二年生に上がって少し経つ。
出席番号順で並んでいた席は、クジ引きによって移動する事になった。
もはや飽きた。クジを引く時には毎度お馴染みの、後ろの方の席にしてくださいと願う。
すると、最高の展開が訪れた。
(神は、ここにいたのか……)
窓際の一番後ろという憧れの場所。
教室に響き渡っている喜哀楽で彩られた声は、麻戸からすると優越感に浸れるBGMだ。ニヤケそうになる表情筋をグッと抑えて、持ち上げていた机を特定の場所に下ろす。
(これはすごい……!)
椅子に座ると、世界が違って見えた。こんなにも教室は広かったのかと錯覚する。
さらにこの席は、窓の手すりの所にある小さなスペースを使っても良いという権利が得られる。
まさに誰もが羨む席。聖域と呼んでも過言ではない。
新天地での暮らしを祝うように、心地の良い風が麻戸の前髪を揺らした。
「おっ、麻戸じゃん!」
前の席が埋まる。
「運良いよな、俺たち」
「ああ。一生分の運を使ったな」
「それは大袈裟すぎだわ!」
共感は得られるものではなかったらしく、笑い飛ばされた。
「あと重要なのは隣に来る女子だな……」
「というと?」
「分かんねーのかよ。席っつーのは女子とどんだけ話せるかで価値が決まるだろ」
「へ、え……」
正直誰でも良い、と麻戸は思う。
仲が良い人に越したことはないが、たとえ口数が少ない人だとしても、馴染み方はそれぞれある。
臨機応変に出来るのだから、隣の女子によって価値が変わるなどナンセンスだ。
(来た……!)
外を見るふりしていると、視界の影が現れた。
「うっわ。あたしだけ離れてんじゃん!」
お隣さんはどうやら、仲の良い友達と離れたらしく嘆いている。
その声を聞いてドクン!と麻戸の鼓動は激しさを増した。 息苦しさを感じながら目を向けると、ばっちり視線が交錯する。
「麻戸……だよね? よろ〜」
「ぁ、っす」
明るいクリーム色のミディアムヘア。短いスカート丈に薄いメイク。第二ボタンまで開けたシャツ。
「梓が後ろとか超最高ー!」
「マジでそれ。 絶対楽しいでしょ!」
「あは、期待されすぎてウケるわ。よろねー」
前の二人と話をしながら高千穂は机を動かしている。 所定の位置に微調整している時だった。
ガン、と机の横がぶつかった。
「ひ……っ」
「あ、ごめんごめん! 勢いつけすぎちゃった」
あっけらかんとした声と共に、人が横向きで通れるほどの隙間を作った。
麻戸は窓際ギリギリまで体を寄せた。
この人は絶対に駄目だ、と脳内では警告音が鳴り響いている。
(なにが隣は誰でも良い、だ……。ふざけるな。呑気に喜んでる場合じゃないんだよ!)
