「はぁ……」
放課後。
麻戸は靴を履き替えて校舎を出ると、肩を落としている立花の近くに立った。
「重いため息だな」
自然と、足並み揃えて門へ歩きだす。
「だってさぁ、遊び一つ断るのにこんな時間かかるなんて、さすがに疲れるわ」
「それほど透和と遊びたかったって事だろ。 人気者の証とも言える」
「お前、それはずるいって……」
立花は俯いた。 その心を推測すると、おそらく照れを隠している。 隣を歩いている麻戸からは、ニヤけている口元がしっかりと見えていた。
「ねぇ、ちょっとぉ」
ふと、背中に突き刺さる間延びした声。 一ノ瀬みきのものである事はすぐに分かった。 しかし呼び止められるような仲ではないはずだが、と麻戸は疑問に思いながら振り返る。
先に口を開いたのは立花だった。
「おっ、一ノ瀬じゃん。どうしたの?」
「ごめんなんだけど、ちょっとこっち来て」
一ノ瀬の行動は早く、二人が反応したのと同時に踵を返した。
「透和。 門の所にいる」
「オーケィ」
「あ、そうだ。そーゆーやつだったわ」
言いながら、一ノ瀬は足を止めて振り返ると手招きをした。
「麻戸も来て」
とつぜん麻戸の目の前に、地獄までの道が一直線に敷かれた——とまでは言わないが、それでも呼び出しには慣れていないもので条件反射みたく身を固くした。
「あーっと、俺だけじゃ駄目なの?」
「うん、まぁ、ちょっと二人の手を貸してほしくてさ」
麻戸の眉がピクリと動く。
ついこの前に話をした時の、マイペースな雰囲気が無いことに違和感がある。
「良いよ。 行こうか」
「ん、ありがと」
小さな笑みを浮かべて歩を進める一ノ瀬。
仮にイタズラな罠だったとしても問題ない、と麻戸は考える。 囮というか盾というか、丸投げしても何とかしてくれるであろう立花がいるからだ。
「おお、一ノ瀬とも話せるようになったんだな」
後を追う麻戸に立花が並ぶと、小さく告げた。
麻戸はちらりと目を向けるだけで口は開かなかった。 無言のまま、首を横に振る。
「駄目なのかよ!」
「冗談だ」
「分かるかっ。 お前が言うと冗談に聞こえないんだよ」
「修行が足らんな」
「いや、お前を理解出来たら終わりだと思ってるからこれで良いわ」
「…………、」
ふら、と麻戸は足がもつれたように上体を傾ける。 そのまま、緩やかな反動をつけて立花に突進した。 『うーい』と立花は大きく体を揺らした後、左足を振り回すモーションに入った。 だがその蹴りは麻戸にぶつかる直前に止まる。
一ノ瀬が足を止めてこちらを見ていたからだ。
自然と、麻戸達は駆け足で近付いて行く。
「あれ、なんだけどさぁ……」
校舎の陰から顔を覗かせる。
そこには高千穂梓がいた。 彼女は一人でなく、目の前には男子が四人。 その中の一人には見知った顔があった。
「ほう。 藤木くんか」
『へぇ』と頷きながら立花は言う。
「意外。藤木のこと知ってんだ」
「ああ。 成就しない恋を励んでいることも知ってる」
「何だそれ。どこ情報だよ」
「ちなみに今が励んでる最中だ」
「……えっ、あいつ高千穂が好きなの?つーか振られる前提!?」
「らしい。けど、そんな事より説明がほしい。 たぶん切羽詰まっているんだろ?」
視線の先にいる高千穂は笑っていた。 ぎこちない顔で、むりやり口角を上げて。
なんとも、つまらない光景だった。
「うん。 藤木は無視して、問題は梓の正面にいる人なんだけどぉ」
傍から見てもリーダー的存在であることは分かる。 一際声が大きく、笑いかければ周りも笑う。 ただ、事あるごとに高千穂に触ろうとしている魂胆が透けて見える。
端的に言うとチャラい。 いつぞや陽キャのチャラ男を真似た時の原型みたいだ。
「……誰?」
「一応この学校の有名人だよ。サッカー部三年の本庄先輩。 あの人の代で何年か振りに全国に行ったんだってよ」
「ふーん。……で、人気者の高千穂が運悪く目を付けられてしまったと?」
一ノ瀬は頷いた。
