秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第四十話 山道の客人

 

白淵族には、馬がいない。

 

正確には、飼っていない。

 

山道は狭く、岩場は多い。川を渡ることも珍しくないこの土地では、馬よりも自分の足で歩く方が都合のいい場所が多い。

 

荷物を運ぶなら闘蛇がいるし、遠くへ出かけるときも闘蛇に乗ればいい。

 

ただし、誰でも乗れるわけではない。

 

そのため、白淵族の戦士の多くは徒歩で移動する。

 

そして、徒歩で戦う。

 

……。

 

(……まあ、そうなるよね)

 

私は、集落の広場を眺めていた。

 

朝から、戦士たちが訓練をしている。

 

木の盾を構え、槍を持ち、二人一組で打ち合う。

 

少し離れた場所では、弓を引く者もいる。

 

闘蛇の訓練が始まってから、戦士たちの訓練も増えたらしい。

 

「……闘蛇だけが動けても意味がない」

 

セイランが言った。

 

ハクが頷く。

 

「俺たちも、合わせないといけませんからね」

 

「そうだ」

 

セイランは、広場の端に立つ私を見た。

 

「闘蛇が進めば、歩兵も動く。闘蛇が止まれば、歩兵も止まる。だが、ただ真似をするだけでは駄目だ」

 

「……守る場所が違う?」

 

「そうだ」

 

私は、少しだけ首を傾げた。

 

(……なるほど)

 

人間と闘蛇。

 

同じ場所で戦うなら、互いの邪魔をしないようにしなければならない。

 

……。

 

(……大変そう)

 

私は、静かに身体を伏せた。

 

◇◇◇

 

その日の昼。

 

集落の見張り台から、角笛が鳴った。

 

ぶおおおお。

 

いつもの闘蛇笛ではない。

 

人間にも聞こえる、低い角笛だ。

 

私は、顔を上げた。

 

(……ん?)

 

何かあった?

 

広場にいた戦士たちが、訓練を止める。

 

セイランも、見張り台へ目を向けた。

 

やがて、一人の若い戦士が走ってきた。

 

「……南の道に、客人です!」

 

「どこの者だ」

 

「山の王の使者です!」

 

……。

 

(……おお)

 

山の王。

 

つまり、楊端和。

 

私は、少しだけ興味を持った。

 

◇◇◇

 

しばらくして、集落の入口に数人の山の民が現れた。

 

先頭にいたのは、見覚えのある男だった。

 

大柄な身体。

 

獣のような鋭い目。

 

そして、独特の仮面。

 

……。

 

(……あ)

 

バジオウだ。

 

私は、思わず身体を起こした。

 

いや。

 

別に、嬉しいわけではない。

 

ただ、知っている人が来たので驚いただけだ。

 

……。

 

(……相変わらず、かっこいいな)

 

私は、静かに姿勢を正した。

 

◇◇◇

 

「……久しいな」

 

バジオウが、セイランへ声をかけた。

 

セイランは、軽く頭を下げた。

 

「お久しぶりです」

 

「山の王から、伝言を預かっている」

 

「……何でしょう」

 

バジオウは、集落の奥を見た。

 

「族長に会いたい」

 

セイランが頷いた。

 

「案内します」

 

◇◇◇

 

族長の家には、トウエンと数人の長老たちが集まっていた。

 

バジオウは、楊端和からの書簡を差し出した。

 

族長が、それを受け取る。

 

しばらく目を通した後、顔を上げた。

 

「……南の旧道についてか」

 

「そうだ」

 

バジオウが答えた。

 

「山の王は、以前の取り決めを守るつもりだ。ただ、近ごろ南側の山道で、不審な動きがある」

 

「……不審な動き?」

 

「複数の部族が、境界近くで動いている」

 

トウエンが眉をひそめた。

 

「どこの部族だ」

 

「まだ分からん」

 

バジオウは、静かに続けた。

 

「だが、山の王の使者が通る道にも、見張りが増えている」

 

族長は、少し考えた。

 

「……我らの土地に入ってきた者はいるか」

 

「今のところ、確認されていない」

 

「ならば、こちらから動く理由はない」

 

バジオウが頷く。

 

「山の王も、同じ考えだ」

 

◇◇◇

 

