秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第三十八話 聞こえない合図

 

白淵族の飼育場には、妙なものが増え始めていた。

 

木の棒。縄。藁束。大きさの違う角笛。

 

そして、なぜか山ほどの削り屑。

 

(……工房でも始めるんですか?)

 

私は、川辺からその様子を眺めていた。

 

訓練が始まって以来、人間たちは何かと忙しそうだ。特にトウエンは、毎日のように戦士たちと話し合っている。

 

昨日など、レンまで呼ばれて、闘蛇の耳の位置や首の動きについて尋ねられていた。

 

「父さん、どうしてそんなこと聞くの?」

 

「闘蛇が何を見て、何を聞いているか、我らはまだ十分に知らん」

 

「ずっと飼ってきたのに?」

 

「ずっと飼ってきたから、知っているつもりになっていたのかもしれんな」

 

なかなか耳の痛い話である。

 

……私にも耳はあるけれど。

 

◇◇◇

 

「今までのやり方では、間に合わん」

 

その日の朝、トウエンは戦士たちを集めて言った。

 

「騎乗者が一頭ずつ動かすだけでは、十五頭が同時に危険へ対処するのは難しい。先日の谷でも、角笛が届かず、互いの位置が分からなくなった」

 

ハクが頷いた。

 

「でも、普通の角笛なら、敵にも聞こえますよね」

 

「敵がいる場合は、そうだ」

 

「それに、山では反響します。どこから鳴ったのか分からなくなることもありますし」

 

セイランは腕を組んだ。

 

「音の意味を決めても、闘蛇が理解できなければ役に立たん」

 

「だから、まずは反応を確かめる」

 

トウエンは、足元に並べられた角笛を指さした。

 

「音の高さや長さを変え、どの合図に闘蛇が反応しやすいか調べる」

 

……。

 

(……なるほど)

 

実験ですね。

 

私は、少しだけ興味を持った。

 

◇◇◇

 

最初の角笛は、普通のものだった。

 

ぶおおおお。

 

谷に、低い音が響く。

 

闘蛇たちは、一斉に顔を上げた。

 

……が。

 

すぐに興味を失った。

 

(……いつもの音だしね)

 

二つ目は、少し高い音だった。

 

ぷおー。

 

一頭の若い闘蛇が、首を傾げる。

 

三つ目。

 

ぴいいい。

 

今度は、何頭かが顔を上げた。

 

「……高い音の方が反応するな」

 

ハクが言った。

 

レンも頷く。

 

「でも、慣れてないだけかもしれないよ」

 

「そうだな」

 

トウエンは、角笛を置いた。

 

「繰り返して確かめる必要がある」

 

私は、少し感心した。

 

(……ちゃんと実験してる)

 

思いつきで終わらせないところが、さすがトウエンである。

 

◇◇◇

 

昼を過ぎる頃には、闘蛇たちも少し飽き始めていた。

 

何度も音を聞かされているうちに、最初ほど反応しなくなってきたのだ。

 

私も、岩の上で身体を伏せていた。

 

(……眠い)

 

角笛の音は、嫌いではない。

 

ただ、何度も聞くと、さすがに退屈する。

 

近くでは、レンが水を運んでいた。

 

「スイ、もう少しだからね」

 

(……はいはい)

 

私は、尻尾を一度だけ揺らした。

 

そのとき。

 

工房の方から、ハクが妙なものを持ってきた。

 

細長い角笛だった。

 

普通の角笛より、ずっと小さい。

 

先端には、小さな穴が開いている。

 

「トウエンさん、これ、どうです?」

 

「何だ、それは」

 

「昨日、細い音を出そうとして削ったやつです」

 

「……ずいぶん削ったな」

 

「ちょっとやりすぎました」

 

ハクは、苦笑した。

 

「でも、せっかくなので試してみようかと」

 

トウエンは、しばらく角笛を眺めた。

 

「……吹いてみろ」

 

◇◇◇

 

ハクが、角笛を口に当てた。

 

大きく息を吸う。

 

そして、吹いた。

 

……。

 

人間たちは、黙っていた。

 

ハクが、もう一度吹く。

 

……。

 

「……鳴らないな」

 

セイランが言った。

 

ハクは、角笛を見つめた。

 

「おかしいな。息は通ってるんですけど」

 

レンが首を傾げる。

 

「穴が小さすぎるんじゃない?」

 

「やっぱり削りすぎたか……」

 

……。

 

(……え?)

 

私は、ゆっくりと顔を上げた。

 

いや。

 

待って。

 

今、鳴ったよね?

 

すごく細い音が。

 

私は、周囲を見回した。

 

すると。

 

近くにいた若い闘蛇たちが、全員こちらを見ていた。

 

いや、違う。

 

私を見ているわけではない。

 

ハクの方を見ている。

 

……。

 

(……あれ?)

 

さらに。

 

少し離れた場所にいたガンまで、顔を上げていた。

 

……。

 

(……えええ?)

 

◇◇◇

 

「……やっぱり駄目か」

 

ハクが、角笛を下ろした。

 

「もう少し穴を広げてみます」

 

「待て」

 

トウエンが言った。

 

ハクが顔を上げる。

 

「何です?」

 

トウエンは、闘蛇たちを見ていた。

 

「……もう一度吹け」

 

「え?」

 

「いいから」

 

ハクは、少し不思議そうに角笛を口へ当てた。

 

そして、吹いた。

 

……。

 

(……ぴぃぃぃ)

 

聞こえた。

 

今度も、はっきりと。

 

そして。

 

十五頭の闘蛇が、一斉に顔を上げた。

 

……。

 

(……うわ)

 

壮観。

 

というか、ちょっと怖い。

 

◇◇◇

 

「……今の、見ました?」

 

ハクが呟いた。

 

レンは、目を丸くしていた。

 

「みんな、同時に……」

 

セイランも、闘蛇たちを見つめている。

 

「……音が聞こえているのか?」

 

トウエンは、角笛を手に取った。

 

自分でも吹いてみる。

 

……。

 

(……ぴぃぃ)

 

私は、思わず顔を上げた。

 

ほかの闘蛇たちも、同じように反応した。

 

……。

 

(……ちょっと待って)

 

これ。

 

もしかして。

 

(……犬笛じゃん!)

