後宮の司書になったので、死ぬ気で政争から遠ざかりつつ本の虫になるTS転生者 作:暁刀魚
──優秀ではないくせに、ただ先に生まれてきたからというだけで兄は家の全てを継ぐことになった。
今の時代、名家は長子が相続するというのがこの国の基本だ。
沈家も、優秀な承淵ではなく無能な兄が家を継ぐことが、承淵が生まれた時から最初から決まっていたのである。
故に承淵は腐った。
自分は恵まれている。
家は裕福で食うに困ることはなく、自分には剣の才能があった。
だからこそ、戦乱が少ない今の時代でも、武官として順調に出世することができたのである。
承淵は多くのものを与えられ、称賛と共に育ってきた。
それに満足できないことが、おかしいことだという事はわかっているのだ。
しかし、それでも承淵は満足できなかったのだ。
どれだけ周囲から欲しいものを手に入れようと、一番ほしかった地位は手に入らなかった。
兄を謀殺して家督を奪う? あまりにも面倒だ。
承淵はただ、何もせずともすべてが手に入る。
そんな生活を、送りたかっただけなのだ。
──そんな時だ、凌雲という男と出会ったのは。
真面目で実直、庶民の出身であるがゆえに粗野な面も目立つが、それが彼の評価を貶めるほどではない。
承淵が一番嫌いな種類の人間だ。
それがどういうわけか、同じ出世頭だからとペアで扱われ、交流する機会が増えた。
だが、話をしてみると解るが凌雲の素は、どこにでもいる普通の無頼漢だ。
庶民だったということも相まって、本来なら武官として朝廷に仕えることなど無い気質の人間だっただろう。
誰かがそれを矯正していることはすぐにわかった。
──幽蘭、というらしい。
どうやら凌雲が惚れている女のようで、聞けば聞くほど承淵はその幽蘭という女に親近感を覚えた。
似ているのだ。
楽をして生きたいという性根が。
でなけりゃ凌雲にあんな横柄な態度は取らないし、だらけた生活に苦言を呈されたりもしない。
いやなんでそんな凌雲に対してだけ横暴なんだよ、逆に好意しかないだろそれ……
異性に対する好意ではないのが同情を誘う。
凌雲の事は死ぬほど嫌いだが、こればかりは哀れだと思ってしまった。
とはいえ、だからこそ。
正直、最初のうちはそれだけだった。
後宮の女官とはいえ、幽蘭は司籍だという。
それなら本の入れ替えなどで宮廷書庫に足を運ぶこともあるはずだ。
そこを狙って声をかけ、一度でものにしてしまえばいい。
何、どれだけ自分になびかない相手だろうと、相手は所詮女。
力付くで脅せば、恐怖に身が竦むもの。
そこを口八丁で誤魔化せば、勝手に女は承淵の整った相貌も相まって勝手にそれを愛だと判断する。
それがこれまで、多くの女を手籠めにしてきた承淵の、もっとも”面倒の少ない”口説き方だった。
しかし、幽蘭相手にはそうもいかない。
そもそも出会うことすらできなかったのだ。
出会えても、大半の場合は凌雲か同僚の女が隣りにいる。
承淵は舐めていたのだ。
幽蘭が、用がなければ絶対に後宮から出てこない出不精であることを。
あるいは、仮に出てきたとしても非力過ぎて他人の手を借りなくては仕事をこなせないということを。
結果として、声をかける機会を持たないまま承淵は凌雲の愚痴というなの惚気を散々聞かされた。
うんざりするほどに幽蘭の名前を出す凌雲に苛立ちながらも、話を聞いていると承淵はあることを察知する。
──この女は、自分に価値を見出していないのだ。
容姿の美しい女であった。
あまりにも細すぎる体つき故、大衆受けはしないものの、他に類を見ないほどの美貌ではある。
だというのに自分の容姿に価値を見出さない。
そんな女は、これまでになかった。
どころか、他者と比べて明らかに頭がいいはずなのに、それもまた価値と思っていない。
おかしな女である。
──そして、承淵の同類でもあった。
自分に価値など無い。
生まれた時から、承淵はそれを嫌というほどわからされてきた。
才能があっても家を継げず、結局のところ武官としての出世も家の”金”によって敷かれたものだ。
この太平の時代、戦う機会のない人間が出世する方法などそれしかない。
周囲は承淵の武勇を称えるが、それが出世に貢献したことなど一度としてなかったのだ。
決まりきっているだけの人生に、果たして何の価値がある?
