山の民は、気性が荒い。
前世で『キングダム』を観ていた私は、そんな印象を持っていた。
顔に独特の模様を描き、獣の皮をまとい、険しい山を駆け回る人々。
平地の人間からすれば、恐ろしい存在に見えるだろう。
実際、白淵族の戦士たちも、決して穏やかな人ばかりではない。
ゴウはすぐ怒鳴るし、セイランは無愛想だし、トウエンだって闘蛇の扱いが雑な者には容赦がない。
(……あれ?)
こうして並べると、なかなか怖い一族である。
けれど、私にとっては家族みたいな人たちだ。
だから、忘れそうになる。
この人たちは、山を守るためなら、本当に戦うのだということを。
◇◇◇
南の道へ向かう朝。
集落の広場には、十人ほどの戦士が集まっていた。
セイラン、ハク、ゴウ。
そして、他の戦士たち。
闘蛇は私を含めて三頭。
今日は、ただの見回りではないらしい。
「勝手に作られた道を、完全に塞ぐ」
セイランが言った。
「それと、残っている者がいないか確かめる」
ゴウが槍を担ぐ。
「いたら、どうする」
「まずは退去を命じる」
「従わなければ?」
セイランは、少し間を置いた。
「……追い払う」
ゴウが、にやりと笑った。
「それでいい」
(……怖いなあ)
私は、そっと鼻を鳴らした。
◇◇◇
出発してしばらく。
山道は、いつもより静かだった。
鳥の声。
風に揺れる木々。
足元を流れる小さな沢。
私は、セイランを背に乗せ、ゆっくりと進んでいた。
ハクは、もう一頭の闘蛇に乗っている。
三頭目には、別の戦士が乗っていた。
(……今日は、ちょっとした大所帯)
ただ、全員が闘蛇に乗っているわけではない。
歩いている戦士たちの方が多い。
闘蛇は大きくて力もあるが、狭い山道では自由に動けない場所もある。
だから、山をよく知る戦士たちが先に進み、危険がないか確かめていた。
◇◇◇
昼前。
例の谷に到着した。
数日前、ソウたちと争った場所だ。
荷車はすでになく、道を作っていた男たちの姿もない。
けれど、切り倒された木や削られた岩が、あちこちに残っていた。
(……ずいぶん荒らされたなあ)
私は、地面に鼻先を近づけた。
新しく掘り返された土の匂いがする。
そこに、別の匂いが混じっていた。
人間。
それも、最近のものだ。
(……ん?)
私は顔を上げた。
セイランが、すぐに気づく。
「どうした、スイ」
私は、低く唸ってから、谷の奥へ鼻先を向けた。
セイランが目を細める。
「……誰かいるのか」
(……たぶん)
私は、もう一度鼻を鳴らした。
◇◇◇
「ゴウ、右を見ろ」
「分かった」
「ハクは、闘蛇をここで待たせろ」
「了解!」
戦士たちが、静かに散っていく。
私は、谷の入口に残った。
しばらくして。
岩陰から、三人の男が現れた。
粗末な服を着て、手には道具を持っている。
そのうち一人は、足を引きずっていた。
「……誰だ」
セイランが尋ねる。
男たちは、驚いたように立ち止まった。
「お、俺たちは……」
「ここで何をしている」
「……道を直していただけです」
ゴウが鼻を鳴らした。
「誰の許しでだ」
男は、答えなかった。
◇◇◇
セイランが、一歩前へ出た。
「この道は、白淵族と黒角族の境界にある。勝手に通すことは許さない」
「……でも」
男が、困ったように言った。
「俺たちは、言われたとおりに働いただけで……」
「誰に言われた」
「……ソウという商人に」
(……ああ)
やっぱり。
私は、静かに息を吐いた。
「ソウは捕らえた」
セイランが言った。
男たちの顔色が変わる。
「……え?」
「人を縛って運んでいた。お前たちも関わっているのか」
「ち、違います!」
男の一人が、慌てて首を振った。
「俺たちは、本当に道を作っていただけです!」
◇◇◇
ゴウが、槍を地面に突き立てた。
「ならば、なぜ逃げずに残っている」
男は、俯いた。
「……金を、まだもらっていないんです」
(……え)
「働いた分を受け取らないと、村へ帰れない」
男の声は、震えていた。
「家族が待っているんです」
私は、思わず首を傾げた。
(……なるほど)