「最近声をかけられることが多くて、正直絡みたくないから断ってはいるんだけどぉ、あんなふうにしつこくてねぇ」
「俺も良い噂は聞かねーな。 本当かどうかは知らないけど、あれを見てる限りだと遊ばない方が安全ではある」
時間にしてわずか一〇秒。 じーっと見続けていた麻戸は『分かった』と呟いた。
「俺達四人はこれからカラオケに行く予定。 穏便に終わらせるよう俺が話を進めるから、二人は合わせるだけにしてくれ」
「オーケィ」
「ごめんねぇ、二人とも。私だけだったらどうにも出来なさそうでさ」
「ああ。 もう一度言うけど穏便にだからな?」
立花と一ノ瀬は大きく頷く。
「イメージするんだ。 雲一つない太陽の下、緑豊かな草原。 俺達は、争いを嫌う羊となる」
「……ねぇ、麻戸っていつもこうなの?」
「すげーだろ。これ本気で言ってんだぜ」
麻戸は迷いのない大股歩きで火中に身を投げる。
「遅れて悪いな、高千穂」
「あさ、と……?」
間に割り込むように入ったが、麻戸の視線は高千穂だけに向いた。
「これで全員揃った事だし、カラオケ行こう」
高千穂はぽかんとしていた。 交わっていた瞳が麻戸の背後に向く。
瞬間、麻戸は後ろの二人に何か話せと、背中に回した手をグッと握りしめてパッと開いた。
「っ、そういや俺、割引券持ってんだよね」
立花が言葉を詰まらせながら口を開く。
「え、えー、まじ? 最高じゃん。 やったねぇ、梓」
一ノ瀬もそれに乗っかった。
「……そうだ、ね」
高千穂は本庄達の方に向き直る。
「という事なので、ごめんなさい。 あたし今日はこっちと予定があるので」
軽く頭を下げて麻戸の横を通り過ぎる高千穂。 間を置いて、麻戸も高千穂の後ろに続く。
「何、約束してたの? さっきは言ってなかったじゃん」
背中越しに投げられた言葉に、麻戸の眉間には皺が寄った。
砕けた口調だが、どこか責めるように語尾が上がっている。
麻戸は振り返り、ごまをするような愛想笑いを浮かべた。
「本庄先輩っすよね? すみません、多分俺のせいっす」
「あ?」
本庄が一歩踏み出した。
「俺、大人数でいるのが苦手で、他の人には黙っててもらったんすよ。 高千穂がカラオケ行くって言えばそれはもう集まるでしょうから」
「…………は」
本庄はニヤついた顔をしながら周りを見た。仲間達はそれを合図に 『キモ』『陰キャじゃん』などと言いながら大口を開けて笑う。
「なら俺達も行って良いよな? お前だけが我慢すれば良いだけの話だろ?」
「勘弁してくださいよ。カラオケは四人で予約してるんで、時間も迫ってるし……」
「こんな平日に予約とか馬鹿かよ! 部屋とか普通に開いてっから!」
本庄は嘲笑うように薄ら笑いを浮かべてズカズカと歩き始めた。 勢いよく麻戸の肩に肘を乗せる。
「なあ、良いだろ?」
「すみません。 俺あがり症なんで、ぶっ倒れると救急車呼ぶ羽目になっちゃいます」
皮膚が触れ合うような至近距離。 麻戸はまばたきもせず、本庄を見続けた。
『うっぜ』と本庄がこぼす。置いていた肘を離すと、今度は力任せに肩を組んだ。
「なあっ、こんなやつとカラオケ行ったってつまんなくね!? 今のうちに断っとけよ!」
本庄は高千穂達に狙いを定める。が、高千穂達は無言のまま目を逸らした。
麻戸が、腰の下で手のひらを向けている。
「……もう、良いですか?」
麻戸が告げた。
たっぷりと間を置いて、本庄が麻戸を突き飛ばす。
「あー、まじウザいなお前。 顔見てると気持ち悪いから消えろよ」
「……では」
麻戸は体の向きを変えて高千穂達がいる方に足を進める。
胸元で親指を立てた。 修羅場を乗り越えてやったぞ、と笑みすら浮かぶ。
対照的に、高千穂達の表情が驚愕に染まった。
直後。
パァンッ!! と、甲高い音が響いた。
やけどのようなビリビリとした衝撃が、背中一面に遅れて伝わって来る。
麻戸はよろめくように大きく一歩前に出た。
(くそ。思いっきり叩きやがって……!)
