「麻戸。 悪いんだけど、これを職員室まで運んでくれないか? 俺の机のところに置いてくれたら良いから」
「ん、分かりました」
授業が終わり、偶然にも教師の前を通った事が運の尽きだった。
目の前にダンボールが二つ。 書類や教材が詰め込まれ、片方は口が開いていた。
それを重ねて、まとめて持ち上げる。
「へい、ストーップ」
肘が直角になるまで持ち上げたところで、気が抜けるような声が横から入って来た。
見ると、麻戸の心臓が跳ね上がる。
高千穂梓の友達。一ノ瀬みきであった。
「な、ど、どうしました?」
「敬語とか謎なんだけどぉ。なんかウケ」
会話が難しかった。 この状況を打破するために仲介人として高千穂の存在を求めたが、どうやら今はいないらしい。
無視して行く訳にもいかず固まっていると、一ノ瀬は両手を差し出して来た。
「お手伝いしに来ましたぁ」
「………まじか」
周りを見ても一ノ瀬を見て笑っている人はいない。 仲間内でふざけている訳ではないのだろう。
ギャルに対しての偏見が狂わされている今、純粋に感謝の気持ちがある。
「ま、大丈夫だ。 軽いし」
ありがたいとは思えど、それとこれとは別。
ギャルと二人で共同作業なんて体力ではなく神経が擦り減らされてしまう。
「そうなん?」
「ああ」
「じゃあ簡単だ。持っていくのは職員室だったよね」
言いながら、彼女は上のダンボールに手を伸ばした。
「あっれー?」
麻戸は疑問の声を上げながら、取られないように一回転する。
「なにその動き。おもろ」
「あの、手伝いはいらん……大丈夫だ。 俺一人で出来るから」
「んー。 一緒にやった方が楽じゃね?」
「まぁ、それはそうだけど。 これ結構重いんだよ」
「さっき軽いって言ってなかった?」
「俺にとってはな」
一ノ瀬は女子の中では平均的な身長だ。しかし細い。 ダンボールを抱えるだけでも一苦労に思える。
「チキン二十個食べてもらってから検討します。とりあえず今は俺がやっとくわ」
言いながら一ノ瀬の横を通り過ぎる。 数歩進んだ辺りでシャツがぐいっと伸びた。 背中に妙な通気性が生まれて、体が後ろに引っ張られる。
「チキンのくだりは意味不だったけどぉ……。もしかして私には持てないって思われてる?」
首だけ動かして肩越しに見る。 やはり一ノ瀬がシャツを掴んでいた。
「い、や……その、持つ事は出来ても、職員室まで運ぶのは辛いだろ」
「そこまで言われたらさぁ、もうねぇ、運ぶしかない!」
なぜ決意を固める事になったのかは分からない。 だがこれ以上は断れないと悟り、首を縦に振るように見せかけてガックリと項垂れた。
その時だった。
「なーにイチャついてんだよっ」
「みきの裾クイとかやっば!破壊力高すぎな!」
女子が二人近づいて来た。
(あ、これは駄目だ)
笑いながらの大きな声。 恋愛系を絡めたイジり。 無遠慮な接触。
瞬間的に、体が関わる事を拒否した。
喉が干上がった。
嫌な汗が噴き出す。
視線をどこに向ければ良いのかも分からない。ぐにゃりと景色が回る。
「わ、るい。 おくれたらマズイから、行くわ」
絞り出した声が正常に伝わったかどうかは知らない。 麻戸は返答も聞かずに教室を出た。
廊下では様々な声が飛び交っている。 意識しても、先ほどいた所でどんな話をしているのかは聞こえない。
階段を下る前で立ち止まり、麻戸は大きくため息をついた。
「やっぱ重たいんだねぇ」
「っ!?」
驚きのあまり声が出なかった。 首が捻じきれそうな勢いで隣を見る。 一ノ瀬の姿を視界に入れると、すぐに眼球を動かして周りを見た。
どうやら教室にいた女子二人はついて来ていないらしい。
「……何でいんの?」
「え、一緒に運ぶって話だったじゃん」
「そうだっけ? 気にするなって言ったと思うけど」
「ううん。言われてないよぉ」
「そうか……」
麻戸は呟いて、ダンボールを一ノ瀬の胸の高さまで下げた。
「口が開いてバランス取りづらいから注意してくれ」
「おけ」
一ノ瀬が上に積まれたダンボールを取る。 少し足元がふらついたがすぐに安定させて、開いた口から中身をジロジロと見ていた。
