新しい道具ができると、人間は試したくなるらしい。
しかも、便利そうな道具ほど、あれこれ使い道を考える。
……その結果。
(……朝から何回鳴らすんですか、それ)
私は、飼育場の岩陰で身体を伏せていた。
耳の奥に、細い音が響く。
ぴっ。
少し間を置いて、もう一度。
ぴっ。
(……聞こえてますってば)
顔を上げると、少し離れた場所でハクが角笛を吹いていた。
人間には聞こえない音。
闘蛇だけが反応する、小さな角笛。
昨日発見されたばかりの、いわゆる闘蛇笛である。
「……どうです?」
ハクが尋ねた。
トウエンは、十五頭の闘蛇を見回した。
「最初ほど反応しなくなったな」
「慣れたんですかね」
「そうだろう。意味のない音だと分かれば、気にしなくなる」
……。
(……その通りです)
私は、ゆっくりと目を閉じた。
人間だって、何度も同じ通知音が鳴れば、だんだん気にしなくなる。
重要なのは、音そのものではない。
音の向こうに、何があるかだ。
◇◇◇
「まずは、音と行動を結びつける」
トウエンは、戦士たちに説明した。
「短く一度。これを聞いたら、騎乗者の合図を待つ」
セイランが頷く。
「動くのは、その後だな」
「そうだ。闘蛇笛だけで走らせたり、方向を変えさせたりはしない」
ハクが首を傾げた。
「でも、それだと普通の角笛とあまり変わらないんじゃ?」
「違う」
トウエンは、小さな角笛を指さした。
「人間に聞こえない音なら、敵に気づかれず、闘蛇の注意を集められる」
「……なるほど」
「ただし、音が聞こえたからといって、必ず従うとは限らん」
トウエンは、私たちを見た。
「だから、訓練する」
◇◇◇
最初の訓練は、実に地味だった。
闘蛇笛を短く一度鳴らす。
騎乗者が、首筋を軽く叩く。
闘蛇が顔を上げたら、褒める。
それだけ。
……。
(……犬のしつけかな?)
いや、犬笛なのだから、ある意味正しい。
私は、セイランの合図を受けて顔を上げた。
「よし」
首筋を撫でられる。
……。
(……ふふん)
悪くない。
ただ、問題は。
私が理解できても、ほかの闘蛇たちはそうとは限らないことだった。
◇◇◇
一頭の若い闘蛇は、笛が鳴るたびに顔を上げた。
しかし、騎乗者の合図を待たずに歩き始めてしまう。
「……止まれ!」
戦士が慌てて声をかけた。
闘蛇は、不思議そうに足を止める。
……。
(……違う違う)
音が鳴ったら、待つんだってば。
私は、少し離れた場所から眺めていた。
別の闘蛇は、笛が鳴っても反応しない。
騎乗者が首筋を叩いて、ようやく顔を上げる。
……。
(……まあ、そういう子もいるよね)
さらに、ガン。
笛が鳴る。
……。
無反応。
「……ガン?」
騎乗者が声をかける。
ガンは、静かに身体を伏せていた。
……。
(……え)
聞こえてない?
いや、昨日は反応してたよね?
私は、少しだけ首を傾げた。
◇◇◇
「……ガンは、分かっていて無視しているのかもしれんな」
トウエンが言った。
ハクが笑う。
「そんなことあります?」
「ある」
トウエンは、あっさり答えた。
「闘蛇は、意味のないことを何度もさせられるのを嫌う」
……。
(……分かる)
非常によく分かる。
私は、心の中でガンに拍手を送った。
◇◇◇
昼前。
トウエンは、訓練のやり方を変えた。
笛が鳴った後、騎乗者が必ず何かしらの合図を出す。
停止。
前進。
方向転換。
ただし、闘蛇笛そのものは、動きを命令しない。
あくまで、注意を向けさせるための合図。
すると、少しずつ変化が現れた。
笛が鳴る。
闘蛇が顔を上げる。
騎乗者が合図を出す。
闘蛇が動く。
……。
(……なるほど)
音の後に、意味がある。
それが分かれば、反応する理由もできる。
私は、少しだけ感心した。
◇◇◇
午後。
訓練は、谷の入口へ移された。
十五頭すべてではない。
今日は、五頭だけ。
私、ガン、それから三頭の闘蛇。
「ここからは、少し離れた場所で試す」
トウエンが言った。
「闘蛇笛が、どのくらい届くのか確かめたい」
ハクが角笛を手に取る。
「じゃあ、俺が向こうの岩場へ行きます」
「頼む」
私は、セイランを背に乗せたまま、谷の入口で待っていた。
しばらくして。
遠くから、細い音が聞こえた。
ぴっ。
……。
(……聞こえた)
私は、顔を上げた。
ガンも、少しだけ首を動かした。
ほかの闘蛇たちも、反応する。
セイランが、私の首筋を軽く叩いた。
私は、その場で足を止めた。
「……よし」
◇◇◇
次は、少し離れた場所。
ハクが、さらに奥へ進む。
しばらくして。
……。
(……ん?)
