事故った。
車にひかれた体がふっ飛んで、こっちに足先と頭を向けて〈く〉の字で倒れている。
(まじか)
と、思ったのは事故に対してじゃなく、
この車がそのまま走り続けていたことに、だった。
「あの……お父さん?」
「……わかってる。だまってろ。とめる場所をさがしてただけだ!」
きっ、と急ブレーキ。
体が前につんのめる。
おりる瞬間、父親が「ちっ」と舌打ちしたのがきこえた。
おれもシートベルトをはずして助手席から外へ出る。
(さっむ)
12月の夜。
雨はふってないが少し風がつよい。
「電話する。おまえ、あの子の様子をみてこい」
至近距離でおれにそう言った。
ふきだした白い息には、お酒のにおいがついている。
これがはじめてじゃない。いつものことだ。こういう人なんだ。
意見しても、なぐられるだけ。
(かわいそうだな)
まわりはほぼ田んぼだけの田舎道。街灯もない。車のうしろで点滅してる黄色い光が唯一の明かり。
「だ、大丈夫ですか? いま救急車とか呼んでるんで」
「…… ……」
はっきりは見えないが男性だ。大人に比べると小柄な体つき。おれと同い年ぐらいかもしれない。
口がかすかにパクパクうごいているが、声は出ていない。
地面を枕に寝た姿勢のまま、こっちに顔や目線を向けることもない。
「しっかりしてください」
「……き、あ」
「え?」
「き、あ、き…………あ」
(きあ? だれかの名前だろうか?)
ふと、近くに落ちている物が気になった。
白いコンビニの袋。その中に入っているのは……
(花火? こんな時期に?)
視線のはしで何かがうごいた。
手だ。
たおれた彼の手が、ふるえながら地面の低いところに浮いている。
おれは駆け寄って、その手をとった。
そのとき――
静電気が走ったような感覚があった。
手から頭まで一瞬でバリっといった。
イヤな感じじゃなかった。その感覚にはある種の心地よさがあった。
しばらくそうして手をにぎっていたところに、父親がやってくる。
「おい。車にのれ」
「え?」
「いいから」
そこからの説明は、あとから考えればおかしなものだった。
「警察や救急車には連絡した。それで、先に子どものおまえを家に送るようにいわれた」と。
あきらかに命の危機にある彼をその場に残して、しれっと発進した車。
そして次の日のローカルニュースに出たのが「夜間のひき逃げ事件」。
あいつは、フリだけで、どこにも連絡してなかったんだ。
ほんとにひどいヤツだった。
数日後、おれの〈元・父親〉は早朝に車でどこかに出かけた。以降、家に連絡は入っていない。
あれからつかまったのか、それともちゃんと自首したのか、それすらまったくわからない。
―――そんなことを、つい思い出した。
あれから三年後。
おれは中二から高二になっている。
進級のクラスがえがあって、今は自己紹介の時間。
一人の女子のところで、流れがストップしていた。
「…………」
一人ずつ前に出て、まあ、お決まりのように自分の名前やら部活やら言うアレ。
あまり好きじゃないしメンドくさいイベントだ。
しかし何か様子がおかしい。
「…………」
小さく口をあけて何か言おうとはしていたが、
あきらめたように下にうつむく。と、先生が「名前だけでも、ね?」と横からうながした。
まだうつむいたまま。
静まりかえる教室。
「がんばって」と先生。三十代ぐらいの女の先生だ。
ゆっくり、顔をあげた。
「きなか、です」
おー、と男子のだれかがおどけて拍手。
おれは静かに見守っていた。
「下の名前もききたいなー!」とその男子がつづけて言った。
クラスの大半が、また彼女がだまってしまうことを予想しただろう。
おれもそうだ。
「…………きあ、です」
(――――えっ!!??)
記憶によみがえるあのときの光景。
信じられないくらい、あざやかに思い出した。まるで映像をみるように。
――「きあ」
いや、ただ名前が同じだけじゃないか。
ありふれたやつじゃないけど、偶然の一致ってこともある。
なにより、あれが本当に人の名前かどうかだって、わからないんだ。
(そうだよ。うん)
おれはすいこんだ息をゆっくりはきだした。
と、急に担任の先生が何かを思い出したような顔をして、
「ごめんなさい」と彼女にあやまった。
で、そのままみんなに説明する。
「
だからいろいろ助けてあげて、という。
おれは即座に「そんなこと言っていいのか」と思った。プライバシーだからだ。
だけど「不幸があった」とか「事故」とかでボヤかすと、いろいろあらぬ方向へ想像をめぐらせるヤツも出てくるのか。
(まてよ。身近な人――って)
フラッシュバック。
あの男子の顔。
彼の手をとったとき、手の
あどけなさが残る、中学生の、どこかおれの顔にも似た――――
■■■■■
「キア。おいで! あっちにクロネコがいたよ」
「あん。まってぇ。タイチ」
「そんなフクきるから」
「うーん……」
「みてらんないよ。ころんじゃいそうじゃん」
「こ・ろ・ば・な・いっ!」
「ズボンでよかったのに」
「スカートが……よかったの」
「ネコいっちゃう。ほら」
「あ。ありがと。タイチ」
「いくよ」
■■■■■
ふわっ、と前から受けた風でおれの前髪が上がり……はしなかった。
え? なんだいまの?
おれもしかして寝て、夢でもみてた?
(…………おれに注目してる人は、いないな)
ってことは、たとえ寝落ちにしても短い時間だったってことだ。
あの景色は。
ひざの下まである長いスカートの女の子をみてた視点。
小学校にあがる前かあがったばっかりって感じの年頃。
おかっぱの髪に赤いリボンで二重のぱっちりした両目。
かわい、かったなー……。
いや、そう思っていいのか?
高校生のおれがそんなふうに思うのは、ヤバくないか?
おれロリコン?
……。
そんな場合じゃないぞ。
あの子たちはあきらかに「キア」「タイチ」と呼び合っていた。
「タイチ」と呼ばれていたのはおれ。
自分の手をみた。
たしかにあのスカートの女の子の手をひいていた感触が、あった。
放課後になった。
(ふー、やれやれ。なんとかクラスのライングループに入れたな)
経験上、こういうのは遅くなるといいことがない。早いほどいい。リーダー格の男子が社交的なヤツでよかったぜ。
(ええと………………いない)
予想どおりというか。
女子のイジメとかじゃないと、いいけどな。
でもなんというか、
今とぜんぜんちがった。
今の彼女は、伏せがちな目元と、それをかくすように重くたれた前髪。
あんなにかわいかったのに。
様子をみながら数日たったが、まだ彼女はクラスに友だちがいないようだ。
ま、おれもだけど。
週末の休み。
おれはなぜか〈こんなところ〉に来ていた。
まわりがほとんど田んぼの風景。ここへは自転車できた。家から7、8キロってとこか。
水路の近くに、花がそなえられている。
花を見ながら、おれはしゃがみこんだ。
さすがにグッとくるものがある、な。
おれのせいってことはないと思うけど、
あのとき、もしもおれがキゼンとして父親に注意できていれば――
「ちょっと……、いいですか?」
いきなり背後から肩に手をおかれた。
ふりかえるとそこに、メガネをかけた黒い学ランの、長身の男。
「ぼく、ここであった交通事故をしらべてるんです」
「え」おれは立ち上がった。すでに心臓がバクバクいってる。
「キミはなにか、事故のことをご存じのようにみえたので」
太陽は高いところにある。
おれは彼を見上げる角度。やや逆光で、男の顔は黒い影がかかってみえた。
「ここでぼくの親友が亡くなりました」