どうやら、この人たちはソウの仲間というより、雇われた働き手らしい。
もちろん、本当かどうかは分からない。
けれど、少なくとも今の様子は、武器を持って襲ってきた男たちとは違っていた。
◇◇◇
セイランは、しばらく男たちを見つめていた。
やがて、静かに言った。
「……ここでの作業は終わりだ」
「……でも」
「金のことは、ソウに聞け」
「そんな……」
男が、顔を歪めた。
ゴウが、低く唸る。
「山を荒らしておいて、金まで寄越せと言うのか」
「ち、違います!」
男は、慌てて頭を下げた。
「そんなつもりじゃ……!」
◇◇◇
私は、少しだけ考えた。
(……難しいなあ)
この人たちが悪いのか。
ソウが悪いのか。
それとも、もっと別の誰かが悪いのか。
私には分からない。
ただ、目の前の男たちが、困っていることだけは確かだった。
◇◇◇
「……セイラン」
ハクが、小さく声をかけた。
「どうする?」
セイランは、少し考えた。
「道具を置いて、山を下りろ」
男たちは、顔を上げた。
「……それだけで?」
「二度と、許しなく入るな」
「……はい!」
男たちは、何度も頭を下げた。
ゴウは、不満そうだった。
「甘いな」
セイランが答える。
「ここで斬っても、道は元に戻らない」
ゴウは、しばらく黙っていた。
やがて、鼻を鳴らす。
「……確かにな」
◇◇◇
男たちが去ったあと。
戦士たちは、道を塞ぐ作業に取りかかった。
切り倒された木を運び、岩を積み、狭い場所を埋めていく。
私は、大きな丸太を運ぶ役目を任された。
(……おお)
これは、得意分野です。
私は、丸太を口でくわえ、ゆっくりと引きずった。
ずるずる。
ずるずる。
「スイ、そこだ!」
セイランが指示する。
私は、丸太を地面へ置いた。
どんっ。
「よし!」
(……ふふん)
どうですか。
九メートルの力仕事。
なかなか便利でしょう。
◇◇◇
昼過ぎ。
道は、ほとんど塞がった。
最後に、ゴウが大きな岩を積み上げる。
「……これでいい」
セイランが、周囲を見渡した。
「しばらくは、見張りを置く」
ハクが頷く。
「黒角族にも知らせる?」
「ああ。向こう側も塞いでもらう」
◇◇◇
私は、塞がれた道を見つめた。
数日前まで、ここには人が通れる道があった。
荷車が通り、武器を持った男たちが行き来していた。
今は、丸太と岩が積み重なっている。
(……これで、終わりかな)
少なくとも、ここを簡単に通ることはできなくなった。
それだけで、少し安心した。
◇◇◇
帰り道。
セイランが、私の背で小さく息を吐いた。
「……スイ」
私は、耳を動かした。
「お前は、どう思う」
(……え?)
突然の問いかけに、少し驚いた。
もちろん、答えることはできない。
セイランは、私の首筋を軽く叩いた。
「……いや、何でもない」
(……何ですか、それ)
私は、少しだけ鼻を鳴らした。
◇◇◇
夕方。
集落へ戻ると、レンが迎えてくれた。
「おかえり!」
私は、ゆっくりと首を下げた。
「道、塞げた?」
セイランが頷く。
「ああ。しばらくは大丈夫だろう」
レンは、ほっとしたように笑った。
「よかった」
◇◇◇
その夜。
私は、川辺で身体を休めていた。
ガンが、少し離れた場所で眠っている。
空には、星が出ていた。
山の外では、秦と魏の戦が始まろうとしている。
けれど、白淵族の山では、今日も自分たちの暮らしを守るために動いていた。
(……山の掟、か)
勝手に入るな。
勝手に奪うな。
山を荒らすな。
言葉にすれば、簡単なことだ。
でも、それを守らせるためには、力が必要になる。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
この山で生きるということは、ただ静かに暮らすことではない。
必要なときには、戦うこと。
そして、戦わなくていいときには、戦わないこと。
(……難しいなあ)
私は、鼻先を前脚の上に乗せた。
でも。
セイランたちと一緒なら、少しずつ分かっていける気がした。
そう思いながら、私は眠りについた。