聖域と称したのも束の間、たった数秒で変わり果てたものへと変化した。
「ねえ、さっきから何やってんの?」
「え……?」
この状況から逃げる努力をしていた麻戸は、窓の手すりに頭を突っ込んでいた。
声をかけられて首を動かす。
高千穂は椅子を横向きに座った状態で、真っ直ぐこちらを見ていた。
「………引っ張っても良い事ないから、先に言っとく」
「え、めっちゃ急じゃん。なになに?」
「俺はギャルが怖い……。だから、優しくしてくれると助かる」
女子に向かって怖いと言うことは男として情けないだろう。 しかもあろうことか懇願までした。
だがこれで良い、と麻戸は思う。
見栄を張って苦しくなるくらいなら、平和のために恥をさらけ出す。
「ギャルってあたしの事?てか怖いとかマジ……ッ!?」
テンションが急上昇した高千穂は、必然的に声も大きくなった。
その瞬間、麻戸は口の前で人差し指を立てる。
「静かに。 小動物を相手にしてると思って」
「…………あのさ、なんでそんなにギャルが怖いの?」
怪訝な表情を浮かべながらも、高千穂は少し身を乗り出した。
「麻戸って立花と仲良かったよね? 似たようなもんでしょ」
「あいつとは、小四からの付き合いだから今さら何も思わない」
立花透和。小学校からの友達。 昔は年相応に普通だったが、中学デビューを機に陽キャとしての才能を開花させ、今では男女問わずの人気者になった。
「じゃあ何でギャルだけ無理なん?」
「まずそんなふうにガツガツ来るのが怖い。 圧力で押し潰されてる感じがする」
「えっ、あー……、ごめん。そんなつもりはなかったんだけど」
「それも。 実は良い人なのかもって思うのも、感情が振り回されてるみたいでキツイ」
「リアクションに困るやつきたなー。かなりズバズバ言うじゃん」
「で、極め付けは」
「まだあんのかい」
麻戸は、今も鮮明に覚えている情景をそのまま口にする
「中学の時。すごい楽しそうに喋ってるギャルに宿題のノート回収しに行ったら、真顔で渡された」
「ん……?」
「それまで口が裂けそうなくらい笑ってたんだよ。 でも俺が話しかけたらピターッ!って止まって……。それからギャルと話すのが怖い」
「…………そん時さ、睨まれたり悪口とか言われた?」
「何も?」
「なんっにもないの? ノート触られて最悪!みたいなこと言ってたとか」
『ない』と麻戸は断言すると、
「いや理由しょっっっぼ!!」
高千穂は顔を近づけ、小馬鹿にするように吹き出した。
「友達と喋ってんだからシラけんの当たり前じゃん! てか麻戸が単純に打たれ弱いだけだし! え、ウケんだけど。 そんなんでギャルが怖いとか言ってたん!?」
テンションが上がる一方、声のトーンは抑え気味だった。配慮してくれているのだろう。
そんな事は麻戸にとってどうでも良かった。
くぐもった笑い声を聞きながら、右手を高く上げる。
「先生! 俺、目が悪くてここから見えないので前の席にしてください!」
決断は早い。
今は亡き聖域を捨て、心の安定のために旅立つことを決めた。
(逃げるんだ。 ギャルから遠い所へ)
クラス中から好奇な視線を浴びる。 それは一時的なものだと、麻戸は気付かないフリをする。
「そうか。見えないんじゃあしょうがないな。誰か、麻戸と代わってやれるか?」
挙手する者は多かった。
高千穂は男子からの評判も良い。 あわよくば、という思惑もあるのだろう。
席を移動するのも時間の問題だと、麻戸は確信する。
すると視界の端で、すらりとした手が上がった。
「せんせー! あたしも目が悪いから、みきの近くの人と代わりたーい」
高千穂梓が声を発した途端、教室がざわめいた。
「それあり?なら俺も」
「え、私も前行きたいんだけど」
「じゃあ俺が後ろに」
席が埋まるにつれて収まりつつあった話し声が、瞬く間に広がる。
「みんな静かに! 全員の希望聞いたらキリが無いな……」
解決の糸口を探して教室内を見渡している教師。 ふと、麻戸と視線が交わった。
「麻戸、申し訳ないが少しだけ頑張ってもらっても良いか?本当にどうにも出来なかったら何とかするから」
「あ、はい……。大丈夫です」
麻戸の背中に湿り気が帯びる。
(今、なにが起きた……?)
目が悪いから席を変えてくれというのは、必殺の技ではないのか。
麻戸は呆然として固まっていると、
「はーあ……。仲良くなろうとしてんのにそんなんされるとさぁ、マジ萎えるわー」
悪魔の囁きが聞こえた。
(まさか、高千穂が意図的に…….!?)
恐る恐る目を向けると、高千穂は薄い笑みを浮かべていた。
「ぁ……ぁぁ…………っ」
「せっかく楽しくなりそうなんだから逃すわけないっしょ」
最低半年。長くて二年生が終わるまで。
「ギャル、怖………」
麻戸はこの言葉を吐き続けることが確定した。
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