秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第九話 一族の平和を守りたい

 

平和というものは、実に素晴らしい。

 

朝起きれば、ご飯がある。

 

昼になれば、水浴びができる。

 

夜になれば、安心して眠れる。

 

何より、命の危険がない。

 

……。

 

うむ。

 

最高である。

 

前世では、平和な暮らしというものを当たり前のように享受していた。

 

だが、今は違う。

 

ここは山奥。

 

しかも、どうやら古代中国に似た世界らしい。

 

野生の獣はいるし、山道は険しいし、病気になっても近代的な病院などない。

 

……。

 

(……よく考えると)

 

(……結構、危険な場所だよね)

 

私は水辺で身体を伸ばしながら、そんなことを考えていた。

 

まあ、それでも。

 

白淵族の暮らしは、比較的穏やかだ。

 

レンは今日も元気に魚を運んでいる。

 

族長は集落の仕事を取りまとめている。

 

セイランは相変わらず、恐ろしく顔が良い。

 

……。

 

(……うん)

 

今日も平和である。

 

少なくとも、この時までは。

 

◇◇◇

 

「スイ!」

 

レンが駆け寄ってきた。

 

……。

 

(……おや)

 

私は顔を上げた。

 

いつもなら、ここで魚が登場するはずなのだが。

 

今日は違った。

 

レンの表情が、少し硬い。

 

「ちょっと、こっちに来てくれる?」

 

……。

 

…………。

 

(……ん?)

 

私は首を傾げた。

 

どうしたのだろう。

 

レンは私の頭を撫でた。

 

「大丈夫。怖いことじゃないから」

 

……。

 

…………。

 

(……いや)

 

その言い方。

 

逆に怖いんですけど。

 

私は少し不安になりながら、レンについていった。

 

◇◇◇

 

向かった先は、集落の広場だった。

 

そこには、族長とトウエン。

 

そして、セイランがいた。

 

……。

 

…………。

 

(……おお)

 

我が一族の美形が勢揃いである。

 

これはなかなか、贅沢な光景だ。

 

……。

 

(……眼福)

 

私は思わず喉を鳴らした。

 

すると、セイランがこちらを見た。

 

「……来たか」

 

……。

 

(……はい)

 

私は素直に近づいた。

 

族長は、地面に広げられた木片を見ていた。

 

そこには、山道のようなものが描かれている。

 

……。

 

(……地図?)

 

私は少し興味を持った。

 

「昨日の商人の話だ」

 

族長が言った。

 

「山の外で、兵の動きが増えているらしい」

 

……。

 

…………。

 

(……兵)

 

私は耳を澄ませた。

 

「秦の兵か?」

 

セイランが尋ねた。

 

「そうとは限らん。だが、東の道を通る者が増えているそうだ」

 

……。

 

(……ふむ)

 

なるほど。

 

山の外が、少し騒がしくなっているらしい。

 

「今のところ、我らの山に直接の影響はない」

 

族長は続けた。

 

「だが、備えは必要だ」

 

……。

 

…………。

 

(……うん)

 

それはそうだ。

 

平和な時ほど、備えが大切。

 

前世でも、災害対策は重要だった。

 

……。

 

(……まあ)

 

私の場合、非常食より先に魚を確保したくなるけれど。

 

◇◇◇

 

「問題は、北の道だ」

 

トウエンが言った。

 

「最近、獣が増えている。商人たちが通る道にも出るようになった」

 

……。

 

…………。

 

(……獣)

 

私は思い出した。

 

先日、セイランと狩りに出た時のこと。

 

大きな角を持つ獣。

 

あれは、なかなか危険だった。

 

「道を変えるか?」

 

セイランが尋ねた。

 

「それも考えたが、南の道は湿地が深い」

 

族長が答えた。

 

「人だけなら通れるが、荷を運ぶには向かん」

 

……。

 

…………。

 

(……湿地)

 

私は首を傾げた。

 

湿地。

 

つまり、水が多い場所。

 

……。

 

(……ん?)

 

水が多い場所。

 

……。

 

…………。

 

(……あれ?)

 

それって。

 

私たちの得意分野では?

 

私は思わず顔を上げた。

 

◇◇◇

 

「……スイ?」

 

レンが私を見た。

 

私は地図に近づいた。

 

そして、鼻先で南の道を示した。

 

……。

 

…………。

 

(……ここ)

 

ここ、通れるんじゃない?

