学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
グランドステージを揺るがした地鳴りのような拍手とスタンディングオベーションは、大トリの演目が終わり、終演を告げる客席の明かりが灯った後も、収まる気配を見せなかった。
一般の生徒や観覧客たちが、「おい、今の見たかよ!」「月村手毬と秦谷美鈴、ヤバすぎるだろ……!」と興奮冷めやらぬ声を上げながら通路を埋め尽くす中、客席中央、審査員席の真後ろに設けられた「特別関係者席」だけは、まるで外界から切り離されたかのような、異様な静寂に支配されていた。
そこには、国内大手レコード会社の幹部、名だたる芸能事務所のチーフスカウト、そして音楽業界のトレンドを左右する著名な音楽評論家たちが集まっていた。
普段であれば、新入生たちのパフォーマンスを冷静に品定めし、「ダンスのキレはいいが、声が細い」「ビジュアル枠だな」「プロデュースの方向性が定まっていない」などと、手元のバインダーに点数をつけながら批評を交わしている百戦錬磨の手練れたちである。
だが今、その特別席に座る男たちの顔からは、いつもの値踏みするような傲慢な笑みが完全に消え去っていた。
「……おい。誰か説明しろ」
国内最大手レーベルの新人発掘部門を統括するチーフディレクターが、額に滲んだ汗をハンカチで乱暴に拭いながら、震える声で呟いた。
手元の採点シートには、秦谷美鈴と月村手毬の二人の名前が並んでいた。その得点欄には、最高得点である「100」の数字が何度も上書きされ、あまりの筆圧に紙が破れかけている。
「なんだ……なんなんだよ、あの二人の歌は……!? 冗談だろ!? こんなものが、初星学園に入学してわずか二か月の新入生が披露するパフォーマンスなのか!?」
悲鳴にも似た言葉に、隣に座っていたベテランの音楽プロデューサーが、両手で頭を抱えながら呻くように応じた。
「トップアイドル……? 冗談じゃない。そんな枠組みで語れるレベルを、とっくに飛び越えている……! あの二人は、もう完全に一線級の『歌手(アーティスト)』の領域に達しているぞ……!!」
業界関係者たちの視線は、ステージ袖の暗がりへと釘付けになっていた。
彼らの耳には、先ほどまでホールを支配していた二つの奇跡の残響が、今なお焼き付いて離れなかったのだ。
まずは、秦谷美鈴の『シオン』。
あの一音目のピアノが落ちた瞬間、空気が凍りついたかのように生み出された圧倒的な音響空間。
そして、マイクを通して放たれた、シルクのように艶やかな歌声。聴く者すべての心臓を直接抱きしめるようなウィスパーから、力強いチェストボイスへと滑らかに移行する、卓越したボーカルワーク。
「中等部時代の『Syng UP!!』では、ただのバランサーだと思われていた秦谷が……あんなにも妖艶で、逃げ場のない愛の底なし沼のような包容力を隠し持っていたなんて、誰が予想できた!?」
「息の混ぜ方、倍音のコントロール、ピッチの寸分の狂いもない安定感……どれをとっても、国内のトップシンガーと比較して何一つ見劣りしない。いや、あの独特の哀愁と色気は、すでに唯一無二のブランドだ……!」
そして、その直後に叩きつけられた、月村手毬の『Luna Say Maybe』の衝撃。
狂気的なまでに構築されたシンフォニック・オルタナティブ・ロックの爆風の中、ステージ中央に仁王立ちし、魂を素手で引き裂いて投げつけるように絶唱した少女。
「月村手毬……中等部で孤立し、喉を壊しかけていたあの問題児が、どうしてあそこまで完璧に脱皮したんだ!?」
「かつての彼女にあった、ミスを恐れて型にハマる窮屈さが、綺麗さっぱり消え失せていた……! 声帯を鳴らし切る圧倒的なベルティング、感情の濁流をそのまま音圧へ変えるダイナミクス! 粗削りな感情の爆発に見せかけて、その実、呼吸と共鳴腔のコントロールは神業の領域だぞ!」
「一体、誰があんな歌を歌えるように教え込んだんだ……!?」
