CRYCHICが出来たあの日。
今、バンドが来ているということは何度も耳で聴いたことがあった。
月ノ森でモルフォニカというバンドがあるということも知っていた。
月ノ森でモルフォニカに触れて、あんなふうに自分が輝けることは一生ない。
これからも、この先も誰かに照らし合わせて生きていく。有紀君の前だけで自分を出せる幸せがあった。彼は自分を出そうとはしてくれなかったけど……。
『長崎さん……でしたわよね?』
祥ちゃんに声を掛けられた日から全てが始まった。
やってみたら変われるのかも。
なんて短絡的な考えただったのかもしれない。モルフォニカのライブ、倉田先輩の歌声を聴いてどうしても自分の中であんなふうになれないのだろうか。願いたくなってしまうのは悪いことじゃない。自分に言い聞かせて、私は祥ちゃんの手を取った。
メンバーはみんな、個が強かった。
『え?若葉って、お笑いの……あっ、ごめんね。こういう言い方よくないよね』
睦ちゃんは元々、芸能人の一人娘だったし。
いつも反応が薄くて何を考えてるのか、さっぱり分からなかった。
どう考えても、豊川家の人間。
若葉の人間となんてバンドなんて不釣り合い。これからどうなるのかも検討もつかない。
曖昧で、ずっと霧が包んでる。
『こちらこそよろしくね』
既読が二件付けば、込み上げてくるものがあった。
初めての感覚だった。誰かと同じグループに入るなんてことはこれまで何度もあったはずだった。自分が満たされていくことを些細なことで感じてしまうなんて、ことは明らかにおかし……かった。
『そよ』
『え?急にどうしたの?豊川さん?』
『私達はバンドですわ!同級生であり、同じ学問を学び同じ音楽を作り続けるものですわ。それならば、いっそのこと名前で呼び合うのはどうですわ。睦、そよ。こう言った感じですわ!』
ボーカルを見つけたと言われて、月ノ森の校門まですぐ言われた言葉がこれだった。
祥ちゃんは当たり前かのようで話していたけど……。
『ですが、いきなりそよでは距離を縮めすぎかもしれませんわ。そよさん、改めてよろしくお願いしますわ!』
『うん、よろしくね祥ちゃん。睦ちゃんもね?』
苗字で呼び合うことよりも、名前で呼び合う。
祥ちゃんは自分が想像していたよりも、話しやすくて感じがよかった。
睦ちゃんも頷いて、私のことを「そよ」と呼んでくれることが増えた。祥ちゃんは「そっちの方が自然かもしれませんわね」と真剣に悩んでいたのを覚えてる。何処か馬鹿馬鹿しくて、悩むことでもない気がしてならなかったけど、ちょっとだけ嬉しかった。
そこまで考えてくれてるんだって……。
なりたかったな、祥ちゃんみたいらしく……。
『え、えっと……高松燈……です』
自信が無さそうに話す燈ちゃん。
『椎名立希です』
そっけない感じで自己紹介する立希ちゃん。
話しやすい話題を振ってあげなくちゃと思って、私は立希ちゃんのお姉さんの話をしようとしたら立希ちゃんは明らかに不機嫌だった。物をはっきりと言って、表情を隠すことすらしない。感情の波が明らかに怒を表してた。
『そよさん、立希さん、睦。燈さんは作詞の天才ですのよ。見せてあげくださいな、燈さん』
『え?え……え、っと……』
『大丈夫ですわ、ここにいる私達は笑ったりしませんわ』
『大丈夫だよ、燈ちゃん。私達、バンドをやっていくんだし』
私の一言で、燈ちゃんをノートを開いて見せてくれた。
燈ちゃんは……。
自分が想像していたよりも、小動物的な子でもなければ臆病な子じゃなかった。
『自分は此処にいない』
『自分は誰とも繋がれてない、呼吸ができない』
『みんな、輪の中……。形を作って……』
見たくない。
これ以上、先は見たくなかった。想像以上だった。
まるで、自分の知らない現実が目の前で浮上してきそうだった。独りぼっち、それを示すかのような言葉ばかりで喉元に違和感を覚える。強い燃焼のようなものが起きていて、目を塞ぎたくてしょうがなくて、知らないふりをしたかった。
私は……どうしよもなく目を瞑れなかった。
知ってた。これが何を表すかも。
さっき立希ちゃんを怒らせたとき「また」と思ってしまったのも……。
有紀君と話しているとき、祥ちゃん達がやって来たのも……。
嫌だった。本当は……。自分の領域を踏み込んで欲しくない。バンドを組めたのは嬉しかった。
『貴方がそよが偶に話している篠村さんですの?』
ある日、有紀君が好きなジャズカフェに来たときがあった。
ジャズのことはよく知らないけど、有紀君はこういう場所が好きだし彼曰く、こういう場所の方が落ち着くらしいからよく此処に連れて来てあげたことが多かった。彼も気分を良くしてくれたから。
『ああ、そうだが……制服的にもそよがよく話しているバンドの仲間達で合っているのだろうか?』
燈ちゃんが仲間と……小さく呟いていた。
耳を傾けようとしないで、私は祥ちゃんの声の方を頼りにするのがやっとだった。
『そよが迷惑をかけているだろうが、仲良くしてやって欲しい』
保護者かのようにして、話す有紀君。
『分かっておりますわ、篠村さん。私達はバンド、運命共同体ですわ』
『運命共同体か、いい言葉の響きだ』
『篠村さん、そう思うのですね!』
『確か祥子と言ったか?キーボードが出来るそうだな、あの音は実に心地がよくてな……」
そして、それを祥ちゃんは受け止めて話を続けていた。
まるで、燈ちゃんのノートかのようだった。本当は居場所だった場所が、自分の居場所じゃない。此処じゃない、別の場所。
じゃあ別の場所って何処?