「……ただし」

 

バジオウは、言葉を続けた。

 

「もし境界で争いが起きれば、南の旧道が巻き込まれる可能性がある」

 

族長は、静かに目を細めた。

 

「……なるほど」

 

「山の王は、白淵族に兵を出せとは言っていない」

 

「分かっている」

 

「ただ、互いに状況を知らせ合いたいと考えている」

 

族長は、しばらく考えた。

 

やがて、頷いた。

 

「……それならば、異存はない」

 

◇◇◇

 

その頃。

 

私は、集落の外れで身体を休めていた。

 

バジオウが来たので、何となく気になって近くにいたのだ。

 

もちろん、族長の家の中には入れない。

 

身体が大きすぎる。

 

……。

 

(……不便)

 

私は、日陰に身体を伏せた。

 

すると、近くから足音がした。

 

顔を上げる。

 

バジオウだった。

 

……。

 

(……おお)

 

近い。

 

相変わらず、雰囲気がある。

 

私は、少しだけ首を上げた。

 

バジオウは、私を見た。

 

しばらくして、ゆっくりと近づいてくる。

 

「……大きくなったな」

 

……。

 

(……え)

 

そう?

 

私は、少しだけ嬉しくなった。

 

バジオウは、私の首筋を眺めた。

 

「……以前より、落ち着いている」

 

……。

 

(……ふふん)

 

そうでしょう。

 

最近、色々と経験しましたからね。

 

私は、静かに身体を伏せた。

 

◇◇◇

 

「……訓練を始めたそうだな」

 

バジオウが言った。

 

近くにいたセイランが頷く。

 

「はい。十五頭の闘蛇を集め、騎乗者との連携を確かめています」

 

「十五頭か」

 

バジオウは、少しだけ目を細めた。

 

「……多いな」

 

「白淵族では、これまで全頭を一度に動かすことはありませんでした」

 

「……なるほど」

 

バジオウは、少し考えた。

 

「山の王の軍でも、異なる部族を一つにまとめるのは容易ではない」

 

セイランが頷く。

 

「闘蛇も、似たところがあります」

 

「……そうか」

 

バジオウは、私を見た。

 

「この闘蛇が、中心なのか」

 

セイランは、少しだけ笑った。

 

「……まだ、そう言い切れるほどではありません」

 

……。

 

(……その通りです)

 

私は、心の中で頷いた。

 

いや、別に中心になりたいわけではないし。

 

◇◇◇

 

「……見せてもらえるか」

 

バジオウが言った。

 

セイランが顔を上げる。

 

「訓練を、ですか?」

 

「ああ」

 

「……構いませんが」

 

「山の王に伝えるためではない」

 

バジオウは、少しだけ口元を緩めた。

 

「個人的に、興味がある」

 

……。

 

(……おお)

 

見学ですか。

 

私は、少しだけ嬉しくなった。

 

何しろ、バジオウである。

 

強い。

 

かっこいい。

 

しかも、楊端和の側近。

 

……。

 

(……ちょっと、いいところ見せたい)

 

私は、静かに身体を起こした。

 

◇◇◇

 

午後。

 

訓練場には、十五頭の闘蛇が集まっていた。

 

バジオウは、少し離れた岩場に立っている。

 

その隣には、族長とトウエン。

 

「……始めろ」

 

セイランの声が響いた。

 

闘蛇たちが、ゆっくりと動き始める。

 

最初は、五頭ずつの三組。

 

それぞれが別の道を進み、途中で合流する。

 

私は、若い闘蛇たちの先頭にいた。

 

(……よし)

 

今日は、少しだけ頑張ろう。

 

後ろを見る。

 

足元を見る。

 

騎乗者の合図を確かめる。

 

……。

 

(……いい感じ)

 

◇◇◇

 

やがて、合流地点へ着いた。

 

三つの組が、少しずつ近づく。

 

ガンの組が、先に到着していた。

 

私は、少し離れた場所で足を止めた。

 

若い闘蛇たちも、後ろに並ぶ。

 

セイランが、合図を出した。

 

「……進め」

 

私は、ゆっくりと歩き始めた。

 

ガンが、こちらを見た。

 

そして、少しだけ身体を横へ動かした。

 

道を空けてくれたのだ。

 

