ギャル怖っ!   作:喜多四季

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麻戸の抵抗

 

 

 

 

(……………最悪だ)

 

 麻戸は教室に入ろうとした所で絶望した。

 授業が終わり、トイレから戻ると席が占領されていた。

 麻戸の席に座るのは高千穂。 高千穂の席に座るのは同じクラスのミキと他クラスの女子だった。

 次の授業はこのクラスでやるため移動をする必要はない。 それならたかが十分程度そこら辺で時間を潰せば良いだけなのだが、次の授業で提出するプリントがある。

 忘れていた物だが大した事はない。 五分でもあれば出来る。

 席に着けたら出来る。 椅子に座れたら出来る。 周りの目を気にする事なくペンを動かせたら出来る。

 

(それが出来たら苦労はしない………っあああああ!ギャルこえぇええええ!!!)

 

 高千穂一人ならば今となっては気にならない。 しかしギャル友達といる高千穂はもはや別人だ。 人によって態度を変えている訳ではないのだろうが、ただ何というか、ホームグラウンドでテンションが高くなるスポーツ選手みたいなものだ。 それに便乗してギャル友のテンションも更に高くなるのだからチームプレイも一級品である。

 

(ん?)

 

 今のは見間違いなのか。

 前髪をオールバックにして悩んでいた麻戸は、高千穂と目が合った気がした。

 教室の戸の陰に身を隠して様子を伺うと、高千穂が何やら友達に話しかけていて一斉に立ち上がった。

 どうやら教室から出て行くみたいで、後ろの戸から出るのと同時に、麻戸は前の戸から中に入った。

 ふと横を見る。

 一番後ろを歩いていた高千穂は、教室から出る直前に親指を立ててこちらに向けて来た。

 

(女神……?)

 

 彼女に対してそう思ったのは的を射ているだろう。今の席は聖域だ。それなら隣に来た彼女も、聖域に相応しい人格の持ち主だという事になる。

 高千穂が作ってくれた時間を無駄にする訳にはいかない。 麻戸は席に着いて机にプリントを広げた。

 ペンを片手に、文字の羅列を見つめる。

 たったそれだけの事だ。

 

「あ、お隣さん帰って来てる」

「まじだ。梓、お帰りなさいって言ってあげなよぉ」

「おっかえりー!」

 

 ウケる、新婚じゃん! などと言いながら教室中に笑い声が響き渡った。

 

(ま、て……待て待て。 これは、どういう……?)

 

 麻戸の視線はプリントに釘付けだ。 しかし内容は一切入って来ない。体の至る所にじんわりと汗がにじむ。

 

(何でこんなに早く………いや、早過ぎるっ。一分も経ってないぞ)

 

 これはあり得ない事だった。 彼女達は偶然出て行ったのではなく、高千穂が意図的に出てくれたのだ。 麻戸が苦手とする人種だから気を遣ってくれたのだ。

 だから、次の授業まで帰ってくるはずがない。 ここに戻って来る必要がない。

 

(忘れ物でもした……………っ、座っただと!?)

 

 高千穂の席に、おっとりした顔の一ノ瀬ミキが腰を下ろした。その膝の上には、一見して勝ち気な性格だと分かる別クラスの女子が乗った。 当たり前のようにお腹に手を回して密着している。

 

「よっ、と」

 

 高千穂は掛け声と共に小さくジャンプして麻戸の机に座った。

 穴が開きそうになるほどプリントを見ていた麻戸の視界の端に、チェック柄のスカートと人間の足が見える。

 

「おじゃましまーす」

 

 頭上から落とされた声。 骨の髄まで染み込んだ恐怖により悲鳴が出そうになったが、麻戸は唇を噛んだ。

 

(……………そう、か。そうか。そうか。そうなんだな。 そういうことなんだな? つまりコイツは、最初から俺を嵌めるつもりだったんだな!?)

