秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第四十九話 山に入る資格

 

白淵族は、優しい一族だと思う。

 

少なくとも、私はそう思っている。

 

レンは毎日世話をしてくれるし、ハクはよく笑う。セイランだって無愛想に見えるけれど、私が怪我をすれば誰よりも早く駆けつけてくれる。

 

だから、つい忘れそうになるのだ。

 

この人たちが、山の民であることを。

 

そして、山の民にとって、よそ者は必ずしも歓迎すべき客ではないということを。

 

◇◇◇

 

「なぜ、まだ集落に置いている」

 

朝から、族長の家に怒鳴り声が響いていた。

 

声の主は、白淵族の年長の戦士、ゴウ。

 

腕には古い傷がいくつもあり、片耳が少し欠けている。若い頃、山を荒らした別の部族との争いで負った傷だと聞いたことがある。

 

普段から口数が多い人ではない。

 

だからこそ、怒鳴り声には迫力があった。

 

「十七人だぞ。食わせるだけでも負担になる。それに、あの者たちは集落への道を見た」

 

「目隠しはしていた」

 

セイランが答える。

 

「道筋は分からん」

 

「一度見たものは忘れん。川の位置、山の形、獣の声。覚える者は覚える」

 

(……あ)

 

私は、思わず顔を上げた。

 

そこまで考えていなかった。

 

昨日助けた人たちは、皆、疲れ切っていた。

 

だから、まずは休ませることが大切だと思っていた。

 

でも、白淵族にとっては別の問題もある。

 

この集落には、闘蛇がいる。

 

五十頭もの闘蛇が暮らしている。

 

もし、その存在が平地に広まれば。

 

(……確かに、まずい)

 

「それでも、怪我人を山へ放り出すわけにはいかん」

 

セイランの声がした。

 

ゴウが鼻を鳴らす。

 

「情けをかけるなとは言っておらん。だが、情けと油断は違う」

 

族長が、静かに頷いた。

 

「ゴウの言うことにも理がある」

 

(……おお)

 

私は少し驚いた。

 

てっきり、ゴウが怒られて終わるのかと思っていた。

 

けれど、族長はそうしなかった。

 

「救い出した者たちは、南の見張り小屋へ移す。怪我人には手当てを続けるが、集落の奥へは入れん」

 

「……分かりました」

 

セイランが頷いた。

 

ゴウも、それ以上は何も言わなかった。

 

◇◇◇

 

その日の昼。

 

私は、レンと一緒に川辺にいた。

 

レンは私の鱗を洗いながら、朝の話し合いについて教えてくれた。

 

「ゴウは、昔からああなんだ」

 

(……そうなんですね)

 

「でも、間違ったことを言ってるわけじゃない」

 

レンは、少し考えてから続けた。

 

「俺たちは山で生きてる。山を知らない者が入ってくれば、それだけで危険になることもあるんだ」

 

私は、ゆっくりと瞬きをした。

 

白淵族が平地の民とあまり関わらないのも、そういう理由があるのだろう。

 

必要な薬や金属の道具を手に入れるため、限られた相手と取引することはある。

 

けれど、平地の商人が自由に集落へ出入りすることはない。

 

取引場所も決まっていて、闘蛇の飼育地へ近づけることは決してない。

 

(……そりゃそうだよね)

 

もし、平地の人間が闘蛇を見つけたら。

 

珍しい獣として捕まえようとする者が出るかもしれない。

 

戦に利用しようとする者だっているだろう。

 

(……絶対、嫌だ)

 

私は、思わず鼻を鳴らした。

 

「どうした?」

 

レンが顔を上げる。

 

私は、何でもないというように首を振った。

 

レンは笑った。

 

「変なやつ」

 

(……よく言われます)

 

◇◇◇

 

午後。

 

南の見張り小屋へ移ることになった人々が、荷物をまとめていた。

 

ミナも、その中にいた。

 

私は少し離れた場所から見送っていた。

 

「……スイ!」

 

ミナが私に気づいた。

 

小さな手を振る。

 

私は、ゆっくりと頭を下げた。

 

ミナは駆け寄ろうとしたが、近くにいた戦士が静かに止めた。

 

「そこまでだ」

 

「……え?」

 

「闘蛇には、勝手に近づくな」

 

声は厳しかった。

 

ミナは驚いて足を止めた。

 

(……あ)

 

私は、少し胸が痛んだ。

 

昨日は、触ってもいいと言ってくれたのに。

 

でも、よく考えれば、あれはハクが一緒にいたからだ。

 

闘蛇は、白淵族にとって大切な存在。

 

誰でも自由に触れていいわけではない。

 

ミナは、しょんぼりと俯いた。

 

私は、ゆっくりと首を伸ばした。

 

戦士の方を見る。

 

それから、ミナを見る。

 

(……少しだけ、いいですか)

