「い……、いってきます」
幸いにしてというかいつものことなのだが、朝食の席に親父の姿はなかったので羽入を見られることはなくて済んだ。……もし見られても俺が知らないふりをしていれば、いつもの親父の幻覚だということでオチがつくような気がしないでもないあたり、つくづく恐ろしい家庭に育ったものだとしみじみ思う朝だった。
「あぅ……圭一、なんだか元気がないのです」
羽入が心配そうに俺の顔を覗き込む。……うぅ、可愛いさ。可愛いが、俺の元気がないように見えるとしたら羽入のせいなのだ。本人に悪気がないのはわかっているが、俺から1メートルすら離れることができないという接近パワー型スタンドのような特徴を獲得した羽入は当然夜の間、俺の布団の中にいたわけで、思春期男子であるところの俺が寝不足になってしまう理由はお察しください。そういえば幽体なら寝る必要はないのだと言いながらもすやすやと寝息を立てていたから、寝られないわけでもないらしい。
「いや、その、……大丈夫」
寝る前だってそれなりに大変だったんだ。着替えはもちろんだが、最大の問題点は風呂だった。射程距離を考えると羽入がバスルーム内にいることは確実であり、背中を流してくれるという提案を丁重にお断りして目隠しをしてもらうのが精一杯だった。せっかくお湯にも触れられる身体だから自分も湯に浸かりたいと主張する羽入に申し訳ないとは思いつつも、服まで脱がれてはなにか大切なものを失ってしまいそうだったので昨日のところはなんとかご容赦いただいた。なみなみならぬ興味はあってもいざ手が届くところにあると躊躇してしまう俺は、欲望を持てあます標準的な中学生、前原圭一。
「そういえば羽入、ご飯とかいらなかったのか?」
話題を変えるべく、朝食の席で疑問に起こったことを聞いてみる。
「僕は神様なので食べる必要はないのです。梨花とは感覚がつながってるので梨花が食べれば味は感じられますが、普段は物に触れませんからそもそも食事はできません」
そうか、梨花ちゃんのそばにいるときはいまの半分生身状態じゃなかったんだな。……あれ? でもそれなら、昨日食べたシュークリームはいったいどこに行くんだよ?
「あぅ……僕にもよくわからないのです。圭一のお母さんにはなにも見えていないようでしたから、シューだけ浮いているわけではなさそうですが……」
胃の中のどろどろのシュークリームだけが空中をふわふわ浮いてる光景を想像してみる。……不気味だ。果てしなく不気味だ。そうなっていないということは、羽入の体内は不思議空間につながっているのだろうか。羽入が皿に盛られたシュークリームを前に、『ひとつひとつ、順番に順番に、この羽入のオヤシロ空間にバラまいてやる……!』と凄む姿を連想してしまう。……ダメだ、迫力のかけらもない。むしろ笑える。
「あぅ……圭一、変なことを想像しないでほしいのです」
おっと、顔に出ていたのか。いかんいかん。
「おっはよ~ぅ、圭一くぅん!」
待ち合わせ場所でレナが笑顔でぶんぶんと手を振っているのが見える。
「おはよう、レナ」
適当に手をあげて挨拶する。羽入も俺の上で「おはようございますです」と言っているが当然レナには聞こえていない、はず……おや?
「……圭一くん、なにかへんな気配がするよ?」
まるで犬が匂いをかぐように、不思議そうに俺のほうに顔を近づけるレナ。
「あぅ! そ、そういえばレナは勘が鋭いのです! 梨花といるときも、ときどきこっちを見ているような気がするのですよ!」
そういうことは早く言え!
