初めまして。鼓爺(つづみや)です。
読んでください。
どうぞ。
プロローグ 迷い星、ふたつ
星空。満天に広がる自然のイルミネーション。
暗闇に浮かぶ星々は、まるで俺の空虚な心にささやかに散りばめられた暖かな光のようで。
でも────。
それは、君と一緒に見ていたからこそ感じられたものなんだと、今では思う。
***
トンネルを抜けた先に見えたのは、星々の雑踏だった。
標高約1,000m。街灯もろくに設置されていない山地から見上げる星空は、人工灯でごった返す都会から見るそれとは一線を画していた。
肉眼ですら荘厳に感じる星空に夢中となり、せっかく持ってきた望遠鏡がただのお荷物となってしまっていたことを、やけにはっきりと覚えている。
あの時の感動をもう一度味わえたのなら。
あの日に、再び舞い戻れたのなら。
────そんな願いを、呪いを抱えて、今日も
『東の空をご覧ください。一際輝く二つ並んだ星が見えるでしょうか。あれはふたご座のカストルとポルックス。右の星が双子の兄カストル、左に見えるのが──、』
語りかけるガイドの声が優しく耳孔を撫でつける。導かれるままに見つめる赤と青の双子星はずいぶんと見慣れたもので、相変わらず仲良く並んで光り輝いている。
一通り解説が終わると次の星座、そして次へと、ガイドの進行が淡々と進んでいく。しかし夢中になっていると時間が過ぎるのが一瞬なのは万物共通で、気がつくとガイドは締めの挨拶に入っていた。
『──いかがでしたでしょうか。四季を織りなす十二星座、神話をもとに作られたそれらは、私たちの頭上でいつでも優しく瞬いています』
今日見た星座を、日常生活でもぜひ探してみてください。
そうガイドが体の良い言葉を残すと、暗闇に明かりが徐々に灯されていく。それに比例するように、荷物をまとめる音や楽しげに感想を言い合う声が聞こえ始めた。
「楽しかったね」
「神話っておもしろいな。特にさそり座のなんかさ、────」
「ありがとうございます。順番にご退出頂きますよう、ご協力お願い致します」
人の流れを察知しながら、隙を見て出口を目指す。その傍ら、廊下に貼られた今日のプラネタリウムの番宣ポスターをちらりと見やる。
今回の投影テーマは『神話と共に学ぶ十二星座』。内容もちゃんとそれに沿ったもので、ふたご座の悲しい双子の物語やさそり座に関係した英雄の意外な弱点など、興味深い物語を学び直せる良い機会だった。
余韻に浸りつつ、建物の出口から外に出る。吹き荒ぶ冬の空気は肌を傷みつけるには十分で、よじり立つ鳥肌とピリピリとした痛みにも似た寒さに、思わず身を屈めた。
細める視線の先に見えるのは、小さな歩幅をとる俺のちっぽけなつま先。左右に揺れる垂れ下がった前髪の隙間で、出たり消えたりを繰り返している。
取るに足らない、たったそれだけのこと。そんな虚無を見つめているだけ。
それなのに不思議と足は重くなっていき、それは徐々に輪郭を帯びた足枷となって立ち止まり......
──ああ。
油断していると、
「......」
気を紛らわせようとつま先より少し前に視線を動かすが、無理くりな体に心が引っ張られるだけで、余計疲弊するだけだった。
夢のような時間を過ごした後に待ち受ける現実にはギャップを感じるものだ。好きなゲームをやった後に行う課題、好きな食べ物を食べた後にかき込む苦手な食べ物、楽しい休暇を過ごした後に待ち受ける溜まった仕事。
非情にも待ち受ける現実、しかしながらそのほとんどは対処できるものだ。どんなに苦しいことでも乗り越えさえすれば、また楽しみが待っている。それを糧にすれば自ずと現実とも向き合えるものだ。
じゃあ、俺の場合はどうなのだろうか。
ずっと好きだった星空が
おあつらえ向きな
『あの日』の感動を、もう二度と感じられなくなって。
そんな苦しみはいつ報われるのだろうか。
いつまでこの虚しさを噛み締めなければいけないのだろうか。
「......ぁ」
思わず声が漏れる。どうやらいつもの癖が出てしまったようだ。
プラネタリウムを見終わるといつもこうだ。苦しみを紛らわせる行為が、かえってその原因を増幅させている。
じゃあさっさとやめてしまえばいいのか?諦めてしまえばいいのか?忘れてしまえばいいのか?
