秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第三十九話 笛の向こう側

 

新しい道具ができると、人間は試したくなるらしい。

 

しかも、便利そうな道具ほど、あれこれ使い道を考える。

 

……その結果。

 

(……朝から何回鳴らすんですか、それ)

 

私は、飼育場の岩陰で身体を伏せていた。

 

耳の奥に、細い音が響く。

 

ぴっ。

 

少し間を置いて、もう一度。

 

ぴっ。

 

(……聞こえてますってば)

 

顔を上げると、少し離れた場所でハクが角笛を吹いていた。

 

人間には聞こえない音。

 

闘蛇だけが反応する、小さな角笛。

 

昨日発見されたばかりの、いわゆる闘蛇笛である。

 

「……どうです?」

 

ハクが尋ねた。

 

トウエンは、十五頭の闘蛇を見回した。

 

「最初ほど反応しなくなったな」

 

「慣れたんですかね」

 

「そうだろう。意味のない音だと分かれば、気にしなくなる」

 

……。

 

(……その通りです)

 

私は、ゆっくりと目を閉じた。

 

人間だって、何度も同じ通知音が鳴れば、だんだん気にしなくなる。

 

重要なのは、音そのものではない。

 

音の向こうに、何があるかだ。

 

◇◇◇

 

「まずは、音と行動を結びつける」

 

トウエンは、戦士たちに説明した。

 

「短く一度。これを聞いたら、騎乗者の合図を待つ」

 

セイランが頷く。

 

「動くのは、その後だな」

 

「そうだ。闘蛇笛だけで走らせたり、方向を変えさせたりはしない」

 

ハクが首を傾げた。

 

「でも、それだと普通の角笛とあまり変わらないんじゃ?」

 

「違う」

 

トウエンは、小さな角笛を指さした。

 

「人間に聞こえない音なら、敵に気づかれず、闘蛇の注意を集められる」

 

「……なるほど」

 

「ただし、音が聞こえたからといって、必ず従うとは限らん」

 

トウエンは、私たちを見た。

 

「だから、訓練する」

 

◇◇◇

 

最初の訓練は、実に地味だった。

 

闘蛇笛を短く一度鳴らす。

 

騎乗者が、首筋を軽く叩く。

 

闘蛇が顔を上げたら、褒める。

 

それだけ。

 

……。

 

(……犬のしつけかな?)

 

いや、犬笛なのだから、ある意味正しい。

 

私は、セイランの合図を受けて顔を上げた。

 

「よし」

 

首筋を撫でられる。

 

……。

 

(……ふふん)

 

悪くない。

 

ただ、問題は。

 

私が理解できても、ほかの闘蛇たちはそうとは限らないことだった。

 

◇◇◇

 

一頭の若い闘蛇は、笛が鳴るたびに顔を上げた。

 

しかし、騎乗者の合図を待たずに歩き始めてしまう。

 

「……止まれ!」

 

戦士が慌てて声をかけた。

 

闘蛇は、不思議そうに足を止める。

 

……。

 

(……違う違う)

 

音が鳴ったら、待つんだってば。

 

私は、少し離れた場所から眺めていた。

 

別の闘蛇は、笛が鳴っても反応しない。

 

騎乗者が首筋を叩いて、ようやく顔を上げる。

 

……。

 

(……まあ、そういう子もいるよね)

 

さらに、ガン。

 

笛が鳴る。

 

……。

 

無反応。

 

「……ガン?」

 

騎乗者が声をかける。

 

ガンは、静かに身体を伏せていた。

 

……。

 

(……え)

 

聞こえてない?

 

いや、昨日は反応してたよね?

 

私は、少しだけ首を傾げた。

 

◇◇◇

 

「……ガンは、分かっていて無視しているのかもしれんな」

 

トウエンが言った。

 

ハクが笑う。

 

「そんなことあります?」

 

「ある」

 

トウエンは、あっさり答えた。

 

「闘蛇は、意味のないことを何度もさせられるのを嫌う」

 

……。

 

(……分かる)

 

非常によく分かる。

 

私は、心の中でガンに拍手を送った。

 

◇◇◇

 

昼前。

 

トウエンは、訓練のやり方を変えた。

 

笛が鳴った後、騎乗者が必ず何かしらの合図を出す。

 

停止。

 

前進。

 

方向転換。

 

ただし、闘蛇笛そのものは、動きを命令しない。

 

あくまで、注意を向けさせるための合図。

 

すると、少しずつ変化が現れた。

 

笛が鳴る。

 

闘蛇が顔を上げる。

 

騎乗者が合図を出す。

 

闘蛇が動く。

 

……。

 

(……なるほど)

 

音の後に、意味がある。

 

それが分かれば、反応する理由もできる。

 

私は、少しだけ感心した。

 

◇◇◇

 

午後。

 

訓練は、谷の入口へ移された。

 

十五頭すべてではない。

 

今日は、五頭だけ。

 

私、ガン、それから三頭の闘蛇。

 

「ここからは、少し離れた場所で試す」

 

トウエンが言った。

 

「闘蛇笛が、どのくらい届くのか確かめたい」

 

ハクが角笛を手に取る。

 

「じゃあ、俺が向こうの岩場へ行きます」

 

「頼む」

 

私は、セイランを背に乗せたまま、谷の入口で待っていた。

 

しばらくして。

 

遠くから、細い音が聞こえた。

 

ぴっ。

 

……。

 

(……聞こえた)

 

私は、顔を上げた。

 

ガンも、少しだけ首を動かした。

 

ほかの闘蛇たちも、反応する。

 

セイランが、私の首筋を軽く叩いた。

 

私は、その場で足を止めた。

 

「……よし」

 

◇◇◇

 

次は、少し離れた場所。

 

ハクが、さらに奥へ進む。

 

しばらくして。

 

……。

 

(……ん?)

