今回は、前回見つかった古い資料を手掛かりに、三人が再び調査へ向かうお話です。
少しずつ明らかになるアビドスの過去と、相変わらず賑やかな三人の日常。
それでは、どうぞ!
アビドス高等学校の生徒会室には、朝から三人分の声が響いていた。
もっとも、その内容は決して賑やかな雑談というわけではない。机の上には古い地図や設備図面、過去の修繕記録が所狭しと並べられており、普段から書類の多い生徒会室が、今日は一段と手狭に感じられるほどだった。
昨日、砂嵐によって旧校舎に閉じ込められるという騒動を起こした梔子ユメだったが、その際に持ち帰った資料の中から、思いがけない発見があった。
それが、かつてアビドス自治区に敷設されていた送水管の記録である。
現在では使われていないその設備は、学校の西側に存在する旧給水施設から伸びており、古い地図を見る限り、アビドス高等学校の近くまで到達していたらしい。
もし、この送水管が今も使用できる状態で残っているのであれば、新たに配管を敷設する費用を大幅に抑えられる可能性がある。
もちろん、全てが都合よく進むとは限らない。
何しろ、設備が使用されなくなってから相当な年月が経過しているのだ。地中に埋設された配管が現在も無事である保証などなく、仮に残っていたとしても、修理にどれほどの費用が必要になるかは分からなかった。
それでも、現在のアビドスにとっては、僅かな可能性であっても無視できないものだった。
「……それで、この図面なんだけどさ」
天城朔は机に広げた地図の一角を指差しながら、隣に座る幼馴染へ声をかけた。
「ホシノ、ここ覚えてるか?」
「……どこ?」
「学校の西側にある、昔の商店街の辺り。確か、ここに小さな公園があっただろ」
その言葉を聞いた小鳥遊ホシノは、地図へ視線を落とした。
朔が指差しているのは、現在ではほとんどが砂に埋もれてしまった旧市街地の一角だった。古い地図には幾つもの建物が描かれているものの、その大半は既に取り壊されるか、放棄されている。
「……ああ、あそこね。確か滑り台があったところでしょ?」
「そうそう。昔、お前とよく遊びに行ったところ」
「覚えてるよ。あんた、あそこの滑り台から飛び降りようとして、近所の人に怒られたじゃない」
「……よくそんなことまで覚えてんな」
「忘れるわけないでしょ。私まで一緒に怒られたんだから」
「いや、あれはお前もやろうとしてただろ」
「私は止めようとしてたの!」
「……そうだったか?」
「そうだったの!」
ホシノが不満そうに眉を寄せると、朔は軽く肩をすくめた。
幼い頃の記憶というものは、どうにも曖昧なところがある。朔の記憶では、あの時のホシノも随分と楽しそうにしていたはずなのだが、今さら蒸し返したところで素直に認めるとは思えなかった。
もっとも、そんなことを言えば今度こそ本気で怒られそうなので、余計な反論は控えておく。
「ふふっ、二人とも懐かしそうだね」
そんな二人の会話を聞いていたユメが、嬉しそうに笑った。
「小さい頃はよく一緒に遊んでたんだ?」
「はい。まあ、今と大して変わりませんけどね」
「ちょっと朔。あんた、私と遊ぶのが嫌だったみたいな言い方しないでよ」
「誰もそんなこと言ってないだろ。昔からよく一緒にいたって話だよ」
「……だったら、そう言えばいいじゃない」
ホシノは少しだけ口を尖らせると、再び地図へ視線を戻した。
その様子に朔は苦笑したが、これ以上からかうことはせず、本来の話題へ戻ることにした。
「それで、話を戻すけど。この公園のすぐ近くに、昔の配水設備があったはずなんだよ」
「……配水設備?」
「ああ。小さい頃は何なのか分からなかったけど、確かフェンスで囲まれた建物があっただろ。立入禁止の看板が付いてたやつ」
ホシノは少しだけ考え込んだ。
やがて、何かを思い出したように顔を上げる。
「……あっ! あの小屋みたいな建物?」
「そう、それ」
「あったね。確か、昔は近づいちゃ駄目って言われてたところでしょ?」
「そうそう。で、この図面なんだけど……」
朔は地図に描かれた一本の線を指でなぞった。
旧給水施設から伸びた送水管は、幾つかの分岐を経由した後、まさにその公園の近くへと続いていた。
「どうやら、あそこに配水用の設備があったみたいなんだよ。もし建物が残ってれば、配管の状態を確認できるかもしれない」