何か聞こえた。
ような気がする。
私は、耳を澄ませた。
もう一度。
……。
(……あ)
聞こえた。
ただし、かなり小さい。
私は、顔を上げた。
しかし。
隣の闘蛇は、反応しなかった。
ガンも、動かない。
……。
(……あれ)
私だけ?
◇◇◇
「……反応したのはスイだけか」
セイランが呟いた。
トウエンは、少し考えた。
「音の届き方に差があるのだろう」
「闘蛇によって、聞こえる距離が違う?」
「それもある。地形の影響かもしれん」
私は、少しだけ首を傾げた。
……。
(……なるほど)
高い音は、遠くまで届きにくい。
しかも、岩壁がある。
反響したり、遮られたりするのだろう。
……。
(……万能じゃないね)
私は、少し残念に思った。
でも、考えてみれば当然だ。
便利な道具ほど、使いどころが大事なのである。
◇◇◇
その後、ハクが戻ってきた。
「……どうでした?」
トウエンが答える。
「近くでは使える。だが、谷の奥では反応が分かれた」
「やっぱり、遠くまでは届かないか」
「それでも十分だ」
セイランが言った。
「近くにいる闘蛇の注意を、敵に気づかれず集められるなら、それだけで意味がある」
ハクが頷いた。
「確かに」
「ただし、騎乗者が知らないうちに闘蛇だけ反応するのは危険だ」
トウエンが続けた。
「だから、笛の役割は限定する。闘蛇が顔を上げ、騎乗者の合図を待つ。それ以上のことは、まださせない」
◇◇◇
訓練が終わる頃。
私は、少し離れた場所で身体を休めていた。
すると、ガンが近づいてきた。
……。
(……おや)
最近、よく来ますね。
ガンは、私の隣に立った。
そして、ゆっくりと身体を伏せた。
私は、少しだけ顔を上げた。
そのとき。
遠くから、闘蛇笛の音が聞こえた。
ぴっ。
……。
(……また?)
私は、反射的に顔を上げた。
ガンは、動かなかった。
……。
(……え)
聞こえてるよね?
私は、ガンを見た。
ガンは、静かに目を閉じている。
……。
(……もしかして)
分かっていて、無視してる?
私は、少しだけ考えた。
……。
(……なるほど)
音が鳴ったからといって、必ず反応する必要はない。
今は、騎乗者もいない。
訓練も終わっている。
……。
(……つまり)
ガンは、ちゃんと状況を見ている。
私は、少し感心した。
◇◇◇
その夜。
飼育場の工房では、トウエンとセイランが話していた。
「……笛は使える」
トウエンが言った。
「ただし、あくまで補助だ」
セイランが頷く。
「騎乗者の判断が、最優先だな」
「ああ。それに、闘蛇自身の判断も無視できん」
トウエンは、今日の訓練を思い出していた。
「ガンは、意味のない合図には反応しなかった」
「……頑固だからな」
「だが、あれは悪いことではない」
トウエンは、静かに笑った。
「闘蛇は道具ではない。危険を察知し、自分で判断する生き物だ」
セイランは、少しだけ目を細めた。
「……そうですね」
◇◇◇
翌朝。
私は、川辺で身体を休めていた。
近くには、若い闘蛇たち。
いつものように、のんびりとした時間が流れている。
……。
(……平和だ)
そのとき。
遠くから、闘蛇笛の音が聞こえた。
ぴっ。
私は、顔を上げた。
若い闘蛇たちも、同じように顔を上げる。
……。
(……あ)
全員、反応した。
私は、少しだけ嬉しくなった。
でも。
誰も動かない。
ただ、静かに待っている。
……。
(……おお)
ちゃんと覚えたんだ。
私は、少しだけ感心した。
その直後。
飼育場の方から、レンの声が聞こえた。
「スイー! ごはんだよ!」
……。
(……!)
私は、勢いよく立ち上がった。
若い闘蛇たちも、つられて立ち上がる。
……。
(……あ)
しまった。
全員、こっちを見ている。
私は、少しだけ動きを止めた。
……。
(……いや)
これは、仕方ない。
ごはんは、大事。
非常に大事。
私は、何事もなかったように歩き始めた。
その後ろを、若い闘蛇たちがぞろぞろとついてきた。
……。
(……まあ)
笛の訓練は、まだまだ続きそうである。