交流会で使った通信機材は、数日間、教員の管理する部屋に保管された。
メカ丸が自分で確認できる部分と、記録を残したまま調べる部分が分けられ、三輪の端末も一度回収された。
返却されたのは、放課後だった。
「今のところ、端末そのものに故障は見つかっていないわ」
歌姫が言った。
「使う前に、受信側と確認してね。調査が終わったわけではないから、何か変わったことがあったら、そのまま教えて」
「はい」
三輪は受け取り、留め具を確かめた。
指をかける位置も、ボタンの押し方も、もう覚えている。
その小さな端末を見ていると、メカ丸が机の向こうで何度も調整してくれたときのことを思い出した。
袖に引っかかったこと。
転がると背中に当たって痛かったこと。
真依が、自分にも試させろと言ったこと。
あの日は、うまく使える道具を作ることだけを考えていた。
「三輪」
歌姫に呼ばれ、顔を上げる。
「今日の任務は変更になりました。校内で待機していて」
「何かあったんですか?」
「担当の組み直しよ。詳細が決まったら説明します」
「分かりました」
教室へ戻ると、メカ丸は自分の席にいた。
机の上に工具はない。
教科書も閉じたままだった。
「端末、返してもらったよ」
三輪が見せると、彼は短く頷いた。
「そうか」
「これから受信の確認するけど、一緒に来る?」
「……今日は、やめておく」
「分かった」
三輪は端末を鞄へ入れた。
しばらく迷ってから、もう一度口を開く。
「メカ丸」
「何だ」
「この前、言いかけたこと、覚えてる?」
彼の顔が、わずかにこちらへ動いた。
「覚えている」
「そっか」
三輪は自分の椅子を引いた。
急いで帰る用事はない。任務も変更になった。
座って手帳を開くと、メカ丸が尋ねた。
「何をする」
「今日の予定、書き直してる」
「……そうか」
「ここにいて、邪魔?」
「いや」
なら、いい。
三輪は線を引き、空いた時間に、授業の復習と書き足した。
隣の机で、メカ丸は何もしていなかった。
それでも、しばらくすると、彼の方から声をかけてきた。
「お前は、反転術式が使えるな」
三輪はペンを止めた。
「うん。自分の怪我を治すだけだけど」
「他人には、使えないのか」
「使えない。やり方は説明してもらったことがあるけど、できなかった」
三輪は彼を見る。
「誰か、怪我したの?」
返事は、すぐにはなかった。
廊下を歩く人の足音が近づき、教室の前を通り過ぎる。
その音が消えてから、メカ丸は言った。
「俺の身体の話だ」
*
傀儡を遠くから動かしていることは、以前聞いていた。
けれど、本当の身体がどこにあり、どんな状態なのか、三輪は知らない。
学校へ来られない理由も、詳しくは聞いていなかった。
「……身体?」
「ああ」
メカ丸は、自分の金属の手を机の上へ置いた。
「これは俺の身体じゃない。分かっているだろうが」
「うん」
「動く。物を持てる。ここにあるものを見ることも、声を聞くこともできる」
三輪は黙って頷いた。
「だが、俺自身がここへ来られるわけじゃない」
彼は、少しずつ言葉を選んでいるようだった。
三輪は先を促さず、待った。
「生まれたときから、身体に不自由がある。腕も、脚も、普通の状態ではない」
三輪の指が、ペンを握ったまま止まった。
「皮膚も弱い。日差しを浴びることも難しい。……いつも、痛みがある」
いつも。
その言葉だけが、三輪の中に残った。
教室で話しているときも。
工具を使って、刀袋を確かめてくれたときも。
弟の模型について聞いてくれたときも。
彼は、自分には見えない場所で痛みに耐えていた。
「天与呪縛だ」
メカ丸が言った。
「その代わり、術式を扱える範囲が広い。呪力の出力も、身体の状態と引き換えに得ている」
三輪は授業で聞いた言葉を思い出した。
生まれながらに、本人の意思とは関係なく課される縛り。
何かを失い、その代わりに、別の力を与えられる。
けれど、授業で聞いた説明と、目の前の彼の話は、同じ言葉で片づかなかった。
