秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第四十八話 山の外から来た知らせ

 

秦と魏が戦を始めるらしい。

 

昨夜、そんな知らせが集落に届いた。

 

秦は分かる。魏も、名前くらいは知っている。

 

けれど、その二つの国が戦うと聞いても、私には何が起こるのかさっぱり分からなかった。

 

(……魏って、映画に出てきたよね?)

 

たぶん出てきた。

 

広い戦場で、大勢の兵士が走っていた気がする。

 

ただ、どの国の兵士だったのかと聞かれると、自信がない。

 

映画を観ていた頃の私は、国の名前よりも、登場人物の顔や台詞に夢中だった。

 

(……まさか、こんなところで困るとは)

 

人生、何が必要になるか分からないものである。

 

もっとも、戦の名前を思い出したところで、今の私に何かできるとも思えない。

 

私は白淵族の闘蛇であって、秦の軍師ではないのだ。

 

そもそも人間の言葉を話せない。

 

(……知識があっても、説明できないんですよね)

 

なかなか致命的な問題だった。

 

◇◇◇

 

翌朝、集落はいつもより騒がしかった。

 

昨日救い出した十七人のために、空いている小屋が開けられ、食事が用意されている。

 

レンは朝から水桶を運び、トウエンは怪我人の様子を見て回っていた。

 

「スイ、そこにいてくれよ」

 

レンが私に声をかける。

 

「今、こっちを通るから」

 

私は、ゆっくりと身体を寄せた。

 

その脇を、荷物を抱えた一族の者たちが通っていく。

 

(……はいはい、邪魔ですよね)

 

九メートルの身体は、こういうとき不便である。

 

大きな荷物なら運べるが、小屋の中へ入って布を敷いたり、料理を作ったりはできない。

 

下手に手伝おうとすれば、かえって仕事を増やしてしまう。

 

私は大人しく川辺へ移動した。

 

◇◇◇

 

「……おおきい」

 

背後から、小さな声がした。

 

振り向くと、昨日助けた女の子が立っていた。

 

隣にはハクがいる。

 

「この子、スイに会いたいって」

 

ハクが笑った。

 

「ミナっていうんだって」

 

(……おや)

 

ミナは私を見上げた。

 

昨日より少し顔色が良い。

 

「……おはよう」

 

私は、ゆっくりと瞬きをした。

 

ミナはしばらく私を見つめ、それから小さく言った。

 

「……こわくないね」

 

(……ありがとうございます)

 

なかなか嬉しい評価である。

 

何しろ、私の見た目は巨大な爬虫類だ。

 

初対面で怖がられないだけでも、十分ありがたい。

 

「昨日、助けてくれたんだよね」

 

私は鼻先を少し下げた。

 

ミナが、おそるおそる手を伸ばす。

 

小さな手が、私の鱗に触れた。

 

「……つめたい」

 

(……水辺の生き物ですので)

 

ミナが笑った。

 

つられて、私も尻尾を揺らす。

 

ばしゃん。

 

川の水が跳ねた。

 

「きゃっ!」

 

(……あ)

 

しまった。

 

ハクが声を上げて笑う。

 

「ほら、嬉しいんだよ」

 

(……違います)

 

いや、違わないけど。

 

ミナは少し驚いたあと、また笑った。

 

その顔を見て、私はようやく昨日の出来事が終わったような気がした。

 

少なくとも、この子にとっては。

 

◇◇◇

 

昼前、族長の家で話し合いが始まった。

 

白淵族の族長、セイラン、ハク。

 

黒角族からはダンとキョウが出席している。

 

私は家の外に伏せていた。

 

中へ入れないのは、いつものことだ。

 

戸口が開いているので、声はよく聞こえる。

 

「まず、救い出した者たちのことだ」

 

族長が言った。

 

「元の村へ帰したいが、同じ連中が残っているかもしれん」

 

ダンが頷く。

 

「黒角族から使いを出そう。あの村へ続く道は、我らの方が詳しい」

 

「助かる」

 

キョウが続けた。

 

「村の者たちにも、何が起きたか知らせる必要がある。人を集めていた商人が、まだ出入りしている可能性があるからな」

 

「では、安全を確かめるまでは白淵族で預かる」

 

族長が決めた。

 

私は、そっと目を閉じた。

 