そんなことができていれば、とっくに────。
「────おぁ?」
突如として訪れた足元の違和感。
その正体に──階段で足を踏み外したという事実に気づいた時にはすでに遅く、俺は顔を青ざめるほかなかった。
「ぐ、っ!?っだ......!」
間抜けにも無様に転がり落ちていく。どたどたと重苦しい音が、連絡通路の無駄にひらけた階段にむなしく響く。踊り場まで転がり落ちきるまで、その様は続いていた。
気がつくと、俺は大の字で空を仰いでいた。転落の衝撃で視界が白黒としていたためはっきりとは見えなかったが、それでも相変わらず、空に星が浮かんでいないことには勘づいていた。
俯いてまで目を逸らしていた空が、忽然と目の前に広がっている。
何も見えない暗闇。
俺しか知らない暗闇。
誰にも共感されない暗闇。
暗闇、暗闇、闇、闇、闇闇、闇闇闇闇闇闇やみやみやみやみやみやみやみやみヤミヤミヤミヤミヤミヤミヤミヤミヤミヤミヤミヤミヤミ。
────一面の、暗闇。
いつからだろう。
本当に、いつから見えなくなってしまったのだろう。あんなにも焦がれていた星空が、今では初めから世界に存在しなかったみたいで。
「は────」
幸い周囲に人目はなく、俺は胸を撫で下ろすように息を吐いた。すぐに夜闇へとかき消えていったそれはどこか、乾きに乾いた笑いのように聞こえた。
頬を伝う熱い感触もあったが、そんなものはもうどうでもよかった。すでに慣れきってしまっていたから。
しばらく大っぴらに仰向けになっていたせいか、突如として睡魔がどっと襲いかかってきた。このまま目を瞑ればすぐに眠ってしまえそうだった。
しかし今思い返せば、最近はいつにも増して忙しかったように感じる。それで色々疲れが溜まっていたんだろう。そう、色々と。
背中には硬い地面。舗装されたコンクリートの上に散らばる無数の石が、寝転んだ時間に比例して背中により深く食い込んでいく。そんな痛みさえ心地良いと思ってしまうのはなぜだろうか。問いの答えには心当たりしかないのに、意味もない問答が頭の中を巡る。
いっそのこと寝てしまおうか。普段ならそんな突飛なことなんて思いつきやしないのに、どうしたものか。
狂ってしまったか?
そうか。なら仕方がないかもな。
もう、疲れた。
疲れたんだよ。
もう。ぜんぶ。どうでも。
“────”。
「......ぅ」
“───!────っ......!”
......声。声だ。そう、声が聞こえた気がした。
消えかけた意識が徐々に覚醒していく。
なぜだろう、不思議と応えたくなった。強い衝動に引っ張られるままに、得体も知れない声に、無性に応えてやりたく......いや、応えてあげなきゃと、そう思った。
「ぐ......ぅう......っ!」
未だに痛みの残る体を無理やり起き上がらせようとするも、せいぜい腕で上体を支えるので精一杯だった。
ぐらつく意識に、思わず空いたもう片方の手で顔を覆う。どうやらめまいも健在なようだった。
「───の......っ......あの!」
声が鮮明に聞こえ始めた。その主はどうやら、俺の目の前にいるようだった。
揺れる頭蓋をなんとか持ち堪えさせながらゆっくり顔を上げると、そこには困り眉な少女が俺の方めがけて手を差し出していた。
「大丈夫......です、か?」
人の落ち目に決まってかけられる魔法の言葉、“大丈夫”。しかし、今の俺は自分からみても他人から見ても、とてもそうだと言える状況ではなかった。
「大丈夫......じゃない......」
「あ、あわわ......」
声を焦がれる、あれだけ衝動的だった気持ちはいつの間にか引いていた。それより今は、いつまでもぼうっとしたままのこの意識をどうにかしたかった。
気晴らしに当たりを見渡すと、相も変わらず通行人は見当たらなかった。この場にいるのは俺と、目の前であたふたしながら鞄をまさぐる少女の二人だけだった。
「ここでもない......奥に入っちゃったかな......」
「............」
声をかけてあげた方が良いのだろうか。普段人への気遣いの少ない俺にそう思わせてしまうほど、少女の姿はえらく見窄らしく目に映っていた。
俺の懊悩を他所に、少女は突然「あった」と声を上げた。手には何やらステンレスのケースが握られていて、少女はその中から忙しない様子で何かを取り出した。
暗がりでよく見えないが......絆創膏、なのか?
