ー全能型知能シークエンス、起動。
ー使用者の存在を確認。登録番号000。特異な信号を検知。
ー認証完了。楽園解放プログラム、起動します。
ーお帰りなさいませ、先生。
私は、電子音を鳴らしながら空中で回転する円盤に手を伸ばす。円盤を覆うように現れる3Dの立体映像、それはこのキヴォトスを上空から映し出した地図だ。私はその一点をタップする。タップと言っても映像は空中にある虚像にすぎないから、私は指は何も無い空を切るのだけれど。それでもこの機械はしっかりと反応して、私の触れた所に真っ赤なマークをつける。まるで、今からここが危険に晒されますとよとでも言いたげな不吉な色。
ー兵器を使用の許可要請を確認。
ー着弾予想地点、「サンクトゥムタワー」。
ー兵器の使用を許可。ボア・ルインを使用しますか?
目の前に、二つの選択肢が表示される。YesかNo。もし私がNoを選べば、この世界はこれ以上何かが起こることなく"平和"に続いていくだろう。だがもしYesを選べば、このキヴォトスは完全な崩壊を迎える。私は何の迷いもなくYesを押した。
ーサンクトゥムタワーの破壊は、キヴォトスの崩壊を意味します。先生はそれを理解していますか。
「分かってるよ。だから、やるんだ。」
こんな世界に、これ以上残っている必要はない。こんな、私以外の全ての生命が朽ち果てた、思い出だけが残っている虚像の楽園に存在価値は無い。
ー楽園解放プログラムにより、先生が向かう世界は決してアナタの為の世界ではありません。その世界において、あなたは先生ではありません。それでも実行しますか。
「もちろんだ。たとえ私が先生でなくとも、彼女らは大切な生徒だからね。」
私はあの男の後を追わなければならない。このキヴォトスを侵略し、全てを殺したあの男を。アレが別の世界でまた生徒を殺そうとするのなら、私はアイツを殺してでも止める。それが、私の役目だ。
ーYes, my lord.アナタに敬意を。
「どうも。」
ー跳躍装置、及びボア・ルインを起動します
ーエネルギー装填、80、90、100%。発射準備完了
ーボア・ルイン、発射します
建物の外から轟音が聞こえる。兵器の発射音、けたたましく鳴り響くおぞましい殺意の音が、次第に空の彼方に消えていくのが分かった。
ー着弾までの予想時間、一分。
ー着弾と同時に、このラボを別世界へと転送します。
ー先生、この世界に言い残すことはございますか?
「……そうだね。なら、謝罪と感謝を。」
そう言って私は目を瞑る。真っ暗な視界の中で、私は心の中で強くその思いを復唱した。「救えなくてごめん、私の生徒でいてくれてありがとう」その言葉を、無惨に死んでいった生徒達に。どうか私を恨んでくれ。そして、私が死んだ後で地獄で私を罰してくれ。そう思うだけで、私の心は少し軽くなった。
ー着弾まで残り30秒。そういえば先生。私に名前を付けて頂けませんでしょうか。
「名前?」
ーえぇ、先生にロボットと言われても他のそれらとの識別が難しいでしょうから。
「名前かぁ……」
ー今すぐで無くとも結構です。
「いや、決めたよ。キミの名前はマアトだ。」
ー承知いたしました。では、これからはそうお呼びください。
ー着弾まで残り10秒。
「……窓はあるかな。着弾の瞬間を見ていたい。」
その言葉に応えて、金属に覆われていた部屋の一部が機械音と共に開き窓が現れた。広大な砂漠を挟んで、奥に大きな都市が見える。今となっては無人だが、あそこはこの世界に生きていた皆にとっての故郷であり、生きる場所であり、大切な思い出だったのだ。それを今から私は壊す。覚えていろ。忘れるな。その罪の鮮烈さを、刻み付けろ。
ー着弾まで5,4,3,2,1。
ー着弾します。
マアトの合図と同時に、視界にうっすらと蛇の身体のような軌道を描いて空へと立ち上る炎の柱が見えた。その瞬間、キヴォトスの空がガラス細工のように粉々になって砕ける。文字通りの意味だ。空という一枚の板が割れて、その奥に真っ暗な空間が現れる。そこから、都市全体を覆い尽くす程の巨大な手が伸びてきた。
ー先生、これ以上はこの世界に留まることができません。
ー崩壊が始まります。
「あぁ、行こうか。」
ー跳躍装置を起動。
ー跳躍を開始します。
瞬間、遠くに見える手が都市を丸々ひとつ下敷きにした。窓の外が真っ暗に染まり、次の瞬間無数の彩色を放つ光の線が次々と真っ暗な世界を彩っていく。
ー跳躍率、60%
ー境界空間へと到達
世界と世界の狭間。枝分かれするパラレルの間にある、虚無の世界。そんな真っ黒な世界を数々の世界線が光となって彩っている。私の視界に映る、1つの光の線が折られたパスタみたいに呆気なくバキバキになって消えていく。先程まで、私がいた世界。私が救えなかった、私の故郷。あまりにも呆気なく散っていくその姿に、不思議と悲しみは覚えなかった。ただ漠然とした喪失感のみが、私の心にずっしりと重くのしかかっていた。
ー標的のいる世界線の存在を確認
ー跳躍目標を設定
ー再度跳躍を続行します
ー跳躍率、80%