じんわりと感じる痛みを和らげようと深い息を吐く。 顔を上げて落ち着きを取り戻すと、ギョッとした。
目前に、険しく表情を歪めた高千穂が迫っていた。 鋭い眼光の先にいるのは麻戸ではない。
高千穂は、本庄に食ってかかろうとしていた。
だがその行動は、麻戸の理想と大きくかけ離れている。
本庄の元へ向かう道に、麻戸が強引に割り込んだ。 強制的に動きを止めた高千穂に、麻戸は声を発さず唇の形だけを変える。
————構うな。
意図は伝わったはずだ。しかし高千穂の熱は全くと言っていいほど冷めていない。
麻戸の目に力が入る。 じっと見つめながら、納得させるように小さく首を振った。
高千穂はキュッと唇を噛み締め、静かに俯いた。 一ノ瀬の手に引かれて、ふらりと足を動かす。
「うっわ、チキンじゃん! ダッセ!」
「本庄、お前ビビらせすぎな」
「やられっぱなしで良いのかー。 みっともないぞー」
背後での盛り上がりには耳を貸さない。しかし当然ながら嫌でも声は聞こえてくる。
口を開けば何が飛び出すか分からないため、麻戸達は門を出るまで無言を貫いた。
学校が見えなくなるまで歩を進めると、立花と一ノ瀬は同時に振り返る。
「おいおいおい、かっこいい羊だったじゃんよ!」
「それな。 まじ最高の羊」
足は止めず、満面の笑みで麻戸の体を叩く二人。
麻戸の横を歩く高千穂が言う。
「なぜに羊?意味わかんな過ぎて困惑なんだけど」
「穏便にすませるために羊を真似するんだってぇ。 麻戸が言いだしたの」
「やっぱね!麻戸が言いそうな事だと思ったわー」
納得だと頷きながら高千穂は口角を緩める。 声を高くして、笑顔を見せていた。
高千穂の視線が麻戸に止まる。
「ん、どしたん?」
高千穂は変わらずだった。
本庄に見せていた時の表情だ。
「……一ノ瀬に頼まれたからでもあるんだけど、俺はその顔をやめさせたくて割って入ったんだ」
笑顔のまま高千穂の表情が固まる。
「もしかしてまだ腑に溜めてるものがあるのか?」
「そりゃあまぁ……、あたしにも内臓あるし」
「あ、そっか」
しんと、した空気が漂う。
立花はすでに前を向いて歩いていた。 一ノ瀬はぽつりと高千穂の名前を呼ぶ。
それからは、靴裏の地面を擦る音だけが場を占めた。
「あり、がと、ね……。正直、来てくれて助かったわ」
ふと、高千穂は前を歩く二人の方を見て言った。 立花と一ノ瀬から返答を聞き、ちらりと麻戸に目を向ける。
「でもね、麻戸は駄目だった、かも」
「……ほう、俺の羊は高評価をもらえたんだが?」
それは捻り出した言葉だった。
「だってさ、麻戸は目立つの嫌いでしょ?」
高千穂は柔らかく、自嘲気味に笑う。
「それなのにあんな先輩と関わっちゃってさ。叩かれもしたし……」
「……、」
「麻戸とは、誰も何にも関係ない所で話をしているのが良かった」
以前、罠にかけギャルの群れに引き摺り込んでおいてどの口が言うか、と麻戸の脳裏を駆ける。だがそれは思っただけ。
飛び出した言葉は違った。
「つまり、また勘違いしたわけだな?」
『え?』と高千穂は顔を上げる。
「確かにギャルに遅れを取る日々が続いているけど、俺は元々海のように広く、そして深い心の持ち主。 ウミネコ数羽が海面に突っ込んで来ようがビクともせんな」
高千穂は呆気に取られた。 普段よりもわずかに開いた目で麻戸を見つめる。
「そうそう。 曜真を心配する必要はねーって」
高千穂の視線がゆっくり動いた。
再び立花は口を開き、閉じるを繰り返す。 後頭部に手を回してボリボリと掻く仕草をすると、
「…………うん。例え話でもしようとしたけど何もないわ。とりあえず大丈夫って思ってたら良いと思われ」
即座に『適当か』と麻戸が言い放つ。『お前には言われたくない』と立花が返すと、一ノ瀬が吹き出した。
「君たちは締まらないねぇ。ちょいダサなんだけどぉ」
「曜真が悪いよ」
「フォローしきれなかった透和のせいだろ」
「うっわぁ。小学生みたいな言い合いするじゃん」
ぐっ、と麻戸は口ごもる。 考えてみると否定出来ない会話だった。
これから何か言い返したとしても、それはムキになって返しただけの言葉に過ぎない。 黙っているのが最善だ。
立花も同じ考えをしたらしく、ぎこちない顔して黙秘を貫いていた。
「あは」
一呼吸置いて、沈黙を破ったのは高千穂だった。
「そっか。うん、私の考えすぎか……。麻戸はちゃんと強い子だったんだね」
