本編と関係ありません
間章は 主人公とは別な視点
【ガルド視点】
ガルドは顎を覆う白髪交じりの黒髭をさわりながら、重い板戸を押し開けた。
冷え切った工房の空気が頬に触れる。
外よりも一段と冷え込んでいたが、ガルドは気に留める様子もなく炉へ向かった。
炉に残った灰をかき出し、炭を足して火を整える。
金床の脇に並ぶ道具を確かめ、昨夜まとめておいた注文書に目を通した。
今日取りかかる鉄塊を作業台へ運び上げる。
炉から赤熱した鉄材を引き出し、金床に据えた。
焼け色を確かめながら、身体に染みついた無駄のない拍子で槌を振るう。
乾いた音が、静かな通りへ規則正しく響いた。
午前の仕事がひと区切りついた頃、工房の戸が控えめに叩かれた。
「入れ」
顔をのぞかせたのはアラミルだった。
彼は作業台の上に視線を走らせ、それからガルドへ軽く頭を下げる。
「こんにちは。頼んでいたものを受け取りに来ました」
「おう。もう出来上がってる」
ガルドは布に包んだ品を持ち上げ、作業台へ置いた。
包みを開くと、薄板状に加工された非魔導性金属と、糸のように細く延ばされた魔導性金属が現れる。
「板はこれ以上薄くすると反っちまう。今回はここまでだ。導体の幅も、指定どおりにきっちり揃えてある」
アラミルは親指と人差し指で板を挟み、その厚みを確かめた。
続いて糸に目を細め、仕上がりを確認する。
「ありがとうございます。これなら、予定していた回路を組めそうです」
「組み上がるまでは、そう言い切るな。魔力を通してみるまでは分からねえ」
「はい。まずは負荷を抑えて試します」
ガルドは短くうなずいた。
慎重なのは悪くない。だが、手を動かして確かめるまでは、図面も計算も机上の話だ。
「最近はどうだ。これを使ってなにか作るんだろ」
「作業机で使う小型の魔導灯です。明るさを調整できるようにしたくて、回路の組み方を試しています。まだ試作段階ですが」
「そうか」
アラミルは真面目な顔でうなずき、受け取った包みを鞄にしまった。
ガルドは顎髭をわしわしと撫でながら、どこか面白そうに目を細める。
「道具のことばかりだな。恋人くらいできたのか?」
不意を突かれ、アラミルは鞄を取り落としかけた。
灰の散った床に落ちる寸前、慌てて胸元へ抱き寄せる。
「ふぅ……いませんよ。今は、作っているものをきちんと完成させたいので」
「そうか。それも悪くねえ。だが、根を詰めすぎるなよ」
アラミルは無表情だったが、視線はガルドからそれていた。
「現物を持ってきたら、出来くらいは見てやる。加工の話ならな」
「はい。できたら持ってきます」
アラミルを見送ると、午後のあいだ、工房には槌の音が絶えず響いていた。
金床に据えた鉄材へ最後の一打を加えると、ガルドは息を吐いた。
槌を作業台に置いて顔を上げる。高窓から差し込む光は、いつの間にか傾いていた。
凝り固まった肩に手をやり、腕をゆっくり回す。
それから道具を油布で丁寧に拭いて所定の場所へ戻し、作業台に残った金属片を種類ごとに仕分けた。
明日すぐ続きを始められるよう、注文書を手前にそろえて置く。
服についた灰や金属粉を無造作に払い落とし、重い板戸を閉ざした。
通りへ踏み出せば、見慣れた道は柔らかな茜色に染まっている。
夜、家族がそろった食卓には、湯気の立つ素朴な煮込みや焼きたてのパンが所狭しと並んでいた。
妻が肉料理の大皿をことりと置くと、三人の子どもたちが今日あった出来事を競うように話し始める。
話題はあちこちへ飛び、誰かが口を挟むたびに、食卓の笑い声が少しずつ大きくなっていった。
ガルドは杯を傾けながら、子どもたちの話に耳を傾け、賑やかに笑い合う顔を穏やかに見つめていた。
【リリス視点】
リリスの部屋の窓から、柔らかな朝日が差し込んでいた。
斜めの光が、頭上に伸びた黒褐色の山羊角を淡く照らしている。
リリスは眩しそうに目を細め、気だるげに身を起こした。
眠そうに目をこすり、両腕を頭上へぐっと伸ばす。
背中から生えた蝙蝠の翼も、腕の動きに合わせて左右へ大きく開き、薄紫色の皮膜がぴんと張った。
「ふぁ……もう朝かぁ」
小さくあくびを漏らしながらベッドから下り、冷たい水で顔を洗う。
