秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第五十三話 山の外の戦

 

「秦と趙の軍が、ぶつかったそうです!」

 

夜の集落に響いた声を聞いて、私は顔を上げた。

 

(……あら、始まったんだ)

 

秦と趙。

 

ついこの間まで、秦は魏と戦っていたはずだ。

 

今度は趙らしい。

 

(……忙しい時代ですねえ)

 

前世で映画を観ていた頃は、次から次へと戦が起きても、物語だからそんなものだと思っていた。

 

でも、今は違う。

 

山の向こうでは、本当に人が戦っている。

 

そう考えると、少し不思議な気持ちになる。

 

もっとも。

 

「……それで?」

 

族長の声がした。

 

(……あ)

 

私は、思わず瞬きをした。

 

「はっ?」

 

知らせを持ってきた若い戦士も、少し驚いたようだった。

 

「秦と趙が、戦を始めたそうです」

 

「それは聞いた」

 

族長は、落ち着いた声で続けた。

 

「南の道に、何か変わりはあるか」

 

「……いえ。今のところは」

 

「ならば、見張りを続けろ」

 

「……はい!」

 

話は、それで終わった。

 

(……終わり?)

 

私は、少し拍子抜けした。

 

いや、確かにそうだ。

 

秦と趙が戦ったところで、白淵族が何かするわけではない。

 

ここは秦の領地ではないし、趙の領地でもない。

 

山の中で、闘蛇とともに暮らす一族なのだ。

 

(……そりゃ、そうですよね)

 

私は、静かに鼻を鳴らした。

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

集落は、いつもどおりだった。

 

レンは闘蛇たちの餌を用意し、トウエンは若い世話役を叱っている。

 

ハクは、朝から何かを食べながら歩いていた。

 

「……ハク」

 

セイランが声をかける。

 

「何?」

 

「それは、どこから持ってきた」

 

「え?」

 

ハクが手元を見る。

 

そこには、干した魚があった。

 

「……あ」

 

「闘蛇の餌だろう」

 

「一つくらい、いいじゃん」

 

「よくない」

 

(……おや)

 

私は、思わず顔を上げた。

 

ちょっと待って。

 

それ、私たちのご飯ですか?

 

ハクは、私の視線に気づいた。

 

「……スイ、そんな顔するなよ」

 

(……どんな顔ですか)

 

私は、じっと見つめた。

 

ハクは、少し気まずそうに笑った。

 

「……あとで返すから」

 

(……食べたものをどうやって?)

 

セイランが、呆れたように息を吐いた。

 

「レンに謝ってこい」

 

「はいはい」

 

(……二回言いましたね)

 

私は、静かに鼻を鳴らした。

 

◇◇◇

 

昼前。

 

私は、川辺で身体を休めていた。

 

昨日、餌を食べなくなっていたナギは、少しずつ元気を取り戻している。

 

今朝は、レンが差し出した魚を自分から食べたそうだ。

 

(……よかった)

 

私は、ゆっくりと目を閉じた。

 

そんなとき。

 

「スイ!」

 

レンの声がした。

 

(……はいはい)

 

私は、顔を上げた。

 

レンは、何やら困った顔をしている。

 

「ちょっと、こっち来てくれないか」

 

(……また何か?)

 

私は、身体を起こした。

 

◇◇◇

 

連れていかれたのは、闘蛇たちの飼育地だった。

 

そこには、若い闘蛇が二頭いた。

 

一頭は、先日体調を崩したナギ。

 

もう一頭は、同じくらいの大きさの雄だった。

 

二頭は、互いに距離を取りながら、じっと睨み合っている。

 

(……あら)

 

何やら、不穏な空気。

 

「昨日から、ずっとこうなんだ」

 

レンが言った。

 

「餌の場所を取り合ってるみたいで」

 

(……なるほど)

 

私は、少しだけ首を傾げた。

 

若い闘蛇同士の喧嘩。

 

人間でいうところの、思春期の揉め事だろうか。

 

……いや、違うかもしれない。

 

私は、ゆっくりと近づいた。

 

二頭が、こちらを見る。

 

私は、低く喉を鳴らした。

 

ぐるる。

 

ナギが、少しだけ首を下げる。

 

もう一頭も、ゆっくりと後ずさった。

 

(……よしよし)

 

私は、二頭の間に身体を入れた。

 

すると。

 

ナギが、私の尻尾を軽く噛んだ。

 

(……痛っ!)