「……なるほどね」
ホシノは感心したように頷いた。
昔から知っている場所が、思いがけない形で役に立つかもしれない。そう考えると、少しだけ不思議な気分だった。
「すごいね、二人とも!」
ユメが目を輝かせる。
「昔のことをそんなに覚えてるなんて!」
「まあ、何度も遊びに行った場所ですからね。……もっとも、今も残ってるかは分かりませんけど」
「でも、調べてみる価値はあるよね!」
「そうですね。ただ、その前に確認しておきたいことがあります」
朔はそう言って、机の上に置かれていた別の書類を手に取った。
そこには、古い設備の運用記録が記載されている。
「実は、昨日から気になってたことがあるんですよ」
「……気になってたこと?」
「はい。この送水管、何で使われなくなったのかが分からないんです」
その言葉に、ユメとホシノは顔を見合わせた。
朔が確認した限り、古い資料には設備の使用停止を示す記録が残されていた。しかし、肝心の理由については詳しく記載されておらず、いつ頃から使われなくなったのかも、資料によって微妙に食い違っている。
「……単純に古くなっただけじゃないの?」
ホシノがそう尋ねると、朔は首を傾げた。
「その可能性もある。でも、設備の更新履歴を見る限り、使用停止になる少し前に修繕工事が行われてるんだよ」
「……え?」
「わざわざ修理した直後に使わなくなったってことになる。何か別の理由があったんじゃないかと思ってさ」
朔は記録の該当箇所を指差した。
確かに、そこには配管の一部を交換したという記録が残されていた。
しかし、その後の運用状況については、ほとんど記載がない。
「……確かに、ちょっと変だね」
「だろ?」
「じゃあ、その理由も調べてみようよ!」
ユメが勢いよく立ち上がる。
しかし、その直後、ホシノがすかさず声をかけた。
「ユメ先輩。先に言っておきますけど、今日は勝手に一人で調査に行かないでくださいね?」
「えっ!? ま、まだ何も言ってないよ!?」
「昨日のこと、もう忘れたんですか?」
「うぅ……」
ユメは気まずそうに視線を逸らした。
昨日の砂嵐で旧校舎に閉じ込められた件については、どうやら本人も相当に反省しているらしい。
そんな彼女を見て、朔は小さく笑った。
「まあ、今日は三人で行けばいいだろ。どうせ俺たちも現地を確認したいんだし」
「……朔、あんたね」
「分かってるって。ちゃんと安全確認してから行くよ」
「……本当でしょうね?」
「そこまで信用ないか、俺?」
「普段の行いを考えなさい」
「……ごもっとも」
幼馴染の容赦ない言葉に、朔は肩を落とした。
その様子を見て、ユメが楽しそうに笑う。
こうして、三人による新たな調査が決定した。
◇
午前中の仕事を終えた三人は、昼過ぎに学校を出発した。
昨日の砂嵐が嘘のように空は晴れ渡っていたが、その影響は街の至るところに残されている。道路の隅には新たな砂が積もり、建物の外壁には細かな砂埃が付着しており、場所によっては歩道そのものが埋もれてしまっていた。
そんな街並みを眺めながら、ユメが小さく呟く。
「……また、砂が増えちゃったね」
「そうですね。昨日の嵐、結構強かったですから」
「うん……」
ユメは少しだけ寂しそうに周囲を見渡した。
以前は人々が行き交っていたという大通りも、今では人影がまばらで、営業している店を見つけることさえ難しい。
街の至るところに砂が積もり、建物が一つ、また一つと使われなくなっていく。
そんな光景は、アビドスでは決して珍しいものではなかった。
「……そういえば」
不意に、朔が口を開いた。
「この辺り、昔はパン屋がありましたよね」
「……パン屋?」
「はい。確か、あそこの角を曲がったところに」
朔が指差したのは、半ば砂に埋もれた建物だった。
外壁には古びた看板が残っているものの、文字はほとんど読めなくなっている。
「あっ、覚えてる!」
ユメが嬉しそうに声を上げた。
「昔、あそこでパンを買ったことがあるよ! 確か、すっごく美味しかったんだよね!」
「そうそう。あそこのクリームパン、結構好きだったんですよ」
「……朔、あんたよく買ってたよね」
ホシノが呆れたように口を挟む。
「学校の帰りに寄っては、毎回同じの買ってたじゃない」