「そ、そうかぁ? 気のせいじゃないかな」
必死で誤魔化しながらさっさと歩き出すと、レナも隣に並ぶ。
「うそだぁ~。圭一くん、なんで目をそらすのかな、かな?」
「なんでって……レナが、朝から積極的だから、つい……」
恥ずかしげにそう呟いてみせると、見る間にレナが赤面して落ち着かない様子になる。
「は、はぅ、そそそ、そういうわけじゃないんだよ、ホントだよ!」
よし、なんとか流せたな。口先の魔術師の面目躍如ってところか。
ちょっと遅れたが、紹介しておこう。こいつは竜宮レナ、俺と同学年のクラスメイトで、家もご近所さんだ。俺が転校してきてからはいろいろと世話を焼いてくれる、いい奴だ。からかうとすぐに赤くなったり、かぁいいものを見ると止まらなくなったりする変な性格の持ち主だが、それは全部演技だ。家庭の話をしたがらないこととか考えると、どうも父子家庭でいろいろと問題のある生活をしているようだがそれを必死で隠しているらしい。本人が言い出せずにいる以上あまり突っ込んで聞くわけにもいかず、何も知らない無邪気な同級生を装っている俺なのだが、レナはときどきそんな俺を無神経だと感じることもあるらしい。ちょっと理不尽だとは思うけど、それでも可愛い奴なんだ。
「お、レナに圭ちゃん、おっはよ~!」
次の待ち合わせ場所では、珍しく魅音が先に来て俺達を待っていた。
「おっはよぅ、魅ぃちゃん!」
「おはようございます、園崎先輩。お先に失礼しまっす!」
体育会系よろしく頭を下げると、レナの背中を押して魅音の前を通り過ぎようとする。
「ちょっとちょっとぉ! いきなり他人行儀って、そりゃないんじゃないの!?」
口を尖らせて追いかけてくる魅音。
「悪い悪い、冗談だって」
「ちぇ~、性格悪いなぁ~。おじさん、ちょっと傷ついちゃったよ~」
こいつは園崎魅音。マイペースで気さくな上級生。外見はともかく、こうして話していると女らしさなんて微塵も感じない、俺にとってはまるで男友達のように気安く話せる相手だ。……表面的には。内面はむしろレナよりも女の子らしいくらいで、どうやら俺を同年代の男子ということで意識しているそぶりがある。だったらそういう態度をとってほしいものだが、不器用なのか素直じゃないのか、勝手に躊躇したり自爆したりしては傷ついているようだ。……空気の読めない自分をさしおいて、俺を陰で鈍感呼ばわりするのは是非やめていただきたいが、一緒にいて楽しいのも間違いのないところだ。
「……あぅあぅ、この世界の圭一はなにやら鋭いのです」
この世界ってどういう意味だよ、羽入?
「おわぁっ!?」
学校に着くなり、教室の入り口で沙都子のトラップに見事に引っかかる俺。
「……くっ、てんめぇえ、沙都子ぉ! やってくれたじゃねぇかっ!?」
「ほほほ、なにか証拠でもあるんでございますの!?」
捕まえようとする俺の腕からするりと逃れて、次のトラップへと誘導する沙都子。俺は机の間に張られた紐に足をとられて転び、真上から降ってきたタライが脳天を直撃する。
「ぐわっ!?」
くぅ、いい音がしやがった……!
「あらあら、爽やかな朝にはお似合いの、素敵な音色でございますこと!」
この悪ガキは北条沙都子。ことあるごとにトラップを仕掛けてくる小生意気な奴で、その被害に遭うのはほとんど俺。なにかと対抗意識が強くて、昼の弁当の時間にもムカつくくらい邪魔をしてきやがる。……こいつも屈折してる。要するにこいつのトラップはコミュニケーションの手段であり、人一倍寂しがり屋で、それでいて人との間に壁を作りたがる難儀な性分のあらわれなのだ。その標的にされる俺に対しては兄のような感情を向けているのが丸わかりなのだが、望むように振る舞ってやったところで戸惑うのは目に見えてるからついつい喧嘩腰になってしまう。でも、沙都子にとって優しい時間になってるならそれもいいかなって思うんだ。
「デコピンMAXパワーぁあ!」
「いっやぁあぁあ、ケダモノぉっ!?」
溜めに溜めた中指ではなく、隣の薬指で軽く額を弾いてやったが悔しさのあまりに泣き出す沙都子。その頭を撫でて慰めるのは梨花ちゃんだった。
「沙都子、かわいそかわいそです。訴えれば勝てますので、裁判をお勧めするのです」
「……梨花、妙なことをけしかけてはダメなのです」
頭の上で羽入がめっと叱りつける。そちらに視線を向けて梨花ちゃんはくすりと笑みを浮かべると俺に向かって頭を下げた。
「圭一、おはようございますです。今日も地獄行き確定のくせに千年も現世を彷徨ってる怨霊に悩まされているようで、かわいそかわいそなのですよ♪」
機嫌良さそうに背伸びして俺の頭を撫でてくれる。
「あぅあぅ、梨花がひどいこと言ってるのです、僕は神様なのです!」
この子は古手梨花ちゃん。って昨日登場してるよな。同い年の沙都子と比べると落ち着いていて口数が少ないが、優しくて可愛らしいとても良い子……のはずだったが、その本性は昨日たっぷり見せてもらった。年齢に不相応な大人びた性格と、ひねくれまくった性根を併せ持っているらしい。なにが原因でそこまで歪んでしまったのかは知らないが、本人が思っているほどクールでもドライでもないのだろう。沙都子や羽入に向ける視線には愛情が感じられるし、ちょっとしたことで取り乱したりもする。大人びている子供と大人はイコールじゃないっていういい例だ。その背伸びっぷりに萌える俺がいた。
「……圭一が、なにかムカつくことを考えてやがるのです」
つくづく歪みまくった奴ばかりな気もするけど、これが俺の最高の仲間たちだ!
「綺麗にまとめようとする努力は涙ぐましいですが、やっぱり台無しです。あぅ☆」