短めです。
移動教室からの帰りだった。
「鈴代」
同じ教室で授業を受けていた人達が通り過ぎる。
目の前には麻戸がいた。 彼は身を屈め、拾い上げたプリントを見つめた。
「なんか、鈴代の落とし物ばかり拾ってるな」
「ふふ、それは曜真くんの気のせいよ。 これで二回目だからね」
「そうか」
麻戸からプリントを貰う。
去年と同じような状況だった。それをきっかけに会話が増えたようなものだ。
「それにしても、そんなに書くことあったか?」
横並びで歩きながら鈴代は首を傾げた。
麻戸はヒラヒラと紙を振るう。 マリー・アントワネットの考察シート。 拾ってもらったのと同じ物だ。
パッと見えただけだが、余白はかなり多かったように思われる。
「書いたもの全てが彼女という訳ではないわ。 不確かでも頭に浮かんだものとか、当時の年代で起きた事件とか」
「……?」
「彼女の生涯は一七五五年から一七九三年。その間でアメリカ独立戦争が起こったり、日本では江戸時代……みたいに関連づけるの」
「……」
「漢字の成り立ちから覚えたら忘れにくいっていうのと同じね」
「……なるほど。参考にならん事が分かった」
「ふふ、唯一の取り柄だもの。 簡単に真似されたら私の立場がなくなってしまうわ」
「学級委員長っていう立場があるだろ」
「そういう意味じゃないわよ」
本気でそう思ったのか。 はたまた冗談のつもりだったのかは分からない。
でも、と鈴代は思う。
こうして一緒にいると、気負わずにいられる事は確かだった。
「ところで曜真くん」
麻戸はわずかに顔を動かす。
「数学の進捗はどう? まもなく期末テストだけれど」
テストの度に悩んでいたはず。一度だけ教えた事もあった。
「何一つ不安はないよ」
心配は杞憂に終わる。
麻戸は自信に満ちていた。
「立花さんのおかげ?」
「なぜ人に教えてもらった事が前提なんだ……」
「あ、ごめんなさい。 違った?」
「違うよ。 透和じゃない人に教えてもらったから」
「教えてはもらっていたのね……」
「うん」
悪びれる事なく返事をする麻戸に、鈴代は『誰?』と問いかけた。
「高千穂」
一人の女性の名前が上がると、鈴代の足は止まった。
「……それ、本当?」
「ああ」
彼女とは席が隣同士だ。 特別な事ではない。
「教えてもらう時は、他に誰かいたの?」
「余計な気を回されたら困るから人に言わないでほしいんだけど、高千穂の家でやったよ。 だからお母、……うん。親がいた」
胸の奥が、キュッと締め付けられた。
逸る気持ちを必死に抑えながら、再び歩き始める。
「そうなのね……。 どういう流れで家に行ったの?」
「えっと……、最初は透和に教えてもらおうとしてたけど用事があって、そしたら高千穂が教えてくれるって言うから」
「家に行くまでの流れは?」
「……勉強場所を考えていた時に高千穂が提案してくれて」
「それで家に行ったのね。 部屋に二人きり? 親御さんとはお話しした? ちなみにどんな会話をしたのか聞かせてもらっても良いかしら?」
「す、鈴代さん……?」
口から勝手に出続ける言葉の嵐。 こほん、と鈴代は咳払いをした。
「ごめんなさい。 無粋だったわね……」
「いや、驚いただけだから別に良いけど。 鈴代が思っているような事は何もないよ。 普通に勉強して普通に帰った」
「………………でも、なにかちょっとくらいは普通じゃない出来事も」
「粘るなぁ。 百回混ぜた納豆か」
鈴代はうっ、と喉を詰まらせる。
まもなく自分達の教室に到着する。 それはこの話題のタイムリミットでもあった。
「鈴代が何を知りたいのか分からんけど、ただ友達の家に勉強しに行っただけだからな。 それ以上もそれ以下もないよ」
「そう、なのね……」
「まぁ思春期だし色々気になるんだろう。 期待に添えなくて悪いな」
「そんな言い方しないでっ」
まるで子供扱い。
顔に熱が集まり、不満を込めて呟く。
「全く、私を下に見るのは君だけだよ」
「それは気のせいだ。 なぜなら俺の首は横にしか動かないから」
そのフォローには無理があった。
教室に入ると麻戸は『じゃあ』と言って自席に向かう。 その平然振りはやはり、冗談か真面目かの区別が付かない。
麻戸が席に座ると隣には既に高千穂がいた。 当たり前のように会話を始めている。
その隣の隣が、鈴代の席だった。
わずかに椅子を後ろに下げて、横目を向ける。
勉強会という肩書きで家に行った——。その事実を元に、脳内でエピソードを作る。
(だから、一段と仲が良く見えるのね)
あの二人。
麻戸はまだしも、感情表現が豊かなはずの高千穂は、麻戸に対して天真爛漫な笑みは易々と出さない。 にも関わらず……いや、だからこそ、特別な糸で繋がっていると信じて疑わない。
(親御さんへの挨拶を済ませているのも良い傾向ね。……ん、最高だわ)
鈴代は次の授業が始まるまでのわずかな時間で、カバー付きの本を取り出した。すぐに特定のページを開く。
——ずっと、好きでした。
——俺もだよ。
その文章を三往復すると、鈴代は口元を手で隠した。