最近、私には気になる相手がいる。
男だ。
ただし、人間ではない。
闘蛇である。
(……いや、別に恋愛的な意味じゃないからね?)
相手は、先日一緒に荷運びをした雄の闘蛇。
私より一回り小柄で、背中が広く、歩き方がとにかく上手い。
あの安定感。
無駄のない足運び。
荷物を積んでいるのに、まるで何も背負っていないかのような落ち着き。
(……職人だ。完全に職人の動きだ)
私は勝手に、彼を師匠と呼ぶことにした。
もちろん、心の中だけで。
「スイ、またそいつのところにいるのか」
魚の籠を持ってきたレンが笑った。
私は、師匠の隣に伏せたまま顔を上げる。
「気に入ったんだな」
(いや、気に入ったというか。弟子入り希望というか)
私は鼻を鳴らした。
師匠は、ちらりとこちらを見ただけで、また目を閉じた。
(……かっこいいな、この余裕)
◇◇◇
白淵族には、五十頭ほどの闘蛇がいる。
そのうち、戦闘に出られるのは十五頭ほど。
私やガンのように、戦士を背に乗せ、敵の中へ飛び込める個体だ。
もっとも、十五頭全員が同じ強さというわけではない。
身体の大きさも違えば、得意な動きも違う。
そして、戦闘に向かない闘蛇たちもいる。
気性が穏やかだったり、激しい動きを苦手としていたり。
人を乗せることはできても、戦場には出せない個体もいる。
そんな闘蛇たちは、荷運びや移動の仕事を担当していた。
まだ若い闘蛇や、年を取って仕事を退いた闘蛇もいる。
(……五十頭もいると、個性がすごいんだよね)
喧嘩っ早いのもいれば、食べることしか考えていないのもいる。
……後者については、私もあまり人のことを言えない。
◇◇◇
「レン」
飼育地に、トウエンがやってきた。
「北の貯蔵小屋へ木材を運ぶ。三頭出せ」
「分かりました」
レンが頷く。
トウエンは、私を見た。
「スイも連れていけ」
(……ん?)
私は顔を上げた。
「この前、荷を揺らしていたそうだな」
(……誰だ、そんなこと言ったの)
レンが、少しだけ笑った。
「ハクです」
(ハクかー!)
私は、思わず尻尾を揺らした。
「スイ、暴れるな」
(いや、暴れてないけど!)
トウエンは、真面目な顔で続ける。
「重い荷を運ぶときは、速さより安定だ。覚えさせろ」
「はい」
(……なるほど)
どうやら、今日は荷運びの特訓らしい。
私は、隣の師匠を見た。
師匠は、相変わらず動かない。
(よし。今日こそ技を盗むぞ)
◇◇◇
北の貯蔵小屋へ向かう道は、南の湿地とはまるで違った。
細い山道。
急な坂。
大きな岩。
そして、ところどころ崩れかけた足場。
(……うわ、これ嫌な道だな)
私の背中には、木材を束ねた荷物。
隣には師匠。
後ろには、もう一頭の運搬用の闘蛇がいる。
三頭で、ゆっくりと進んでいた。
「スイ、急ぐなよ」
レンが声をかける。
(分かってるって)
私は慎重に足を運んだ。
……つもりだった。
「おい、スイ!」
(え?)
背中の木材が、ぐらりと揺れた。
「あー、もう!」
レンが慌てて縄を締め直す。
「だから急ぐなって!」
(いや、今のは道が悪いでしょ!)
私は、少しだけ不満を込めて鼻を鳴らした。
レンは、呆れたように笑った。
「はいはい。道のせいな」
(……バレてる)
◇◇◇
しばらく進むと、道が急に狭くなった。
片側は岩壁。
反対側は、急な斜面。
(……うわあ)
私は、思わず足を止めた。
背中の木材が、また少し揺れる。
「スイ、そこで止まるな」
レンが言った。
(いや、怖いんだけど!)
私は、ゆっくりと前脚を出した。
そのとき。
師匠が、私の横を静かに通り過ぎた。
一歩。
また一歩。
身体をほとんど揺らさず、狭い道を進んでいく。
(……え、すご)
私は、思わず見入った。
師匠は、特別なことをしているようには見えない。
ただ、足を置く場所を慎重に選んでいる。
身体を岩壁に寄せ、荷物が斜面側へ傾かないようにしている。
(……なるほど。重心か)
私は、師匠の動きを真似した。
足を置く。
身体を少し寄せる。
尻尾で、ゆっくりと釣り合いを取る。
一歩。
また一歩。
すると。
「……お」
レンが声を上げた。
「いいぞ、スイ!」
(やった!)
私は、思わず尻尾を振りそうになった。
……危ない。
今は駄目だ。
(落ち着け、私。ここで喜んだら全部台無し)
私は、慎重に歩き続けた。
◇◇◇
貯蔵小屋に着いた頃には、すっかり昼を過ぎていた。
レンたちが荷物を下ろしている間、私は地面に伏せた。
(……疲れたあ)
戦うより疲れたかもしれない。
いや、さすがにそれは言い過ぎか。
でも、ずっと慎重に歩くのは、思った以上に神経を使う。
私は、隣の師匠を見た。
師匠は、いつもどおり落ち着いている。
(……いや、本当にすごいな)
私は、少しだけ感心した。
◇◇◇
帰り道。
レンが、私の隣を歩きながら言った。
「スイ、今日はよく頑張ったな」
(へへ。でしょ?)
私は、少しだけ胸を張った。
「でも、荷運びならあいつの方が上手いだろ?」
(……うん。それは認める)
私は、師匠の背中を見た。
レンが笑う。
「闘蛇にも向き不向きがあるんだよ」
(そうだね)
「スイは、戦士を乗せて動くのが得意だ。あいつは、荷物を運ぶのが得意」
レンは、少しだけ目を細めた。
「どっちも、一族には必要なんだ」
私は、ゆっくりと瞬きをした。
(……うん)
それは、きっとそのとおりだ。
◇◇◇
集落へ戻ると、ハクが待っていた。
「お、スイ! 今日はどうだった?」
(……あ)
私は、足を止めた。
ハク。
そういえば、あなた。
(……告げ口したな?)
私は、じっと見つめた。
ハクが、少しだけ後ずさる。
「……何だよ、その目」
私は、一歩近づいた。
「おい?」
もう一歩。
「……スイ?」
(ふふふ)
ハクが、慌てて逃げ出した。
「うわっ! やめろって!」
私は、少しだけ追いかけた。
もちろん、本気ではない。
本気で追いかけたら、たぶん大変なことになる。
(待てー! 告げ口魔ー!)
ハクの悲鳴と、レンの笑い声が集落に響いた。
◇◇◇
その夜。
私は、川辺で身体を休めていた。
今日も、よく働いた。
荷物を運び、師匠の技を盗み、ハクを追いかけた。
なかなか充実した一日である。
(……運送業者も楽じゃないなあ)
私は、静かに鼻を鳴らした。
でも、悪くない。
戦うことだけが、闘蛇の役割ではない。
荷物を運ぶこと。
人を乗せること。
若い闘蛇を育てること。
それぞれが、自分にできることをして、一族の暮らしを支えている。
私は、少しだけ誇らしくなった。
(……よし。明日も師匠の技を盗もう)
そう考えながら、目を閉じた。
遠くで、若い闘蛇たちが水を跳ねさせている。
白淵族の夜は、今日も静かだった。