有紀君は私のことを味方だと言ってくれた。違う、CRYCHICの話をすればするほど、何処かおう自分はいらないだろう。もう自分は私の傍に居なくていい。そんな言葉ばかり述べていたんだって、気づいてたけど知らないふりばかりしてた。
楽しい時間があったから。
『え?カラオケがお家にあるの?睦ちゃん』
あるとでも言いたそうな睦ちゃんが首を縦に振ってた。
隣にいた立希ちゃんは実感なさそうに声を出していたのを覚えてる。
『睦、これはどうやるんですの?スマホみたいにタッチ式なんですの?』
『ドリンクバー……?』
睦ちゃんが声を出して疑問を出してる。
祥ちゃんは勝手にドリンクバーの液晶を弄ってた。
『え、えっと……これは……ボタンを押して』
『炭酸系のにも、マスカットなどを追加できるんですのね。種類が豊富ですわ!』
燈ちゃんが教えてる側だったのは少し面白かったけど。
悪い気分じゃなかった。この五人でカラオケで来れたこともそう。
睦ちゃんの歌声、燈ちゃんの歌声。ただ女の子らしい日常が、私を強く思わせてくれた。
此処に居ていいんだって……。
此処を居場所だと思えていいんだって……。
そして、その居場所という概念は簡単にも崩れてしまった。
『そよちゃん、えっと……連絡来てる?』
『学校あいつ来てないんでしょ?それ以前の問題じゃないの?』
『睦ちゃんは何か知ってる?』
首を横に振るだけで何も答えてくれない睦ちゃん。
拳を握り締めて、上の空。こっちのことなど気にも留めてない。そんな言動が気になってしょうがなくて、私は今にも睦ちゃんに当たりそうな気持ちを抑えながらも、待ち続けることを選んだ。扉が開いて、祥ちゃんが謝ってくれていつもみたな日常がまた始まってくれる。信じたかったのに、それはもう……。
『CRYCHICを辞めさせていただきますわ』
存在すら許されなかった。
怒号が聞こえる。立希ちゃんの声だ。
燈ちゃんの泣きそうな声がする。睦ちゃんの声はしない。
私の声もしない……。
ああ、そうか……。そうだよね。
居場所なんて最初から存在しなかったんだ。
信じていたのは呆気なく崩されって、残るのは瓦礫の山だけだった。
思い出だけが残ることに、どれだけの意味があるんだろう。
きっとない。
認めたくなくて、認めるのも嫌で。
私はCRYCHICを解散したという事実から逃げたかったのに、高校一年生のとき。
新しいバンドを始めて、ライブを終えた後。祥ちゃんのお家に行って現実を見る。
もう、ないんだって……。
終わってしまったんだって……。
新しいバンドしか残ってない。春日影はもう存在してない。
あるのは歴史そのものが書き換えらえた春日影……。誰も知らない、誰も歌うことはない。
過去の春日影なんて……。
「燈ちゃんのライブパート、今日は四人いるんだって!」
「この前は三人だったよね!なんかもう燈ちゃん目当てで来るようになったよ!!」
黙ってて、CRYCHICを知らないくせにそうやって平然と今ばかり語らないで。
ライブハウスに来た理由なんて一つだけ。
宣言した通り、私があのバンドを終わらせる。
認めない、私は絶対認めない。
「僕は間違っていたのかもしれない」
「僕は……傷ついていたのかもしれない」
足が止まってしまう。
暗闇の中で……この先には光が広がってる。
「過去に戻れることがあったとしても、もう過去を縫い合わすことはできない。誰だってそう……なのかもしれない。過去を嫌い、過去を憎んで、過去を傷つけて、過去を喰らっても、それでも言えることがあった」
「僕にとってあの場所は居場所だった」
足が動けない。
動きたいのに、動けない。後もう少し。
ステージの上に上がって、終わらせればいいだけ。
「単なる居場所じゃない、呼吸ができて生きていいんだって言える場所だった。否定する必要なんてなかった。僕にとって分岐点でもあった。感情に名前なんてなかったのかもしれない。それでも、僕は……僕らは信じたい」
「あの場所が好きだったことを……」
無意識に止まっていた身体が……。
証明してた。
そうだよね、燈ちゃん。
私もね、私も……。
同じだったんだ。
CRYCHICが好きだった。CRYCHICを忘れたくなんてなかった。
CRYCHICが無い日々だけを送って、誰かが幸せそうなのが羨ましかった。私がこうして燈ちゃんの手に掴まれて、動けないように見えるのは何も嘘じゃない。多分、さっきまでの詩は幻覚だったのかもしれない。
私がそう信じたいって思えていただけなのかもしれない。
そうだとしても……。
私はCRYCHICを捨てなくてもいいし、嫌いにならなくてもいいんだって思えた。
有紀君が言うように、無いと自分で気づいたとしても。
今を進もうとしても、陽だまりの中に入って。
此処が居場所であり、あそこも居場所だったって言ってもいい。
涙を浮かべてる愛音ちゃん、楽しそうにギターを弾いている楽奈ちゃんの顔が近くにあって…‥。
あーそっか。
否定しなくてよかったんだって……。
思えたんだ……。