「落としたらヤバイもん入ってんの?」
「知らん。 いざとなったら落として良いよ」
「え、適当すぎん? てか注意するのか落として良いのかどっちなん?」
「注意するのは階段の方。 一ノ瀬が転ぶ前にダンボール程度落としたら良いって事」
「おー、めろいこと言うじゃん」
「そして二人で怒られよう」
「あ、やっぱそうなるんだね」
人の少ない階段を並んで降りる。
「麻戸は、思ってたより身長高いんだね」
横を見ると一ノ瀬が見上げていた。
「俺としてはもう少し伸びて欲しかったけどな」
「なんセンチ?」
「一七五。 悲しいことに去年から全く伸びてない」
「止まっちゃったんだ」
「牛乳は飲み続けていたんだけど、さすがに限界があったらしい」
「令和の時代に牛乳で背を伸ばそうとするとは……。この時代遅れめ」
「でもそろそろ牛乳はやめようかなって思ってるんだ」
「成果が出ない事に気付いたから?」
麻戸は首を振る。
「牛乳は毎日二〇〇ミリリットル飲む。 スーパーで売ってるのは九〇〇ミリリットルで約二六〇円。 月に消費する牛乳の数は約七本、つまり一八〇〇円ちょっと。 年間を通すとチリツモなんすよね」
「お母さん?」
「誰が主婦だ。 俺はお父さんだ」
「それもそう、って違くない? いやなにが違うのか分かんないけど、……ってか全部違う!」
「……一ノ瀬、大丈夫か?」
「私がおかしいみたいな反応しないでよぉ!」
これは高千穂と同様に考えを改めなければいけない。
一ノ瀬はのんびりとした性格で、思っている事をそのまま口にする女子。 しかし先ほどいたギャルの上位種とは違い、自分の世界観を貫いている。 こちらに踏み込んでくるような圧はない。
少なくとも一緒にいて苦とは思わなかった。
「はぁ、まさか麻戸がこんな変人だとは……」
ため息と共に聞き捨てならない事が飛び出した。 反射的に言い返そうとしたが、やめた。
今。 この瞬間は、願ってもないタイミングだった。 高千穂梓の"裏の顔"を探る好機。
つくづく根が暗い奴だ、と麻戸は口元を歪める。
「失敬だな。 というか、高千穂は俺の事とか話したりしてないのか? 今まで関わりなかったやつが隣の席に来たんだから何か一つくらい」
「話したことないよぉ」
「自意識過剰ですみません」
一ノ瀬の言葉が事実なのか嘘なのか、見定める余裕はない。 ただ質問の仕方を間違えたと、麻戸は顔を手で覆いたくなった。
「麻戸の事はねぇ、梓から何も聞いてないの」
「え、もう一回言う? ダメージはしっかり入ってるよ?」
「梓はねぇ、結構喋るんだぁ。SNSとかテレビ、くだらない事でもめっちゃ喋んの。 最近だと、藤木が疲れるって愚痴ってたかな」
いつの間にか一階まで下りて来ていた。 もう数十メートル歩けば職員室。
「でもねぇ、麻戸の事はなにも話さない。 ネタが無いんかなって思っても、席にいる時は楽しそうにしてるし」
一ノ瀬の歩幅に合わせると亀のようにのんびりしていた。 それがこの会話をしたいがための策だったとしたら、まんまと嵌められた事になる。
「私から振っても一言で終わらされて、逆に気になったんだよねぇ」
「ふーん」
「麻戸って、梓と付き合ってんの?」
「付き合っていない。 最近友達になったばかりだ」
麻戸は即答する。
「でもそれならさぁ、なおさら話題に上がるもんじゃない?」
「ただの予想だけど、俺が大勢の人と関わるのが苦手って言ってるから必要以上に言わないだけだと思う」
さらっ、とでまかせが飛び出る。
ギャルが苦手とか言う馬鹿な奴。 そのことを高千穂が裏で話して笑いのネタにしているかも知れない。
そんな疑念が頭の片隅にあった。だが今の会話で、喉に刺さった小骨が取れた気分になった。
「もしかして、付き合ってるの隠してる?」
いかにも学生らしい問い詰め。 それでいて厄介な流れ。
イエスと答えれば単純に嘘つきとなり、ノーと言ったところで素直に納得してくれるとは思わない。
一ノ瀬が一人だということが最低限の救いである。
