葬送のフリーレン〜名もなき故郷の哀歌〜 作:みかん色の夕焼け
広場の片隅に置かれた木製のテーブル。
フリーレンは、その椅子に一人で腰掛けていた。フェルンがシュタルクを引きずって、屋台の並ぶ通りへと出掛けてしまったので、二人が戻ってくるまでは、ここで祭りの様子を眺めているつもりだった。
近くでは村人たちが酒を飲み交わし、子どもたちが笑いながら走り回っている。先ほどまで演劇をしていた舞台には後片付けをする大人たちの姿も見えた。
そんな何でもない村の光景を眺めていると、横から不意に声を掛けられる。
「フリーレン。今、よろしいですか?」
聞き覚えのある声に、フリーレンは顔を上げる。そこに立っていたのは、白と淡い水色のドレスを身に纏った魔族の少女だった。演劇が終わったというのに、まだ衣装を着たままのようだ。
「……まさか、そっちから話しかけてくるとは思わなかった。何か用?」
少し意外だったが、フリーレンは顔色一つ変えずに座ったまま尋ねた。警戒は解かない。ネーニアが村人たちと親しくしていることから、この三十年間の交流がまともなものらしいことは分かった。だが、それで魔族に対する自分の認識が変わるわけではない。
「少しだけお時間をいただけますか?」
そう言うと、ネーニアは手に持っていた木製の杯を二つ、テーブルの上へと置いた。ことん、と乾いた音が響く。ちらりと観察すると、中では淡い黄金色の液体が松明の明かりを受けて揺れているのが見えた。フリーレンは警戒の色を隠すことなく、目の前の淡い金色の瞳へと視線を移した。
「どうしたの、これ?」
「屋台でリンゴの絞り汁とブドウの絞り汁を買ってきました。少しだけハチミツも入っているそうですが、どちらにしますか?」
フリーレンは思わず返答に詰まった。いきなり魔族から飲み物の好みを尋ねられて、奢られるとは思わなかったからだ。そのまま固まっていると、ネーニアは少しだけ首を傾げた。
「お嫌いでしたか? でしたら、別の飲み物を用意してきますが」
「そういう問題じゃなくて……。いや、ちょっと待って。いきなりグイグイ来るじゃん、なにかあったの?」
昨日までは、こちらから話しかけない限り、ネーニアが積極的に接触してくることはなかった。それが今夜は何の前触れもなく、接近してきた。しかも、魔法の気配が一切ない。こちらから攻撃される可能性など考えていないかのように無警戒だ。
「せっかくの祭りの日なのだから、この機会に旅の方々とも仲良くなったらどう? そのように、村の方々から言われました」
「めちゃくちゃ余計なお世話でしょ、それ」
「そうでしょうか?」
フリーレンは目の前の大魔族を見つめた。敵意は感じられない。どうやら、本当に村人たちから言われたことをそのまま実行しているらしい。人付き合いに関しては、自分も何か言える立場ではないが、こいつも相当不器用らしい。どうにも調子の狂う相手だ。
「……じゃあ、ブドウの方で」
「承知しました」
ネーニアは頷くと、ブドウのジュースが入った方を差し出した。フリーレンはそれを受け取り、しばらく中身を見つめた。新鮮な果実の甘い香りがほのかに漂っている。
「魔族から飲み物を勧められるのは、初めての経験だよ。普通は出会ったら、すぐに殺し合いになるからね」
「魔族と人類の関係性を考えるなら、それ自体は正しい行動であると思います。村の外で人間の魔法使いと出会ったのなら、私もそうします」
ネーニアは否定することなく、フリーレンの向かい側に腰を下ろす。同じテーブルに座ることを許可した覚えはないのだが、わざわざ追い払う気にもならなかった。
フリーレンは杯を持ち上げる。毒を盛られている可能性はあまり考えていない。魔族がわざわざ毒殺という手段を取ることは稀であるからだ。
魔族は魔法に強い誇りを持つ。毒を操る魔法を使えるのであれば、嬉々としてそれを飲食物に用いるだろう。しかし、そうした魔法を持たない者が、わざわざ毒を用意して魔法使いの殺害を企てることはまずない。無駄なプライドだと、師匠のフランメが指摘していた類いのものだ。
フリーレンは、ブドウのジュースを一口飲んだ。甘酸っぱい味が口の中に広がる。
「うん、おいしい」
「良かったです。この辺りで採れたものですから、そう言っていただけると村の皆さんが喜びます」
ネーニアも、リンゴのジュースに口をつけた。それきり、二人は黙ってしまった。周囲では相変わらず、祭りの賑わいが続いている。人々の笑い声、楽器の音色、屋台の店主が客を呼ぶ声が耳に心地よい。
