後宮の司書になったので、死ぬ気で政争から遠ざかりつつ本の虫になるTS転生者 作:暁刀魚
文林院、この国の叡智が結集するその場所は、宮廷においてもっとも静謐な場所でもある。
誰もが黙々と自身の仕事に向かい、日々様々な記録が紙に記されていた。
「く……何度来ても慣れない場所だな。書庫もそうだが、この独特な匂いは何なんだ?」
「紙から陽の気を取り込んでいるのですよ。こうして吸い込むことで、この過酷な労働の毎日を生き抜くことができるのです」
「蘭姐の毎日に過酷な労働は一切無いように思うんだが……」
「少なくとも今は過酷です、命がかかっていますからね」
「それなら問題ねぇだろ……何かあったら俺がなんとかする」
何やら自慢げな凌雲に、期待していますよ、と気のない返事を返しつつ文林院を進む。
中では色々と忙しく仕事をしている官吏が無数にいるのだが、私が目指すのはある人物の仕事場だ。
その人物の名は
かの崔皇太后の一族、崔家の出身で現在この国においてもっとも字が上手いと言われる書道家。
彼は現在とある本の”原本”を作成しているのだが、それが今回の私のお目当てである。
多分そろそろ完成していると思うんだけどなぁ。
「――おや、幽蘭殿」
「陳徳殿」
で、そんな彦清様の仕事場の前で、陳徳殿と出くわした。
その手には、二冊の本が抱えられている。
どうやら、かなりちょうどいいタイミングで訪れることができたようだ。
あと一歩遅れていたら、骨折り損になっているところだった。
「これはちょうどよかった、幽蘭殿。先程ようやく『双龍覇業録』の第三巻。その原本が完成いたしました」
「それはよかったです。私もちょうど、その本に用がありまして」
そう、彦清様が最近取り掛かっていた仕事というのが、先日ようやく脱稿した『双龍覇業録』の第三巻を原稿から本に書き写し原本とする作業。
これがまた随分と難産だった第三巻だが、何とか年明けまでに刊行することができそうだ。
「お、三巻が完成したのか。楽しみにしてたんだよな」
「文字の読み書きを練習しておいてよかったですね。私に感謝するべきですよ」
「今じゃ俺のほうが、字は綺麗だけどな」
「黙りなさい」
「ぐあっ」
げしっ、と凌雲のスネを蹴っておく。
こほん。
私が作った原稿の文字は、この国トップの書道家と比べるとお世辞にも美しいとはいい難い。
まぁ、普通……って感じ。
なもんで、こうしてそのトップ書道家たる彦清様が改めて本にするのだ。
二冊あるうちの一冊は紅玉様の元へと届けられる。
そしてもう一冊は、当然ながらこの本を待ち望んでいるもっとも尊きお方の元へ運ばれるのだが――
「――凌雲殿、これを」
「……ん?」
「ああ、分かったよ陳徳殿」
おいまて、陳徳殿はどうしてその本を凌雲に渡そうとするんだ?
待て待て待て、あまりにも不敬だろう!?
「ちょっと待ちなさい! 何主上の元へお届けされるはずの原本を貴方が手にするのです、凌雲!」
「うおっ! さっきからなんだよ、というか道術で身体強化されてるんだからもう少し加減してくれよ!」
この原本は、紅玉様と主上――現帝たる李延様の元へ運ばれるはずのものだ。
それをどうしてこやつが陳徳殿から受け取っている――!?
「ははは、もしや幽蘭殿はご存じないのですか?」
「な、何をです!?」
「あ、ちょっと、いいのか陳徳殿。一応これ、機密なんじゃ……」
「幽蘭殿であれば、問題ないでしょう」
え、私は一体何を聞かされるんです?
いや、機密だっていうなら聞きませんけど……え、だめ?
そんなぁ。
というか、他の人に聞かれたりとかは……ないか、ここ人いないし。
彦清様が偏屈で人間嫌いなので、この場所に足を運ぶ人間はほとんどいないのだ。
で、なんだいなんだい。
「――実は、少し前から凌雲殿が主上の護衛を務めているのです」
…………えっ。
「なんですとぉ!? この凌雲が!? 一介の庶民ですよこいつ!」
「ちょ、声がでかいって蘭姐。彦清様に聞かれて怒鳴られたらどうするんだよ」
「い、いや……それは確かに困りますけど……でも……えっ!? 護衛!?」
そんな大出世を遂げていたというのか、いつの間に!?
というか、それで陳徳殿と知り合いなのか。
陳徳殿は昭華様の側近だし、一介の宦官としては結構重要なポジにあるのである。
いや、純粋な宦官ともいい難いんだけどさ。
後、合流した時に他にも仕事があるって言ってたけど、主上の護衛に関することだったのか?
