文化祭実行委員の二人。 女子がチョークを握り、男子が教卓に手をついている。
黒板には催し物にする案がいくつも書かれていた。
焼きそば。 お化け屋敷。 カフェ。 ダンボールジェットコースター。
「はーい! あたしはお化け屋敷に一票!」
「お前が自分で出した案だから却下ぁ!」
「いや待って!みんなもちゃんと聞いてね?」
高千穂は椅子を引いて立ち上がる。
興奮を無理やり押し込めて熱弁を始めた。
絶対楽しいって。 お化け役やりたいし。 青春じゃん——みたいなことを力強い口調で回りくどく言っているだけだった。
実行委員はおろか、そこら中から総ツッコミをくらっている高千穂。 それでも簡単に引くことはせず、クラスを相手に粘り続けている。
賑やかだな、と麻戸は思った。
頬杖ついたまま、口元を少しだけ緩める。 見てる分には悪くない時間。
(そういやこの席……)
ふいっ、と窓の外を見ながらこれまでの気持ちを振り返る。
この席に座った当初は歓喜に震えたが、いざ定着すると、聖域は幻想であることが分かった。
開放的だな、くらいしか思わない。 いや、それも今となっては全く考えなくなった。
麻戸は外から黒板へ、そして顔を横に動かす。 席に対する思いを変えた原因がそこにあった。
正直、怖いと感じる気持ちはまだある。 しかし、声を聞いた後でも、また聞きたいと思うようになっていた。
(これが成長期か……。 身長は止まったくせに)
喜び反面、恨みが募る。
「あーあ。 ざーんねん」
高千穂は雑に頬杖をつく。 バッチリと目が合った。
「……なんでこっち見てんの?」
「偶然っすよ」
「へえ、……ちなみにさ、麻戸はどれに手あげた?」
間の取り方。 ほんのわずかに下がった声色。
高千穂不機嫌検定有段者の資格を持つ麻戸は、コンマ数秒の違和感を感知した。これが安易な質問ではないと理解する。
ふと、黒板を見た。
いつの間にか、黒板には催し物ごとの票が集計されていた。 一票差でカフェに決まったらしい。 ちなみにお化け屋敷は二位だ。
「…………えっと」
「うんうん、どれどれ?」
「お、お化け——」
「屋敷じゃないよね? 味方してくれなかったのは知ってる」
「ま、ぁな。 高千穂には悪いけど、俺は——」
「それも違うんだなー。なぜなら麻戸は外ばかり見てたから」
その場しのぎの反論は、発言する前に封じられる。
「た、高千穂は側頭部に目が付いているのか……?」
「後頭部に目がついてない麻戸には分からなかったみたいだね」
鏡写しのように頬杖をつく二人。 その間に流れる沈黙。高千穂はわざとらしいため息をこぼした。
「あたしは楽しみだったよ。キョンシー役の麻戸と一緒にお客さん驚かせるの」
「ほう、キョンシーか。 高千穂は?」
「貞子」
「和中折衷……!?」
「良い感じの凸凹具合じゃない? ウケるっしょ」
「お化け屋敷でウケるのはどうなんだ……?」
そもそもキョンシーに扮しても、恐怖心を植え付けることはできないと断言できる。 想像するだけでネタキャラだ。 催し物がお化け屋敷に決定していたら断れなかっただろう。 今さらながらホッとする。
「まぁ、カフェでも良いだろ。 ほら、…………漫画でもありきたりな設定になるくらい定番だし」
「溜めたわりに気休めにもなってない。それどっちかっていうとネガティブ方向にあるかんね」
もぉー、と高千穂は背もたれに体を預けた。
「決まったもんはしゃーなし。 カラオケ店員の接客術でも見てようかな」
「厨房で簡単な品を量産して持っていくだけの裏方バイトに、接客なんて求めるものじゃない」
「やっぱバ先でも無愛想なん?」
「やっぱって何?」
やべ……と言いたげな表情を作ると、高千穂は逆を向いた。
一度、高千穂が見ている麻戸曜真の人柄がどんなものか、本気で問い詰める必要がある。
「それじゃあ次のLHRでは内装や提供するもの、クラスTシャツはその次って感じにしようと思います」
実行委員がまとめに入っていた。 空気の流れに沿ってとりあえず頷く。
「ね、麻戸」
間を置いたらセーフだと思ったのか、高千穂は軽い口調だった。
『何です』と根に持つような半目を向ける。
高千穂は、さっきと変わらず頬杖をついていた。 口元は隠されているし、その横顔からは感情を探れない。
しかしどこからか想いが伝わって来て、目を離すことができなくなった。