 

 天使のフリをした悪魔。 聖域を穢す存在。

 麻戸は、隣にいるギャルズにバレないように眼球だけを動かす。 力を込めて見上げた先には、ニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべた女子がいた。

 

「ねぇ、聞いてよ。 急に炭酸が飲みたくなって買いに行ったんだけどぉ、教室出たらいらなくなってさぁ。 気分ってマジ怖いよねー」

「うん」

 

 結局はやはり麻戸を釣るための策略だったのだろう。 嘘だと丸わかりな事をわざわざ言って来た。

 これから最悪な未来が訪れるのは彼も理解している。 だが逃げ出す訳にはいかない。

 ここで逃げてしまえば確実に『え、なにあれ、感じわる』とか『めっちゃ避けられてんじゃん!』とか『ザ・陰キャ』などと言われてしまうからだ。

 

(こんなもの、さっさと片付けてやる。終わったタイミングでトイレにでも行けば怪しまれないだろ)

 

 真っ白になりかけの思考を懸命に巡らせて、ペンを走らせる。

 

「てか名前なんだっけ?」

 

 ひゅっ、と呼吸とは違う息が漏れた。

 そう言ったのは隣の席でミキの膝に座る別クラスの女子。 名前を知らないのはお互い様だが、ストレートに言われるとメンタルに直接攻撃されてるようだ。

 

(よし、ここは頑張ろう!)

 

 別クラスの女子は、肩甲骨あたりまで垂れた黒髪のポニーテール。 メイクも薄く、一見ギャルとは思えない印象。しかし制服を着崩したり、喋り方や振る舞いなどはまさしくギャル。 麻戸の恐怖対象になる人種。

 だが、麻戸は成長している。

 高千穂と会話していると思って話せば良いのだ。 ギャルというカテゴリーに属している者は似たり寄ったりだと推測する。

 

「こほん」

 

 声を出しやすくするために咳払いをして、麻戸は告げた。

 

「麻戸です。 好きな映画はランボーです」

 

 なにか一つでも話題になりそうなキッカケを作れば拾ってくれるだろう。………と、人任せにしたのが間違いだった。

 期待が虚しく散った。

 彼女達の表情が物語っている。

 

「私は隣のクラスの観月なんだけど……え、これって私も好きな映画とか言った方が良い感じ?」

「いや、流れで言っただけだから別にいい…………っす」

 

 困惑が伝わってくる。 同時に麻戸も困惑していた。

ギャルとはノリで生きているのではなかったのか。 この冷め切った空気を作ってしまうほど、話題提案がつまらないものだったのか。

 答案用紙を全部記入したのに全問不正解みたいな感覚。 麻戸の手の内からペンが落ちて、机の上を転がる。

 それは途中で急停止した。

 白くて傷一つない手がペンに被さっている。

 

「けーたい」

 

 プリントの上にペンを置いて高千穂が小さく呟いた。 言葉のままに麻戸はポケットから携帯を取り出す。

 

(何だ………って高千穂から?)

 

 メッセージが一件。 机に座る彼女が携帯を片手に持っている。連絡先を交換した覚えはないんだが、と麻戸は思う。 直後にクラスで作ったグループから検索をしたら出来るか、と理解した。

 メッセージにはこう書いてある。

 

 

——初めてのお見合いか! もっと共感出来る作品チョイスしろし!……とか言ってほしかった? てか陽キャじゃないやつにいきなりぶっ込まれてもフツーに困るかんねw

 

 

 文章から小馬鹿にした感じが伝わって来た。 だがそれは苛立ちが募るものではなく。

 むしろ、

 

(あー、これこれ)

 

 安心した。

 この居心地悪い空間を築いた元凶に対して、麻戸はそう思ってしまう。

 

「ねぇー、この曲よくない!?」

 