「……ごめん。 もう言わないから怒らないで」
ハッ、と麻戸は目を見開いた。
「悪い! 変な顔してたか!? そんなつもりはっ、というか怒ってないからな? 恋バナは苦手分野で、高千穂の事でそんな話はしたくないとは思ったけど」
面倒だな、くらいにしか考えていなかった。ささいな事で一ノ瀬を傷つけてしまったかもしれない。
麻戸は必死に弁明した……が、身振りをした拍子に、するりとダンボールが滑り落ちた。
床に叩き付けられ、ズンッッッと廊下に響き渡る。
一ノ瀬は石のように固まり、麻戸は一言『あ』と呟いた。
「これは、二人で怒られよう」
「なんでだよ」
端的な一言だった。
「冗談。 ただ、先生には内緒にしよう」
「……まぁ、それなら良いよ」
麻戸はダンボールを拾い上げて、脇に抱えた。
「麻戸って力持ちなんだねぇ。 それ落ちた時めっちゃ鈍い音したけど」
「こう見えても鍛えてんすよ。 帰宅部所属だと運動不足が怖いんで」
「おじいちゃんか」
「視力は一.五あるけどな」
「アピるとこが絶妙に微妙だわぁ」
あは、と笑う一ノ瀬を尻目に、麻戸は職員室の戸を二回叩いた。
用事を済ませて職員室を出る。
さすがに疲れたのか、一ノ瀬は両手をぷらんぷらん揺らしていた。
「ねぇ、私はさぁ、あんま絡まん方が良い?」
唐突だった。
先ほどの会話で気になったからとりあえず聞いてみた、という感じだ。
実際に抵抗はない。 それに、単刀直入すぎる言い方はさておき、こうやって聞いてくれたというだけで、ギャル怖フィルターを外す理由にはなる。
「いや、そんな事ないっすよ。……優しくしてくれるなら」
「おもろ。 なんだしそれ」
そう言って一ノ瀬はスマホを持った。
「んじゃ、まぁ、ミッション達成の記念に写真撮ろ」
「オーケー、俺に任せろ」
頷いて、麻戸は手を伸ばす。 首を傾げている一ノ瀬のスマホに人差し指を向けた。
こてん、と一ノ瀬は反対側に首を倒す。
ちょいちょいと指先を曲げると、ようやく渡してくれた。
スマホを預かって数歩遠ざかり、麻戸は腰を屈めた。
「さて。 絶好の太陽光が入って来ている。 壁に寄りかかって片膝曲げてみるか」
「いやそぉじゃないんだわ」
『え?』と麻戸はスマホの横から顔を出す。
「写真撮るんだろ? うちのわがまま女王達にかなりの頻度で撮らされるからポイントは分かってるつもりだ。 タイマー使うより確実だぞ」
「タイマーなんて使わんて。 自撮り知らんの?」
「……あぁ、そういうことか」
あの話の流れからスマホを出され、条件反射みたく勝手に動いてしまっていた。
早とちりをした、とスマホを一ノ瀬に返す。
麻戸は踵を返して、歩きながら手を振った。
「手伝ってくれてありがとう。 次の授業が始まる前には戻って来いよ」
「…………この陰キャめ」
静かな、それでいて深い感情が込められた声が背後から聞こえた。 思わず身を固くする。ギギギ……と壊れかけのロボットのような動きで後ろを見ると、一ノ瀬が大股で近付いて来ていた。
どうする事も出来ないまま、麻戸はまん丸とした目を向け続ける。
すると一ノ瀬は、麻戸と肩が触れ合うくらいまで急接近した。 片手を全力で伸ばして空中にスマホを構える。
「あの、俺、写真に映るのは慣れてなくて、苦手なんですけど……」
「しぃー」
一ノ瀬は口の前で人差し指を立てながら、首をわずかに傾げた。
その瞬間、カシャっと無機質な音が鳴る。 依然として肩が擦れ合うくらいのところで、一ノ瀬はスマホの画面を見た。
「あはっ、麻戸の顔めちゃ引き攣ってるぅ」
麻戸も横から画面を覗き込む。写真で撮る時以上に表情を歪める。
「うはー、なんかウケ。SNSに載っけよ」
「それはノーグッド。 悪いけど不特定多数は嫌いなんだ」
「……のーぐっど?」
じとー、とした目を向けて来る。
麻戸は無言で頷いた。
「……はぁ、しかたない。 優しくしなきゃいけないし、ここは我慢しよう」
妥協か。不満か。いや、恐らくそんな事は一切思っていないだろう。
言いながら、一ノ瀬はふにゃりと笑った。