秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第四十一話 巨獣の足元

 

闘蛇に乗っていると、人間は小さく見える。

 

いや、実際に小さい。

 

私の身体は頭から尻尾まで九メートルほどあるし、四本の脚も太い。そんな生き物の目線から見れば、人間など簡単に踏み潰せそうな大きさだ。

 

もちろん、そんなことをするつもりはない。

 

ただ、最近になって思うのだ。

 

(……足元って、結構見えないんだよね)

 

首を動かせば周囲は見渡せる。

 

けれど、自分の胸元や後ろ脚のすぐそばとなると、話は別だ。

 

特に、人間が何人も走り回っているとき。

 

誰がどこにいるのか、いちいち確認するのは難しい。

 

そして今日。

 

私は、その問題に真正面から向き合うことになった。

 

◇◇◇

 

「闘蛇と歩兵を、同じ場所で動かす」

 

朝の訓練場で、セイランが言った。

 

集まっていた戦士たちが、顔を上げる。

 

今日は闘蛇が五頭。

 

その周囲には、槍や盾を持った歩兵が三十人ほど集まっていた。

 

「闘蛇は大きい。力も強い。だが、その大きさは味方にとっても危険になる」

 

ハクが頷いた。

 

「下手に近づけば、踏まれますからね」

 

「そうだ。闘蛇の前を横切るな。足元に入り込むな。後ろへ回るときは、騎乗者に知らせろ」

 

セイランは、歩兵たちを見回した。

 

「そして、闘蛇の騎乗者も、歩兵の位置を把握しろ」

 

……。

 

(……なるほど)

 

今日の授業は、交通安全らしい。

 

私は、少しだけ姿勢を正した。

 

◇◇◇

 

最初の訓練は、歩兵が闘蛇の周囲を移動するものだった。

 

私の背にはセイラン。

 

周囲には、盾を持った戦士たちが並んでいる。

 

「……進め」

 

セイランの合図で、私はゆっくりと歩き始めた。

 

歩兵たちも、同じ速度で動く。

 

……。

 

(……おお)

 

なかなか壮観。

 

私の左右を、人間たちが歩いている。

 

まるで、護衛されているようだ。

 

(……いや、実際そうなのか)

 

私は、少しだけ嬉しくなった。

 

しかし。

 

すぐに問題が起きた。

 

◇◇◇

 

「……止まれ!」

 

セイランが声を上げた。

 

私は足を止めた。

 

前方にいた歩兵の一人が、私の進路を横切ろうとしていたのだ。

 

「……何をしている」

 

セイランが尋ねる。

 

若い戦士は、少し慌てた様子で答えた。

 

「すみません! 向こう側へ移ろうと思って……」

 

「闘蛇の前を横切るなと言ったはずだ」

 

「……はい」

 

セイランは、少しだけ声を落とした。

 

「スイが気づかなければ、お前は踏まれていた」

 

……。

 

(……怖いこと言わないで)

 

私は、若い戦士を見た。

 

彼は、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

……。

 

(……まあ、怪我がなくてよかった)

 

◇◇◇

 

その後、訓練は何度か繰り返された。

 

歩兵は、闘蛇の左右に一定の距離を保つ。

 

闘蛇が止まれば、歩兵も止まる。

 

方向を変えるときは、騎乗者が声をかける。

 

……。

 

(……ふむ)

 

少しずつ、形になってきた。

 

ただし。

 

私は、一つ気になることがあった。

 

歩兵たちは、私の動きを見ている。

 

でも、私は歩兵全員を見られない。

 

特に、後ろにいる人間。

 

どこにいるのか、分からないことがある。

 

……。

 

(……うーん)

 

これ、どうしたらいいんだろう。

 

◇◇◇

 

昼前。

 

トウエンが、訓練場へやってきた。

 

「……どうだ」

 

セイランが答える。

 

「まだ、歩兵が闘蛇の動きに慣れていません」

 

「そうか」

 

「ただ、少しずつ改善しています」

 

トウエンは、しばらく訓練を眺めていた。

 

そして、言った。

 

「……闘蛇の後ろにいる歩兵は、どうする」

 

セイランが顔を上げる。

 

「……後ろ?」

 

「闘蛇は、背後を見られん。騎乗者も、常に後ろを見ていられるわけではない」

 

「……確かに」

 

「ならば、後ろにいる者が、前へ知らせる必要がある」

 

ハクが頷いた。

 

「……声ですか?」

 

「声でもいい。だが、戦場では聞こえないこともある」

 

トウエンは、少し考えた。

 

「旗を使ってみろ」

 

◇◇◇

 

午後。

 

訓練場には、小さな旗が用意された。

 

赤い旗。

 

白い旗。

 

それぞれ、歩兵が持つ。

 

「赤は停止」

 

トウエンが説明した。

 

「白は進行可能。まずは、それだけでいい」

 

ハクが首を傾げた。

 

「でも、闘蛇には見えませんよね?」

 

「騎乗者が見る」

 

「……ああ、なるほど」

 

「闘蛇に直接知らせるのではない。騎乗者が周囲を確認し、合図を出す」

 

セイランが頷いた。

 

「……分かりました」

 

◇◇◇

 

再び、訓練が始まった。

 

私は、ゆっくりと進む。

 

左右には歩兵。

 

後方には、旗を持った戦士がいる。

 

……。

 

(……何だか、行列みたい)

 

しばらくして。

 

後方で、赤い旗が上がった。

 

セイランが、それに気づく。

 

「……止まれ」

 

私は、足を止めた。

 

後ろの歩兵たちが、隊列を整える。

 

やがて、白い旗が上がる。

 

「……進め」

 

私は、再び歩き始めた。

 

……。

 

(……おお)

 

便利。

 

これなら、後ろの様子が分からなくても、安心して進める。

 

◇◇◇

 

ところが。

 

次の訓練で、思わぬ問題が起きた。

 

後方の歩兵が、赤い旗を上げた。

 

しかし、セイランは前方を見ていた。

 

旗に気づかない。

 

私は、ゆっくりと進み続ける。

 

……。

 

(……あれ)

 

後ろの人たち、止まってない?

