ギャル怖っ!   作:喜多四季

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ギャルの家で勉強会

 

 

 

 

 

「ねーえ、数学のプレ何点だった?」

「二十八点」

「赤点範囲内やん」

 

 放課後。 ガヤガヤとしている教室。

 とある一角だけ、しん……と時が止まる。

 帰り支度をしていた高千穂は椅子に座り直した。

 

「え、期末やばめ?」

「問題ないよ。 数学がこんな点数なのは毎度のことだけど、透和に教えてもらってクリアしてるから」

 

 まさに今、立花にメッセージで『数学教えて』と送ったばかり。 あとは返信待ちだと、麻戸はスマホをいじっていた手を止めた。

 

「へぇ、麻戸は数学苦手なんだね」

「ああ。 考え込むとつい、変な方に頭が持っていかれて……って言っても伝わらんよな」

「あ、大丈夫。 麻戸が変なのは知ってるから」

「なんか違くない……?」

 

 妙に引っ掛かる即答だった。 しかしそれ以上を聞くことは出来ない。

 優しく温和な笑みでありながら遠くを見るような目。 悟りでも開きかねないその表情は、いつだったか立花がしていた。

 まるでお地蔵様でも相手にしているかのようで、麻戸は密かに息をのむ。

 その時、スマホの画面に明かりがついた。

 

「…………スタートダッシュ失敗した」

「どしたん?」

「透和が友達と先約があるんだと。 まぁ、本番はまだ一月先だし焦らなくても良いんだけどな」

 

 と言いつつ、夏休みに補習をしている光景が脳裏をよぎる。 父、母、姉に協力を求めようか。 はたまた自力で頑張ってみるか。 なんにせよ数学と向き合おうと、鬱々とした気持ちのままバッグを掴む。

 

「勉強会でもする?」

 

 未だ椅子に座っている高千穂が言った。

 

「いや、人が多いのは苦手だし集中出来ないから遠慮しとく」

「あたし達だけのつもりでーす」

「高千穂と、二人……?」

「…………やっぱ、ビビっちゃう?」

「そうじゃない」

 

 麻戸は眉間に皺を寄せていたが、否定の声は早かった。

 

「考えが甘いんだよ。 俺に数学を教えたら自分の勉強なんて全く進まんぞ?」

「堂々と頭壊滅的宣言すんなし。 そもそも、数学のどこが苦手なん?」

「例えば図形とか方程式を考えてると、どんなシチュエーションでこんなの見つけたんだよ、って頭に変わっていく」

「うっへー、致命的じゃん」

 

 高千穂は平然と口にした。 軽やかに反動をつけ椅子から立ち上がると、薄く笑みを浮かべる。

 

「まっ、遅くならないうちに行こうよ」

「ん。……じゃないわ」

 

 思わず高千穂について行こうとしてしまった。 そうではない。 話はまだ終わってない。 それどころか半ば断ったようなものなのに、自然と勉強会をする流れになっていた。

 はて? と麻戸は思う。

 高千穂はこんなに強引だったかな、と。

 

「次はなんよ」

「その、なんだ、教えてくれるのは助かるけど……、高千穂は教えれるの?」

 

 失礼を承知で問いかける。 実際、その条件をクリアしていないと、勉強会が雑談会に変わってしまうからだ。

 高千穂は無言でバッグを漁り、七十八点の答案用紙を見せてきた。

 

「めちゃ頭良いかって聞かれたらそうでもないけど、教えるくらいは出来ると思うよ」

 

 元より逃げ道を作っている訳ではない。高千穂にとってメリットの無い行動がどうにも腑に落ちなかった。

 しかし意地で疑念を抱く必要もないため、麻戸は首を縦に振りかけた。 その途中、強引に横に動かした。

 

「……大丈夫? 首ぐにょんってなってたけど」 

 

 首筋を手でさすりながら、麻戸は高千穂を見つめた。

 