なら、享楽にふけるのが正しいあり方だろう。
かといって、暗愚とバカにされるのも甚だ遺憾だ。
自分は無能な兄とは違うのだから。
そんな意識が、今の承淵を形作っていた。
幽蘭も、それは決して違わない。
一体どうしてあれほど自分に価値を見出していないのかは知らないが、感じていることは同じだろう。
話を聞いているだけでも、それがわかる。
だから禁書を手にした後も、承淵は少しだけ幽蘭に意識を向けていた。
禁書を手にしたことは偶然だった。
持ち込まれた荷の中に含まれており、手にしてしまったのが承淵である。
ああ結局、自分は最後まで決められた人生を送る価値の無い人間だったのだ。
禁書を手にした時点で、それに抗う方法がないことがわかった。
仮にこのまま禁書を使用した罪で捕まり、承淵に責任がなかったとして生き残ったとしても、以前のようには暮らせない。
実家で冷や飯ぐらいが関の山、放逐されて泥水を啜るような生活を強いられるかもしれない。
何もかも終わりだ、沈承淵とはそういう人生を送る人間だったのだ。
ただ、朝廷を呪い殺そうとする禁書に対して、それに抗おうとしなかったのもまた事実。
何しろ、もとより承淵は自身の人生に価値など見出していなかった。
だからこそ、気に入らない周囲をまとめて呪殺して自分も死ぬという人生の終点は、さぞかし愉快だろうと思ったのだ。
故に禁書の中に封じられた計画に、承淵はただ操縦されるがままになった。
計画はこうだ。
まず後宮で『万蟲屍解経』による呪符をばらまき、朝廷の対応力を見る。
道士達がどのような対応をするのか、威力偵察をするのだ。
その後、承淵の禁書に対する朝廷の防衛力を見る。
これで後手に回るようなら、紙の呪いには気付けないので事を起こす──というのが計画の大雑把な概要だった。
現在朝廷には、謎の禁書使がいる。
これまで数多くの禁書が、その禁書使によって失われてきたという。
その禁書使をどうにかしないことには、計画の成就はどうあがいても不可能である。
少なくとも、この計画でその禁書使を釣り出すことはできないように思えた。
――そんな時だ、『万蟲屍解経』を握らせた女官が死を選んだのは。
これまで、承淵は自分の手で誰かを殺したことはない。
あまり素行のよろしくない無頼漢とも承淵は付き合いがあり、人死にに関わることもあった。
だが、基本的に他人を殺す時は周囲の無頼漢が勝手に殺すよう仕向けていたのだ。
しかし今回は、実際に死んだのは女官の判断とはいえ、原因は間違いなく承淵だ。
相手は誰でも良かったが故に、たまたま目についた女を選び、禁書を送り込んだのである。
王宮を守護する羽林軍であるがために、戦場に出る機会もなかった。
自分はこれからも、人を殺さず生きていくのだろう。
そういう清廉潔白な人間として称賛されて生きていくのだ。
そんな考えを持っていた承淵にとって、それは苛立ちを覚えるのに十分な”殺人”だった。
そしてその女官の死体を使って、禁書を送り込んできた連中は謎の禁書使を釣り出そうとしたらしい。
結果は失敗。
情報を持ち帰る前に対処されたという、これなら最初からやらないほうがよかったのではないか? と承淵は思った。
結局、敵組織は禁書使の正体を知ることはできなかったらしい。
しかし、それでも朝廷が呪いの対処において後手に回ったことから、計画の実行を決意。
承淵は禁書に操られるがまま、各地に呪符となった紙をばらまいていったのだ。
はっきり言ってそんな適当な判断で計画が成功するとは思えないが、承淵は楽観していた。
禁書の力があれば逃亡は容易だからだ。
何しろ、彼の禁書『
『枯骸通冥経』の二つの能力のうち一つは、
これは遺骸であれば何でもよく、動物の遺骸や
この能力の便利なところは、禁書の能力を誤認させられること。
一見すると最初に起きた呪われた動物の遺骸が突如として宮廷に出現した事件は、どこかから動物が迷い込んだかのように見える。
しかし実際は、いきなり無から存在しない動物の遺骸が出現しただけなのだ。
加えて、遺骸を多少ならば操作したり干渉することも可能、これで宮中にばらまいた紙を用いて情報収集を行うのも承淵の役目だそうな。