 

私は、少しだけ首を動かした。

 

しかし、後ろは見えない。

 

そのとき。

 

「……セイラン!」

 

ハクの声が響いた。

 

セイランが振り返る。

 

赤い旗が上がっている。

 

「……止まれ!」

 

私は、すぐに足を止めた。

 

……。

 

(……危なかった)

 

◇◇◇

 

「……旗だけでは、足りんな」

 

トウエンが呟いた。

 

セイランは、少し考えた。

 

「声と旗を組み合わせます」

 

「……それでも、届かない場合は?」

 

「……」

 

ハクが口を開いた。

 

「闘蛇笛は?」

 

トウエンが顔を上げる。

 

「……何?」

 

「歩兵の中に、笛を持つ者を置くんです。何かあったら、闘蛇笛を吹く」

 

セイランは、少し考えた。

 

「……闘蛇が気づく」

 

「はい。騎乗者が気づかなくても、闘蛇が顔を上げれば、異変に気づけます」

 

トウエンは、静かに頷いた。

 

「……試す価値はある」

 

◇◇◇

 

次の訓練では、後方の歩兵が闘蛇笛を持つことになった。

 

ただし、笛を吹くのは、本当に危険があるときだけ。

 

通常の停止や進行は、旗と声で知らせる。

 

……。

 

(……なるほど)

 

緊急用の通知音。

 

それなら、分かりやすい。

 

私は、少しだけ納得した。

 

◇◇◇

 

訓練が始まった。

 

私は、ゆっくりと歩く。

 

左右には歩兵。

 

後ろには、旗を持った戦士。

 

そして、闘蛇笛を持つ戦士がいる。

 

しばらくして。

 

後方で、赤い旗が上がった。

 

セイランは、前方を見ている。

 

気づかない。

 

……。

 

(……あ)

 

その瞬間。

 

ぴっ。

 

細い音が聞こえた。

 

私は、反射的に顔を上げた。

 

セイランが、私の動きに気づく。

 

「……どうした?」

 

私は、すぐには動かない。

 

ただ、耳を澄ませる。

 

後ろから、ハクの声が響いた。

 

「……後方、停止!」

 

セイランが振り返る。

 

赤い旗が上がっている。

 

「……止まれ!」

 

私は、足を止めた。

 

◇◇◇

 

「……使えるな」

 

トウエンが呟いた。

 

ハクは、少し得意げだった。

 

「でしょう?」

 

セイランが頷く。

 

「ただし、笛だけで止まらせるのではない。騎乗者が判断する」

 

「はい」

 

「闘蛇が反応したら、騎乗者が周囲を確認する。それで十分だ」

 

トウエンは、少しだけ笑った。

 

「……これなら、闘蛇笛の役割も明確になる」

 

◇◇◇

 

夕方。

 

訓練が終わると、戦士たちは広場に集まった。

 

「……今日の訓練で、何が分かった」

 

セイランが尋ねた。

 

若い戦士が答える。

 

「闘蛇の近くでは、勝手に動かないことです」

 

別の戦士が言った。

 

「騎乗者だけでは、周囲を全部見られないことです」

 

ハクが笑った。

 

「あと、笛は便利だけど、万能じゃないってことですね」

 

セイランが頷いた。

 

「……そうだ」

 

トウエンは、闘蛇たちを見た。

 

「人間が闘蛇を守り、闘蛇が人間を守る。そのためには、互いに知らせ合う必要がある」

 

◇◇◇

 

その夜。

 

私は、川辺で身体を休めていた。

 

今日は、なかなか疲れた。

 

歩く。

 

止まる。

 

進む。

 

また止まる。

 

……。

 

(……信号待ちの多い道路みたいだったなあ)

 

私は、少しだけ笑った。

 

でも。

 

今日の訓練は、意味があったと思う。

 

私は、人間たちを踏みたくない。

 

人間たちも、私に踏まれたくない。

 

当然だ。

 

そして。

 

お互いに、相手のことを全部見られるわけではない。

 

だから、知らせ合う。

 

……。

 

(……なるほどね)

 

私は、静かに目を閉じた。

 

その頃。

 

族長の家では、セイランとトウエンが、訓練の報告をしていた。

 

「……闘蛇と歩兵の連携は、まだ始まったばかりです」

 

セイランが言った。

 

族長は、静かに頷いた。

 

「だが、形になり始めているのだな」

 

「はい」

 

「……ならば、続けよ」

 

族長は、少し考えた。

 

「ただし、忘れるな」

 

セイランが顔を上げる。

 

「……何をでしょう」

 

「我らは、戦うためだけに闘蛇を育ててきたのではない」

 

セイランは、静かに頷いた。

 

「……承知しています」

 

族長は、窓の外を見た。

 

そこには、夜の闇が広がっている。

 

白淵族の集落は、静かだった。

 

だが、その静けさを守るために。

 

人間と闘蛇は、少しずつ新しい技術を身につけ始めていた。

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