朝から、少しだけ機嫌が良かった。
理由は単純。
今日の調査には、キョウが同行するからである。
(……ふふ)
いや、別に浮かれているわけではない。
昨日の話し合いで、南の旧道には何か裏があるらしいと分かった。
危険な調査になる可能性だってある。
もちろん、気は引き締めている。
ただ。
(顔が良い人が近くにいると、景色が良くなるんですよね)
これは仕方がない。
自然現象のようなものだ。
◇◇◇
今回、旧道へ向かうのは白淵族と黒角族の合同の一行だった。
白淵族からはセイラン、ハク、それに戦士が六人。
黒角族からはダン、キョウ、戦士が四人。
闘蛇は私と、ハクの相棒の二頭。
合わせて十四人と二頭である。
「スイ、今日は頼むぞ」
セイランが、私の首筋を軽く叩いた。
(お任せください)
私は静かに頭を下げた。
すると、少し離れた場所にいたキョウがこちらを見ていた。
「……本当に賢そうだな」
ダンが答える。
「白淵族では、あの雌が若い闘蛇たちをよくまとめているらしい」
「へえ」
キョウは興味深そうに目を細めた。
(……もっと褒めていいですよ)
私は、何でもない顔で前を向いた。
◇◇◇
旧道へ向かう途中、キョウは何度も周囲を見回していた。
木々の間。
岩の形。
地面の様子。
何かを探しているらしい。
「何か気になるのか」
セイランが尋ねた。
「道が妙に踏み固められている」
「人が通る道だからな」
「そうじゃない」
キョウはしゃがみ込み、土を指でなぞった。
「ここは普段、交易の荷車が通る程度の道だろう。それにしては、踏まれ方が均一すぎる」
ハクが首を傾げる。
「どういう意味です?」
「大勢が、何度も同じ場所を歩いている」
(……え)
私は足元を見た。
確かに、道の中央は固くなっている。
けれど、それが普通なのか異常なのかは、私には分からない。
(……よく気づくなあ)
やっぱり、観察力がある。
◇◇◇
しばらく進むと、道は二つに分かれた。
一方は、荷車が通れる広い道。
もう一方は、山の斜面を登る細い道。
キョウは、細い道を指さした。
「こちらは?」
セイランが答える。
「昔の狩猟道だ。今はほとんど使っていない」
「……そうか」
キョウは、しばらく考えた。
「少し調べたい」
ダンが頷く。
「行こう」
◇◇◇
細い道は、闘蛇が通るには狭かった。
私は、入口で待機することになった。
(……残念)
キョウの後ろ姿が、木々の間へ消えていく。
いや、別に。
寂しいわけじゃないですよ。
「スイ、ここで待っててくれ」
セイランが、私の首筋を撫でた。
(はいはい)
私は、その場に伏せた。
ハクの闘蛇も、少し離れた場所で身体を休めている。
……。
(……暇だな)
私は、近くの草を眺めた。
小さな虫が、葉の上を歩いている。
(……平和)
そう思ったときだった。
◇◇◇
山の奥から、かすかな音が聞こえた。
こん。
こん。
木を叩くような音。
私は、首を持ち上げた。
(……ん?)
また聞こえる。
こん。
こん。
一定の間隔。
自然の音ではない。
私は、耳を澄ませた。
音は、斜面の向こうから聞こえてくる。
(……何だろう)
気になる。
けれど、勝手に動くわけにはいかない。
私は、短く喉を鳴らした。
すると、近くにいた白淵族の戦士が振り返った。
「どうした、スイ」
私は、音のする方へ鼻先を向けた。
戦士は、しばらく耳を澄ませた。
「……何か聞こえるのか?」
(……聞こえません?)
私は、もう一度鼻先を向けた。
戦士は少し考え、隣の者へ声をかけた。
「セイランたちに知らせてくる」
◇◇◇
しばらくして、一行が戻ってきた。
キョウの手には、小さな木片があった。
「……何か見つけたの?」
ハクが尋ねる。
キョウは、木片を見せた。
「道標だ」
「道標?」
「ああ。古いものだが、最近削られた跡がある」
セイランが眉をひそめる。
「誰かが、道を使っているということか」
「それだけじゃない」
キョウは、木片の端を指した。
「印が消されている」
(……印?)