「語弊がある言い方やめて? 小学生って言われたばかりで傷口深いから」
抑える所は心臓付近。 言葉のナイフはガードを擦り抜けて来るが、必死に守りの体勢をとる。
そっと高千穂は手を伸ばした。
ほんのりと、背中に温もりが伝わる。
「ごめ…………ありがとね、麻戸」
『ああ』と麻戸は言った。
全員から死角になっている左の拳を、爪を立てながら力いっぱい握りしめる。
そうしなければいけない。
距離が近くなったせいで視界を埋め尽くす高千穂の顔。取り戻したかったものが目の前に現れると、表情筋の全てが崩れ落ちそうだった。
「ねぇー。 一件落着したところで麻戸に聞きたいことがあるんだけどさぁ」
すーっ、と背中の熱が消える。切り抜けたと静かに息を吐いた。
『ん?』と一ノ瀬の方を向きながら左手を軽く揺らす。
「どっからウミネコ出てきたん?」
「…………え?」
「いやさっきのやつ。海面に突っ込むだの言ってたじゃん。 あれが羊以上にイミフで気になっててさぁ」
「あ、あぁ、えっと…………ウミネコが先輩で、海が俺で」
「は?」
なんのジェスチャーか分からずに振り乱していた手は、だらんと落ちた。
「ごめん、説明つらいです……」
「えー、なんとなくもうちょいで分かりそうなんだけどなぁ……、梓わかる?」
「え"っ」
飛んで来た火の粉に顔を引き攣らせる高千穂。 立花がボソッと『コイツ鬼か』と言った。
「えーと、つまりさ、鳥が魚をとるために水中に突っ込んで来たところで、広大な海はダメージないっしょ?」
「うん」
「だから、先輩のウミネコみたいに小さな攻撃は、海のように広い心の麻戸には効かないって意味になんの」
「お、おーっ! なぁるほどねぇ!」
感心したと言わんばかりに一ノ瀬は声を上げる。
麻戸は勢いよく高千穂に右手を差し出した。
「なんよ、この手」
「友好の証。 俺達、親友にグレードアップしても良いんじゃないか?」
「え、無理。 こんなしょうもない事でグレードアップしたくないわ」
駅の改札の前で、麻戸はバッグから定期券を取り出した。
「一応言っとくけど、二人とも今日は家から出ないようにな。 万が一に会ったりでもしたらどうする事も出来ん」
一ノ瀬はスマホの画面をタップして構える。
「てかこのまま四人でカラオケ行けばよくない? 嘘を本当にしちゃえば良いじゃん」
「それは駄目だ。 猫が一匹で留守番してるから早く帰らないといけない」
『冷房が切れてたら最悪だし』と麻戸は続けた。 しかしその言葉は女子二人の耳には届いていないのかも知れない。
キラキラと輝く瞳で迫って来た。
「麻戸猫飼ってんのぉ!?」
「めっちゃ見たいんだけど! 家にお邪魔して良い?」
一呼吸すら置かず、麻戸は言う。
「駄目。 知らない人来ると緊張しちゃうから」
真顔だった。 頭の中にこびりついた文章を正確に最速で読み上げる。
「曜真は、自分の命より猫の一日を優先するから諦めた方が良いよ」
立花が追い討ちをかけるように断言すると、二人は露骨にテンションを下げた。
「あー、ああぁぁぁ……」
「くっそぉ。ぬか喜びさせられたぁ。……んじゃ、立花だけでも行く?」
「二つの意味でごめん。この後は麻戸の家でゲームする予定なんだよね」
「はあ? 話違くない?」
「俺は猫が来る前から麻戸家に行ってるから、今では家族同然です」
ごめんと言った割に、立花は勝ち誇った顔をしていた。
高千穂のじっとりとした視線が、麻戸に突き刺さる。
「なに、二人は付き合ってんの?」
「んな訳ねーだろ!」
『怖い事言うなよ』と立花は寒気を抑えるように自分の両肩を抱いた。
「まぁ、見た目で言うなら透和の方が彼女っぽいな」
「まず否定しろや!」
「あ、ちょっと電話して来るから先に行っといて」
麻戸は一人、改札を潜らずに踵を返した。 立花の悲鳴、女子の黄色い声が遠ざかる。
「………………、」
麻戸は手ぶらだった。
視線を巡らせ、音を意識する。
人の波。 後ろ。 エスカレーター。 柱の陰。
どこにも、記憶したばかりの四人の男はいなかった。
本庄の前から立ち去る時、確かに聞こえた。
コソコソとした、囁き。
内容は分からない。
馬鹿にするような高笑いや、挑発するような煽りではなく、もっと、作戦を企てる時のような——。
(てっきり後を付けて来るのかと思ったけど、考えすぎだったかな……?)
予想は外れた。 しかし麻戸の表情は一向に晴れない。