高千穂は珍しく、麻戸よりも早く席に着いた。
公共の乗り物が遅れているのか。もしくは教室には入らずどこかで話をしているのか。
どこから来ているのか分からないが、理由など考えればいくらでも思い付く。 しかし、登校して席に座る時に毎日挨拶をしていた人がいないとなると、ルーティーンを狂わされたみたいで、物足りなさがある。
そんな事を思っている時だった。
「高千穂。おはよう」
「あ、おはよ。麻、戸………?」
声をかけられて自然と顔を向ける。 途端に高千穂の語尾が弱まる。 麻戸の一挙一動を目で追った。
「いやそんな見てくんなし。 俺の事好きかよ」
こんな感じの冗談は身近な所でたまに見る。 そういう時には『はあ? 全然見てないし自意識過剰乙!』などと笑いながら返すのがデフォルト化されているが、
「ど、どしたの?」
高千穂はこのセリフを言う事に全力を注いだ。
「なにが?」
「何って……、その恰好とか」
話し方もそうだが、まず見た目が違和感だらけだった。
夏が近いこの季節。 ポロシャツにしてもワイシャツにしても全員が半袖だ。
しかし麻戸はつい昨日まで長袖のワイシャツを着ていた。 それも袖と第一ボタンをきっちり止めるという一昔前の典型的優等生スタイル。
それが今や、胸元のボタンを二個ほど開けて、腕を捲っている。 極め付けには髪もワックスを使ってセットしていた。
「どーよ。格好良いっしょ?」
高千穂は無言で頷く………というより、話の流れに逆らわないよう適当に顔を動かす。
(……だめだ。 なんでこうなってるのか全く分かんない)
横目を向けてバレないように観察した。 気味の悪い事に不自然な所がない。 いや、全てが不自然であるのは間違いないのだが、この様子が作りものだと仮定した場合、型にハマりすぎているのだ。
実はこれが本性です、と言われたら納得してしまうくらいに。
(いやでもそれはおかしいか。 ギャルが怖いとかいう変なキャラを演じる必要がないし)
結局ふりだしに戻ってしまい、高千穂はため息をついた。
直後、ガタン!と隣から聞こえた。
再び横目を向けると、身を小さくした麻戸がこちらを見ていた。 口はキュッと一文字に結ぶ。喉仏が大きく上下した。
視線が交錯すると、麻戸はハッとした表情をしてすぐに口角を上げた。
「なぁ、高千穂。今日って一限目から小テストあんじゃん?」
「うん」
「俺さ、朝まで勉強してたから今日寝てないんだよねー。だから今まじで眠ぃ!」
「小テストに本気出しすぎじゃない?」
「………?」
よく見ていないと分からなかったが、麻戸の首が五度くらい曲がった。 そしてとても小さな声で『あ、違った』と呟く。
「それこの前の話だったわ。 今回のテストはさ、昨日寝ちゃったからノー勉なんだよね」
高千穂はポカンとした表情になった。
でもそれは一瞬の事で、切り替わるように口元にだけ笑みを作った。
「うん。 でも授業の復習みたいなものだからノー勉でも問題ないよね?」
「あー、まぁ、確かに?」
「それにさ、夜はちゃんと寝たのに今眠いの? 」
「えっ、と……」
「どもってないでちゃんと喋りなよ」
語気を強めて言うと『ひ、っ……!』と蚊の鳴くような声が返って来た。
寝てないアピールとノー勉強アピールを同時に言って自爆するようなやつに容赦はしない。
高千穂は頬杖をついて横向きに座る。
「こっち」
「……え?」
「話してるんだから相手の目は見るもんでしょ」
おずおずと麻戸は向きを変える。 しかし何を思ったのか、深呼吸をして咳払いを二回ほどすると、急に胸を張って足を組み始めた。
「ウケる。なんか不機嫌くね?ネタにマジギレは冷めるってー!」
「それ、つまんないからやめて」
「はい」
そこらで聞いたような話し方をする麻戸を高千穂は一蹴する。 要は適材適所だ。 漫才師のネタを我が物顔で披露する一般人など痛々しくて見てられない。