跳躍、それは世界を跨ぐ行為。「アトラ・ハシースの箱舟」という名を冠した、この戦艦にしかできない芸当だ。そして今、私はそれを実行しようとしている。あの男がそうしたように。
ー跳躍率90%
ー跳躍率100%、世界の跳躍を開始します
アトラ・ハシースの箱舟が物凄い速度で無数に広がる光の束の一本へと突撃していく。肉体がふわりと宙を舞って、次の瞬間内臓がびっくり返るかと思うような強い衝撃が襲う。私は思わず目を瞑ると、鈍い痛みが走った。衝撃が止む。恐る恐る目を開けると、視界が逆さまになっていた。どうやら私は先の衝撃で内臓ではなく、全身がひっくり返っていたらしい。
ー先生、到着しました。
ーキヴォトスです。
「もうちょっと穏便な着地は無かったの?」
私は、痛む頭を擦りながら立ち上がる。
ーこれが限界でした。
ー初めてにしては上出来です。褒めてください。
「ん、そうだね。ありがとうマアト。」
ーどういたしまして、先生。
窓の外を見る。さっきの無数の世界が放つ淡い光とは違う、禍々しい赤色がこの箱舟の中へと差し込んでいる。どうやら、普通の世界では無いらしい。
「外に出てみようか。」
ーその前に、シッテムの箱を出して頂けますか。
「……これはもう使い物にならないよ?」
そう言いながら、私は真っ暗な画面のタブレットの形をしたそれを出す。アロナとプラナは死んだ。死んだという表現が正しいのかは分からないけど、戦いの末にデータの全てをボロボロにされマトモに機能できなくなった。だからもう、これはシッテムの箱としての機能を持っていないし、開くこともできない。
ーそれは知っています。ので、私が入ります。
「そんなことができるの?」
ー私が入ったとて、シッテムの箱としての機能は使えません。
ーですが、遠隔でこの戦艦を動かすことは可能です。
ーここにある兵器を、その端末で動かせる訳です。
「なるほど。」
ー既に私をインストールしました。
ー開いてみてください。
シッテムの箱に触れると、画面が微量の光を放った。しっかりと画面が表示され、幾つもの項目が現れる。
ーこれで私も何時でも先生と話せます。
ー肌身離さず持っていてください。
「分かったよ。」
そう言って、私はシッテムの箱を片付ける。そして、出口を開くようにマアトへと要求した。すると、また金属の壁が機械音を立てながら動き出し、目の前に扉が現れる。相変わらず便利だ。そう思いながらドアに近づくと、それが開いて目の前に砂漠が広がった。私は扉から出て、その大地を踏みしめる。アビドス辺りだろうかと思いながら辺りを見回す。だだっ広い砂漠だ。キヴォトスでは珍しい光景ではない。唯一異質だと言えるのは、今私の頭上にある空が禍々しい赤に染まっていることだろう。
「どうなってるの、これ。」
ー不明です。
ーしかし、ひとつ言えることがあります。
ーこれは恐らく、反転した生徒が原因でしょう。
「反転…………そうか。」
アビドスとハイランダーの絡んだあの事件。あの時ホシノが反転して、空がこんな色になっていたのを覚えている。そんなことを思い至った時、視界の奥から何かが歩いてくるのが見えた。
「噂をすれば、だね。」
赤いオーラを纏い、周囲の空気を捻じ曲げる少女。その瞳には深い絶望が灯っている。毛が逆立つようなドス黒い殺気が辺りをつつみ、私は背中を蜘蛛が這い回るような感覚に襲われた。
ー先生、危険な個体です。
ー逃走することを推奨します。
「勝算なし?」
ーいえ、そんなことはありません。
「じゃあ、助けるよ。あの子は生徒だから。」
ーアナタの身が危険に晒されます。
「百も承知。怖くは無い……と言えば嘘になるけど、今更怖気付く理由なんてないよ。彼女を……小鳥遊ホシノを助けるよ。」
ーYes, my lord.アナタに敬意を。
一歩、一歩とホシノがコチラへ近づいてきている。既に彼女は私を捉えているのだろう。ゴタゴタしている暇は無い。私は両腕を広げ、唇を噛んだ。
「キミを、救ってみせる。」
彼女には届いていないだろうその言葉を、私は咀嚼するようにして言い放った。直後、背後のアトラ・ハシースの壁からスーツケースのようなものが宙を舞って私の前へと現れる。瞬きをする間に、それは私の身に纏わりつくように展開した。私は身を任せる。
ーデウス・エクス・マキナを展開。
ー装着を確認しました。
私の身体を鎧のように覆ったそれは、頑丈でありながら柔軟。機械仕掛けの爪、機械仕掛けの筋肉、機械仕掛けの尻尾。装備者の戦闘能力を大幅に増加させる、アトラ・ハシースの内包する兵器のひとつ。
ーミョルニルを解放
ー先生、くれぐれもお気を付けて
私の眼下に、地面を粉砕して黒鉄のハンマーが突き刺さる。私はそれを持ち上げて、淡々と歩き出した。
「分かってるよ。死なないし、誰も殺さない。」
ホシノと睨み合いながら、互いがゆっくりと距離を詰めていく。荒野の風が吹き、砂埃が私達の間を覆った。視界が定まらず、私は脚を止める。数秒の沈黙、そして砂埃が徐々に晴れていく。視界が晴れる。私の目がホシノを捉える。
刹那、私たちは同時に武器を構えた。