そんな中で、エルフの魔法使いと大魔族が、同じテーブルを挟んで杯を交わしている。なんとも奇妙な光景だった。しばらくして、フリーレンがようやく口を開く。
「一つ、聞いてもいい?」
「内容にもよりますが、何でしょうか」
ネーニアが顔を上げる。フリーレンは杯を置き、目の前の魔族をまっすぐに見据えた。
「お前は、どうしてこの村を守っているの?」
その問いかけにネーニアが少しだけ目を丸くした。ほとんど感情を出すことの無かったこの魔族が初めて、驚きの表情を見せている。
「あなたから、そのことを問われるとは思いませんでした。ですが……ええ、確かに当然の疑問なのでしょうね」
「三十年もこの村に住んで、魔物から村人を守っている。人々を騙して取り入るためというのなら、随分と手間のかかるやり方だ。お前の目的はなに?」
ネーニアはしばらく黙っていた。答えるべきか迷っているようにも見えたが、やがて静かに口を開く。
「平穏に暮らすためです。誰かに命を狙われることなく、日々の生活を穏やかに送る。この村を守る理由としては、それが最も大きいと思います」
「まあ、そう答えてくるような気はしてたよ」
戦いから離れて、平穏に暮らしたいと願う魔族がいないわけではない。ヒンメルたちと旅をしていた頃にも、そうした魔族と出会ったことはある。
だが、人間と魔族は善悪の捉え方も、命に対する価値観も違う。その魔族は自分を村に受け入れてくれた村長を数日後には殺害し、あまつさえその娘を人質として利用しようとした。
あの慈悲深いヒンメルでさえ、魔族を信じたことを後悔したくらいだ。そんな相手と人類が共に生きるのは、極めて困難だ。
「……お前たちは人間を殺しても罪悪感を覚えない。人間が生きるために獲物を狩り、家畜を処理するよりも、お前たち魔族は簡単に人の命を摘み取る」
「否定はしません。通常の魔族にとって、人間を殺すということに躊躇は介在しません。むしろ、充足感を覚える行為ですらあります。ですが、私は……」
「だったら分かるでしょ。そんな生き物が人間の村で平穏に暮らすなんて、そう簡単にできない。できない、はずなんだ」
言い淀み、広場へと目を向けるフリーレン。視線の先では、子どもたちが笑いながら走り回り、その向こうでは大人たちが酒を飲み交わしながら談笑している。陽気な音楽に合わせて踊る者たち、祭りの活気に当てられて小さな騒ぎを起こしている者たちもいる。魔物の溢れる北部高原では、なかなか見られない光景だ。
そして、そんな村の現在はネーニアが守り続けた年月の上に成り立っている。
「墓への献花もそうですが、人間の行動は、私にとって理解が及ばないものが多々あるのは事実です。それでも、村の方々の好意で穏やかに過ごすことができています。……あなたにも感謝を、フリーレン」
「私に? なんで?」
「理由は話せません。ですが、言葉のとおりに受け取ってもらえると助かります。あなたのおかげで、今の私があるのですから」
そう言って、ネーニアはわずかに微笑んだ。それを見て、フリーレンは杯に伸ばしかけた手を止める。ナヒトの村へ来てから、この魔族が笑うところを見たのは初めてだった。普段はほとんど動かない口元が、今はほんの少しだけ緩められている。
フリーレンはしばらくその顔を見つめていた。記憶にない、会ったことはないはずだ。だが、思えば、この村に来たときからネーニアはこちらを一方的に知っている雰囲気があった。ヒンメル達と旅をしていた頃に、どこかで間接的に関わったことがあるのかもしれない。
「……お前は、これからもこの村に住むつもりなの?」
「そうですね。村の方々が許してくださるのであれば、そうしていたいと思っています」
「そっか」
フリーレンは、それ以上は何も言わなかった。これまでの村人たちの反応から察するに、少なくともナヒトの村へ来てからは、ネーニアは無闇に人間を手にかけていないのだろう。
その事実が、やはりフリーレンには不可解だった。これまでの生涯で大量の人間を殺害してきたはずが、急に興味をなくしたかのように、ネーニアは人殺しを止めている。何か原因があるのだろう。それでも、こんな魔族と出会ったのは、初めての経験だ。
「……お前と話していると調子が狂うよ。倒さなきゃいけない相手なのにね。なんていうか、本当に変な魔族だ」
フリーレンは残っていたブドウのジュースを飲み干した。いずれは討伐しなければならない相手だ、その結論は変わらない。
「そうでしょうか」