「絶対さ、楽しくなるよね」
感じていた通りの言葉だった。
去年には無かった熱が心の奥に現れる。
「そうだな」
麻戸が一言返すと、タイミングを測ったように終礼のチャイムが鳴った。
「んじゃ、また」
「ああ」
先生への挨拶を済ませると、高千穂はバッグを肩にかけて一ノ瀬がいる方に歩いて行った。
麻戸はずるずるとお尻を滑らせて、椅子の背もたれに頭を乗せた。 歪な体勢のまま、スマホのアプリを起動させて漫画を読む。
広告として出て来たものを開いて、適当に流し見する。
無駄な時間が過ぎた。
およそ一〇分。画面を追うだけの作業を続けていると、靴の擦れる音が近づいて来る。
スマホの画面に影が重なり、麻戸は顔を上げた。
「ちょっと時間いい? 話したいことがあってさ」
ちゃんと見たのはたったの二回。 それでも記憶には鮮明に残っている。
「……俺で良いのか? 藤木くん」
直球に問いかける。
「目の前で頼んでんだから麻戸以外にいる訳ねーじゃん」
「それもそうか。……んじゃちょっと親に電話だけさせて。 帰るの遅れるって言わないと」
返事を聞く前に連絡先を開いて耳に当てる。 四回のコール音が鳴ると、声が聞こえた。
「あ、今日は藤木くんって人と話して帰るから遅くなる」
通じているのかと思うような間が空いた。 それから一言返答があり『うん、それじゃあ』と伝えて通話を切った。 少し画面を弄ったあとポケットに入れる。
「待たせて悪い。 行こうか、藤木くん」
「お前、何をするかいちいち家族に言ってんの?」
「そんな感じ」
その会話を最後に、藤木の後ろをついていく。
階段を下り、廊下を歩く。校舎や下駄箱からはどんどん離れて行き、人通りが少ない。 放課後なのに話し声すらもなく、遠くの方で部活勢の張りのある声が響き渡っていた。
廊下の突き当たりにドアがある。
藤木の目的地はそこらしい。
周りには目を配らずそのまま歩みを進める。 足を止めてドアノブに手をかけると、藤木が振り向いた。
「………え、なんだ?」
「別に」
嘲笑気味に告げられる。
外に出ると、そこは——。
「ゴミ捨て場、か……」
湿っぽい空気が漂っている。
左にはゴミの集積所。 前方には小さな倉庫や物置。 道路に面している所はフェンスがあって、草木で覆われている。右はゴミ収集車が通れるように広々とした空間が広がっていた。
ふと、麻戸は動きを止める。
「おい。来いって!」
藤木は声を荒げて麻戸の手を力づくで引っ張る。
よろめいてこけそうになる麻戸の前に、三人の男が歩いて来た。
男達は麻戸を囲うようにして立つ。 目の前にいる男が一歩前に出て、ニヤついた顔を近づける。
「よーっす! 俺のこと覚えてる?」
「本庄、先輩……」
名前を口にすると実感する。
——嵌められた。
無意識に目が動く。 藤木はドアの前に張りついて笑っていた。見るだけで、際限なく不快感が募る。
麻戸は表情を歪めて舌打ちを飛ばした。
その直後、視界の端で何か動いた。 咄嗟のことで分からなかったが、確認する前に胸元に強い衝撃が走る。
「相変わらずマジでムカつくよな」
本庄が右手を突き出していた。
「ポーカーフェイス気取りがよ。つか単純に顔に出ないタイプってだけか。 それ損じゃね? 生きづらいだろ」
「……、」
「すぐ黙りやがって。あ、もしかしてただのコミュ障? ならちゃんと配慮するからさ『ぼくっ、コミュニケーション障害を患ってます!』って言ってくんね?」
ギャハハハ、とわざとらしい高笑いが響く。
麻戸はスッと背すじを伸ばした。 ポケットに手を入れたまま、胸元についた汚れを静かに払い落とす。
本庄をじっと見たあと、藤木に視線を移した。
「主犯はお前だろ。 傍観してないでこっちに来い」
ヘラヘラとしていた藤木の表情が強張る。 途端に、麻戸の視界が大きくブレた。
ぐわんと揺れる世界。 気が付いた時には地面が迫っていて、咄嗟に肘をつく。
殴られたと理解するのは早かった。 口の端でも切れたのか、口内にぬめりとしたものが流れ込む。鉄臭い匂いが広がった。
「お、おい、それはやりすぎだって!」
仲間の一人が焦ったように本庄の肩を掴む。 その手を煩わしそうに振り払うと、本庄は吐き捨てるように言った。
「っせーよ。つかお前は藤木と変わってこい。誰もこっちに来ねーように見張ってろ!」