(……よかった)

 

助けた人たちを、そのまま危険な場所へ帰すわけにはいかない。

 

帰る場所が安全かどうか。

 

それを確かめるところまでが、今回の仕事なのだろう。

 

「それと、ソウについてだ」

 

族長の声が続いた。

 

「何か話したか」

 

「ほとんど何も」

 

セイランが答える。

 

「ただ、道を作る金を出している者が別にいることは認めました」

 

「名は?」

 

「まだです」

 

ダンが低く唸った。

 

「面倒な男だ」

 

「口を割らせるだけなら、方法はある」

 

キョウが言った。

 

その声が、妙に冷たかった。

 

(……おや)

 

私は目を開けた。

 

「だが、名前だけ聞き出しても意味がない。嘘をつかれれば終わりだ」

 

「では、どうする」

 

セイランが尋ねる。

 

「荷を調べる」

 

キョウは即答した。

 

「人を運んでいた以上、食料や水が必要だ。十七人分を用意するには、どこかで買い付けたはずだ」

 

「なるほど」

 

「それに、道を切り開いていた者たちへの支払いもある。金を出している者がいるなら、何か残っているだろう」

 

(……おお)

 

私は感心した。

 

この人、顔が良いだけではない。

 

ちゃんと頭も良い。

 

……いや、昨日から十分分かっていたけれど。

 

◇◇◇

 

話し合いの途中、南の旧道から来た商人が呼ばれた。

 

昨夜、秦と魏の戦について知らせてくれた男だ。

 

日に焼けた顔をした、中年の商人だった。

 

「昨夜の話を、もう少し詳しく聞きたい」

 

族長が言うと、商人は頷いた。

 

「南の町で聞いた噂です。秦が魏へ兵を出すと」

 

「どれほどの戦になる」

 

セイランが尋ねた。

 

「正確な数は分かりません。ただ、兵が集められているそうです」

 

「街道への影響は?」

 

「大きいでしょうな」

 

商人は、疲れたように息を吐いた。

 

「軍が通る道は、商人にとって使いにくくなります。荷を徴発されることもありますし、通行を止められることもある」

 

キョウが腕を組んだ。

 

「それで、山を抜ける道を欲しがる者が出る」

 

「ええ。遠回りでも、通れる道があれば使いたい者はいます」

 

「……なるほど」

 

セイランが呟いた。

 

私は、ようやく話がつながった気がした。

 

戦が始まる。

 

街道が使いにくくなる。

 

だから、別の道が必要になる。

 

そして、誰かが白淵族と黒角族の目を避けて、新しい道を作ろうとしていた。

 

(……そういうことか)

 

もっとも、それだけなら人を縛って運ぶ理由にはならない。

 

「最近、南の町で人を集めている者がいるそうです」

 

商人が続けた。

 

「仕事を求める者に、良い賃金を約束していると」

 

「何の仕事だ」

 

「荷運びや道造りだそうです。戦が始まれば、そういう働き手も必要になりますから」

 

「その者の名は?」

 

キョウが尋ねた。

 

商人は首を振った。

 

「そこまでは。ただ、金払いが良いという話は聞きました」

 

「……分かった」

 

キョウは静かに頷いた。

 

「話を聞かせてくれて助かった」

 

◇◇◇

 

商人が帰ったあと、しばらく沈黙が続いた。

 

やがて族長が口を開く。

 

「戦のために、人を集めているのかもしれんな」

 

「可能性はある」

 

キョウが答えた。

 

「だが、まだ決めつけるべきではない。人を買う者が、軍と関わっているとは限らん」

 

「そうだな」

 

セイランが頷く。

 

「まずは、分かっていることから調べよう」

 

族長は少し考えたあと、言った。

 

「黒角族と協力し、南の道を調べる。白淵族の道を、人を売るために使わせるわけにはいかん」

 

ダンが力強く頷いた。

 

「ガク様にも、そう伝えよう」

 

◇◇◇

 

話し合いが終わる頃には、日が傾き始めていた。

 

黒角族の使者たちは、翌朝いったん自分たちの集落へ戻ることになった。

 

ガクへ報告し、今後の対応を決めるためだ。

 

キョウも一緒に帰るらしい。

 

(……あら)

 

それは少し残念。

 

私は川辺で身体を休めながら、こっそりため息をついた。

 