「そうだよ。少なくとも、今まで会ってきた魔族の中ではかなり変わってる部類だ。お前を討伐することになれば、私はそれなりに心を傷めることになりそうだよ」
それでも三十年もの間、ネーニアがこの村を守ってきたことには敬意を表しようと思う。だから、今日のところはこの話題を終わりにすることにした。
「絞り汁の追加はいかがでしょうか?」
「ああ、もらおうかな。あと、絞り汁じゃなくてジュースって言ったらどう?」
「意味は変わらないと思いますが、あなたがそう言うなら、そうします。少し待っててください、買ってきましょう」
「待った。何度も奢られるのも気になるし、一緒に行こう」
フリーレンは小さく息を吐く。何故かは知らないが、こちらへの敵意が感じられない。どうにもやりづらい相手だった。
祭りの賑わいは、まだ続いている。お互いを信用したわけでも、わだかまりが解けたわけでもない。それでも、エルフの魔法使いと大魔族は穏やかに言葉を交わしながら、屋台に向かって歩き出していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
終わりを迎えたナヒトの村の祭り。
広場を彩っていた明かりは一つ、また一つと消され、村人たちもそれぞれの家へと帰っていく。どこか物寂しい空気の中、ネーニアも村人たちに別れを告げて帰路についていた。
──あなたにも感謝を、フリーレン。
エルフの魔法使いに言った言葉を思い出す。フリーレンがあの言葉の真意に気づくのは、まだ当分先になるだろう。それで構わない。伝えることはできたのだから、いずれは気づく機会が訪れるだろう。
そんなことを考えながら、ネーニアはようやく村外れにある自宅に辿り着いていた。しかし、室内へ入ろうとしたところで何者かの魔力を感じて、ふと足を止めた。
「……こんな時間に、何かと思えば」
窓辺に一羽の鳥が留まっていた。小さな身体に、夜の闇へ溶け込むような紺色の羽根をした伝書用の鳥だ。その脚には折り畳まれた紙がくくりつけられている。魔力の発生源は紙の方のようだった。ネーニアが近づくと、さっと脚をこちらへ差し出してきた。
手を伸ばしても、紺色の鳥は逃げようとしない。自分の脚から手紙を外されるのを大人しく待っている。ネーニアが小さく折り畳まれた紙を開くと、そこには短い文章と簡易な地図が記されていた。
──トゥーレン湖にて待つ。
ネーニアはそれを読み、しばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。
「久しぶりの連絡だと思ったら、随分と急な話ですね。まあ、構いませんが」
頭上を見上げると、そこには静かな夜空が広がっている。村から少し離れた山々の向こう。手紙に記されているトゥーレン湖は、ここから山を三つ越えた先だった。飛行魔法を使う魔族にとっての距離としては、それほど遠くない。
ただ、祭りから帰ってきたばかりだというのに、また外出することになるのは気が進まなかった。それに、
「もしかしたら、朝から待たせているかもしれません。そうなると着替える時間も惜しいといえば、惜しいですね」
ネーニアは自分の衣装を見下ろした。白と淡い水色のドレス、このまま出掛けるのはどうなのだろうか。しかし、手紙の相手はネーニアがどのような格好をしていようと気にするような性格ではないはずだ。ならば、着替える必要性は薄いだろう。
ネーニアは手紙から手を離す。ひらひらと足元に落ちた手紙は地面に触れることなく、影に飲まれて消失する。魔法の余波が少女の髪を結ぶ淡い水色のリボンを揺らした。
「今更、私に何の用があるのかは知りませんが」
そう言うと、ネーニアは夜の空へと飛び去っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
ナヒトの村から、山を三つ越えた先。
深い森に囲まれた場所にトゥーレン湖と呼ばれる大きな湖がある。静まり返る夜の水面は空に浮かぶ月を映し出し、風が吹くたびに、光が細かく揺れていた。
ネーニアはそんな湖の上空で足を止める。ゆらゆらと眠るように揺らめく光を見下ろしながら、手紙の主がどこにいるのかを魔力探知で探ろうとした。
不意に、湖面から一筋の魔力光が放たれたのは、そのときだった。
「この魔法は、クヴァール老の……!?」
それは、かつて『人を殺す魔法』と呼ばれていたモノ。腐敗の賢老クヴァールが編み出したその術式も今や昔。八十年の年月を掛けて人類により、『魔族を殺す魔法』へと組み替えられた。