そしてもう一つが、遺骸と遺骸の間を転移できる能力。
自身が遺骸に触れている時、射程距離の中にある別の遺骸の側へと転移できるのだ。
転移できる距離には限りがあるが、遺骸同士であれば何でもよい。
紙が国中に普及して久しい現在、紙から紙へ転移して行くことで容易に逃走が可能。
街の外に出ると極端に紙は存在しなくなるが、虫の遺骸ならそこらで見つけることができるだろう。
いくらなんでも、この能力があって逃げ切れないはずはない。
──だから、突如として宮中に張り巡らせた呪いの網がまとめて断ち切られた時も、即座に逃走を選択できた。
いや、実際は一瞬だけ驚愕して思考がとまってしまったのだが。
まぁ無理もないことだろう。
朝廷にいる人間を丸ごと呪殺できる規模の呪いだった。
それを一瞬にしてまるごと解体する、どう考えてもおかしいだろう。
幸いだったのは、承淵を捉えるために配置されていた陳徳とかいう宦官も、あまりのことに驚愕して一瞬行動が遅れたことか。
その一瞬を利用して逃亡した承淵は、そのまま宮中の紙という紙を使って外部へと逃走を図り、やがては都の外へと抜け出していく。
不愉快すぎて、今にも叫びだしそうだった。
仮に失敗するとしても、少しくらいは爪痕を残せるだろうと承淵は考えていたのだ。
少なくとも計画の要となる『双龍覇業録』の新刊は帝の元へとたどり着く。
それが幼い帝の命を奪えば、朝廷は大混乱に陥るだろう。
計画の一部でも成功すれば、操られているだけだったとはいえ、承淵のそれは功績だ。
もしかしたら、禁書使として敵が自分を活用して生き延びる芽も生まれるかも知れない。
しかし、失敗した。
何もかもが無に帰したのだ。
ありえないだろう、あんな規模の呪いを一発ですべてなかったことにするなど。
承淵は呪いについて詳しい訳では無いが、それでも相当今回の呪いが凄まじい規模のものであるということは理解できていた。
だからこそ、それが何の成果も得られずご破産になるなど、あっていいはずがない。
どうしようもなく叫びたくなる感情を抑え、ただただ承淵は禁書に操られるがまま走る。
そんな時、一つだけふと意識によぎるものがあった。
幽蘭のことだ。
敵が計画を実行に移すと決めた後、承淵にはほとんど自由がなかった。
その中で一度だけ、たまたま自由が効いた瞬間があり、そのタイミングでちょうど幽蘭と話をする機会を得たのである。
案の定、幽蘭は自分の同類。
楽をして生きることが第一で、自分に価値を見出していない。
そんな女だった。
しかし、拒絶された。
幽蘭は言う、生きることは難しいことだからこそ、生きるのだ──と。
その考えは承淵のそれとは正反対の考えだ。
幽蘭本人の考えではないだろう、誰かが幽蘭にそう教え込んだのだ。
妬ましかった。
承淵には、道を示してくれる誰かはいなかったというのに。
それだけでなく、凌雲まで幽蘭の側にはいるのだ。
これほど恵まれた女はそういない。
というか、無理やり力でねじ伏せようとしたら、凌雲並の俊敏さでよけられたんだが、あの女の体はどうなっているんだ?
道術の存在を禁書によって得られた半端な知識でしか知らなかったがために、承淵は幽蘭が理不尽すぎる何かにしか見えなかった。
そしてあまりにも妬ましくて、羨ましかった。
自分とあの女は何が違う?
何も違わないだろう、だというのにどうしてあいつはあんなにもまっすぐ生きている。
ああ、どうして、どうして自分はこんなにも上手く行かない。
自分はただ楽をして、好き勝手生きて、そして幽蘭のような妬ましい女を、穢して自分のものにしたかっただけなのに。
ただ、そんなことだけを考えた。
故に、だからこそ承淵は――
「──ようやく追いつきましたよ、承淵。今こそ、観念するべき時です」
――まさかそんな欲求から衝動的に取った行動が、自身が禁書使であると露呈させた根本の原因であることにも気が付かない。
そうして今、逃げた承淵の前に金色の光で形どられた幽蘭が、佇んでいた。
結果、承淵は──
「────なんでだよおおおおもおおおおおお!!!!!!!」
思わず、叫んでしまうのだった。
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