秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第三十三話 闘蛇に乗る者

 

白淵族には、五十頭の闘蛇がいる。

 

……らしい。

 

(……そんなにいたの?)

 

いや、別に知らなかったわけではない。

 

ただ、数えたことがなかっただけだ。

 

私が普段暮らしているのは、集落の南側にある川沿いの飼育場。

 

そこには、同じくらいの年齢の闘蛇が多い。

 

一緒に水浴びをしたり、餌を食べたり、時には日当たりのいい場所を取り合ったり。

 

そんな日々を過ごしてきた。

 

一方、年長の闘蛇たちは、北側の岩場や山の斜面で暮らしている。

 

荷運びを担当する闘蛇は、集落の西側にある作業場にいることが多い。

 

つまり、五十頭すべてが一か所に集まることは、ほとんどない。

 

……。

 

(……そりゃ、そうか)

 

全長数メートルの巨大な獣が五十頭。

 

一か所に集まったら、それだけで大騒ぎである。

 

◇◇◇

 

「……全頭を集めるわけではない」

 

トウエンが言った。

 

集落の広場には、セイラン、ハク、そして数人の戦士たちが集まっていた。

 

「まずは、戦闘に適した十五頭から始める」

 

「十五頭か」

 

ハクが呟く。

 

「普段の遠征より、ずいぶん多いな」

 

「だからこそ、準備が必要だ」

 

トウエンは、地面に簡単な図を描いた。

 

「白淵族には、五十頭の闘蛇がいる。そのうち、戦闘に適した体格と気性を持つのは十五頭だ」

 

「残りは?」

 

若い戦士が尋ねた。

 

「十頭は輸送や移動に向いている。十頭は騎乗に向かない成獣。若い闘蛇が十頭、老齢の闘蛇が五頭だ」

 

「……なるほど」

 

「だが、戦闘に適しているからといって、すぐに戦えるわけではない」

 

トウエンは、戦士たちを見回した。

 

「それを確かめるための訓練だ」

 

◇◇◇

 

「……俺も参加したいです」

 

一人の若い戦士が手を上げた。

 

まだ二十歳前後だろうか。

 

背は高く、身体つきもしっかりしている。

 

「闘蛇に乗る訓練を受けたいんです」

 

トウエンは、その男を見た。

 

「お前は、まだ騎乗を許されていないな」

 

「はい」

 

「ならば、まずは飼育場へ来い」

 

「……飼育場ですか?」

 

「そうだ」

 

若い戦士は、少し戸惑った顔をした。

 

「戦い方を教わるのではないんですか?」

 

トウエンは、静かに答えた。

 

「闘蛇のことを知らずに、どうやって戦うつもりだ」

 

◇◇◇

 

白淵族では、闘蛇に乗れる者は限られている。

 

戦士であれば、誰でも乗れるわけではない。

 

闘蛇の習性を理解し、危険を察知し、必要なときには自分よりも闘蛇の安全を優先できる者。

 

そうした者だけが、正式な騎乗者として認められる。

 

「……闘蛇は馬とは違う」

 

トウエンが言った。

 

「命令すれば、何でも従うわけではない」

 

「はい」

 

「嫌がることもある。怖がることもある。機嫌が悪い日もある」

 

……。

 

(……それは、ありますね)

 

私は、少し離れたところで話を聞いていた。

 

今日は朝から、何やら大勢の人間が集まっている。

 

気になって、つい近づいてしまったのだ。

 

「だからこそ、騎乗者には闘蛇を理解する責任がある」

 

トウエンは続けた。

 

「闘蛇に乗ることは、闘蛇を支配することではない」

 

若い戦士は、真剣な顔で頷いた。

 

「……分かりました」

 

「まずは、餌やりからだ」

 

「……はい!」

 

……。

 

(……頑張れ、若者)

 

餌やり、大事。

 

非常に大事。

 

◇◇◇

 

その日の午後。

 

私は、セイランに連れられて北側の岩場へ向かった。

 

そこには、普段あまり顔を合わせない闘蛇たちが集まっていた。

 

……。

 

(……おお)

 

大きい。

 

私より一回り大きな個体もいる。

 

鱗の色も、さまざまだ。

 

深い緑。

 

灰色がかった青。

 

黒に近い濃紺。

 

中には、古い傷を持つ個体もいた。

 

「……久しぶりだな」

 

セイランが、一頭の闘蛇へ声をかけた。

 

その闘蛇は、ゆっくりと顔を上げた。

 

大きな雄だった。

 

首のあたりには、古い傷がある。

 

「……ガン」

 

セイランが呼んだ。

 

どうやら、名前らしい。

 

(……ガンさん)

 

私は、少しだけ姿勢を正した。

 

年長者には、礼儀が必要だ。

 

……いや。

 

年長蛇?