「千切れてないから平気。 それよりも、勉強会とやらはどこでやるんだ?」

「適当にその辺のお店に入ろうとしてたけど」

「放課後に制服を着た高千穂はマズイ。 仲間が群がって来るかも知れん……」

「結局それかい」

 

 入るとしたら客の多いチェーン店。 人を隠すなら人の中であり、勉強している学生が目立たない所が良い。

 代償は同じ境遇の人がいること。

 その上、無駄に顔が広く、目につきやすい容姿、耳に通りやすい声をしている高千穂ならばすぐに気付かれてしまう。

 大して仲良くない人だとしても、男子と二人きりでいれば都合の良い話のネタとして、遠慮なく絡んで来るだろう。

 

「カラオケ……はダメだな。部屋代もあって割に合わん」

 

 このまま教室で、とも考えたが即刻抹消した。 絡みに来てほしいと言っているようなものだからだ。

 他の候補を求めて高千穂に視線を向ける。

 高千穂は机に寄りかかり、足を交差したまま佇んでいた。片手でスマホをいじっている。

 

(さすがはギャル。 スマホを持たせたら最強だな)

 

 勝手な期待を寄せて、麻戸はひたすらに待つ。 

 およそ三分。

 高千穂はスマホの画面を消した。

 

「おけ。 許可とれたし、あたしの家に行こっか」

「ちょっと待って!」

「まーだなーんかあるんでーすかぁー?」

 

 高千穂の語気がわずかに上がる。

 だが今は怯んでいる場合ではない。

 

「家、ご家族いる?」

「当たり前じゃん」

「なら良いか……」

 

 麻戸はホッと息を吐く。

 

「今はママがいるだけだし、あたしの部屋に直行したら良いからさ」

「あ、なんも良くねーわ」

 

 きょとんとする高千穂に言い放つ。

 

「部屋じゃなくてリビングの許可とってください」

 

 記憶に残っているのは、鬼気迫る勢いで説明する父と引き攣った顔で怯える妹。

 お題は、異性の部屋に入ることについてだった。

 盗み聞きだったが、父の熱は骨の髄まで染み込んでいる。 明確な理由はあれど、おいそれと部屋に入るわけにはいかない。

 

 

 

 

 電車を乗り継ぎ、普段はバスを利用する道のりを二〇分かけて歩いた。 

 住宅街に入り、高千穂の『とうちゃーく』の声で足を止める。 一軒家を前にして、麻戸は呼吸が浅くなっていたことに気付いた。

 

「あ、緊張してるっぽい」

 

 玄関に手を伸ばしかけていた高千穂が振り返る。

 

「友達の家に行ったことは?」

「透和くらいかな」

「まぁ、麻戸がぼっちなのを別にしても、大体は外で会うから家なんて入らないよね」

「フォローするならそれに徹してくれ。 傷口に塩が入って来てるから」

「ぼっち呼びは良いん?」

「事実とは異なる表現のため、あえて否定はせん」

 

 『ふーん』と適当な返事をする高千穂は、ドアノブに手をかけたまま、こちらを見つめていた。

 どうするんだ、という無言の問い。

 麻戸は来る途中に買ったものを掲げながら、家の中に入るよう促した。

 ガチャ、と玄関が開く。

 

「ただぁいまー」

 

 高千穂の後ろを麻戸が続いて入る。

 左には二階に上がる階段。 右には廊下があって、突き当たりのドアが開くと、女性が笑顔で歩いて来た。

 

「おかえり、梓ちゃん」

 

 高千穂と一言交わした直後、視線が麻戸に向く。

 

「いらっしゃい、麻戸くん。 梓ちゃんに色々聞いていたから会えて嬉しいわ」

「余計なこと言わない」

 

 ぴしゃりと高千穂が言った。

 一体なにをどこまで話したのか気になるが、家族ならば何でも話しているだろう、と麻戸は漠然と思う。

 そこに不満な気持ちは一切ない。 それどころか、女性の瞳をじっと見てしまった。

 

(似てるなぁ……)