「美味かったんだから仕方ないだろ」
「それで私にも半分くれたよね」
「……あー、そういえばそうだったな」
「……覚えてないの?」
「いや、覚えてるって。お前、いつも俺が食べ始めてから欲しがるんだよ」
「……別に、毎回じゃなかったでしょ」
「ほぼ毎回だったぞ」
「……もうっ」
ホシノは少しだけ頬を膨らませた。
そんな二人を眺めていたユメは、何とも嬉しそうな表情を浮かべている。
「……何ですか、ユメ先輩?」
「ううん、何でもないよ。ただ、二人にとってこの街には、たくさん思い出があるんだなって」
その言葉に、朔は少しだけ周囲へ視線を向けた。
確かに、ここには多くの思い出があった。
幼い頃にホシノと遊んだ公園。
よく立ち寄っていた商店。
近所の人たちに叱られたこともあれば、困っている時に助けてもらったこともある。
そのほとんどは、今ではもう失われてしまったものばかりだった。
「……まあ、そうですね」
朔は静かに答えた。
「生まれてからずっと、この辺りで暮らしてますから」
「……うん」
「だから、できれば残ってほしいとは思いますよ。この街も、学校も」
その言葉を聞いたユメは、少しだけ目を細めた。
「……そっか」
そして、穏やかに微笑む。
「じゃあ、やっぱり頑張らないとね!」
「……そうですね」
朔は小さく頷いた。
その隣では、ホシノも黙って二人の会話を聞いていた。
◇
目的地へ到着したのは、それから二十分ほど経った頃だった。
かつて小さな公園があった場所には、今では砂に埋もれた遊具が幾つか残されているだけだった。
滑り台は半分ほどが砂に埋まり、ブランコの鎖は錆びつき、ベンチに至っては、どこにあったのかさえ分からない。
「……うわぁ」
ユメが小さく声を漏らす。
「こんなことになってたんだ……」
「最後に来た時は、まだもう少し綺麗だったんですけどね」
朔は周囲を見渡しながら答えた。
この場所を訪れるのは、随分と久しぶりだった。
昔は放課後になると近所の子供たちが集まり、夕方まで遊んでいたものだが、今ではその面影すらほとんど残っていない。
「……朔」
「ん?」
「目的の建物、あれじゃない?」
ホシノが指差したのは、公園の奥にある小さなコンクリート製の建物だった。
外壁は砂に覆われ、周囲のフェンスも一部が倒れてしまっているものの、建物そのものはまだ残っていた。
「……ああ、あれだな」
「本当にあったんだね!」
ユメが嬉しそうに声を上げた。
三人は建物へ近づくと、まず周囲の状態を確認した。
幸い、近くに不審な人物の姿はなく、建物の外壁にも目立った崩落は見られない。
しかし、入口の扉は錆びついており、簡単に開きそうにはなかった。
「……さて、どうしたもんかな」
朔は扉の前にしゃがみ込み、鍵穴の状態を確認した。
古い南京錠が取り付けられているものの、長年の風雨によってすっかり錆びついている。
「……鍵、開けられそう?」
ホシノが尋ねる。
「いや、そもそも鍵がないからな。それに、勝手に開けるわけにもいかないだろ」
「……そうね」
「管理者が分かれば、正式に確認を取れるんですけどね」
朔はそう言って、入口の横に設置された古い金属板へ視線を向けた。
そこには、辛うじて文字が残されていた。
『アビドス自治区 旧第七配水管理所』
「……第七配水管理所?」
朔が読み上げると、ユメが持っていた地図を広げた。
「……あっ! これじゃないかな!」
彼女が指差した場所には、確かに同じ名称が記されていた。
旧給水施設から伸びる送水管は、この管理所を経由した後、さらに東側へと延びている。
そして、その先に存在するのは。
「……アビドス高等学校」
ホシノが小さく呟いた。
「……本当に、学校の近くまで繋がってたんだ」
「少なくとも、昔はそうだったみたいだな」
朔は地図を眺めながら答えた。
これまで半信半疑だった古い送水管の存在が、こうして実際の建物と一致したことには、少なからず驚かされた。
しかし、同時に新たな疑問も浮かんでくる。
これほどの設備が存在していたにもかかわらず、なぜ現在では使われなくなっているのだろうか。
「……ちょっと、周りを調べてみるか」
朔はそう言って、建物の周囲を歩き始めた。
とはいえ、勝手に設備へ手を加えるつもりはない。
あくまで外から確認できる範囲で、配管や建物の状態を記録するだけである。