 一ノ瀬みきは早くも麻戸に興味をなくしていた。 携帯を見ながら興奮気味に言う。 高千穂は条件反射みたくすぐに机から降りて、観月は顔を覗かせる。

 三人が小さな画面を見ると音楽が流れた。ほんの二〇秒ほどだった。

 

「良き! 撮ろ撮ろ!」

 

 観月が率先して二人の手を引く。 おそらくだが、踊っているところを撮ってSNSに載せるのだろう。

 再び、麻戸は安堵する。

 空気のように扱ってもらえるのならプリントに集中出来るからだ。 彼女達が自分の世界に入っているから警戒する必要もない。

 

「は……? だっり!!」

 

 途端に不意を突かれた。 麻戸は電気でも流されたかのように跳ね上がる。

 ドッドッドッドッドッ!! と体の内側全体に響く鼓動。血流が爆走している。

 ゆっくり顔を動かすと、観月が指で摘んでいる黒い紐を睨んでいた。 彼女は確かポニーテールをしていたはず。 それが今や解かれているから、ゴム紐が切れたと考えるのが妥当だ。

 

(……ギャルのこういう所が怖いんだよな)

 

 ポカポカ陽気だと思った瞬間に氷点下になる急激な温度差。 背後に嫌な空気を感じながら、麻戸はペンを走らせる。

 

「どっちかゴム持ってね?」

「ん、あるよ」

「さすがっ。梓マジ最高だわ」

 

 高千穂がバッグから出したのは、まだ買ったばかりで袋に入ったままのゴム紐だった。

 

「新品じゃん、すまんね」

「良いって良いって」

 

 言いながら高千穂は封を破って、取り出したゴム紐を麻戸の机に置いた。

 

「?………??」 

 

 会話は耳に入って来ていた。 ここで話を振られるのはあまりにも文脈が繋がっていない。

  麻戸は一ノ瀬と観月を見た。 同じようにポカンとしていて、高千穂だけが口角を上げていた。

 

「それじゃあ、女の子が困ってるわけだし助けてあげよっか」

 

 麻戸は石化した。

 彼女の友達二人は同時に吹き出す。

 

「あっは! それはイミわかんねぇって!」

「急な無茶振りが鬼なんだけどぉ」

 

 二人はツボには入ったみたいで腹を抑えながら"く"の字型に折れ曲がっている。

 これが冗談だと思っているのか。 一時的な衝動に駆られて悪ノリをしているだけだと思っているのか。

 

(コイツは、本気で言ってやがる……!?)

 

 冗談ならば、もう引き下がって良いだろうに、今もまだ視線を落として来ている。

 一体なにを求めているのだろうか。 慌てふためいて、尻尾巻いて逃げるのを期待しているのだろうか。

 麻戸の決断は早かった。

 

(反撃だ。 ここで一発、鼻を明かしてやる)

 

 麻戸は立ち上がって椅子の後ろにまわる。 まだ笑っている観月に目を合わせて、やんわりと微笑んだ。

 

「いらっしゃい、観月さん。 今日は撮影用にセットするだけだったよね」

 

 トントンと背もたれを叩いて座るように促す。

 時が止まった。 それは嵐の前の静けさ。 直後、火山が噴火するように笑い声が爆発する。

 

「あははははは! マジなにが始まった!?」

「ウケ。麻戸ってそういうこと言うやつなん?」

 

 羞恥が麻戸を襲う。奥歯を噛み締めて表情を維持した。 素面に戻るな!と必死で訴え続ける。

 しかし逃げ場所を求めてしまった。 眼球がグルグルさまようと、ある一点にとどまる。

 彼女は二人のように笑っていなかった。口角を歪に曲げているが声は出していない。

 ふと、彼女の……高千穂の目が細まった。

 

「ほら、胡春(こはる)。 店長が言ってるんだから早くしないと」

「え、梓……?」

 

 高千穂は戸惑っている観月の手を引いて椅子に座らせた。 あちこちに視線を飛ばしている観月に、麻戸は後ろから話しかける。

 