そりゃ私との待ち合わせ時間よりもそっちを優先しますわ。
「考えても見てください、幽蘭殿」
「ええと……」
「凌雲殿は呪術や禁書に関する知識があります。名家の出身でもそういった禁書などの存在を知らぬ者もいる中で、これは間違いなく凌雲殿の強みです」
「それは確かに……」
私や祖母が近くにいた関係で、昔からそういったオカルト絡みの事件に関わることが多かったんだよね、凌雲。
結果として、朝廷にとって都合の良い人材に育ったわけか。
「何より、貴方が信頼する相手であるというのが大きいのです。魑魅魍魎が跋扈する宮中において、何より信頼できるのが凌雲殿なわけです」
「それは……ちょっとよくわかんないです」
私が信頼してるから信頼できるってのが、何なのか。
あと魑魅魍魎って貴方がいいますか、陳徳殿。
というかなんで凌雲はさっきから誇らしげなんだよ。
「――そして何より、凌雲殿は私より強い」
「
「……!」
陳徳殿は、おそらく一番大事なことを最後に挙げたのだろう。
でも残念ながら、凌雲が強いということは私が一番よく知っている。
だからこそこうして護衛を頼んでいるわけだし。
「
「っておい!」
「……なんですか。自分は静かにしろと言っておいて」
なんだその、ズコーみたいな反応は。
凌雲が一人で大騒ぎしているのを脇において、私は本題に入る。
「陳徳殿、失礼します」
「……かしこまりました」
私が陳徳殿に手招きをすると、すぐに意図を察した陳徳殿が顔を寄せてきた。
後ろで「んな!」とか言ってるどっかの誰かさんと違って、察しがよくて助かる。
「――解析」
「……!」
そして、瞳を通して情報を陳徳殿に送る。
解析は時に、
遠隔での禁書や道術による盗聴を避けて、情報を送ることができる。
近くに密偵を放たれると瞳が光ってるのを見られる可能性があるけど、その時は解析がそれを教えてくれるからな。
この場には凌雲がいるし、凌雲が制圧してくれることだろう。
「……なるほど、かしこまりました」
「紅玉様への本は、私がお届けします。陳徳殿は昭華様の所へ」
「ええ」
そうして私は、陳徳殿から本を受け取る。
渡した陳徳殿は、小走りでその場をあとにした。
文林院は走るの厳禁、特に彦清様の仕事場の近くでは。
それにしても……う、うおお、出来立ての本の香りが……香りが! むほほ!
「……蘭姐、顔がとんでもないことになってるぞ」
「むはっ! ……行けませんね、やはり文林院は魔境です」
「魔境の意味が一人だけ違うだろ、絶対」
よく文林院は魔境、などとよく言われる。
この国の最高峰の文官が集まる場所、すなわち権力闘争の舞台だ。
年に何回かは死人が出て、連座もよく発生するという魔境。
なのだが、そんな政争からは死ぬ気で遠ざかる私にとって、ここは紙の匂いが魔性すぎる場所という意味での魔境であった。
ともあれ。
「――解析」
私は改めて周囲に解析をかけて、現在の状況を確認。
それから、防寒のためにもこもこになっていた自分の服を一枚脱ぐと、そのまま本に被せる。
これで問題ないだろう。
「それで、察しの悪い俺にも、何が”視えた”のか教えてくれ」
「――まず、この本は呪物です」
「げっ」
先ほどの、文字を覚えるための紙と同じだ。
紙そのものに、ちょっとした呪いがかかっている。
それは私の禁書でなければ解析できない微細な呪いで、陳徳殿でさえ気づけなかった。
「敵はこれらの呪いを、一本につなげようとしているのです」
「呪いと呪いがつながって……クモの巣みたいになってるのか?」
「いい例えですね、イメージとしてはそんな感じです」
複数の呪いがつながれば、それだけ強力な呪いになる。
なるほどこれは、宮中でテロを起こすためには中々有効な方法だ。
私がいなければ、呪いはそのまま実行されていたかも知れない。
そして――
「それに、この原本――呪いの大本――を解析してはっきりしました」
「黒幕が分かったのか?」
「ええ」
案の定、というかなんというか。
「下手人は沈承淵です。彼が、一連の事件の黒幕でしょう」
「な――」
その言葉を聞いた凌雲は、思わず大声を挙げそうになった。
それを慌てて私が抑える。
布を被せてあるから向こうには声が聞こえないけど、それはそれとして大声が響くと彦清様が怖いんだからな?
で、そうして落ち着いた凌雲は少し難しい顔をして、それから――
「……そうか、運のない奴」
何故かそう言って、納得した様子で私にぬるい視線を向けるのだった。
なんでそんな、私がやらかしたみたいな目で見てくるんだよ!?
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