ユメとホシノも、それぞれ周囲を確認し始めた。
しばらくすると、ホシノが建物の裏手から声を上げた。
「……朔! ちょっと来て!」
「ん? どうした?」
「これ、見て」
彼女が指差したのは、地面から僅かに突き出した金属製の管だった。
周囲は砂に覆われているが、表面には古い塗装の跡が残っている。
「……配管か?」
「多分ね。図面に書いてあるものと同じじゃない?」
朔はしゃがみ込むと、手元の端末に表示した図面と見比べた。
管の位置や向きは、確かに記録と一致している。
「……ああ、これだな」
「やっぱり!」
ホシノの表情が僅かに明るくなる。
しかし、朔はそのまま慎重に周囲を確認していた。
配管の表面には錆が浮いており、近くの地面には細かな亀裂が走っている。
長年使用されていない設備であることを考えれば、内部の状態は相当に悪い可能性があった。
「……使えると思う?」
「正直、まだ分からないな」
朔は立ち上がると、僅かに首を傾げた。
「場所が合ってるのは確認できたけど、これだけじゃ内部の状態までは分からない。下手に触ると危ないし、今日は写真を撮るだけにしとこう」
「……そうね」
ホシノも素直に頷いた。
その時だった。
「……あれ?」
少し離れた場所を調べていたユメが、不意に声を上げた。
「朔くーん! ホシノちゃーん!」
「……どうしました、ユメ先輩?」
「こっちに、何か書いてあるよ!」
三人が集まった場所には、古びた案内板が半ば砂に埋もれる形で残されていた。
ユメが表面の砂を軽く払い落とすと、そこには幾つかの文字が浮かび上がった。
『第七配水管理所 設備運用停止のお知らせ』
「……運用停止?」
朔は思わず眉を寄せた。
古い文字はところどころ掠れていたが、注意深く読めば、まだ内容を確認することができる。
そこには、管理所の運用停止に関する簡単な説明が記されていた。
「……えっと……周辺地区の人口減少に伴い、配水設備の運用を……停止……?」
ホシノがゆっくりと文章を読み上げる。
その言葉を聞き、朔は小さく息を吐いた。
「……なるほど。そういうことか」
「……どういうこと?」
「設備が壊れたから使われなくなったんじゃなくて、周りに人がいなくなったから止めた可能性があるってことだよ」
朔は案内板を指差しながら説明した。
「昔はこの辺りにも住宅がたくさんあっただろ。でも、砂漠化が進んで住民が減っていった結果、わざわざここまで水を送る必要がなくなったんじゃないか?」
「……ああ、なるほどね」
ホシノも納得したように頷いた。
実際、現在の旧市街地には人影がほとんどない。
かつての住民たちが別の場所へ移り住んだのであれば、配水設備が使われなくなったとしても不思議ではなかった。
「……じゃあ、壊れてるわけじゃないのかな?」
ユメが期待に満ちた声を上げる。
しかし、朔はすぐに首を横へ振った。
「それはまだ分かりませんよ。運用停止の理由がそうだったとしても、長年放置されてたことに変わりはありませんから」
「……そっかぁ」
「それに、これを見る限り、使用停止になってからかなり時間が経ってます。設備が無事だったとしても、今すぐ使えるような状態じゃないでしょうね」
朔はそう言いながら、案内板の内容を端末で撮影した。
これで、少なくとも一つの疑問は解消された。
しかし、まだ調べなければならないことは山ほど残っている。
配管が現在も使える状態なのか。
旧給水施設から水を送ることができるのか。
そして、仮に全ての条件が揃ったとして、現在のアビドスに修理費用を負担する余裕があるのか。
どれも簡単に答えを出せる問題ではなかった。
「……とりあえず、今日はここまでにしましょう」
朔がそう告げると、ユメが少しだけ残念そうな顔をした。
「えっ、もう帰るの?」
「はい。これ以上は専門の業者に確認してもらわないと、俺たちだけじゃ判断できませんから」
「……そっかぁ」
「それに、そろそろ日差しも強くなってきましたしね。無理して体調を崩す前に戻りましょう」
そう言って朔は、額に浮かんだ汗を拭った。
既に昼過ぎの暑さは相当なものになっており、長時間屋外で作業を続けるのは得策ではない。
特に彼の場合、ホシノやユメとは違って、身体にかかる負担を無視することはできなかった。
「……朔」