 

 高千穂とは違い、落ち着いた雰囲気。 けれど柔らかく細められた目元は、高千穂にそっくりだった。

 

「こんにちは。 今日は場所をお借りしてすみません」

 

 麻戸は手に持っていた袋から中身を取り出して、女性に渡した。

 

「オススメのバームクーヘンです。 ご家族とどうぞ」

「あら、ご丁寧にありがとね」

 

 それから家に上がるよう促され、麻戸は『お邪魔します』と返した。一歩足を踏み入れると、振り返って靴を揃える。

 

「律儀じゃん。 まだ緊張してんの?」

「緊張というか本気出してる。 人様の家に上がる時のやつ、父さんに叩き込まれたからな」

 

 ただ作法を真似ているだけ。 学生のガキが取り繕ったもので、ぎこちなさがあるだろうが、だからと言って手を抜いて良いものではない。

 だが初対面でのやり取りが終われば、ミッションはほぼ達成したようなものだ。

 今ではすっかり落ち着いていた。

 

「それにしても本当にここで良いの?」

 

 リビングに入ると女性が言った。

 四人掛けのテーブルにはオレンジジュースの入ったグラスが二つ置かれる。自然と席が決まり、椅子を引いた。

 

「はい。無理言ってすみません。 広々とした空間が好きなもので」

「分からんわー。 あたしがみきの家に行ったときは逆に部屋から出なかったかんね」

 

 対面の椅子に座る高千穂が言った。

 

「好みは人それぞれってな」

「まぁ、そうだけど」

 

 話しながらテーブルに教材を広げた。 一息ついてすぐペンを握る。

 

「じゃあ私は違う部屋にいるから、お勉強頑張ってね!」

「えっ……」

 

 リビングのドアノブに手をかけた女性を見て、麻戸は小さな声を上げた。

 脳内アラートが最大音量で鳴り響く。倫理観の崩壊が目の前まで来ていた。

 

「ちょ、っと待ってください。 おば、高千穂の、お母様はここにいてくれないとっ……!」

 

 咄嗟のことで高千穂達が動けないでいる中、麻戸は続けた。

 

「あずさんと二人きりがダメなんです。 過ちが起きたら、父さんに殺され、いや責任とって学生結婚……とにかく大変なことになる前に!」

「いやもうなってんのよ……。いつも以上に大変なことになってんのよっ、頭ん中が!」

 

 バンッ! と高千穂は机に手をついて立ち上がる。

 

「てか誰がお母様だ!? ナチュラルにあずさん呼びすんなし! それに過ちなんて…………あーもうっ、親の前で下ネタはキッツいんだわ!」

「待て。俺は真剣だ、あずさん」

「うん、知ってる。だからまず落ち着け?」

「学生とはいえ警戒心は持たないと。 距離感バグってるあずさんは尚更な。 男子を軽々しく家に上げるなんて、俺の父さんなら角が生えるぞ。 あ、でも今日はありがとう。 すごく助かります」

 

 『聞けよ……』と高千穂はげんなりしながら肩を落とした。

 

「あ」

 

 麻戸は一言呟いた。 顔を手で覆い隠しながら天を仰ぐ。ふぅ、と息をこぼし、手のひらを女性に向けた。

 

「誤解です。 俺がというより一般論でして、もちろん高千穂、さんを傷つけるつもりはなく……」

「あ、シラフった……。 にしても爆発しすぎな。 気持ちよかったっしょ」

 

 言葉の尻が下がる麻戸を見ながら、高千穂は呑気にそう言った。

 しかしそれを最後に音はなくなった。

 息が詰まりそうな雰囲気が漂う。 麻戸はお母様の顔を見れなかった。

 だから、気付くのが遅れた。

 

「ふ、あははっ。 すごい、梓ちゃんに聞いていた通りの子なのね!」

「でっしょー」

 

 親子で笑い合っている。麻戸は目を丸くした。

 