「こ、これ。よかったら」
ささやか。そんな言葉しか似合わないくらいに可愛らしい絆創膏をもらった。
......そう、気のせいではなかった。やはり絆創膏だった。
「手、怪我してるから」
「手......?って、ほんとだ」
急に差し出された時にはなぜ絆創膏を?と思いこそしたが、自分でも気がつかなかった。指摘された手のひらを見てみると、かすり傷程度だが流血していたのだ。
せっかくもらったので、早速絆創膏を傷口に貼ってみた。もらった時にはかわいらしい柄ということしか気がつかなかったが、表面をよく見てみるとペンギンのイラストが描かれていた。
「ははっ......」
気がつくと俺は笑みを溢していた。絆創膏のくだりも含めたこの状況をふと俯瞰した時、それがなんだか馬鹿馬鹿しく思えてきてしまった。
階段で転げ落ちて、勝手に気に病んで、結局人に助けてもらって、失礼ながらその助けも気持ち程度で。
展開の早さとなかなかのシュールさが混ざり合って、その様相が無性に笑いを誘うものだったのだ。
「あの......?」
「いや、ごめん......なんかおかしくなって......とりあえずありがとう。心配かけさせてしまってすみません」
きょとんとした少女に謝罪とお礼を連ねる。いつの間にか体調も元に戻っていたため、自然な流れで立ち上がってから軽く両肩を回した。
小気味良い関節音を聞いて、改めて少女に向き直る。
「ちょっとうっかり躓いちゃって、次からは気をつけます。せっかくだし、助けてもらったお礼とかさせてほしいんですけど......」
気遣いこそできないが必要最低限の礼儀は弁えている。自分から恩を仕掛けになんて行かないが、逆に受けたからにはきっちり報わなければ。
でないと、
「じ、じゃあ──」
しばらくうーんとうねり声を上げたあと、少女が何か言いかける。
──が、それよりも先に軽快な携帯の通知音が、俺のポケットの中から鳴り響いた。
「げっ、ばあちゃん......」
電話主の名前を見て辟易する。普段ならメッセージ一本で連絡を済ませるような人なのにと頭をかいていたが、続け様に携帯の時刻を見てはっとした。
時刻はすでに21時を回っていた。
「いつのまにこんな時間に......ごめん、やっぱお礼できなさそうにないかも。もう帰らないといけないっぽくて」
「え......」
いくら放任主義なばあちゃんでも、中学3年生を夜遅くまで野放しにするような人ではないのだなと改めて実感した瞬間であった。もとよりそういう人であることは知っていたが、こうもはっきりと行動で示されることはかなり少ない。
これ以上ばあちゃんを心配させるわけにはいかない。少女には申し訳ないがもう帰らないと。
最悪命の危機に陥りかけていたところを救ってくれた恩を抱きながら、後ろ髪引かれる思いでくるりと踵を返して帰路に合流しようとした。
と、その時。
「ぁ......あの......っ!」
さぁっ──と、夜風が吹き抜ける。
振り返ると、子鹿のような頼りない立ち姿で、少女が俺を呼び止めていた。
「お礼......名前、教えてほしい!」
「え......っ」
名前?一体誰の?