「ん?」
「水、飲んだ?」
ホシノが不意に尋ねた。
「……ああ、さっき飲んだよ」
「……本当?」
「本当だって。お前、最近そればっかりだな」
「だって、あんたが無茶するからでしょ」
「……はいはい」
朔は呆れたように答えながらも、素直に水筒を取り出した。
そんな彼の様子を確認したホシノは、ようやく少しだけ表情を和らげた。
「……それじゃあ、戻ろっか」
「そうだな」
「えへへ、今日も収穫があったね!」
ユメは嬉しそうに笑った。
その手には、先ほど撮影した案内板の写真が表示されている。
まだ確かな成果と呼べるものではないが、それでも昨日よりは一歩前へ進むことができた。
少なくとも、彼女にとっては十分に嬉しい出来事だったらしい。
◇
学校へ戻った頃には、午後の授業が終わる時間になっていた。
三人は生徒会室へ戻ると、早速今日の調査結果を整理し始めた。
机の上には新たな写真や記録が並べられ、古い地図には確認できた設備の位置が書き込まれていく。
「……よし、とりあえずこんなもんか」
朔は端末に保存した資料を整理すると、椅子の背もたれに身体を預けた。
今回の調査で分かったことは、決して少なくない。
旧第七配水管理所が現在も残っていること。
古い送水管の一部が確認できたこと。
そして、設備の運用停止には、周辺地区の人口減少が関係していた可能性があること。
これらの情報は、今後の調査を進める上で重要な手掛かりになるはずだった。
「……でも、やっぱり問題はお金ね」
ホシノが小さく呟いた。
「仮に設備が使えるとしても、修理するには費用がかかるし……そもそも、今の学校にそこまでの余裕があるかどうか」
「……そうだな」
朔も静かに頷いた。
学校の財政状況を考えれば、新たな設備へ投資する余裕などほとんどない。
今後の維持費が安くなるとしても、そのために多額の借金を増やしてしまえば意味がなかった。
「……やっぱり、難しいのかなぁ」
ユメが少しだけ寂しそうに呟く。
その声を聞いた朔は、しばらく考え込んだ。
それから、ゆっくりと口を開く。
「……ユメ先輩」
「ん?」
「俺、今回の件は一度専門業者に相談してみてもいいと思うんです」
「……え?」
「設備が使えるかどうか、修理費用がどれくらいかかるのか。そこを確認しないことには、何とも言えませんから」
「……うん」
「ただ、もし費用が高すぎるようなら、その時は諦めることも考えましょう」
朔はそう言って、真剣な表情でユメを見つめた。
「学校を守るために、学校の負担を増やすわけにはいきませんから」
「……」
ユメは少しだけ目を伏せた。
それから、ゆっくりと頷く。
「……うん、分かった」
その返答に、朔は僅かに驚いた。
普段の彼女であれば、もう少し食い下がってきそうなものだったからだ。
「……ユメ先輩?」
「えへへ……そんなに驚かなくてもいいのに」
「いや、別に驚いてませんけど……」
「本当?」
「……少しだけ」
正直に答えると、ユメは楽しそうに笑った。
「私だって、何でもかんでも無理やり進めようとは思ってないよ?」
「……そうですか?」
「うん! だって、学校を守るためにやってることだもん。それで学校が困っちゃったら、意味ないでしょ?」
その言葉を聞いた朔は、少しだけ目を見開いた。
ユメは確かに無計画なところがある。
思いつきで行動することも多いし、時には周囲が見えなくなるほど一つのことに夢中になってしまう。
しかし、だからといって何も考えていないわけではない。
彼女なりに学校のことを大切に思い、どうすれば守れるのかを必死に考えているのだ。
「……まあ、そうですね」
朔は小さく笑った。
「それなら、俺もできる限り手伝いますよ」
「……ありがとう、朔くん!」
「……私も手伝います」
隣にいたホシノが、静かに口を開いた。
「ただし、これ以上余計な出費を増やすわけにはいきません。調査費用も含めて、慎重に判断してくださいね」
「うん!」
「……それと、勝手に業者へ依頼しないでください」
「……う、うん」
「契約書には必ず目を通してくださいね?」
「……はーい」
「それから……」
「……ホシノ」
朔が小さく声をかけた。
「……何よ」
「その辺にしといてやれって。ユメ先輩も分かってるみたいだし」
「……あんた、また甘やかして」