「聞いてた、とは?」

「えっと……、よく分からんやつ。 訳のわかんない思考で意味分からんこと言うけど、友達になりたいと思った、ってね」

 

 お母様がそう言うと、高千穂はパタパタと顔を手で煽りはじめた。

 

「いやはっずいなー……。ったく、友達の家に上がるだけで考えすぎだっての」

「梓ちゃんが人を家に連れて来たのは初めてなのよ? しかもそれが麻戸くんとなれば……ふふっ、待った甲斐があったわ」

「醜態晒して申し訳ありません……」

 

 麻戸は、赤くなった顔を隠すように頭を下げた。

 

「良いの。 梓ちゃんを考えてのことだろうから。 でもそうねぇ……、私もここにいて良いのならお邪魔しちゃおうかしら」

 

 依然として笑みを絶やさず、お母様は言った。

 麻戸は静かに顔を上げ、蚊の鳴くような声で呟く。

 

「ぜひ……」

 

 

 

 

 

 机の上は雑に散らかっていた。

 ノートは、数字と丸みを帯びた文字で埋め尽くされている。

 ペンを置き、顔を上げたのはほぼ同時だった。

 高千穂は椅子から立ち上がり、ぐっと伸びをした。 深めの息を吐いて、半分閉じた目を麻戸に向ける。

 

「いま何時?」

 

 麻戸はスマホの画面を触る。

 

「六時前」

「んじゃ二時間くらいはやってたんだね、ふつうに疲れたわ」

「おかげで助かりましたです」

「教える方が身につくって言うしモーマンタイ」

「ありがとう」

「ん」

 

 教材をバッグにつめる麻戸を見ながら、高千穂は再び椅子に座った。

 

「実際どうなん。ちゃんと覚えれた?」

「要点は理解出来たから赤点回避はいけそうだ」

「なら良かったわ。 数字を考えたやつは誰だとか言い出した時には末期だと思ってさ」

「テストは期末ですけどね」

「え、うるさ」

 

 しかし疲れた、と麻戸は心の中で呟く。

 高千穂は言わば直感型だった。 なんとなく把握していて、なんとなく出来る。 そんな感覚的な説明を理解するのは容易ではなかった。

 だが、彼女はどこまでも真剣だった。

 レベルの低い質問にも、分からない所が分からないという麻戸に対して、笑いながら根気強く教えてくれていた。

 申し訳なさに苛まれながらもペンを離さず、言い訳や泣き言を吐かないように何度も言葉を飲み込んだ。

 だからこそ今、わずかな罪悪感とそれを遥かに上回る達成感で、麻戸は心地の良い疲労に潰されかけていた。

 

「お疲れさま」

 

 ことん、とお皿に乗ったバームクーヘンが置かれた。 高千穂の方にも同じように出されている。

 

「さっきいただいたものよ。 麻戸くんも食べましょ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「麻戸が持って来たのにお礼言うのって違和感パないね」

「なら俺がここで『おう、ご苦労』とか言ったらどうする?」

「そりゃあドン引き大爆笑よ。 亭主関白かっての」

 

 麻戸はキッチンを見た。 そこには冷蔵庫を開けているお母様がいる。 少しずつ眉間には皺が寄り、顎に手を置いて固まった。

 

「いや、不倫はちょっと……」

「ママの旦那になれなんて誰も言ってねーんだわ」

「そう、か。ヒヤヒヤした」

「あたしはゾワッとしたよ」

 

 麻戸は安堵の息を漏らした。

 そして机の上にある二つのバームクーヘンに目を向ける。横から伸びて来る手。 オレンジジュースの入ったグラスが置かれた。

 

「あれ、お母様は食べないんです?」

「え、その呼び方定着すんの?」

「高千穂のお母さんっていうのも長いし、さん付けとかでも良いんだろうけど、失礼じゃないし良いかなって思って」

  

 そう言いつつやはりキモいか、と感じた麻戸は『なんて呼んだら良いですか?』とお母様に直接ぶつけた。

 