上空の自分を目掛けて、一直線に迫ってきた必滅の魔法。それに対して、ネーニアは咄嗟に魔力で防御壁を形成し、飛来したゾルトラークを正面から受け止める。激しい衝撃が空気を震わせ、弾けた魔力の余波が火花のように散った。
少しも動じることなく、ネーニアは周囲を探知魔法で確認する。すると、湖の中心に魔力反応があった。月明かりを零したように薄く輝く水面の上、そこに誰かが佇んでいる。
ネーニアがそちらへ目を向けた、その直後だ。湖面に立つ人影の周囲に無数の剣が生成される。幅広の刀身を持ち、複雑な紋様が刻まれた両刃の大剣。それらが、弓に番えられた矢のごとくに宙へと並んでいく。その一本一本が、人間の身体など容易く両断できるほどの大きさだった。
無数の切っ先が次々とネーニアへと向けられ、剣の軍勢は淡い光を帯びて弾かれたように上空へと放たれていく。
「
片手を持ち上げるネーニア。深い森に漂う闇が影となり、音もなく凄まじい速さで広がっていく。
放たれた剣を上回る速度で、黒い影が幾本もの槍となって空へと伸び、下方から迫りくる剣を次々と叩き落としていく。刃と影が激しく衝突し、重々しい音が月夜の空に響き渡る。
湖面に立つ人影は微動だにしない。魔法の衝突によって湖面は激しく波打っている。それなのに、その足元だけは不自然なほど静まり返っていた。
そして、ネーニアもまた上空から動こうとはしなかった。飛来する剣を影で受け止め、砕き、あるいは拘束する。互いに位置を変えることなく、互いの必殺の魔法だけが夜の湖を駆け巡っていく。
湖面から次々と撃ち上げられる大剣の一部が、空中で軌道を変える。あるものは正面から突き上がり、あるものは大きく弧を描いて背後へと回り込む。上下左右、あらゆる方向から迫る刃。それらすべてを漆黒の影が打ち砕く。
砕かれた刃の欠片が魔力に分解され、青い光が夜空に花のように咲く。
「これだけ影の多い場所で私を相手にすることが、どれだけ無謀なことかは分かっていると思いますが」
深い森に満ちている影。その全てが自分の槍であり、盾である。その事実を告げるように、感情の宿らない声でネーニアは呟いた。
ひときわ鋭利な剣がネーニアの脇をかすめるように飛び抜けていく。その剣は背後で回転し、軌道を大きく変えて少女の首筋を目掛けて迫る。ネーニアは振り向くことさえしなかった。
背後へ伸びた影がそんな刃を絡め取り、そのまま握り潰す。甲高い破砕音が響いた。
その間にも、湖面からは新たな両刃の剣が生成されていく。ネーニアはそれらを一瞥すると指先を動かした。湖面に映る森の影が、ゆらりと揺れた。次の瞬間には、漆黒の影が水面を突き破るように立ち上がり、飛び立つ前の剣をまとめて呑み込んだ。そして、その内部で金属を破砕するような音が響き渡る。
衝撃波が湖面を駆け抜け、周囲の木々が大きく揺らす。しばらくして影がほどけると、そこには砕け散った光の欠片だけが残されていた。
「気は済みましたか?」
「……ふふっ。相変わらずの制圧力ね。これだけの数の魔剣を、まるで羽虫を払うかのように叩き落としてしまうんだもの」
「あなたが全力なら、ここまで容易くはできませんでした」
「あら、手を抜いていたって分かっていたの?」
「当然でしょう。そもそも、ここで私たちが全力で戦う理由がありません」
ネーニアが湖岸へ降り立つと、空中に広がっていた影が音もなく元の形へと戻っていく。それに伴って、湖面も急速に静けさを取り戻しつつあった。あれほど激しく揺れていた木々も、今では夜風に枝葉を鳴らすばかりである。
静まり返った森と湖、その中心に立っていた小柄な人影が薄い笑みを張り付けつつ、柔らかな声色で言葉を紡ぐ。
「久しぶりね、ネーニア。元気そうで何よりだわ」
冬空を映したような薄青色の髪が夜風になびく。そこにいたのは、小さな二本の角が生えた額、穏やかな印象を与えるタレ気味の目が特徴的な魔族だった。何事も無かったかのように、その魔族の少女は、水面を歩きながらゆっくりとネーニアのいる湖岸へと近づいてくる。
「ええ、お久しぶりです。あなたも変わりなさそうですね、ソリテール」
つい先ほどまで、互いの命を奪いかねない魔法を撃ち合っていた二人。しかし、お互いの声色に敵意はない。久方ぶりに再会した友人同士の、ごくありふれた挨拶だった。
ネーニアと同じ無名の大魔族、ソリテール。かつてネーニアと共に人間を研究し、長い年月を過ごした、旧友とも呼べる間柄の存在だった。
フリーレン様とネーニアとの過去は後ほど明かされる予定です。
フリーレン様がなぜ知らないのかも理由があります。