夕方。

 

そのキョウが、川辺へやってきた。

 

「……ここにいたか」

 

私は顔を上げた。

 

キョウは少し離れた場所に腰を下ろす。

 

「明日、黒角族へ戻る」

 

(……知ってます)

 

「今回のことは、まだ終わっていない。また来ることになるだろう」

 

(……おお)

 

それは朗報です。

 

私は思わず尻尾を揺らした。

 

キョウが少し笑う。

 

「……お前は、分かりやすいな」

 

(……っ)

 

しまった。

 

また。

 

「不思議な獣だ」

 

キョウは私を見つめた。

 

「大きくて、強そうなのに、妙に人懐っこい」

 

(……それは褒め言葉として受け取っていいですか)

 

私はゆっくりと瞬きをした。

 

キョウは少し考えたあと、手を伸ばした。

 

「触れてもいいか?」

 

(……どうぞ)

 

私は静かに頭を下げた。

 

キョウの手が、私の鼻先に触れる。

 

温かい。

 

「……綺麗な鱗だな」

 

(…………)

 

えっ。

 

ちょっと。

 

何ですか、この人。

 

褒め方が上手すぎません?

 

私は思わず尻尾を揺らしかけた。

 

……が、今度は何とか堪えた。

 

成長した。

 

たぶん。

 

「キョウ」

 

セイランの声がした。

 

振り向くと、彼が川辺へ歩いてきていた。

 

「ダンが探している」

 

「ああ、今行く」

 

キョウは立ち上がり、私の鼻先を軽く撫でた。

 

「またな、スイ」

 

(……はい。またぜひ)

 

私は静かに首を下げた。

 

二人が並んで歩いていく。

 

私は、その後ろ姿を見送った。

 

(……うん)

 

やっぱり、顔が良い。

 

方向性の違う美形が並ぶというのは、なかなか贅沢な光景である。

 

◇◇◇

 

翌朝、黒角族の使者たちが出発した。

 

ダンは族長と短く言葉を交わし、キョウはセイランに手を差し出した。

 

「次に会うときには、もう少し話が進んでいるといいな」

 

「ああ」

 

二人は固く手を握った。

 

そのあと、キョウが私を見た。

 

「スイ。また会おう」

 

(……もちろんです)

 

私は、できるだけ落ち着いて首を下げた。

 

落ち着いて。

 

上品に。

 

大人の闘蛇らしく。

 

……そう思ったのだが。

 

キョウが笑った瞬間、尻尾が勝手に動いた。

 

ばしゃん。

 

川の水が大きく跳ねる。

 

「……スイ」

 

レンが呆れた声を出した。

 

(……ごめんなさい)

 

やっぱり、無理だった。

 

キョウは声を上げて笑い、ダンとともに山道を下っていった。

 

◇◇◇

 

その日の夕方。

 

私は、川辺でガンと並んで休んでいた。

 

遠くでは、救い出された人々が一族の者たちと話している。

 

ミナは、レンからもらった木の実を大切そうに握っていた。

 

少しずつ、いつもの暮らしが戻り始めている。

 

けれど、山の外では秦と魏の戦が近づいているらしい。

 

それがどんな戦なのか、私には分からない。

 

誰が戦い、誰が勝つのか。

 

映画で観たことがあるのかさえ、はっきりしない。

 

ただ、山の外で起きる出来事が、私たちの暮らしに影響することは分かってきた。

 

(……平和に魚を食べていたいんだけどなあ)

 

私は、川の水面を眺めた。

 

小さな魚が、きらりと光って泳いでいく。

 

思わず鼻先を動かす。

 

……が、逃げられた。

 

(……あ)

 

残念。

 

私は、ゆっくりと水へ入った。

 

戦のことも、道のことも、まだ分からないことばかりだ。

 

それでも、今の私にできることはある。

 

この川を守ること。

 

一族の皆を守ること。

 

そして、明日もちゃんと魚を食べること。

 

(……最後が一番大事かもしれない)

 

私は水の中へ潜った。

 

冷たい水が、身体を包む。

 

その心地よさに、思わず目を細めた。

 

山の外の世界は、今日も慌ただしく動いているらしい。

 

けれど、白淵族の川は。

 

今のところ、いつもどおり穏やかだった。

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