ある大手事務所のスカウト担当が、唾を飛ばしながら叫んだ。
「初星学園の正規のボーカル講師陣に、あんな指導ができる人間はいない! 抽象的な精神論や既存の型を押し付ける学園のカリキュラムでは、あそこまで個性を極限まで尖らせたモンスターを育てることなど不可能なはずだ! 誰だ……誰が、あの二人をここまで覚醒させた!?」
関係者席のざわめきが、熱病のように広がっていく。
だが、議論が沸騰する中、中央の最前列に座っていた一人の白髪の老紳士が、すっと右手を挙げた。
その仕草一つで、周囲の喧騒がぴたりと止まった。
男の名は、神崎重明。
四十年以上にわたり日本の音楽チャートと録音技術の変遷を見届けてきた、音楽評論界の重鎮である。数々の伝説的アーティストを世に送り出してきた、耳の権威でもあった。
神崎は老眼鏡をゆっくりと外し、手元のパンフレットに視線を落としたまま、低く、地を這うような声で口を開いた。
「……ボーカルの指導力もさることながら、問題はそこだけではないよ、諸君」
「神崎先生……? どういうことですか?」
スカウトの男が息を呑んで尋ねる。
神崎は深く息を吐き、静かに首を横に振った。
「あの二曲の……『音の作り』だよ」
「音の……作り?」
「そうだ。あの二曲のインストゥルメンタル、そしてミックスとマスタリングの異常性に、君たちは気づかなかったのかね?」
神崎の鋭い眼光が、周囲のプロデューサーたちを射抜いた。
「初星学園のホール音響システムを通してなお、あの圧倒的な立体感と周波数バランス。中低域の粘りつくような温かみのある太さと、超高域のシルクのような抜け……。あれは、現代のデジタルプラグインだけで作られた安物のトラックではない。一九五〇年代の真空管イコライザーや、オリジナルパーツを保ったヴィンテージのFairchild、Neveの特注アナログコンソールを極限まで使い倒した、狂気の沙汰とも言える音響設計だ」
神崎は目を細め、先ほどの旋律を反芻するように宙を見つめた。
「そして、あの哀愁と激しさが同居するコード進行……。一聴しただけで魂の奥底を鷲掴みにする、至高のメロディライン。こんな真似ができる人間は、近年の音楽界において、たった一人しか存在しない」
その言葉に、周囲の音楽評論家やベテランエンジニアたちが、はっと息を呑んだ。
何人かの顔から、急速に血の気が引いていく。
「ま……まさか……」
一人の音楽雑誌の編集長が、震える唇を開いた。
「まさか、神崎先生……あの『天月』だとおっしゃるのですか……!?」
その名が出た瞬間、特別関係者席全体に、目に見えるほどの激震が走った。
「天月……っ!?」
「あの覆面歌手の天月だと!?」
「馬鹿な! 天月といえば、数年前に正体不明のまま突如としてネット上に現れ、リリースした三曲すべてでダブルミリオンを叩き出し、音楽界の頂点に君臨したまま、一切のメディアに顔を出さず消息を絶った、あの伝説の怪物だぞ!?」
「業界中のレコード会社や広告代理店が、何億円という契約金を積んで行方を追ったにもかかわらず、その正体すら掴めずに諦めた、あの天月が……なぜ初星学園の新入生に新曲を提供しているんだ!?」
「間違いない」
神崎は確信に満ちた声で断言した。
「私はかつて、天月が発表した三つの音源の波形と周波数スペクトラムを徹底的に分析したことがある。あの独特な超高域の倍音処理、ドラムのキックとベースが織りなす有機的なグルーヴ、そして何より、聴く者の涙腺を容赦なく抉り取るメロディの骨格……。あれは、他人が真似できるような技術ではない。天月の魂そのものだ。秦谷美鈴の『シオン』も、月村手毬の『Luna Say Maybe』も……間違いなく、天月がこの二人のためだけに書き下ろした完全な新作だ」
関係者席の大人たちは、完全に言葉を失い、凍りついた。
伝説の怪物の復活。
それも、商業レーベルを通じた大々的なカムバックではない。初星学園の学期末ライブという、閉鎖的な養成校のステージで、何の前触れもなく新曲が披露されたのだ。