「いや、今回はちゃんと考えてくれてるんだからいいだろ」
「……もう」
ホシノは呆れたようにため息をついた。
しかし、その表情にはどこか柔らかいものがあった。
◇
夕方になり、三人はようやく仕事を終えた。
窓の外には茜色の空が広がり、校庭には長い影が伸びている。
朔は机の上に広げられた資料を整理すると、ふと窓際へ視線を向けた。
そこには、数日前に三人で植えたマリーゴールドの鉢が置かれている。
まだ芽は出ていない。
しかし、土の表面は適度に湿っており、ユメが毎日欠かさず世話をしていることが分かった。
「……そういえば」
朔は椅子から立ち上がると、植木鉢へ近づいた。
「ユメ先輩、花の方はどうですか?」
「ん? まだ芽は出てないよ。でも、毎日ちゃんと見てるんだ!」
「そうですか」
「えへへ、早く咲くといいなぁ」
嬉しそうに笑うユメを見て、朔も小さく微笑んだ。
そんな二人の様子を眺めていたホシノが、不意に口を開く。
「……ユメ先輩」
「ん?」
「……もし、花が咲かなかったらどうするんですか?」
突然の問いに、ユメは少しだけ目を瞬かせた。
「……咲かなかったら?」
「はい。種を植えても、必ず芽が出るとは限らないじゃないですか」
「……そうだね」
ユメは静かに頷いた。
それから、少しだけ考え込むように首を傾げる。
「……その時は、もう一回植えてみようかな」
「……え?」
「だって、何が悪かったのか調べて、もう一度やってみればいいんでしょ?」
そう言って、ユメは穏やかに微笑んだ。
「一回失敗したからって、全部諦める必要はないと思うんだ」
「……」
ホシノは何も言わなかった。
ただ、目の前の小さな植木鉢をじっと見つめている。
その隣で、朔が小さく笑った。
「……まあ、そうですね」
「朔くん?」
「一回失敗しても、次は上手くいくかもしれませんしね。ただ、何も変えずに同じことを繰り返しても仕方ないですから、その時はちゃんと原因を考えましょう」
「……うん!」
ユメは嬉しそうに頷いた。
そんな彼女を見て、ホシノも小さく息を吐く。
「……本当に、先輩は諦めが悪いですね」
「えへへ、そうかな?」
「……そうですよ」
ホシノはそう答えると、ほんの僅かに微笑んだ。
朔はそんな二人のやり取りを眺めながら、窓の外へ視線を向けた。
今日もアビドスは、変わらず砂に覆われている。
街の至るところで建物が使われなくなり、人々が去っていき、学校の未来も決して明るいものではなかった。
しかし、そんな状況でも、ユメは諦めようとしない。
何度失敗しても、また別の方法を考えようとする。
その姿が正しいのかどうか、朔には分からなかった。
ただ、少なくとも今は。
彼女がそうして前を向いている限り、自分もできることをしていこう。
そんなふうに思っていた。
「……さて」
朔は窓から視線を戻すと、机の上に置いていた鞄を手に取った。
「そろそろ帰りますか。今日も結構歩きましたし」
「……そうね。私も今日は疲れたかな」
「えっ、二人とももう帰るの?」
ユメが少しだけ残念そうな声を上げる。
しかし、その直後、ホシノがじろりと彼女を見つめた。
「……ユメ先輩」
「……は、はい?」
「まさか、まだ仕事するつもりじゃありませんよね?」
「えっ!? そ、そんなことないよ!?」
「……本当でしょうね?」
「ほ、本当だってばぁ!」
慌てて否定するユメを見て、朔は思わず吹き出した。
「……朔!」
「……悪い悪い」
「笑い事じゃないでしょ!」
「いや、分かってるって。でも、流石に先輩も今日は大人しく帰るだろ」
「……そうだといいけど」
ホシノは呆れたようにため息をついた。
そんな二人を前に、ユメは少しだけ頬を膨らませる。
「……もう! 二人とも私のこと信用してない!」
「「普段の行いでしょ(ですよ)」」
「また揃った!?」
生徒会室に、三人の笑い声が響いた。
◇
その夜。
自宅へ戻った朔は、机の上に端末を置くと、今日撮影した資料をもう一度確認していた。
旧第七配水管理所。
その存在が確認できたことは、確かに大きな収穫だった。
しかし、設備を再利用するためには、まだ幾つもの問題が残されている。
特に気になっているのは、運用停止の理由についてだった。
案内板には、周辺地区の人口減少に伴うものだと記載されていた。