「……来たら、どうすんだよ」
「壊れててドアが開かないとか言っとけ。 それからすぐ連絡しろ」
男はただ頷いた。 ランニングのような駆け足で藤木の所に向かう。
麻戸は袖で口を拭いながら立ち上がった。
目線を下げたまま視野を広げると、もう一人の男は少し下がった位置にいた。 落ち着きがなくその場で足を動かしている。 一瞬だけ顔を見ると、そこに余裕は感じられない。
「うわ、あははっ! 痛そー。 本庄先輩まじでやったんすね!」
入れ違いで来た藤木は腹を抱えだした。 ニタニタと薄気味悪い顔を近付けてくる。
「お前さ、調子乗りすぎなんだよ」
「……例えば?」
「梓と話してんだろ。 友達とか仲良いとか言ってたけど、それお前の勘違いな?」
「……、」
「お前は知らないだろうけど、梓から聞いてっから。キモイやつが絡んで来るって。 だからこうなってるわけ。 つか、人の彼女に手出すなよ。地味陰キャ」
——彼女。
その単語を脳内で繰り返す。
二人の間柄を表現するにはあまりにも不釣り合いな響きに、麻戸は切れた口の端をわずかに歪めた。
「うぇーい、藤木言うねぇ」
「ははははっ! こういうのは現実を教えてあげないと駄目っすからね!」
高笑いをあげながら、藤木は腹を押さえて"くの字"に折れ曲がる。
それを見ながら麻戸は平然と言い放った。
「思い出したんだが、俳優とか声優が言うには笑う演技がかなり難しいらしい」
「は?」
「プロがそう言うくらいだ。 ぎこちない笑いでも気にしなくて良いからな」
「は……」
だんだんと藤木の表情が醜く歪んでいく。 首筋には血管が浮かび、顔を真っ赤にして拳を振りかぶった。
迫る拳を見ながら、麻戸は奥歯を噛み締める。
ゴッ、と頬に直撃した。
顔がのけぞりながらも、瞳だけは藤木を捉えている。
「これでやめだ。 これ以上は俺も黙っているつもりはない」
言うと、本庄が動いた。
「あーもう、ウゼェウゼェ! 永遠に黙ってろや!」
本庄は、麻戸の胸ぐらを掴むと力任せに振り回した。
麻戸はグッと堪えて、逆に本庄の胸ぐらを掴み返す。 直後、本庄の軸足を払い、右腕に全体重を乗せて地面に押し伏せた。
「おいっ!」
「テメェ……!」
間髪入れず、藤木と三年の男が動き出す。
右腕で押さえ付けたまま、本庄の上に座る麻戸が鋭い声を飛ばした。
「止まれ!」
ピタリ、と二人の足が止まる。
声に怯んだわけではないだろう。二人の視線は、麻戸が左手に掲げるスマホに集中した。
麻戸は親指で画面をタップする。
『「待たせて悪い。 行こうか、藤木くん」』
『「お前、何をするかいちいち家族に言ってんの?」』
大音量で流れ出した声に、藤木は大きく目を見開いた。
「は、あ? おま、録ってたのかよ」
「この数日のやりとりをした後での呼び出し。 怪しいと思わないやつはいないだろ」
麻戸は慣れた手つきでスマホを弄る。
「俺はこれを学校に送る。 それから家族、進学先。……このご時世、世間はイジメをするやつを絶対に許さんからな」
「情けなっ! 結局人頼みとか、男としてどうなんだよ、それ!」
男が言葉を震わせながら叫んだ。
「生き方恥じた方が良いレベルだわ、マジでみっともねー!」
「一人で喧嘩も売れないお前らに合わせてやったんだよ」
喚いていた男は息を飲んだ。血の気が失われていくみたいに、力なく佇んでいる。
麻戸はただ視線を注ぐ。頭の中では普段通りに、滞りなく思考が巡っていた。
「ちまちまと裏でしか強がれないやつの相手は慣れている……」
そう呟いて、麻戸はスマホを胸ポケットに収めた。
「反論があるなら言葉じゃなくて手を出してこい。 俺をボコボコにしてスマホを壊せ。 この期に及んで手を出したら負けとか思ってるわけじゃないだろ」
麻戸は待った。 座りながらという無防備同然な体勢なままで。
それでも二人の男は動かない。 手足は小刻みに動いているが、距離は一ミリたりとも縮まらなかった。
スーッ、と麻戸の目が細まる。
瞳に帯びていた熱は失われ、冷ややかな視線だけが藤木たちを射抜く。
その時、気のせいかと思うほど小さな声が耳を刺激した。
麻戸は声の道筋を辿り、下を向く。
「く、るし……いき、が…………!」
はくはく、と本庄が口を開けていた。
麻戸は頷いて、一段と手に力を込める。
「藤木。本庄先輩が苦しいらしい。 まぁ、このままにしても酸欠でブラックアウトになるだけだから過剰な心配はいらんがな」
