秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第五十四話 境の向こうの四人

 

知らない人が家の前をうろうろしていたら、どうするだろう。

 

前世の私なら、まず窓から様子を見たと思う。

 

それでも帰らなければ、鍵を確かめる。

 

怖そうな相手だったら、外には出ない。

 

至って普通の対応である。

 

では、白淵族の場合はどうか。

 

「まだいるなら、捕まえればいいだろう」

 

ゴウが言った。

 

(……うん。そうなるよね)

 

私は、川辺で魚を食べながら納得した。

 

こちらの人たちは、窓から様子を見るより先に槍を持つ。

 

ただし、今回は族長から「手を出すな」と言われている。

 

相手はまだ、山へ入っていないからだ。

 

「境の外にいるだけなら、好きにさせておけ」

 

族長の判断は変わらなかった。

 

ゴウは不満そうだったけれど、命令には従った。

 

(……意外と規律正しいんですよね)

 

白淵族の戦士たちは、気性こそ荒いが、勝手に動く者は少ない。

 

山での争いは、一人の軽率な行動が一族全体を危険にさらす。

 

それを、皆よく知っているのだろう。

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

私は、セイランとハクに連れられて南の境へ向かった。

 

今回は見回りのついでだという。

 

同行する戦士は六人。

 

闘蛇は私と、ハクの乗る一頭だけだった。

 

「四人がまだいるか、確かめるだけだ」

 

セイランが言う。

 

「近づいてきても、こちらから仕掛けるな」

 

「分かってるって」

 

ハクが答えた。

 

ゴウがいないせいか、今日は少し穏やかな雰囲気である。

 

(……平和に終わるといいですねえ)

 

私は、ゆっくりと山道を進んだ。

 

◇◇◇

 

南の境は、白淵族と黒角族が見張りを置く山道のさらに外側にある。

 

大きな岩が二つ並び、その間を細い道が抜けている。

 

岩には古い傷が刻まれていた。

 

山の民にとっては、それが境を示す印なのだという。

 

平地の人間が見ても、ただの傷にしか見えないだろう。

 

(……知らないと分からない仕組み)

 

私は、少し感心した。

 

山の民は、何でも看板に書いて知らせたりしない。

 

そもそも、よそ者に親切に教える必要がないのだ。

 

◇◇◇

 

「……いた」

 

先を歩いていた戦士が、小さく言った。

 

岩の向こう。

 

少し開けた場所に、四人の男がいた。

 

一人は座り込み、二人は周囲を見張っている。

 

もう一人は、木の枝を使って地面に何かを描いていた。

 

(……何してるんだろう)

 

私は、岩陰からそっと覗いた。

 

男たちは、商人には見えなかった。

 

荷物が少なく、衣服は汚れている。

 

腰には剣を下げていた。

 

ただ、立派な鎧を着ているわけでもない。

 

(……兵士、なのかな)

 

前世の映画で見た兵士たちは、もっと揃った格好をしていた気がする。

 

もちろん、実際の兵士が全員同じ装備を持っているとは限らない。

 

私には、判断がつかなかった。

 

◇◇◇

 

「……何者だ」

 

セイランが声をかけた。

 

四人が、一斉に振り向いた。

 

そのうち一人が、剣に手をかける。

 

「動くな」

 

セイランの声が低くなった。

 

ハクが、闘蛇の首筋を軽く叩く。

 

私は、ゆっくりと岩陰から姿を現した。

 

四人の顔色が変わった。

 

「……なっ!」

 

「ば、化け物……!」

 

(……失礼な)

 

私は、少しだけ鼻を鳴らした。

 

ただし、威嚇はしない。

 

今のところ、相手は何もしていないのだ。

 

◇◇◇

 

「ここから先は、我らの山だ」

 

セイランが言った。

 

「何をしている」

 

四人のうち、年長らしい男が一歩前へ出た。

 

「……道を探している」

 

「何のために」

 

「北へ抜けたい」

 

「なぜだ」

 

男は、少し迷ったようだった。

 

やがて、低い声で言った。

 

「……戦から離れたい」

 

(……あ)

 

私は、思わず瞬きをした。

 

やっぱり。

 

「どこの者だ」

 

「趙の南にいた」

 

「兵か」

 

男は、答えなかった。

 

その沈黙が、答えのようなものだった。

 

◇◇◇

 

「戦を捨てて逃げてきたのか?」

 

ハクが尋ねる。

 

男の一人が、顔を歪めた。

 

「……俺たちは、もう戦いたくない」

 

その声には、疲れが滲んでいた。

 

「何日も歩いた。食い物もない。追っ手が来るかもしれない」

 

セイランは、黙って聞いていた。

 

「山を越えれば、逃げられると思った」

 