 

まあ、どちらでもいい。

 

◇◇◇

 

ガンは、私を見た。

 

じっと。

 

……。

 

(……何でしょう)

 

私は、静かに見返した。

 

ガンは、ゆっくりと近づいてきた。

 

大きい。

 

かなり大きい。

 

私よりも、明らかに体格がいい。

 

……。

 

(……ちょっと圧が強いですね)

 

ガンは、私の周囲を一度回った。

 

そして、鼻先を近づける。

 

匂いを確かめているらしい。

 

私は、動かなかった。

 

しばらくして。

 

ガンは、興味を失ったように顔を背けた。

 

……。

 

(……え)

 

それだけ?

 

私は、少し拍子抜けした。

 

◇◇◇

 

「……ガンは、昔から気難しいんだ」

 

ハクが笑った。

 

「でも、腕は確かだぞ」

 

セイランが頷く。

 

「山道での移動なら、あいつほど頼りになる闘蛇はいない」

 

「……そうなんだ」

 

レンが呟いた。

 

「スイとは、あまり会ったことがないよね」

 

「そうだな」

 

セイランは、私を見た。

 

「スイは、南側の若い闘蛇たちといることが多いからな」

 

……。

 

(……まあね)

 

いつもの仲間たち。

 

一緒に育った子たち。

 

私が水へ入れば、ついてくる。

 

私が日陰へ移動すれば、同じように移動する。

 

……。

 

(……いや、別に率いてるわけじゃないんだけど)

 

気づけば、後ろにいる。

 

そんな感じだ。

 

◇◇◇

 

やがて、訓練に参加する闘蛇たちが集められた。

 

十五頭。

 

広い岩場に並ぶ姿は、なかなか壮観だった。

 

……。

 

(……すごいな)

 

普段は、三頭で移動することが多い。

 

それが、今日は五倍。

 

しかも、年長の闘蛇が多い。

 

若い闘蛇たちは、少し落ち着かない様子だった。

 

私の近くへ寄ってくる。

 

一頭。

 

二頭。

 

三頭。

 

……。

 

(……ちょっと)

 

近い。

 

私は、少しだけ身体を動かした。

 

すると、若い闘蛇たちも一緒に動いた。

 

……。

 

(……だから、ついてこなくていいって)

 

その様子を見て、ハクが笑った。

 

「……相変わらずだな」

 

レンも笑う。

 

「スイの周り、いつもこうなるんだよね」

 

セイランは、少しだけ目を細めた。

 

「……そうだな」

 

◇◇◇

 

一方。

 

年長の闘蛇たちは、私たちを見ていた。

 

特に、ガン。

 

大きな身体を岩の上に伏せ、こちらをじっと見つめている。

 

……。

 

(……何でしょう)

 

私は、少しだけ居心地が悪くなった。

 

若い子たちが集まってくるのは、いつものことだ。

 

でも、年長の闘蛇たちに見られていると、少し緊張する。

 

……。

 

(……いや、私、別に何もしてないんですけど)

 

ただ、立っているだけ。

 

それなのに。

 

何だか、試されているような気がした。

 

◇◇◇

 

「……さて」

 

トウエンが、戦士たちへ声をかけた。

 

「今日は、まず全員の動きを見る」

 

「……戦うのか?」

 

ハクが尋ねた。

 

「まだだ」

 

トウエンは首を横に振った。

 

「最初から戦わせるつもりはない」

 

「じゃあ、何を?」

 

「騎乗者と闘蛇が、どのくらい互いを理解しているかだ」

 

セイランが頷いた。

 

「……なるほど」

 

「普段の移動では問題なくても、急な判断が必要なときは違う」

 

トウエンは、十五頭の闘蛇を見回した。

 

「まずは、そこを確かめる」

 

◇◇◇

 

最初の訓練は、簡単なものだった。

 

広い岩場に、いくつかの目印を置く。

 

騎乗者たちは、それぞれの闘蛇に乗り、決められた道を進む。

 

途中で、合図によって進路を変える。

 

止まる。

 

戻る。

 

別の道へ進む。

 

普段の移動でも行うことだ。

 

だから、最初は問題なかった。

 

……。

 

(……余裕ですね)

 

私は、セイランの合図に従い、ゆっくりと進んだ。

 

右。

 

左。

 

停止。

 

……。

 

(……はいはい)

 

いつものこと。

 

しかし。

 

次の合図で、少しだけ状況が変わった。

 

◇◇◇

 

「……全員、同時に進路を変えろ!」

 

トウエンの声が響いた。

 