 

もちろん、言葉は通じない。

 

けれど、戦士は私の様子を見て、少しだけ眉をひそめた。

 

「……お前も甘いな」

 

(……すみません)

 

戦士は、ため息をついた。

 

「ハクが来るまで待て」

 

ミナが顔を上げた。

 

「……うん!」

 

◇◇◇

 

しばらくして、ハクがやってきた。

 

「どうした?」

 

事情を聞くと、ハクは苦笑した。

 

「まあ、スイなら大丈夫だろうけど」

 

戦士が睨む。

 

「お前が責任を持て」

 

「分かってるよ」

 

ハクはミナの手を取り、私の前へ連れてきた。

 

「ほら、ゆっくりな」

 

ミナの小さな手が、私の鼻先に触れる。

 

「……ありがとう」

 

(……こちらこそ)

 

私は、ゆっくりと瞬きをした。

 

ミナは、少しだけ笑った。

 

それから、ハクに連れられて皆のところへ戻っていった。

 

◇◇◇

 

夕方。

 

南の道から、黒角族の使いが戻ってきた。

 

ダンたちが出発してから、まだ一日しか経っていない。

 

それなのに、使いの男はかなり急いできたらしく、肩で息をしていた。

 

「族長に知らせがある!」

 

セイランが、すぐに駆け寄る。

 

「何があった」

 

「ソウの荷車に、印があった」

 

「印?」

 

「荷車の底に焼き付けられていた。黒角族の者が見つけた」

 

男は、布に包んだ木片を取り出した。

 

そこには、小さな印が刻まれていた。

 

円の中に、三本の線。

 

私は、首を傾げた。

 

(……何のマーク?)

 

セイランが眉をひそめる。

 

「見たことがない」

 

「黒角族でも分からなかった。だが、ガク様は心当たりがあるらしい」

 

「何だ」

 

使いの男は、声を落とした。

 

「……南の商人たちが使う印だそうだ」

 

◇◇◇

 

その夜。

 

族長の家で、再び話し合いが行われた。

 

私は、いつものように外で聞いていた。

 

「南の商人か」

 

族長が呟く。

 

「ガクは、何と言っている」

 

使いの男が答えた。

 

「その印を使う者たちは、最近、山の外で勢力を広げているそうです」

 

「商人の集まりか」

 

「はい。ただし、普通の商いだけではないとも」

 

セイランが腕を組む。

 

「人を売ることも、か」

 

「その可能性があります」

 

族長は、しばらく黙っていた。

 

やがて、低い声で言った。

 

「……道を閉じる」

 

「南の旧道もですか」

 

「いや。旧道は、これまでどおり黒角族との取り決めに従う。閉じるのは、勝手に切り開かれた新しい道だ」

 

セイランが頷いた。

 

「分かりました」

 

「ただし、しばらく見張りを増やす。黒角族にも伝えろ」

 

◇◇◇

 

私は、静かに息を吐いた。

 

(……ようやく、一区切りかな)

 

もちろん、ソウの背後にいる者が誰なのかは、まだ分からない。

 

でも、少なくとも、白淵族の山を勝手に通ることはできなくなった。

 

それだけでも、大きな前進だと思う。

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

私は、川辺でガンと並んで休んでいた。

 

ガンは、相変わらず落ち着いている。

 

私が隣でごろごろ動いても、気にする様子はない。

 

(……大人だなあ)

 

私は、少し羨ましくなった。

 

九メートルにもなったのに、どうも落ち着きが足りない。

 

そんなことを考えていると、セイランがやってきた。

 

「スイ」

 

私は、顔を上げた。

 

セイランは、私の首筋に手を置いた。

 

「しばらく、南の道を見回ることになった」

 

(……またですか)

 

「今度は、山の奥まで調べる」

 

私は、ゆっくりと瞬きをした。

 

「お前にも、来てもらう」

 

(……了解)

 

私は、静かに身体を起こした。

 

山の外では、秦と魏の戦が近づいている。

 

山の中では、知らない者たちが道を作ろうとしていた。

 

そして、白淵族は。

 

そのどちらにも、簡単に踏み込ませるつもりはないらしい。

 

(……まあ、当然ですよね)

 

ここは、私たちの山なのだから。

 

私は、セイランの後ろについて歩き始めた。

 

そのとき、ふと気づいた。

 

昨日まで、山の外の戦なんて、自分には関係ないと思っていた。

 

でも。

 

もし、その戦のせいで、また誰かがこの山へ入り込んでくるのなら。

 

(……関係ない、では済まないのかも)

 

私は、遠くの山並みを見つめた。

 

その向こうで、何が起きているのか。

 

まだ、何も分からない。

 

けれど、少なくとも一つだけは決めている。

 

この山を、勝手に荒らさせるつもりはない。

 

それが、私の暮らす場所なのだから。

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