 

◇◇◇

 

私は、前世の記憶を探った。

 

犬笛。

 

人間には聞こえない高い音を出し、犬に合図を送る道具。

 

もちろん、犬にしか聞こえないというわけではない。

 

動物によって、聞こえる音の範囲が違うのだ。

 

……。

 

(……なるほど)

 

闘蛇も、人間とは聞こえる音が違うのかもしれない。

 

私は、少し興奮した。

 

いや、だって。

 

これ、すごくない?

 

人間には聞こえない。

 

でも、闘蛇には聞こえる。

 

……。

 

(……秘密の通信手段!)

 

私は、思わず尻尾を揺らした。

 

すると、隣の若い闘蛇も尻尾を揺らした。

 

……。

 

(……いや、そこは真似しなくていい)

 

◇◇◇

 

「……本当に聞こえているのか」

 

ハクが、もう一度角笛を吹いた。

 

十五頭の闘蛇が、また顔を上げた。

 

「……すごい」

 

レンが呟いた。

 

トウエンは、少し考えた。

 

「……偶然かもしれん」

 

「でも、三回とも反応しましたよ」

 

「だからこそ、確かめる」

 

トウエンは、ハクから角笛を受け取った。

 

「今度は、吹くふりだけしてみろ」

 

ハクが、角笛を口へ当てる。

 

息は吹かない。

 

……。

 

闘蛇たちは、動かなかった。

 

「……なるほど」

 

トウエンが呟いた。

 

「次は、見えない場所で吹け」

 

ハクは、岩の陰へ回った。

 

そして、角笛を吹いた。

 

……。

 

(……ぴぃぃ)

 

私は、顔を上げた。

 

ほかの闘蛇たちも、同じように反応した。

 

……。

 

(……はい、確定)

 

これは、聞こえてますね。

 

◇◇◇

 

「……面白いな」

 

セイランが言った。

 

トウエンは、角笛を見つめていた。

 

「闘蛇は、我らに聞こえない音を聞き取れるらしい」

 

ハクが笑う。

 

「じゃあ、これで指示が出せるんじゃないですか?」

 

「……すぐには無理だ」

 

トウエンは首を横に振った。

 

「今は、音に反応しているだけだ。意味を理解しているわけではない」

 

「でも、覚えさせれば?」

 

「可能性はある」

 

セイランが口を開いた。

 

「ただし、騎乗者の安全を考える必要がある」

 

「……安全?」

 

「闘蛇が角笛だけで急に動けば、背に乗る者が振り落とされる」

 

ハクは、少し考えた。

 

「……確かに」

 

「だから、角笛で直接動かすのではなく、注意を向けさせる合図にする」

 

トウエンが言った。

 

「その後の動きは、騎乗者が指示する」

 

セイランが頷いた。

 

「それなら使える」

 

◇◇◇

 

その日の夕方。

 

私たちは、もう一度角笛の音を聞かされた。

 

今度は、短く一度。

 

……。

 

(……ぴっ)

 

私は、顔を上げた。

 

続いて、短く二度。

 

……。

 

(……ぴっ、ぴっ)

 

今度は、少しだけ首を傾げた。

 

……。

 

(……何ですか、これ)

 

人間たちは、何やら真剣に相談している。

 

「短く一度で注目」

 

「二度で停止、というのはどうだ?」

 

「まだ動かすのは危険だ。まずは一度の合図だけにしよう」

 

「なるほど」

 

私は、静かに身体を伏せた。

 

……。

 

(……まあ)

 

新しいおもちゃができたらしい。

 

いや。

 

おもちゃではないのかもしれない。

 

人間たちは、あの小さな角笛を見つめている。

 

何だか、少し嬉しそうだった。

 

◇◇◇

 

夜。

 

私は、川辺で身体を休めていた。

 

今日は、妙な一日だった。

 

人間には聞こえない音。

 

闘蛇だけが聞き取れる角笛。

 

……。

 

(……犬笛かあ)

 

前世では、特別珍しいものではなかった。

 

でも、この世界では違う。

 

誰も知らなかった。

 

闘蛇たち自身だって、あんな音を聞いたのは初めてだろう。

 

私は、少し考えた。

 

もし、あの音でみんなが同じ合図を受け取れるなら。

 

離れた場所にいても、同じことを知ることができる。

 

危険を知らせることもできる。

 

……。

 

(……便利そう)

 

ただし。

 

私は、昼間の訓練を思い出した。

 

急に動けば、背中のセイランが危ない。

 

ほかの闘蛇たちだって、驚いて動くかもしれない。

 

……。

 

(……まあ、そこは練習かな)

 

私は、静かに目を閉じた。

 

その頃。

 

飼育場の工房では、トウエンが小さな角笛を手に取っていた。

 

「……闘蛇笛、か」

 

まだ、ただの試作品だ。

 

音が届く距離も分からない。

 

闘蛇たちが、どこまで意味を覚えられるのかも分からない。

 

だが。

 

トウエンは、少しだけ笑った。

 

白淵族が長年育ててきた闘蛇たちには、まだ知らないことがある。

 

そして、それを知ることで、守れる命が増えるかもしれない。

 

小さな角笛は、灯火の下で静かに光っていた。

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