 

私は、思わず振り返った。

 

ナギは、何事もなかったような顔をしている。

 

(……ちょっと!)

 

私は、低く唸った。

 

ナギが、慌てて離れた。

 

レンが、声を上げて笑う。

 

「スイ、怒った!」

 

(……そりゃ怒りますよ!)

 

私は、鼻を鳴らした。

 

◇◇◇

 

結局、二頭の餌場を少し離すことで、喧嘩は落ち着いた。

 

レンは、ほっとしたように息を吐いた。

 

「助かったよ、スイ」

 

(……どういたしまして)

 

私は、少しだけ胸を張った。

 

もっとも、尻尾はまだ少し痛い。

 

(……最近の若い子は、元気ですねえ)

 

自分も十分若い気がするけれど。

 

◇◇◇

 

その日の午後。

 

南の道から、黒角族の使いが来た。

 

ただし、今度は戦の知らせではなかった。

 

「南の境に、見慣れない者がいた」

 

族長の家で、使いの男が報告する。

 

「何人だ」

 

セイランが尋ねた。

 

「四人。武器を持っていたが、こちらへ入ろうとはしなかった」

 

「何をしていた」

 

「山道を見ていた」

 

ゴウが、低く唸った。

 

「……またか」

 

(……またですか)

 

私は、思わず顔を上げた。

 

南の道の事件は、ようやく落ち着いたと思っていたのに。

 

「ソウの仲間か?」

 

セイランが尋ねる。

 

「分からん。ただ、以前の者たちとは違う」

 

「どう違う」

 

「服も、持ち物も、平地の商人には見えなかった」

 

族長が、少しだけ眉をひそめた。

 

「……戦から逃れてきた者かもしれんな」

 

「その可能性はある」

 

使いの男が頷く。

 

「だが、まだ何も分からん」

 

族長は、しばらく考えた。

 

「見張りを増やす必要はない。今いる者たちに、注意だけ伝えろ」

 

「……よろしいのですか」

 

「山へ入ってきたわけではない」

 

族長は、静かに答えた。

 

「外にいる者まで、いちいち追いかけていてはきりがない」

 

(……なるほど)

 

私は、少し感心した。

 

白淵族は、決して平地の人間に友好的な一族ではない。

 

けれど、だからといって、見つけた相手に片っ端から喧嘩を売るわけでもない。

 

自分たちの山へ入ってこない限り、必要以上には関わらない。

 

それが、この一族のやり方なのだ。

 

◇◇◇

 

夕方。

 

私は、川辺でガンと並んで休んでいた。

 

少し離れたところでは、セイランとゴウが話している。

 

「……平地の戦か」

 

ゴウが、鼻を鳴らした。

 

「勝手にやっていればいい」

 

「そうだな」

 

セイランが頷く。

 

「だが、山へ逃げ込んでくる者がいれば、話は別だ」

 

「そのときは追い返すだけだ」

 

「……ああ」

 

二人の会話は、それだけだった。

 

(……実に分かりやすい)

 

私は、少し笑いたくなった。

 

秦が勝とうが、趙が勝とうが。

 

白淵族にとっては、どうでもいいことなのだ。

 

ただ、自分たちの山を荒らされることだけは許さない。

 

◇◇◇

 

その夜。

 

私は、川の中で身体を休めていた。

 

冷たい水が、鱗の間を流れていく。

 

空には、星が出ていた。

 

山の外では、秦と趙が戦っているらしい。

 

けれど、この山では、今日もいつもどおりの一日が終わった。

 

レンが笑い、ハクが怒られ、ナギが私の尻尾を噛んだ。

 

(……最後のは、余計でしたけど)

 

私は、静かに目を閉じた。

 

戦のことは、よく分からない。

 

誰が勝つのかも、知らない。

 

でも、ここで暮らす皆のことなら、少しずつ分かるようになってきた。

 

それで、今は十分だと思う。

 

私は、ゆっくりと水へ潜った。

 

山の外の戦は、まだ遠い。

 

少なくとも、今夜は。

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