「コンセプトは決まってるかな?」

「は、え、なになに? 怖いんだけど」

「店長のお任せで良いってさ」

「ようし。それなら清楚な感じにしようか」

「あ、清楚が好みなん?」

「余計な事は言うな、っす」

 

 麻戸と高千穂は客(?)を完全に無視しながら続ける。

 

「はい。最初にこれ使って」

「ん?」

 

 渡されたのはウェットティッシュだった。 袋から抜き取られたシートはアルコール臭を放っている。 それはウイルスを滅菌するための物。 この場面で渡されたら、麻戸という菌を消毒しろという事になる。 日頃あれだけ会話をしていても、ギャルの群れの前ではバイキン扱い。

 麻戸はよろめいて一歩下がった。 すると、高千穂は首を振る。

 

「予想つくから言うけど、それ誤解ね。 マナーみたいなもんだと思って」

「分かっ、た……」

 

 それはそうだな、と麻戸は思う。

顔だけは何となく見た事あるのかも知れない程度の人間に接触されては、髪はおろか手でも不快だろう。

 

「観月。 勢いで言ったけど続けても良い……っスか?」

 

 麻戸はアルコールウェットティッシュで手を拭きながら尋ねる。

 

「いきなり素になられても困るんだけど……。てかそもそも出来んの?」

「ああ。 透和(とわ)………立花っているだろ。 あの陽キャ代表の」

「うん」

「小学校を卒業する頃。あいつが髪型を気にするようになった時にセットしたのが俺」

「余計な不安きたー。 しかも絶妙にエピが気になるー」

 

 間髪入れずに高千穂が割り込んだ。

 

「同感しかない! でも良いよ、なんか面白そうだし」

「ん、ありがとう。…………俺が礼言うのは変か?」

「店長はやーく」

「ああ。じゃあクシ、は、いらんな」

 

 手首に黒いゴム紐をつけて高千穂からクシを貰おうとしたが不必要だと気付いた。観月の髪を見つめて、そっと手を伸ばす。

 

「すごいな、これ」

 

 カラスの羽を彷彿とさせる光沢感。触れると、まとまっていた髪が一本ずつに散らばった。 手の内で束を作っても重さが感じられない。 ほんの少しでも手を緩めたらサラサラと流れ落ちていく。

 

「私の自慢。中々なもんでしょ」

「……姉や妹とは全然違う。美術館内を着物姿で歩いたら、動く日本人形として客とれるくらいだ」

「なにそれ。意味わかんね」

「なんでよ胡春。めっちゃ褒め言葉じゃん。ね?店長」

「……っす」

「クセ強かよ。てか麻戸って両方いるんだね」

「両方?」

「姉と妹」

 

 ああ、と麻戸は相槌を打つ。

 

「二つ上と三つ下がいる」

「ふーん」

 

 観月の耳の前にある髪を両サイドから後ろに持ってくる。 後頭部付近で一つに束ねた。

 

「手際良いじゃん」

「一時期、気が狂うくらいやらされたんだ。これくらいは出来る」

「それを先に言え? 立花のエピとか絶対いらないでしょ」

「そうか?」

 

 観月と会話をしつつ、麻戸は手を動かす。

 背中の中心を越えるほどの長い髪だから、少し曲がるだけで全体が歪んで見えていた。

 形を整えていると、ふと違和感を覚えた。 ちらりと横目で見ると。

 

「今のところはふつーのハーフアップだねぇ。 こっからなんかすんの?」

 

 先ほどまで椅子に座っていた一ノ瀬みきが、麻戸の隣から顔を覗かせていた。

 興味本位で来たのだろう。 麻戸からすれば、これは監視だ。

 わざわざヘアアレンジ役に買って出て来てこの程度かよ、と言われてる気がしてならない。

 