だが、それだけで全てを説明できるとは限らない。
そもそも、設備が使われなくなった直前には、修繕工事が行われていた記録が残っている。
もし人口減少によって運用を停止することが決まっていたのなら、なぜその直前に費用をかけて修理したのだろうか。
「……何か、引っかかるな」
朔は小さく呟いた。
もちろん、単純に修理を終えた後で運用停止が決まっただけかもしれない。
あるいは、別の理由で設備が使えなくなった可能性もある。
いずれにせよ、今ある資料だけでは判断できなかった。
「……まあ、考えてても仕方ないか」
朔は端末を操作し、古い資料の一覧を開いた。
学校に残されている設備記録の中には、まだ確認できていないものも多い。
明日、生徒会室の保管庫をもう一度調べてみよう。
そう考えた時だった。
「……ん?」
端末に表示された一枚の資料が、朔の目に留まった。
それは、昨日ユメが旧校舎から持ち帰った資料の中に含まれていた、古い工事記録だった。
朔は何気なく画面を拡大し、記載された内容を確認する。
そこには、送水管の修繕に関する幾つかの記録が並んでいた。
しかし、その最後に記された一文を見た瞬間、朔の指が止まった。
『旧第七配水管理所――地盤変動の影響により、一部区間の使用を制限』
「……地盤変動?」
朔は思わず眉を寄せた。
昼間確認した案内板には、そんなことは一言も書かれていなかった。
人口減少による運用停止。
そして、地盤変動による使用制限。
二つの記録が示す内容は、必ずしも矛盾しているわけではない。
しかし、少なくとも、設備が使われなくなった理由が一つだけではない可能性は出てきた。
「……なるほど。そういうことかもしれないな」
朔は小さく息を吐いた。
砂漠化が進むアビドスでは、地盤の変動や建物の損傷は珍しいものではない。
もし地下に埋設された送水管にも影響が及んでいるのなら、修理費用はさらに膨らむことになるだろう。
場合によっては、設備そのものを再利用できない可能性すらある。
「……ユメ先輩には、あんまり嬉しくない話だな」
そう呟きながら、朔は端末を操作した。
そして、該当する資料をホシノへ送信する。
すぐに返信が届いた。
『……何これ?』
『今見つけた。明日、詳しく調べてみようと思う』
『……分かった。でも、今日はもう寝なさいよ』
『いや、まだそんな遅くないだろ』
『あんた、今日ずっと歩き回ってたでしょ。無理しないで』
『……分かったよ。お前も早く寝ろよ』
『言われなくても分かってる』
そんな短いやり取りを終え、朔は小さく笑った。
昔から変わらない幼馴染の言葉。
何かにつけて心配してくるところも、少しだけ口うるさいところも、今となってはすっかり慣れたものだった。
朔は端末を机へ置くと、椅子の背もたれに身体を預けた。
明日もまた、忙しい一日になりそうだ。
旧給水施設の調査。
学校の経費報告書。
そして、ユメ先輩がきっとまた思いつくであろう、新しい計画。
やるべきことは山ほどある。
それでも、不思議と嫌な気分にはならなかった。
何しろ、明日もまた、あの二人と顔を合わせることになるのだから。
朔は小さく欠伸をすると、机の上に置いた資料を片付け始めた。
窓の外には、砂漠の夜が広がっている。
遠くの街灯が僅かに光り、人気のない道路には静かな風が吹いていた。
その街のどこかに、今も使われずに眠っている古い送水管がある。
それが本当に学校を救う手段になるのか、それとも新たな問題を突きつけることになるのか。
今の朔には、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、明日もまた三人で、その答えを探していくということだけだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は朔とホシノの昔の思い出も少し入れてみました。
幼馴染ならではの距離感っていいですよね(笑)
さて、長々と続いてきた給水施設のお話ですが、次回で一区切りにする予定です。
その後は、いよいよ原作で描かれたユメ先輩とホシノの過去にも触れていこうと思います。
もちろん、そこに朔がいることでどう変わっていくのかも描いていきたいですね。
感想や評価などいただけると嬉しいです!
それでは、また次回!