「だが……どこから天月に繋がるんだ!?」
大手レコード会社の重役が、パンフレットを狂ったようにめくりながら叫んだ。
「あの二人をプロデュースしているのは誰だ!? どこの事務所の、どんな大物プロデューサーが裏で糸を引いているんだ!?」
関係者たちの視線が、パンフレットに記載されたクレジットへと一斉に集まった。
そこには、至極簡潔に、こう記されていた。
『担当プロデューサー:天宮 優(初星学園プロデューサー科1年)』
「……天宮……優……?」
スカウトの男が、呆然とその名を読み上げた。
「天宮優……? プロデューサー科の一年生だと……? 外部のベテランプロデューサーじゃないのか!?」
「二十歳の新入生だぞ! 経歴も何もない、ただの学生プロデューサーじゃないか! なぜそんな若造が、行方不明の天月とコンタクトを取り、新曲の提供を取り付けることができるんだ!?」
理解不能の事態に、周囲が混乱に陥りかけた、その時だった。
「――待て」
大手芸能プロダクションの重役を務める初老の男が、ぴくりと眉を跳ねさせ、顔色を変えた。
その瞳には、先ほどの困惑とは異なる、戦慄に似た光が宿っていた。
「天宮……? おい、そのプロデューサーの名前、もう一度言ってみろ」
「え? あ、天宮優ですが……」
「天宮……『優』……。そして、年齢は二十歳だと……?」
初老の重役は唾を飲み込み、震える指先を顎に当てた。
「まさか……いや、だが、この業界で『天宮』という姓で、これほどの常軌を逸した影響力を行使できる存在など、一つしかあるまい……」
重役の呟きに、神崎重明をはじめとする業界の長老たちが、一斉に顔色を変えた。
「まさか……あの『天宮貿易機構』か……!?」
その言葉が落ちた瞬間、関係者席の空気が一変した。
天宮貿易機構。
全世界に張り巡らされた海上輸送網、国際資源取引、そして多国籍コングロマリットを束ねる、日本屈指の超巨大財閥系複合企業。政財界に絶大なパイプを持ち、動かす資金の規模は国家予算にも匹敵すると囁かれる、正真正銘の巨大組織である。
「す、すぐに調べろ!!」
レコード会社の幹部が血相を変え、懐からスマートフォンを引っ張り出すと、部下に怒号を飛ばした。
「初星学園プロデューサー科一年、天宮優の身元だ! 学園の理事会ルート、役員ルート、あらゆるコネを使って大至急裏を取れ! 今すぐだ!!」
関係者席のあちこちで、スマートフォンを取り出し、慌ただしく電話をかける男たちが続出した。
「俺だ! 今すぐ学園のプロデューサー科新入生名簿を洗え! 天宮優という男のバックグラウンドだ!」
「会長の秘書室に繋いでくれ! 至急、確認したいことがある!」
「おい、天宮貿易の親族関係のリストを照会しろ! 急げ!!」
終演直後の余韻をかき消すように、業界の重鎮たちがなりふり構わず怒号を交わし、情報網を叩き起こしていく。
電話口の向こうから聞こえるキーボードの打鍵音。息を呑む部下たちの声。そして――わずか数分後。
一人の大手レーベル幹部のスマートフォンが震えた。
電話を受けた男の顔が、見る見るうちに蒼白になり、目が大きく見開かれていく。
「……そうか。……間違いないんだな? ……分かった」
男は通話を切ると、震える手でスマートフォンを下ろした。
その膝は、小刻みにガタガタと震えていた。
「どうだったんだ!? 早く言え!」
周囲の男たちが詰め寄る。
電話を受けた幹部は、乾ききった喉を必死に鳴らしながら、掠れた声で告げた。
「……確定だ。天宮優は……天宮貿易機構の総帥、天宮昭の長男だ」
「――――っっ!!」
関係者席に、息の根を止められたかのような沈黙が広がった。
確定した。
二十歳という異例の年齢で初星学園へ入学してきた青年は、日本経済の頂点に君臨する巨大組織の、正真正銘の御曹司だったのである。
「天宮昭の息子……! あの、怪物の血筋か……!」
「なるほど……そういうことだったのか……!!」