麻戸は即答した後、捲っていた袖を戻して、胸元のボタンも一番上までとめた。
「髪はさすがに直せないね」
「ワックスに加えてヘアスプレーかけましたから。 ガッチガチっす」
立花の髪をセットしていたと言うだけの技術がそこにあった。 額を全て覆っていた前髪を片方だけ上げて、側面を後ろになびかせている。
キャラ作りもそうだがあまりの完成度の高さに、高千穂は素直に感心した。
だが、それとこれは別。
「んで、何があってこうなった?」
本題を率直にぶつけた。
「前にさ、高千穂が俺と話すのが楽しいって言ってくれただろ? あれがなんだかんだ嬉しくてさ」
淡々と話す内容に、高千穂は顔に熱が集まるのを感じた。
「おおーいっ、急になに真顔でぶっちゃけてんの!?」
あの時は飲み物を買いに逃げた自身もそうだが、最初に目を逸らしたのは麻戸の方だ。
話を蒸し返すのはお互いにとって得はないだろう、と高千穂は思う。
「理由聞いて来たのは高千穂の方だろ」
「いや羞恥だわ。 そっちも照れるなりしろし」
「話したばかりの女子に媚びへつらう俺が、今さら恥ずかしく思う事なんてないっすわ」
「無敵かよ……」
開き直りもここまでくれば尊敬の域だ。 それはもちろん皮肉であり、高千穂は頭痛がしてこめかみを抑えた。
続きをどうぞ、と無言で手を差し出す。
「で、まぁ、その、なに? と、友達になれたなーって思いましてですねぇ……」
高千穂は頷く。俯いたまま『結局照れるんかい!』と心の中で叫び散らした。
「まずは対等に会話をしようと思って、陽キャになってみた」
「あ、そこ。わけ分かんない」
思わず前のめりになって、人差し指を突き付ける。
「対等っていうのは、麻戸が勝手に卑屈になるやつを治すって事であってる?」
「ああ」
「んじゃそこから、陽キャになろうと決めるまでの思考回路を教えて」
麻戸は当時の記憶を思い出そうとしているらしく、首を傾げて上を向いた。
「えっと、高千穂はギャル。 ギャルといえば陽キャ。 陽キャといえばチャラ男」
「ん?」
「ギャルが楽しめる相手はイコールとして陽キャに繋がるんだ。俺だって自分にばかり合わせてもらおうとは思わんよ。 工夫くらいするさ」
「……………ぬーん?」
高千穂は今の会話を頭の中で五回繰り返した。 理解は到底出来ない。 どうすればそうなるんだ、と突き止めたいはずなのに何故か心は平静を保っている。
心の奥底だけは、麻戸の言っている意味が伝わっているらしく反論する言葉は出て来ない。不思議と穏やかな気分でもある。
しかし脳と心が分離しているみたいで不快感もある。
「………………とりあえず今日の感想言わせてもらうと、誰と話してるのか分からなかった」
「え」
「無駄に手が込んでるから、麻戸の顔をした別人って感じでキモかったわ。 せめて口調とか会話の内容が普段通りなら、面白おかしくノれたんだけどね」
「ギャルの生態を調べてる時に陽キャやチャラ男も登場していたからな。 イメージは掴めていた」
ふふん、と麻戸は鼻を鳴らす。
「あ、陽キャの真似が完璧だったって褒めてるわけじゃないんだわ」
「はい……」
肩をガックリと落とした麻戸だったが、直後に不満を意を込めた目で高千穂を見た。
「でもっすよ? 逆に俺は高千穂の性格を考えて話していたんだから、ノってくれた方が良かったんだけど」
「えー、まじ?」
「ああ。 ちょっと優しさが欠けてたっすね」
「んなわけ。優しさの塊だわ」
だってさ、と高千穂は続ける。
「あたしがノってたら『麻戸がデビュー決めてんだけど!』って大爆笑する」
ピシ、と麻戸の表情は固まった。
頭の回転が早いのか、確信に辿り着いたのだろう。
「そしたらまずはみきを呼んで」
「ひ」
「胡春も呼ぶ」
「ぁ、……!」
「あとは三人ほどギャル呼んで、囲っちゃうよ?」
「今回の件は俺が全部悪いです。 反省してます」
「ん。よろしい」