……。

 

(……おお)

 

ありがとうございます。

 

私は、ガンの隣を通った。

 

その後ろを、若い闘蛇たちが続く。

 

◇◇◇

 

「……面白いな」

 

バジオウが呟いた。

 

トウエンが顔を向ける。

 

「何がです?」

 

「闘蛇同士で、動きを調整している」

 

「……はい」

 

「騎乗者の合図だけではないな」

 

トウエンが頷いた。

 

「我らも、最近ようやく気づいたことです」

 

バジオウは、少し考えた。

 

「……山の王の軍にも、似たものがある」

 

「……というと?」

 

「部族ごとに戦い方が違う。だが、互いの動きを理解すれば、言葉がなくとも助け合える」

 

トウエンは、静かに頷いた。

 

◇◇◇

 

そのとき。

 

訓練場の端で、ハクが小さな角笛を手に取った。

 

闘蛇笛である。

 

「……次は、これを試します」

 

バジオウが首を傾げた。

 

「……何だ、それは」

 

「闘蛇にだけ聞こえる笛です」

 

「……闘蛇にだけ?」

 

ハクは、少しだけ笑った。

 

「見ていてください」

 

そう言って、笛を吹いた。

 

……。

 

人間には、何も聞こえない。

 

しかし。

 

十五頭の闘蛇が、一斉に顔を上げた。

 

……。

 

バジオウは、しばらく動かなかった。

 

そして、ゆっくりとトウエンを見た。

 

「……今、何をした?」

 

ハクが、少し得意げに答えた。

 

「笛を吹きました」

 

「……音は?」

 

「人間には聞こえません」

 

バジオウは、もう一度、闘蛇たちを見た。

 

十五頭が、静かに騎乗者の合図を待っている。

 

……。

 

「……なるほど」

 

バジオウは、低く呟いた。

 

「これは、面白い」

 

◇◇◇

 

訓練が終わった後。

 

バジオウは、セイランと話していた。

 

「……この笛は、戦場でも使えるだろう」

 

セイランが頷く。

 

「ただし、まだ試作段階です」

 

「分かっている」

 

バジオウは、闘蛇たちを見た。

 

「だが、敵に聞こえない合図で獣が動く。それだけで、相手は混乱する」

 

「……はい」

 

「ただし、頼りすぎるな」

 

セイランが顔を上げる。

 

バジオウは、静かに続けた。

 

「戦場では、予定通りにいかないことの方が多い」

 

「……承知しています」

 

「笛が使えなくなったとき、どう動くか。それも考えておけ」

 

◇◇◇

 

夕方。

 

バジオウたちは、集落を出発することになった。

 

族長とセイランが見送る。

 

「……山の王に、よろしくお伝えください」

 

族長が言った。

 

バジオウは頷いた。

 

「伝えよう」

 

そして、私を見た。

 

「……また会おう」

 

……。

 

(……おお)

 

また会おう、ですって。

 

私は、少しだけ嬉しくなった。

 

いや、かなり嬉しい。

 

でも、表には出さない。

 

私は、静かに身体を伏せた。

 

バジオウは、少しだけ笑ったように見えた。

 

◇◇◇

 

夜。

 

私は、川辺で身体を休めていた。

 

今日は、なかなか充実した一日だった。

 

訓練も上手くいった。

 

ガンとの連携も、少しずつ良くなっている。

 

そして。

 

バジオウに、褒められた。

 

……。

 

(……ふふふ)

 

私は、思わず尻尾を揺らした。

 

近くの若い闘蛇が、不思議そうにこちらを見る。

 

……。

 

(……何でもないよ)

 

私は、静かに目を閉じた。

 

その頃。

 

集落の族長の家では、セイランとトウエンが話していた。

 

「……南の山道が、少し騒がしくなっているようですね」

 

セイランが言った。

 

トウエンは、静かに頷いた。

 

「まだ、我らが動く必要はない」

 

「……はい」

 

「だが、備えておくことはできる」

 

セイランは、少し考えた。

 

「……訓練を続けます」

 

トウエンが頷く。

 

「そうしてくれ」

 

白淵族の集落には、いつも通りの夜が訪れていた。

 

だが、山の向こうでは、少しずつ何かが動き始めていた。

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