「不安がってんじゃん」

「ふふ、呼びやすいならそれで良いわよ」

 

 高千穂に茶化されつつも、お母様から確かな了承をもらった。

 で、それはそれだ。

 先ほどの疑問の答えを求めてお母様を見る。

 高千穂家は甘い物は普通に食べると聞かされていたから、口にしたくないというわけではないだろうが……。

 

「えっと、私がいてお邪魔じゃないかしら? こういうのは同級生だけで、と思っていたのだけど……」

 

 お母様はへにょりと眉を曲げた。

 

「分かる。 あたしもそれ思ったわ。 友達のお母さんとか気まずくね?」

 

 そういえば、と麻戸は考える。

 

「バイトの影響かな。 休みの日とかに開店から入ると主婦さん達が良くしてくれるから、その名残り? なにも緊張せん」

「麻戸って無駄にハイスペだよね。 ぼっちだから人に知られる事なく終わるのがマジで惜しい」

「お母様、お願いですから一緒に食べてください。そして娘さんに友達をいじめないよう伝えてください」

 

 六割ほど本気の願いを、お母様はくすくすと笑いながらキッチンへ戻って行った。 きっとバームクーヘンを片手に持って来るだろうと、麻戸はフォークに手を付けずに待つ。 

 すると、高千穂が思い立ったように声を上げてキッチンへ向かった。 家主の行動理由なんて特に考えないが、人様の家で一人ぽつんと椅子に座っていると、どうにもおさまりが悪い。

 もぞりと座りなおしていると、お母様が一人で戻って来た。

 

「ごめんなさいね、私ったら確認しなくて」

「?……いえ」

「いま梓ちゃんが用意してるから待っててね」

「お構いなく。……?」

 

 高千穂が何かしてるんだろう。 そんなざっくりとした解釈で、脈絡のない言葉に頷いた。

 お母様とは滞りなく話をした。

 学校での高千穂はどうだとか、そんなやつ。ありきたりだが、同級生の母親とする初めての会話としてはベストな話題だった。

 

「おまたせー」

 

 会話に花が咲こうとしていた時、高千穂が戻って来た。

 

「はい、ホットコーヒーでぇす」

 

 目の前に置かれたのはマグカップ。 湯気と同時に、缶やインスタントとは違う奥深い香りが漂ってくる。

 利きコーヒーなんて大それた事は出来ないが、それがドリップして作ったものだというのは分かった。

 

「もしかして高千穂が作ったのか? あの、喫茶店でありそうな、くるくるーってお湯入れるやつ」

「そーよ。 パパのお墨付きだから味は悪くないんじゃん? 知らんけど」

「すごいな……、ありがとう」

 

 密かに待ち望んでいたラッキーアイテムに、麻戸は思わず顔を近づけた。

 

「じゃあ揃った事だし、いただきましょうか」

「いっただきまーす!」

「いただきます」

 

 それぞれフォークに手を伸ばす。

 麻戸は一口サイズに切ったバームクーヘンを口に運んだ。

 舌の上に広がる甘味。 鼻に抜けるバターの香り。 それらは記憶の通りの物だった。

 

「んっ、すごくおいしい!」

 

 お母様は口元に手を当てながら目を輝かせた。

 

「バームクーヘンなのにしっとりしてるから食べやすい」

「ですよね。 うちの親も美味しく食べてくれていたので、お父様の口にも合うかと思いまして」

「絶対に合うわよ。 帰って来たら早速食べさせてみるわね」

「ぜひ、そうしてください」

 

 お母様はもう一口頬張る。横目でそれを見届け、麻戸はそっと胸を撫で下ろした。

 チョイスは間違ってなかった、と高千穂が淹れてくれたコーヒーを飲む。

 一度だけ喉に通してから、すぐマグカップを机に置いた。 対面から突き刺さる視線に耐えきれず、顔を上げる。

 

「ど、うした……?」

「感想言い合いっこターイム」

 