翼を圧迫しないよう背が広く開いた麻の寝巻を脱ぎ、ベッドの上へ放り出すと、黒と象牙色を基調に金糸の刺繍を施した聖職者の衣装へ袖を通した。
背のスリットから翼をすっと抜き、襟元を正す。
鏡の前で櫛を手に取り、腰まで伸びた艶やかな藤色の髪を毛先まで丁寧に梳き下ろしていった。
朝の支度をしたリリスは、礼拝堂の重い両開き戸を静かに押し開けた。
澄んだ朝の冷気が堂内へ流れ込み、夜の間に澱んでいた空気をさらりと塗り替えていく。
祭壇の蝋燭を確かめ、長椅子の並びを整えると、治療に使う清潔な布や水差しの備えを確認する。
訪れる人々を迎える準備を過不足なく済ませ、彼女はその日の務めを始めた。
昼前、ひとりの冒険者が顔をしかめ、反対の腕を庇うようにして教会へ入ってきた。
押さえた腕のあたりには、じわりと血が滲んで布地を紅く染めている。
リリスが慎重に袖をまくり上げると、前腕に一本、赤黒い裂傷が浅く走っていた。
「大きな傷ではなさそうね。動かすと痛む?」
「リリスさん。少しだけ。仕事に戻る前に診てもらおうと思って」
リリスは傷の具合を確かめ、必要な治療を施した。
血の滲んでいた裂傷は見る間に塞がり、肌は何事もなかったかのように元の色を取り戻していく。
冒険者は腕を軽く曲げ伸ばしして痛みが消えたことを確かめると、深く息を吐き、頭を下げた。
「助かった。これで戻れそうだ」
「今日は無理をしないこと。痛みが戻るようなら、また診せに来て」
「分かった」
彼を見送った後、リリスは教会の入口を箒で掃いていた。
そこへ通りがかった老人が、穏やかに声をかけてくる。
二人は連れ立って教会の中へ入り、近所の様子やこの先の天気について、ほんの少し言葉を交わした。
老人が立ち去る際、リリスは入口まで見送り、手を振った。
午後になると、若い人間族の女性が相談に訪れた。
二十代半ばほどだろうか。
リリスが椅子を勧めると、彼女は腰を下ろしたものの、両手を膝の上で固く組んだまま、リリスと目を合わせることもできずに拳を見つめている。
リリスは翼を静かに畳み、彼女の傍に寄り添い、彼女が話し出すのを待った。
女性は視線を落としたまま、ためらいがちに口を開く。
「好きな人がいるんです。でも、気持ちを伝えて、今の関係が変わってしまうのが怖くて」
「一緒にいると、楽しい?」
女性は少しの間をあけて、うなずいた。
「はい。会えると嬉しいです。でも、相手がどう思っているのかは分からなくて」
「そうね。そこは、私にも分からないわ」
リリスはすぐに答えを与えなかった。
相手の気持ちを占うような言葉を並べても、彼女が知りたいことには届かない。
「あなたは、どうしたいの?」
女性はしばらくして、ぎゅっと握りしめていた指先の力をゆっくりと緩めた。
「本当は、もう少し自分の気持ちを伝えたいんだと思います。でも、急いで答えを出さなくてもいいのかもしれません」
「ええ。伝えるかどうかも、いつ伝えるかも、あなたが決めていいのよ」
女性の肩から張りつめていた力が少し抜けた。
組んでいた手をそっとほどき、リリスを見つめる。
「話せてよかったです。もう少し考えてみます」
「いつでもいらっしゃい。今度は、決めた後の話でもいいわ」
リリスが柔らかく笑うと、女性も小さく笑い返した。
夕方、訪れる人が途切れた後、リリスは教会の中を整え、重い表戸を閉ざして閂を下ろした。
夜。リリスは教会の自室で、机に置いていた手紙を開いた。
ルシアの落ち着いた筆跡が、便箋の上に並んでいる。
手紙には近頃の暮らしについての短い知らせと、母を気遣う言葉が綴られていた。
リリスの口元が、ふっと緩む。相変わらず心配性ね。
便箋を最後まで読み終えると、彼女は折り目に沿って丁寧にたたんだ。
返事に何を書こうかと少し考え、目元を押さえて小さく息を吐く。
肩の力が抜け、背中の翼もゆっくりと垂れた。
翼の先端が、床すれすれまで下がっていく。
「返事は明日ね」
そうつぶやき、リリスは手紙をそばへ置いた。
酒を一口飲むと、喉を通る微かな熱が胸に広がる。
寝台へ身を投げ出し、柔らかいシーツに顔をうずめた。
背中の翼も左右へゆるやかに広がり、寝台の上に力なく横たわる。
リリスは目を閉じ、静かに眠りについた。
間章は 主人公と関係ない話を書く予定です。