 

少なくとも、闘蛇なら。

 

「……何だ?」

 

トウエンが首を傾げた。

 

私はもう一度、鼻先で地図を押した。

 

……。

 

…………。

 

(……ここ!)

 

「南の道か?」

 

族長が呟いた。

 

……。

 

(……そう!)

 

私は嬉しくなって喉を鳴らした。

 

セイランが私を見た。

 

そして、少し考え込んだ。

 

「……闘蛇か」

 

……。

 

…………。

 

(……!!)

 

そう!

 

それ!

 

「闘蛇なら、湿地を越えられる」

 

セイランが続けた。

 

「荷を運ばせることもできる」

 

……。

 

…………။

 

(……そうそう!)

 

私は思わず尻尾を振った。

 

……が。

 

途中で止めた。

 

危ない。

 

地図が吹き飛ぶところだった。

 

トウエンは腕を組んだ。

 

「確かに、闘蛇なら問題なく通れる。だが、荷を背負わせて長い距離を歩かせたことはない」

 

……。

 

…………。

 

(……なるほど)

 

そこは、確かに問題だ。

 

人間と違って、闘蛇は自分で荷物を背負えない。

 

鞍や縄で固定する必要がある。

 

しかも、湿地では荷が濡れる可能性もある。

 

……。

 

(……うーん)

 

私は少し考えた。

 

ならば。

 

最初から、全部運ぼうとしなければいいのでは?

 

私は地図の南の道を鼻先でなぞった。

 

そして、途中で止めた。

 

……。

 

…………။

 

(……ここまで)

 

「……途中で止まったな」

 

族長が言った。

 

私は頷いた。

 

「……荷を運ぶ場所を分ける、ということか?」

 

……。

 

…………။

 

(……おお!)

 

さすが族長!

 

話が早い!

 

私は嬉しくなって、何度も頷いた。

 

族長は少し笑った。

 

「なるほど。湿地を越える部分だけ、闘蛇に運ばせる」

 

……。

 

(……そう!)

 

「その先は、人が運べばいい」

 

……。

 

…………。

 

(……正解!)

 

私は満足げに喉を鳴らした。

 

レンが目を丸くしていた。

 

「……スイ、本当に分かってるの?」

 

……。

 

…………。

 

(……分かってますとも)

 

私は堂々と胸を張った。

 

すると、後ろにいた闘蛇も胸を張った。

 

……。

 

…………。

 

(……あ)

 

またついてきてた。

 

◇◇◇

 

「……試してみる価値はあるな」

 

族長が言った。

 

「まずは少量の荷で試そう。無理があるようなら、別の方法を考える」

 

トウエンも頷いた。

 

「闘蛇の負担を見ながら、少しずつだな」

 

……。

 

…………。

 

(……うん)

 

それがいい。

 

いきなり重い荷物を背負わされたら、私だって嫌だ。

 

何しろ、私は闘蛇である。

 

力はある。

 

だが、無限ではない。

 

……。

 

(……それに)

 

(……疲れたら、お腹が空くし)

 

そこは大事である。

 

非常に大事。

 

セイランが私の頭に手を置いた。

 

「……よく気づいたな」

 

……。

 

…………。

 

(……ふふん)

 

私は少し得意げになった。

 

すると、セイランは小さく笑った。

 

「お前は、本当に変わった奴だ」

 

……。

 

…………。

 

(……奴)

 

闘蛇なのに。

 

奴。

 

……。

 

…………。

 

(……まあ、いいか)

 

相棒ですからね。

 

◇◇◇

 

数日後。

 

私たちは、南の湿地へ向かった。

 

参加するのは、私と数頭の闘蛇。

 

そして、レン、トウエン、セイラン。

 

……。

 

…………。

 

(……豪華)

 

美形三人とお出かけ。

 

何という贅沢。

 

私は上機嫌で歩き出した。

 

すると、後ろの闘蛇たちもついてきた。

 

……。

 

(……よし)

 

スイ族、出動である。

 

◇◇◇

 

湿地は、思った以上に深かった。

 

人間が歩けば、膝まで泥に沈む場所もある。

 

だが、私たち闘蛇にとっては、何ということもない。

 

身体が大きく、四肢がしっかりしている。

 

水の中でも、尻尾を使えば進める。

 

……。

 

(……ふふん)

 

これぞ、闘蛇の本領発揮である。

 

私は先頭を進んだ。

 

後ろには、仲間たち。

 

その背には、試験用の荷物が固定されている。

 

……。

 

…………。

 

(……うん)

 

今のところ、問題ない。

 

私は時々振り返り、皆の様子を確認した。

 

すると、一頭が少し遅れていた。

 

……。

 

(……おや)

 

私は足を止めた。

 

その子は、まだ若い闘蛇だった。

 

背中の荷が少し傾いている。

 

……。

 

…………。

 

(……あ)

 

まずい。

 

私は慌てて近づいた。

 

すると、闘蛇は不安そうに喉を鳴らした。

 

……。

 

(……大丈夫)

 

私は鼻先で荷を押さえた。

 

そして、レンの方を見た。

 

「……スイ?」

 

……。

 

(……ここ!)