 高千穂は頬杖ついた状態で言った。

 なるほど……と思い、コーヒーに視線を落とす。

 

「……なんか、落ち着きました」

 

 一応それなりに考えたが、果たしてこれは感想として成り立っているのか。

 落ち着いたから何だよ、と麻戸は頭の中でツッコミを入れ、改めて口を開く。

 美味しいです、そう言おうとした。

 

「良かった。 バームクーヘンもめちゃ美味しいよ」

 

 柔らかく目を細める高千穂。 当然その様子は視界に入っているが、焦点が合っているのは高千穂の恰好だった。

 白いブラウスの上に重なる、紺色の生地と首周りの紐。 胴体をすっぽりと覆うそれは、ギャルという属性から遠く離れたスタイル。

 

「エプロン……?」

 

 思わず、そう呟いた。

 高千穂はきょとんとして自身の恰好を見ると、胸を張った。

 

「そう、良いっしょ。 さっきコーヒー淹れる時に着けちゃった」

「…………へぇ」

「あ、もしかしてエプロン軽んじる民? 言っとくけど優秀だかんね? シャツに汚れが付かないのもそうだけど、濡れた手とか簡単に拭けるし」

 

 なかなかリアルな使い方や生地のヨレ感。 日頃から使い込んでいることが分かる。

  

「そんなに気に入ったのなら、自分の好きな物を買ったら良いのにねぇ」

「これは違うんです?」

「私のお下がりなのよ……」

 

 言われてみれば確かに紺色の無地は、高千穂にしては無難なデザイン。

 

「もぉー、まだ言うの? これが良いんじゃん。可愛いし。 麻戸もそう思わない?」

「思う」

「ほら」

「言わせてるじゃないの……」

 

 親子のやり取りを聞きながら、麻戸はマグカップに口をつける。 まだコーヒーは飲まない。 湯気を浴び、香りを鼻腔から脳まで届かせる。

 高鳴る鼓動が鎮まるのを待った。

 

(俺、エプロン好きだったっけ……?)

 

 マグカップ越しに目線を上げる。 今もまだ、可愛い可愛くない論争を続けている高千穂を見ると、説明出来ない何かに惹かれた。

 その時、高千穂と視線が交じり合う。

 

「え……、ほんとは変とか言う?」

「言わんよ」

「…………や、そんなマジに言われると照れるんだけど」

 

 高千穂の普段の様子から発生するギャップも然りだが、なにより纏っている雰囲気に違和感がない。

 元より容姿が良く、エプロンという日用品を最大限に際立たせている。

 それは加算ではなく乗算として。

 

「まさに、鬼に金棒だな」

「厳ついな! よくそんな可愛いと対極にある言葉見つけて来たね」

「なら、虎に翼でも」

「ビジュだけ可愛くしても駄目なんだわ」

「似合ってます」

「鬼とか虎とか言われたあとで喜べるか」

 

 呆れ顔で不満をこぼす高千穂。

 リビングに妙な沈黙が訪れた。

 

「麻戸くん、ご飯食べていく?」

「なんで今!?」

 

 お母様は椅子から立つと、机の上にある食器の回収を始めた。

 

「そろそろ良い時間だし、夜ご飯の準備でもしようかなって思って」

「だとしてもタイミング……」

「それで、どうかしら?」

 

 高千穂を無視して、お母様は麻戸を見た。

 

「梓ちゃんも楽しんでるみたいだし、私としてもゆっくりして行ってほしいのだけど」

 

 『なんか恥ずっ!』と言いながら高千穂は机に伏せた。否定しない辺り、少なからずそう思ってくれていたのだろう。

 麻戸は、お母様の言葉を額面通りに受け取った。

 

「でしたら甘えても良いですか? 実は、友達の家のご飯に興味がありまして」

「さすがぼっち」

「こればかりは、一ノ瀬の家に行っても部屋から出ないっていう高千穂と似たり寄ったりだろ」

「あ、確かに」

 