私は、少しだけ首を傾げた。
「元々は、どこの部族の道か示すものだったんだろう」
ダンが低く言った。
「それを消した者がいる、と」
キョウが頷く。
◇◇◇
「それと」
セイランが、私の方を見た。
「スイが、何かを気にしているらしい」
キョウが顔を上げる。
「何を?」
「分からん。だが、あれが理由もなく騒ぐことは少ない」
(……信頼が重い)
私は、少しだけ緊張した。
いや、でも。
確かに聞こえたんです。
こん、こんって。
私は、斜面の向こうへ鼻先を向けた。
キョウが、そちらを見た。
「……あの先か」
セイランが頷く。
「行ってみよう」
◇◇◇
斜面を越えると、小さな谷があった。
その谷底に、古い小屋が一つ。
そして。
(……あ)
人がいる。
五人。
いや、六人。
木材を運んだり、地面を掘ったりしている。
こん、こん。
先ほどの音は、木杭を打ち込む音だった。
(……なるほど)
私は、ようやく納得した。
◇◇◇
一行は、木々の陰から様子をうかがった。
「……何をしている」
ダンが呟いた。
キョウが答える。
「道を作っている」
「道?」
「谷の向こうへ抜けるための道だ」
セイランが、周囲を見渡した。
「……あの先は、どこへ続く」
キョウは、少し考えた。
「南の低地だ。山の外へ出られる」
ダンの顔が険しくなった。
「……まさか」
◇◇◇
キョウは、地面に枝で簡単な図を描いた。
「今の旧道は、白淵族と黒角族の境界を通る。だから、どちらの部族も人の出入りを把握できる」
セイランが頷く。
「そうだ」
「だが、ここに新しい道ができれば」
キョウは、谷の向こうへ線を引いた。
「両方の見張りを避けて、南へ抜けられる」
ハクが目を見開いた。
「……つまり、誰にも知られずに山を通れる?」
「ああ」
(……え)
それって。
結構まずくない?
◇◇◇
「何者だ」
突然、谷底から声がした。
一行が、身を固くする。
見つかったらしい。
男の一人が、こちらを指さしていた。
「おい! そこにいるのは誰だ!」
セイランが、静かに立ち上がった。
「白淵族の者だ」
キョウも、その隣へ出る。
「黒角族の者もいる」
男たちの表情が変わった。
「……両方?」
どうやら、予想外だったらしい。
◇◇◇
「ここで何をしている」
セイランが尋ねた。
男の一人が答える。
「道を直しているだけだ」
「誰の許しを得て?」
「……誰の許しも必要ないだろう」
キョウが、静かに言った。
「ここは、黒角族の狩猟地に近い」
「だから何だ」
「無断で道を通す理由を聞いている」
男は、しばらく黙った。
そして、口元を歪めた。
「……山の連中は、いつもそうだ」
(……あれ)
私は、思わず首を持ち上げた。
その言い方。
どこかで聞いたような。
◇◇◇
「道なんて、誰のものでもない」
男が言った。
(……同じだ)
捕らえた男が言っていた言葉と。
私は、セイランを見た。
彼も気づいたらしい。
表情が、わずかに変わった。
「……その言葉、誰に教わった」
セイランが尋ねた。
男は、顔をしかめた。
「何の話だ」
「答えろ」
男は、舌打ちした。
「……面倒な連中だ」
◇◇◇
そのとき。
谷の奥から、別の男が現れた。
他の者より、少し身なりが良い。
腰には、短い剣。
彼は、セイランたちを見ると、ゆっくりと笑った。
「……これはこれは」
声は、妙に落ち着いていた。
「白淵族と黒角族が、揃ってお越しとは」
ダンが、低く尋ねた。
「お前は誰だ」
男は、軽く頭を下げた。
「ただの商人ですよ」
キョウが、冷ややかに見つめる。
「商人が、なぜ山に道を作っている」
「商いのためです」
「誰と商う」
男は、少しだけ笑みを深めた。
「それは、秘密ということで」
◇◇◇
私は、男をじっと見た。
(……うわ)
何だろう。
この人。
笑っているのに、全然安心できない。
むしろ、怖い。
顔立ちは整っている。
けれど、キョウとは違う。
(……顔が良ければ何でもいいわけじゃないんですよ)
私は、静かに鼻を鳴らした。
◇◇◇
セイランが、槍を構え直した。
「この道を作ることは、認められない」
男は、肩をすくめた。
「困りましたね」
「作業を止めろ」
「……それは、私の一存では」
キョウが、すぐに言った。
「では、誰の命令だ」
男は答えなかった。
代わりに、谷の奥へ視線を向けた。
そこには、さらに続く細い道があった。
そして。
その先から、複数の足音が聞こえてきた。
◇◇◇
「……セイラン」
ハクが、小さく声をかけた。
「人が来ます」
セイランは、静かに頷いた。
「分かっている」
私は、ゆっくりと身体を起こした。
谷の奥。
木々の間から、男たちが現れる。
十人。
二十人。
さらに、その後ろにも。
(……え)
ちょっと待って。
多くない?
◇◇◇
キョウが、低く言った。
「……道を作るだけにしては、随分と人数が多いな」
商人を名乗る男は、笑みを崩さなかった。
「山道は危険ですからね。護衛は多い方がよいでしょう」
ダンが、槍を握り直した。
「……護衛、か」
私は、ゆっくりと尻尾を動かした。
これは。
どう見ても。
(……ただの商人じゃないでしょ)
◇◇◇
セイランは、私の首筋に手を置いた。
「……スイ」
私は、静かに首を下げた。
「まだ動くな」
(……了解)
私は、四本の脚で地面を踏みしめた。
谷の向こうでは、男たちが次々と姿を現している。
白淵族と黒角族。
合わせて十二人の戦士と、二頭の闘蛇。
対するは、正体の分からない男たち。
そして、その背後にいる何者か。
南の旧道を巡る争いは、思っていたよりも大きなものになりそうだった。