 

私は荷を鼻先で示した。

 

レンがすぐに気づいた。

 

「あっ、縄が緩んでる!」

 

……。

 

…………。

 

(……そうそう)

 

レンは慌てて縄を締め直した。

 

「ありがとう、スイ!」

 

……。

 

(……どういたしまして)

 

私は満足げに頷いた。

 

すると、後ろの闘蛇たちも頷いた。

 

……。

 

…………။

 

(……いや)

 

君たちは何もしてないでしょうが。

 

◇◇◇

 

試験は、無事に成功した。

 

荷物は濡れず、闘蛇たちにも大きな負担はなかった。

 

何より、北の危険な道を避けられる可能性が見えた。

 

「……使えるな」

 

トウエンが呟いた。

 

「これなら、商人たちの荷も運べるかもしれん」

 

族長も満足そうに頷いた。

 

「まずは道を整えよう。闘蛇に無理をさせず、人も安全に通れるように」

 

……。

 

…………。

 

(……うん)

 

それがいい。

 

私は嬉しくなって喉を鳴らした。

 

すると、セイランが私を見た。

 

「……スイ」

 

……。

 

(……はい)

 

「よくやった」

 

……。

 

…………。

 

(……!!)

 

褒められた。

 

セイランに。

 

褒められた。

 

……。

 

…………。

 

(……最高)

 

私は思わず尻尾を振った。

 

ばしゃん!!

 

……。

 

…………。

 

(……あ)

 

またやった。

 

水しぶきが盛大に上がり、レンがびしょ濡れになった。

 

「スイー!!」

 

……。

 

…………。

 

(……ごめん)

 

本当に。

 

悪気はないのです。

 

◇◇◇

 

その日の夜。

 

私は水辺で身体を丸めていた。

 

隣には、今日一緒に働いた仲間たち。

 

皆、少し疲れた様子で眠っている。

 

……。

 

(……お疲れさま)

 

私はそっと尻尾を動かし、近くの闘蛇の背中に触れた。

 

すると、その子は安心したように喉を鳴らした。

 

……。

 

…………。

 

(……ふふ)

 

今日、私は少しだけ。

 

白淵族の役に立てた気がする。

 

もちろん、今までも狩りには参加していた。

 

セイランを乗せて走り、獲物を追い、仲間たちと暮らしてきた。

 

だが、今日は少し違った。

 

自分で考えたことが、誰かの役に立った。

 

……。

 

(……いいなぁ)

 

私はぼんやりと空を見上げた。

 

山の向こうでは、何が起きているのだろう。

 

秦という国。

 

兵の動き。

 

商人たちの話。

 

分からないことは、たくさんある。

 

それでも。

 

ここには、私の大切な人たちがいる。

 

レン。

 

トウエン。

 

族長。

 

セイラン。

 

そして、スイ族の仲間たち。

 

……。

 

(……うん)

 

守りたい。

 

この暮らしを。

 

この一族を。

 

……。

 

…………。

 

(……まあ)

 

そのためには、まず。

 

明日のご飯をしっかり食べないとね。

 

私は満足げに目を閉じた。

 

すると、遠くからレンの声が聞こえた。

 

「スイー! 明日は今日の分も魚を多めにするからね!」

 

……。

 

…………。

 

(……!!)

 

私は勢いよく顔を上げた。

 

魚。

 

多め。

 

……。

 

…………。

 

(……最高)

 

やっぱり。

 

白淵族は、素晴らしい一族である。

 

私は嬉しくなって喉を鳴らした。

 

すると、隣の闘蛇たちも一斉に喉を鳴らした。

 

……。

 

…………。

 

(……君たち)

 

寝てたんじゃないの?

 

私は少し笑った。

 

どうやら、スイ族の仲間たちも。

 

魚の話だけは、聞き逃さないらしい。

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