った。
白淵族の闘蛇たちにとって、これまでにない日々が始まろうとしていた。