「ぇ、まぁ、ちょっと、簡単なやつ、ですけど」

「急にどもるじゃん。どしたぁ?」

「言葉で説明しづらいだけでしょ。おとなしく見てよーよ」

 

 一ノ瀬に覆い被さるように高千穂が抱き付いた。

 

(………偶然、じゃないな)

 

 麻戸は確信を得た。

 彼女達の言葉で精神に負荷が掛かった時、高千穂が割り込んで来ている。

 晒し者にするのが目的だと思っていたがために、彼女の行動理由にはまるで見当が付かない。

 

(どうせ分からんし考えても無駄か)

 

 分かっているのは守られているという事。 それは受け入れ難いものだった。

 もう、一度たりとも怯えてたまるか、と麻戸はこのひとときだけ全力を尽くすと決めた。

 

「単純にさ、ハーフアップってボリュームあった方が良いと思う」

「めっちゃ良きぃ」

「って事で、立体的にボリュームを付けます」

「はぁい」

 

 動画撮って! と観月が言うと、携帯を構える高千穂。

 

「両サイドから引っ張って来たやつをまとめて結ぶ。手前からクルンと一回転させて、間に入れる」

「ほほぅ」

「捻れる事でボリュームが出来て、その結び目付近の毛を軽く引っ張って形を整えたら…………、はい終わり」

「あ、可愛ぃ!」

「ねっ。しかもマジ簡単じゃん!」

 

 一ノ瀬と高千穂が食い付いて見ると、弾き出される麻戸。 観月も動画を見ては一緒になって騒ぎ始めた。

 

「ありがとね!麻戸。気に入ったわ」

「良かった。 ……一つ聞きたいんだけど髪のケアって何してる?」

「ケア?………麻戸がすんの?」

「俺じゃない。 妹が髪に気を遣ってるから、なんか特別なことやってるなら教えてほしくて」

「妹ラブかよ、麻戸お兄ちゃん」

「妹も麻戸だけどな。 もしかして秘密にしてる?」

「なわけ」

 

 観月は指を一本立てて得意気に笑う。

 

「髪をサラサラにするにはヘアオイルが一番っしょ!」

「あ、それは付けてる。 そのあと手洗わずにドライヤーするもんだから拭いても拭いてもベトベトだ」

「あー……」

 

 彼女は気まずそうに目を逸らす。 どこか理解を示すような反応。 しかし共感している相手は麻戸にではなく妹の方だろう。

 

「じゃあ、クシは?」

「それも使ってる」

「どこの?」

「さあ。そこらへんに三〇〇円くらいでありそうなやつ」

「それだ。良いやつに変えてみ。 めっちゃ良くなるから」

「分かった」

 

 クシ程度で変わるとは思えないが、これだけ論より証拠を見せつけられたら疑う必要はない。

 

「てかもうそろチャイム鳴るくない?」

 

 高千穂が言った。

 

「うわマジだ。めんどくせー」

「私はトイレ行っとこっかなぁ。梓一緒に行こうよぉ」

「んー、今はいいかな」

 

 寂しいんだけどぉ、と一ノ瀬が駄々をこねる。 しかし高千穂は誘いには乗らずに手を振って送り出す。 二人が教室から出る時には、麻戸は自席についていた。

 

「おつかれ、麻戸」

 

 高千穂は何故だか自分の席を通りすぎて、麻戸の椅子の背もたれに手を置いた。

 

「策を弄して嵌めて来たくせに白々しいな」    

「我ながらヤバいわ。演出が神過ぎたよね」

「残念でしたね。俺を嵌めた瞬間に女神の座からは降ろしてやったっす」

「逆に女神の時があったことに驚きなんだけど」

 

 でも、あれだね……と言いながら高千穂は顔を近づける。

 

「胡春の髪やってた時の手付き、エロかったね」

「……………は…?」

 

 麻戸の机の上にはプリントがあった。 まもなく休憩時間が終わると言うのにまだ一文字も書いていない。 そして今も、動こうとしていたペンが止まった。

 