脳裏に一瞬疑問符が思い浮かんだが、状況からみてそんなの俺の名前しか聞かれていないのは自明の理だった。
そうして一つ片付けたところで、また新たな疑問が思い浮かび上がる。
「な、なんで名前......?」
当然だ。救われたとはいえ出会って数時間も経っていない見ず知らずの人間に、おいそれとプライバシーに触る情報を明かすバカがどこにいるというのだ。
助けられた俺が後日お礼をしたいからという名目で聞くならまだしも......
......いや、待て。
「......うぅ......」
少女が露骨に悲しんでいる。見るからにどんよりとしたエフェクトが、彼女の肩の上らへんに浮かんで見えている。気まずそうに手を絡ませて、すりすりと擦り付ける指先をじっと眺めている。
────仕方がない。
「......旭日」
「────ぇ」
「名前だよ!
年甲斐もなくムキになってしまった。もう高校生になるというのに、他人に当たってしまっては示しがつかない。
しかも流れで下の名前まで言ってしまうとは......苗字だけで事足りるというのに、これではまるで聞かれるのを待ち望んでいたような感じになってしまうではないか。
......いや、実際はそうなのかもしれない。
冬休みだから人と接する機会が少なかった、というわけでもない。もとより人間関係は家族以外あまり持たない主義だ。あってもクラスメイトとして必要最低限の関わりを持つぐらいで、波風立たずに過ごせさえすれば、それでよかった。
だから、なのかもしれない。
人と距離を置く一方で性懲りも無く、心の奥底では身の丈に合わない繋がりを求めてしまうのは。
「よさ、くん......」
言ってしまった俺の責任だが、よりにもよって
でも、不思議とそこまで嫌な気分にはならなかった。むしろ心が通った気がして、なんだか心地よくて────。
「そっちは?」
気がつくと、名前を聞き返していた。
「え?たっ......高松“ともり”、です」
「たかまつ......ともり、か」
苗字は恐らく、“香川県の高松”だろう。ともりはなんて書くのだろうか......なんて、らしくもなく逡巡してしまう。
──いいや、だめだ。もう行かなくては。ばあちゃんが待ってる。それに......
これ以上は、『繋がり』が深くなってしまう。
「......ありがとう。じゃあ、今度こそ行くな」
名残惜しいが、せめて笑顔で別れを告げようと表情を作る。
久しぶりにばあちゃん以外の人と会話できたような気がした。世間的に見て会話に見えるからさておき、俺からしてみれば十二分に人と自然と話せたいい機会だった。
別れはいつか訪れる。ゆえに人と関わりを持つのは怖い。でも、たまにはこういうのもいいかもしれない。
そんな二つの矛盾した感情を、声に乗せて。
「高松────またどこかで」
「っ......!うん。また、ね......!」
よさくん。
辿々しい呼ばれた声に、踵を返しながら手を挙げて応える。背を向けた先にいる高松から徐々に距離が離れていくのを感じたが、どんな表情で俺を見送っているかは、なぜか容易に想像できた。
ああ、嫌だな。本当に。
結局、また期待してしまうじゃないか。
そんな逸る気持ちを抑えて、俺は歩みを早めてその場を後にした。
不思議な体験だった。
見えないはずなのに、暗闇だけの夜空に一閃、流れ星が走ったような感覚だった。
“またどこかで”。そう去り際に放った一言は、矛盾した俺から捻り出された、心からの一欠片の本音なのかもしれない。
触れてはいけないものをそっと撫でるように呟くその姿は、まるで秘密裏に流れ星に願い事をする幼子のようにも映っていたに違いない。
──とある夜の寒空の下。
夜空は見上げなかった。どうせ何も見えないだろうし、何よりその事実を突きつけられるのが怖いから。
それに、もう十分だったのだ。
ふと舞い込んできた流れ星が、俺の願いを聞き届けてくれた。
叶うかどうかなんてわからない。でもそれだけで、俺の心はほんの少し満たされたような気がした。
いかがでしたでしょうか。
最近MyGO!!!!!にハマって、自分が星が好きなのもあって、書いてみたくなりました。天体に関する知識も交えながら書けたらと思います。
ではまた。次の更新日は未定ですが、近いうちにあげます。