関係者たちの脳内で、パズルのピースが一気に組み合わさっていった。
もちろん、彼らは知らない。
天宮優自身が前世の記憶とチート能力を持ち、自らの肉体と才能だけで「天月」として君臨していたという、この世界の理を超越した真実を。
だからこそ、彼らの常識的な知性は、最も説得力があると信じる「合理的な推測」へと、一斉に雪崩れ込んでいったのだ。
「天宮貿易機構の、あの底知れない世界的情報ネットワークと莫大な資金力か……!」
音楽評論家の一人が、膝を打ちながら叫んだ。
「あの財閥のネットワークを使えば、世界中のあらゆるデータベースや通信記録、金融の足取りを追うことなど容易い! 業界中の誰もが見つけ出せなかった天月の潜伏先を、天宮グループの情報網で突き止めたんだ!」
「そして、その天月を……口説き落としたというのか!?」
スカウトの男が、鳥肌の立った腕をさすりながら声を震わせる。
「だが、待て! いくら天宮貿易の御曹司だからといって、あの天月が金や権力に屈するようなタマか!? 過去に何十億円というオファーをすべて蹴り飛ばして姿を消した男だぞ! そんな怪物が、初星学園の新入生アイドル二人のために、あんな命を削るような最高傑作を二曲も書き下ろすなんて……一体、どんな交渉をしたんだ!?」
「金や権力だけではあるまいよ」
重鎮・神崎重明が、低く唸るように言った。
「秦谷美鈴の『シオン』、月村手毬の『Luna Say Maybe』……あの二曲を聴けば分かる。あれは、義務や金のために書かれた商業的な手慰みなどではない。あの二人の少女の骨格、声帯、そして魂の渇望を完全に理解した上で、極限の熱量を注ぎ込んで紡ぎ出された楽曲だ。……天宮優という青年は、天宮貿易の力で天月を見つけ出しただけではない。プロデューサーとしての情熱とビジョンで、あの孤高の天才の心を動かしたのだろう」
神崎の言葉に、周囲の者たちは誰も反論できなかった。
新人アイドル。それも、一人は中等部で孤立し、挫折を味わった月村手毬。もう一人は、これまで引き立て役に甘んじていた秦谷美鈴。
そんな二人の新入生のために、伝説の天月が完全新作を二曲も提供し、それを本人たちが完璧に乗りこなしてみせた。
その事実だけでも、十分に常識を覆すものだった。
「恐ろしい男だ……」
大手レーベルのチーフディレクターが、深く重いため息を吐き出した。
「天宮貿易の強大なネットワークを背景に持ち、行方不明の天月を懐柔し、自らはその楽曲を完璧に乗りこなせる二人の歌姫を水面下で育て上げた。そして、この六月の舞台で一撃のもとに初星学園を、いや、音楽業界の勢力図そのものをひっくり返した……!」
「今すぐ、接触の段取りをつけろ!」
別の事務所の重役が、血相を変えて立ち上がった。
「ライブ終了後、天宮プロデューサーに直接面会を取り付けるんだ! 秦谷美鈴と月村手毬の専属レコード契約、いや、天宮優個人との共同プロデュース契約でも構わん! 何としてでも、他社より先にあの青年を囲い込むぞ!!」
「馬鹿を言え、うちが先だ!」
「初星学園の理事長に直接連絡を入れろ! 天宮貿易とのパイプを繋ぐ絶好の機会だぞ!」
特別関係者席は、先ほどまでの静寂が嘘のように、狂乱の争奪戦の様相を呈していた。
天宮優という規格外の異端児。そして、彼が連れてきた二人の覚醒した歌姫。
業界の重鎮たちは、その存在を手に入れようと、なりふり構わず動き始めていた。
だが、誰一人として気づいていなかった。
彼らが「天宮貿易のネットワークで探し出した」と信じて疑わない伝説の怪物・天月。
その正体こそ、今まさに地下の第3控室で二人の少女とハイタッチを交わし、温かな苦笑いを浮かべている、あの銀髪碧眼の青年その人であるという事実には。
初夏の風が吹き抜ける中野の空の下。
天宮優という存在が放った最初の一撃は、少女たちの運命を変えただけではなかった。
日本の音楽業界全体を根底から揺るがす巨大な津波となって、その影響を確実に広げ始めていた。