三年の男はもうどうでもいい。
一挙一動をミリ単位で見逃さないと言わんばかりに、藤木を見る。
するとほんのわずかに、藤木の足が後ろに下がった。
「チッ」
忌々しいとばかりに舌打ちを飛ばす。
一気に吹き出した怒りのままに、本庄の胸ぐらを引っ張り上げると、後ろに放り捨てた。
ドシャ、と校舎の壁にぶつかる鈍い音。直後、まるで死に際から這いつくばって戻って来たかのように、本庄は空咳混じりの荒い呼吸を繰り返した。
麻戸は気にも留めない。
歩みを進め、藤木の横を通り過ぎた辺りで、肩越しに振り返る。
「ずっと、藤木みたいなやつをどこかで見たって思ってたんだ……で、分かった。小学生の頃にゴロゴロいたよ」
「………………、」
藤木は微動だにしなかった。 麻戸はしっかりと振り返り、眉間に皺を作る。
「やっぱり、お前はつまらんヤツだ」
少し、声を張った。
「録音の起動条件は俺に関わる事だ。 縁が繋がらないように気をつけろ」
踵を返して、ドアに向かう。
しん、とした静けさだけを残して。
「おっ、やっと終わっ……た?」
校舎の中に戻ると、見張りをしていた三年の一人が動きを止めた。
「ええ」
「は、え? ……本庄、たち、は?」
「この一連の全部を録音してたって言ったら返してくれました」
『録音……』と呟き、男の表情がみるみるうちに青ざめていく。
「あ、そうだ」
麻戸は男に近付いて顔を寄せた。
「先輩の名前、教えてくれません? べつに深い意味はないんですけど」
「……な、まえ……は、ちょ、と」
ぶつぶつと男は何か言っていた。
『ん?』とより近付いても文字化は出来そうにない。
「まぁ……、言いたくないなら良いですよ。 顔は覚えましたし」
そう言って麻戸は、男を視界から消した。
行く当てもなく適当に廊下を歩きながら、立花に電話をかける。
"今度は"ワンコールで繋がった。
「完璧完全勝利ー」
『だな。おつかれさん』
「ああ……」
麻戸はようやく、溜め込んでいた濁った空気を吐き出した。同時に、気が抜けたことで痛覚が仕事を始めた。顔全体に走る痛みに、反射的に手で覆った。
『曜真が警戒してただけあってすぐ来たな。実は電話ん時パニクったんだよね』
「なかなか間が空いてたな」
『まじそれ。 でも便利なもんだよな、位置情報アプリ』
先日の、高千穂が絡まれている所に割り込んだ時からこの展開は予想していた。
立花に相談し、都合良く見つけたのがそのアプリ。
「スマホ様々だな。 そういや動画の方は?」
『ゴミ捨て場の真上。二階から撮った。 距離あって声は雑音になってるけど、お前が絡まれて殴られてる所はバッチリ』
「オーケー。 俺も殴られるように挑発したから、それくらいがちょうど良い」
『一応、お互いのやつ交換しとくか?』
「ん、そうしよう」
もしこの動画を見せる事になったとして、喧嘩両成敗で済ませるつもりはない。
完全なる上下関係を決め付けないと、逆上したヤツらが高千穂梓に手を出しかねないからだ。
骨の髄まで負けを染み込ませる。 恐怖すら植え付ける。 歯向かえば未来はないと実感させる。
「……なぁ、透和」
ふと、麻戸の声が落ちた。
『んー?』
「数で群れて個を襲い、自分は強くなったと錯覚する。……高校生になっても人は変わらんな」
『……藤木か』
「あそこで手を出してきたら見る目は変わったんだ。 ちゃんと一人で戦える力は持ってたんだなって」
チャンスは三度あげた。 それでも藤木は応えなかった。
「だからと言ってクソ野郎であることに変わりないが。……それでも、期待はしたかった」
『…………バカ。お前が考えているほど人間は強くないんだよ。だって俺、ただの明るい女子にペコペコしてるヤツ知ってるし』
「俺の悪口は言うな」
一悶着あったせいか、センチメンタルになったと自嘲気味に鼻を鳴らす。
だが、その思考はすぐに消え去った。
立花と話していると、自分には絶対な味方がいるという事実を再確認させられる。
「はーあ、さすがに疲れた。 帰ってお風呂に入るわ」
『あ、待ち合わせする?』
「いや、藤木達に見られて嫌な勘繰りされても面倒だから別にしよう」
『おけ』
じゃあ、と言い通話を切る。
頬に手を触れた。 ピリついた痛みに舌打ちを飛ばし、ため息をこぼす。
(歯磨きとか染みるんだろうな……)