騎乗者たちが、それぞれ合図を出す。

 

闘蛇たちは、動いた。

 

……が。

 

全員が同じように動いたわけではなかった。

 

一頭は、すぐに方向を変えた。

 

別の一頭は、少し遅れた。

 

さらに別の一頭は、前にいる闘蛇を避けようとして、大きく回り込んだ。

 

……。

 

(……あら)

 

私は、少しだけ首を傾げた。

 

三頭での移動なら、こんなことは起きない。

 

互いの癖を知っているし、動く順番も分かっている。

 

でも、十五頭となると違う。

 

それぞれの動きが、ほかの闘蛇に影響する。

 

……。

 

(……なるほど)

 

数が増えるだけで、こんなに変わるのか。

 

◇◇◇

 

「……止めろ!」

 

トウエンが声を上げた。

 

訓練が中断された。

 

戦士たちが、闘蛇から降りる。

 

「……思ったより難しいな」

 

ハクが呟いた。

 

セイランは頷いた。

 

「三頭なら問題ない」

 

「ああ」

 

「だが、十五頭では、同じようにはいかん」

 

トウエンは、地面に図を描いた。

 

「これまでは、騎乗者がそれぞれの闘蛇を動かせばよかった」

 

「……はい」

 

「だが、数が増えれば、互いの動きを考える必要がある」

 

セイランは、静かに頷いた。

 

◇◇◇

 

そのとき。

 

私は、少し離れたところにいるガンを見た。

 

ガンは、相変わらず落ち着いていた。

 

周囲の闘蛇が動いても、慌てる様子はない。

 

……。

 

(……さすが年長者)

 

私は、少し感心した。

 

ただ。

 

ガンの近くには、年長の闘蛇たちが集まっていた。

 

一方、私の周りには、若い闘蛇たち。

 

……。

 

(……あれ)

 

何だか。

 

二つの集団に分かれている。

 

私は、少しだけ考えた。

 

……。

 

(……もしかして)

 

これって。

 

人間でいうところの。

 

派閥?

 

……。

 

(……いやいや)

 

まさかね。

 

私は、静かに首を振った。

 

すると、近くにいた若い闘蛇たちも、つられるように首を動かした。

 

……。

 

(……だから、真似しなくていいって!)

 

◇◇◇

 

その日の訓練は、そこで終わった。

 

トウエンは、戦士たちへ告げた。

 

「……明日から、少しずつやり方を変える」

 

「どうするんです?」

 

ハクが尋ねた。

 

「まずは、闘蛇たちの動きをよく見る」

 

「……動き?」

 

「そうだ」

 

トウエンは、ガンと私を見比べた。

 

「闘蛇同士にも、関係がある」

 

セイランが頷く。

 

「……確かに」

 

「我らは、騎乗者と闘蛇の関係ばかり考えてきた」

 

トウエンは、少しだけ笑った。

 

「だが、闘蛇たち自身が、互いをどう見ているのか。それも知る必要があるようだ」

 

◇◇◇

 

夕方。

 

私は、川辺へ戻っていた。

 

いつもの若い闘蛇たちが、近くで身体を休めている。

 

……。

 

(……疲れた)

 

今日は、思ったより気を遣った。

 

知らない年長者がたくさんいたし。

 

妙に見られていたし。

 

何だか、落ち着かなかった。

 

私は、川へ入った。

 

冷たい水が、身体を包む。

 

……。

 

(……ああ、最高)

 

やっぱり、これが一番。

 

すると。

 

後ろから、水音がした。

 

振り返る。

 

若い闘蛇たちが、次々と川へ入ってきた。

 

……。

 

(……はいはい)

 

今日も、ついてくるのね。

 

私は、少しだけ笑った。

 

いや。

 

正確には、笑ったつもりだった。

 

闘蛇の顔で、どのくらい伝わるのかは分からない。

 

でも。

 

何となく、悪い気はしなかった。

 

◇◇◇

 

その頃。

 

北側の岩場では、ガンが静かに身体を休めていた。

 

近くには、年長の闘蛇たちがいる。

 

そのうちの一頭が、南側の川を見た。

 

そこには、若い闘蛇たちが集まっていた。

 

中心にいるのは、スイ。

 

ガンは、しばらくその様子を見つめていた。

 

やがて、ゆっくりと目を閉じた。

 

若い雌。

 

まだ経験は浅い。

 

だが、周囲の闘蛇たちが自然と後を追う。

 

それは、ただの偶然なのだろうか。

 

ガンには、まだ分からなかった。

 

ただ。

 

あの若い闘蛇のことを、少しだけ覚えておこうと思った。

 

白淵族の闘蛇たちにとって、これまでにない日々が始まろうとしていた。

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