 高千穂は伏せたまま顔だけ上げている。

 クスクスと上品に笑う声がキッチンの方から聞こえた。

 

「じゃあ腕によりをかけて作るから、麻戸くんはお家に連絡してね」

「はい、ありがとうございます」

 

 そうなれば高千穂も手伝うのだろうか。 同級生がエプロン姿で料理を作るところが気になるとは、と麻戸は自身もちゃんとした男子高校生なんだなと悟る。

 スマホを起動させた。 画面にはメッセージが一件。

 嫌な予感を覚えつつ確認すると母からだった。

 どうやら仕事の都合で急遽出るようになったらしい。 そのため、猫が家に一匹でいる状態とのこと。

 

(今は、七時前か……)

 

 ちょっと前に毛玉を吐いたらしい。ここで帰路についたとしても、すぐに他の誰かが帰って来るだろう。

 自分じゃなくても良いんじゃないか。姉や妹に聞いてみようと、連絡先を開いた。

 指が、止まる。

 

(………………へえ?)

 

 無意識に思っていたことを意識して考えると、歪に口角が上がる。

 何事からも優先していた猫と、最近友達になったギャルを天秤にかけることが出来てしまった。

 

(そうか。そんなにか……)

 

 その事実に疑いながらも納得した。母の連絡先をタップする。

 分かった、すぐに帰る——と返信してスマホをしまう。

 

「すみません。 家で猫の子守りを頼まれてしまって……、ご飯はまたの機会でも良いですか?」

 

 言うと、二人から同時に視線を浴びた。

 

「出たな、猫! やっぱ少しだけでもやばいん?」

「もしも何かが起きてエアコンが切れたりしたら、猫が干からびてしまう……」

「えっ、猫って干からびんの?」

「うん」

「まじか……」

 

 きゅっ、と水の流れが止まった。

 お母様がタオルで手を拭きながら近付いて来る。

 

「用事があるのなら残念ね。 でも、有り合わせを出すことにならなくて良かったかも」

 

 イタズラが成功したように、お母様は笑った。

 

「ぜひまた来てね。 あらかじめ教えてくれたら、好きな物とか用意出来るから」

「……ありがとうございます」

 

 帰りの支度はすでに整っている。 バッグを肩にかけてリビングを出た。 玄関で靴を履いて振り返ると、高千穂とお母様が見送りに来てくれている。

 

「それじゃあ、今日はありがとう」

「ん、明日また学校でね」

 

 麻戸は手を上げると、高千穂は小さく手を振った。

 

「お母様もありがとうございました」

「色々と新鮮で楽しかったわぁ」

「それなら良かったです」

 

 直後、お母様の笑みが消える。怖いわけではない。 ただ、目を逸らせないほど真剣な眼差しになった。

 

「ありがとね、麻戸くん」

 

 その一言に何らかの含みを感じた。

 麻戸は以前、立花から送られて来たメッセージを思い出した。

 ——ごめぇんね、謝罪の理由は黙秘権行使、と。

 さらに甘い物とコーヒーの組み合わせ。 それは高千穂には言っていないはずだった。

 散らばった点が繋がりかけている。

 しかし麻戸は強引に、脳内で文字を起こした。

 

(どうでもいい)

 

 投げやりになったわけではない。

 立花が決めたのなら何でも良い。 仮に高千穂に話していたとしても、それでも尚こうして誘ってくれたのだから、何でも良い。

 麻戸はあえて考えるのを放棄する。

 

「いえ、これからもよろしくお願いします」

 

 そう告げて、麻戸は玄関をあけた。

 

 

 







※麻戸がパニックで口走ったあずさん呼びは【一歩】にて、高千穂に却下された呼び方です。


※この作品はカクヨムと小説家になろうと同時掲載しています。
ハーメルンではまとまった話を投稿し、他二つのサイトでは三話くらいに分割した話を投稿しています。
なのでストックが追いついた今、これからの投稿は週一間隔くらいになるので、ご了承お願いします。


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