「この山を?」

 

「ああ」

 

セイランの目が、少し細くなった。

 

「誰に聞いた」

 

男は、首を振った。

 

「……南の町で、山を抜ける道があると聞いた」

 

(……また、その話か)

 

私は、心の中でため息をついた。

 

ソウたちが勝手に作った道。

 

あの道の噂が、まだ残っているのだろう。

 

◇◇◇

 

「その道は、もうない」

 

セイランが言った。

 

「ここから先へは入れん」

 

男たちが、顔を見合わせた。

 

「……頼む」

 

年長の男が言った。

 

「通してくれ。俺たちは、ただ逃げたいだけなんだ」

 

「駄目だ」

 

セイランは、即答した。

 

(……早い)

 

少しも迷わなかった。

 

「ここは、お前たちの逃げ道ではない」

 

男が、唇を噛む。

 

「……見捨てるのか」

 

セイランの表情は変わらなかった。

 

「山へ入れれば、我らの一族が危険にさらされる」

 

「俺たちは何もしない!」

 

「それを、どう確かめる」

 

男は、答えられなかった。

 

◇◇◇

 

私は、四人を見つめた。

 

疲れ切った顔。

 

汚れた服。

 

痩せた身体。

 

確かに、かわいそうだと思う。

 

でも。

 

もし、この人たちを通してしまったら。

 

次は十人。

 

その次は百人。

 

戦から逃げる人たちが、山へ押し寄せてくるかもしれない。

 

(……それは、困る)

 

白淵族は、大きな国ではない。

 

山の中で、自分たちの暮らしを守っているだけの一族だ。

 

誰も彼も助けられるわけではない。

 

◇◇◇

 

「……南へ戻れ」

 

セイランが言った。

 

「ここから西へ行けば、別の道がある。山へ入らずに抜けられる」

 

男が、顔を上げた。

 

「……本当か」

 

「ああ。ただし、遠回りだ」

 

「……それでもいい」

 

セイランは、少し考えたあと、ハクに目を向けた。

 

「水を渡せ」

 

ハクが、腰の水袋を一つ外した。

 

「ほら」

 

男は、驚いたように受け取った。

 

「……いいのか」

 

「ここで倒れられても困るからな」

 

ハクが、肩をすくめた。

 

(……なるほど)

 

親切なのか、冷たいのか。

 

よく分からない。

 

でも、白淵族らしい対応だと思った。

 

◇◇◇

 

四人は、何度も頭を下げて去っていった。

 

その後ろ姿を見送りながら、ハクが呟く。

 

「……戦って、嫌だな」

 

セイランが頷く。

 

「ああ」

 

「逃げたくなる気持ちは、分からなくもない」

 

「だが、通せん」

 

「……分かってるよ」

 

ハクは、少しだけ息を吐いた。

 

◇◇◇

 

帰り道。

 

私は、セイランを背に乗せながら考えていた。

 

(……難しいですねえ)

 

助けたいと思うこと。

 

実際に助けられること。

 

その二つは、必ずしも同じではない。

 

白淵族の人たちは、決して冷たいわけではない。

 

ただ、自分たちが守れる範囲を知っているのだ。

 

(……それって、大事なことかもしれない)

 

私は、ゆっくりと歩いた。

 

◇◇◇

 

集落へ戻ると、レンが迎えてくれた。

 

「おかえり!」

 

私は、首を下げた。

 

「何かあった?」

 

ハクが答える。

 

「戦から逃げてきた連中がいた」

 

レンが、少し驚いた顔をした。

 

「……山へ入ったの?」

 

「いや。帰した」

 

「そっか」

 

レンは、それ以上何も聞かなかった。

 

◇◇◇

 

その夜。

 

私は、川辺で身体を休めていた。

 

遠くでは、若い闘蛇たちが水を跳ねさせて遊んでいる。

 

ナギも、すっかり元気になったようだ。

 

(……よかった)

 

私は、少しだけ目を細めた。

 

山の外では、秦と趙が戦っている。

 

その戦から逃げてきた人たちが、今日、山の境まで来た。

 

けれど、白淵族は通さなかった。

 

それが正しいことなのか、私には分からない。

 

ただ、一つだけ分かる。

 

ここにいる皆を守るためには、何でも受け入れるわけにはいかないのだ。

 

(……大変だなあ、山の民も)

 

私は、静かに息を吐いた。

 

前世で映画を観ていた頃、山の民は格好いいと思っていた。

 

強くて、自由で、誰にも従わない。

 

でも、実際にその中で暮らしてみると、自由でいるためにも、守らなければならないものがたくさんある。

 

私は、ゆっくりと目を閉じた。

 

明日も、いつもどおりの朝が来るといい。

 

そう願いながら、眠りについた。

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