 

何か聞こえた。

 

ような気がする。

 

私は、耳を澄ませた。

 

もう一度。

 

……。

 

(……あ)

 

聞こえた。

 

ただし、かなり小さい。

 

私は、顔を上げた。

 

しかし。

 

隣の闘蛇は、反応しなかった。

 

ガンも、動かない。

 

……。

 

(……あれ)

 

私だけ?

 

◇◇◇

 

「……反応したのはスイだけか」

 

セイランが呟いた。

 

トウエンは、少し考えた。

 

「音の届き方に差があるのだろう」

 

「闘蛇によって、聞こえる距離が違う?」

 

「それもある。地形の影響かもしれん」

 

私は、少しだけ首を傾げた。

 

……。

 

(……なるほど)

 

高い音は、遠くまで届きにくい。

 

しかも、岩壁がある。

 

反響したり、遮られたりするのだろう。

 

……。

 

(……万能じゃないね)

 

私は、少し残念に思った。

 

でも、考えてみれば当然だ。

 

便利な道具ほど、使いどころが大事なのである。

 

◇◇◇

 

その後、ハクが戻ってきた。

 

「……どうでした?」

 

トウエンが答える。

 

「近くでは使える。だが、谷の奥では反応が分かれた」

 

「やっぱり、遠くまでは届かないか」

 

「それでも十分だ」

 

セイランが言った。

 

「近くにいる闘蛇の注意を、敵に気づかれず集められるなら、それだけで意味がある」

 

ハクが頷いた。

 

「確かに」

 

「ただし、騎乗者が知らないうちに闘蛇だけ反応するのは危険だ」

 

トウエンが続けた。

 

「だから、笛の役割は限定する。闘蛇が顔を上げ、騎乗者の合図を待つ。それ以上のことは、まださせない」

 

◇◇◇

 

訓練が終わる頃。

 

私は、少し離れた場所で身体を休めていた。

 

すると、ガンが近づいてきた。

 

……。

 

(……おや)

 

最近、よく来ますね。

 

ガンは、私の隣に立った。

 

そして、ゆっくりと身体を伏せた。

 

私は、少しだけ顔を上げた。

 

そのとき。

 

遠くから、闘蛇笛の音が聞こえた。

 

ぴっ。

 

……。

 

(……また?)

 

私は、反射的に顔を上げた。

 

ガンは、動かなかった。

 

……。

 

(……え)

 

聞こえてるよね?

 

私は、ガンを見た。

 

ガンは、静かに目を閉じている。

 

……。

 

(……もしかして)

 

分かっていて、無視してる?

 

私は、少しだけ考えた。

 

……。

 

(……なるほど)

 

音が鳴ったからといって、必ず反応する必要はない。

 

今は、騎乗者もいない。

 

訓練も終わっている。

 

……。

 

(……つまり)

 

ガンは、ちゃんと状況を見ている。

 

私は、少し感心した。

 

◇◇◇

 

その夜。

 

飼育場の工房では、トウエンとセイランが話していた。

 

「……笛は使える」

 

トウエンが言った。

 

「ただし、あくまで補助だ」

 

セイランが頷く。

 

「騎乗者の判断が、最優先だな」

 

「ああ。それに、闘蛇自身の判断も無視できん」

 

トウエンは、今日の訓練を思い出していた。

 

「ガンは、意味のない合図には反応しなかった」

 

「……頑固だからな」

 

「だが、あれは悪いことではない」

 

トウエンは、静かに笑った。

 

「闘蛇は道具ではない。危険を察知し、自分で判断する生き物だ」

 

セイランは、少しだけ目を細めた。

 

「……そうですね」

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

私は、川辺で身体を休めていた。

 

近くには、若い闘蛇たち。

 

いつものように、のんびりとした時間が流れている。

 

……。

 

(……平和だ)

 

そのとき。

 

遠くから、闘蛇笛の音が聞こえた。

 

ぴっ。

 

私は、顔を上げた。

 

若い闘蛇たちも、同じように顔を上げる。

 

……。

 

(……あ)

 

全員、反応した。

 

私は、少しだけ嬉しくなった。

 

でも。

 

誰も動かない。

 

ただ、静かに待っている。

 

……。

 

(……おお)

 

ちゃんと覚えたんだ。

 

私は、少しだけ感心した。

 

その直後。

 

飼育場の方から、レンの声が聞こえた。

 

「スイー! ごはんだよ!」

 

……。

 

(……!)

 

私は、勢いよく立ち上がった。

 

若い闘蛇たちも、つられて立ち上がる。

 

……。

 

(……あ)

 

しまった。

 

全員、こっちを見ている。

 

私は、少しだけ動きを止めた。

 

……。

 

(……いや)

 

これは、仕方ない。

 

ごはんは、大事。

 

非常に大事。

 

私は、何事もなかったように歩き始めた。

 

その後ろを、若い闘蛇たちがぞろぞろとついてきた。

 

……。

 

(……まあ)

 

笛の訓練は、まだまだ続きそうである。

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