「胡春かわいいから緊張したでしょ。 ケアの仕方とか聞いちゃってたし、あわよくば一緒にお出かけ出来るとか思った?」

「な、に……」

「ミキが後ろから話しかけた時は距離近かったねー。 あたしも抱き付いて思ったけど、良い匂いだったよね」

「…………………、」

「なぁに黙ってんの? もしかして思い出してる最中だった?それはさすがにイヤラシくない?」

 

 ようやく。

 ここに来てようやく高千穂の目的が明らかになった。

 彼女は種をまいていたのだ。 最後に全て収穫するつもりで、自分一人だけ愉悦に浸れるように。

 そんなつもりじゃなくても、女子とのやり取りを言語化されては麻戸も戸惑いを隠せない。 顔に熱が集まり、真っ赤になった表情で、パニック寸前のたどたどしい言葉で慌てふためきながら否定をする。

 

「なん、ていうか……」

 

 もしも彼女がそんな麻戸を思い描いているのなら、それは大間違いだった。

 

「んー、どしたどした?」

「高千穂、勘違いしてるだろ」

「え」

「まぁ、どうぞ」

 

 目の前でフリーズしている高千穂に、人差し指をちょんちょんと動かして席に座るように促す。

 想像していた反応ではなかったのだろう。 高千穂はおとなしく腰を下ろした。

 まず、と麻戸は切り出す。

 

「髪を結ぶだけでエロは無いし、言葉として弱い。下ネタキーワードで盛り上がる中学生か。 それと俺はあくまでギャルが苦手というだけであって、女子に対しての免疫がない訳じゃない。 むしろ兄妹がいるやつはその辺の陽キャよりも耐性がある」

 

 麻戸はペラペラと捲し立てた。 ここで押し切る事が勝利条件だと何となく察した。

 

「あと一ノ瀬の匂いで共感求めて来たってことは、少なからず高千穂が思った事だろ? ははっ、一ノ瀬の匂いで高千穂が興奮してたって本人に言っちゃおっかなー?」

「それ言ったらそっちがキモい扱いされるからリアルにやめなね」

 

 遊びの無いマジトーンで返される。麻戸は言葉を詰まらせた。

 高千穂はカバンを漁って一枚の紙を取り出す。

 

「はい。邪魔してごめんね代」

 

 渡されたそれは、次の授業で提出しなければならないプリント。 白紙の麻戸とは違って、高千穂のは全ての空欄が埋め尽くされていた。

 

「正直さ、やり過ぎたかもって思ってたんだよね」

「……自覚あったんすね。確かに、演出だとしても机に座るのは俺もどうかと思ってて」

「いやシンパシー感じれてないわ、それ」

 

 麻戸は首を傾けた。

 

「ミキ達がいたのにダル絡みしたでしょ。怖くなかった?」

「怖くなかったと思ってるなら赤点どころか落第ですけど」

「だよねー……。でもそうやって挫けずに返してくるから、こっちもノっちゃうんだよ」

「………え、性格悪い発言?」

「麻戸と話してると楽しいってニュアンスで受け取ってもらえる!?」

「あ、そっちか」

「うん。そっち」

「………………………、」

 

 ふいっ、と麻戸は外を見た。 まもなくチャイムが鳴るから即行でプリントを写さないといけないが、彼は横を向いたまま顔を固定する。

 

「あっ、やっぱ炭酸飲みたいわ。 買いに行ってくるけど先生来たら………えっと、鼻血出して保健室行ったって言っといて」

 

 『分かった』と言い終わる前に、椅子を引きずる音が聞こえた。 直後にはテンポの速い足音が遠ざかっていく。

 少し経った後で麻戸は頬杖をつく。 憎たらしいほどに雲一つない青空を、眉間に皺を寄せて眺めた。

 

 

 

 

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