「それって」
三輪は口を開き、一度止まった。
治らないの、と聞きそうになった。
何度も考えたはずのことを、何も知らない自分が簡単に尋ねていいのか迷った。
メカ丸は、その迷いに気づいたらしい。
「治る方法は、分からない」
先に言った。
「俺も、何も試していないわけじゃない」
「……うん」
「怪我をして、その前の状態に戻すのとは違う。生まれたときから、そうなんだ」
三輪はゆっくり、ペンを机へ置いた。
「話してくれて、ありがとう」
メカ丸がこちらを見る。
「驚かないのか」
「驚いてる」
三輪は正直に答えた。
「でも、どこから聞いたらいいのか、分からなくて」
「聞きたいことがあれば聞け」
「今、痛みが強い?」
彼は少し黙った。
それから、答えた。
「いつもと、同じだ」
その返事を、三輪はすぐには受け止めきれなかった。
*
家入への相談は、本人の了承を得てからだった。
三輪が勝手に話すのは違うと思った。
「先生に、聞いてもいい?」
そう尋ねると、メカ丸は長く黙ったあと、頷いた。
「身体のことだけなら、構わん」
「どこまで話していいか、教えて」
「今、お前に話したことはいい。記録も、必要な分は先生から渡してもらう」
三輪は歌姫に相談し、東京校の家入と連絡を取る場が設けられた。
最初は記録と、遠隔での聞き取りだった。
家入は三輪だけでなく、メカ丸本人へ質問した。
普段の痛み。
身体を動かせる範囲。
これまでに受けた処置。
使っている薬や、日常の介助について。
三輪には分からない言葉もあった。
ただ、家入が一つ聞くたび、メカ丸は短く、必要なことだけを答えていた。
三輪は隣で、そのやり取りを聞いていた。
途中で、家入が三輪へ向く。
「三輪さん。自分を治すとき、何をしてるか説明できる?」
「はい。傷ついたところを確かめて、そこへ正の呪力を回して……元の状態に戻すようにしています」
「欠けたものを、何でも自由に作っている感覚じゃないね」
「はい」
家入は頷いた。
「今のあなたの反転術式を、そのまま彼に使うことはできない。他人へ出力する技術も、別に必要になる」
「はい」
「仮にそれができたとしても、生まれつきの状態を、望む形に組み替えられるわけじゃない」
三輪はメカ丸を見た。
彼は動かなかった。
家入は、声の調子を変えずに続けた。
「私にも、その身体を普通の身体へ作り直すことはできない」
部屋が静かになった。
三輪は、覚悟していたつもりだった。
けれど、実際に言葉で聞くと、胸の奥が重くなった。
「痛みも、ですか」
三輪が尋ねる。
「痛みを軽くする方法や、今の処置を見直す余地は、記録を確認して考える。そこは、身体を作り直せないこととは別の話」
家入は、今度はメカ丸へ向かった。
「できないことを、できるとは言わない。ただ、今より楽に過ごすために検討できることがないかは、確かめたい」
「……分かりました」
メカ丸が答えた。
その声は、教室で授業を受けているときと、よく似ていた。
*
話が終わり、歌姫が家入と記録の扱いを確認している間、三輪とメカ丸は廊下で待った。
三輪は壁際に立ったまま、言葉を探していた。
相談すれば何か分かるかもしれないと、思っていた。
家入なら、という気持ちもあった。
けれど、話を聞く前に「治せるかもしれない」とは言わなくてよかった。
言っていたら、今、何と返せばよかっただろう。
「三輪」
メカ丸が呼ぶ。
「お前が、そういう顔をする必要はない」
三輪は顔を上げた。
「……うん」
「最初から、簡単に治るとは思っていない」
「うん」
「分かっていたことだ」
三輪は、その言葉へすぐに頷かなかった。
分かっていたとしても、聞きたくなかったかもしれない。
何度聞いても、平気になるとは限らない。
「私、自分の怪我なら治せるから」
三輪は言った。
「何か、できることがあるかもしれないって思った」
「お前のせいじゃない」
「うん。それは、分かってる」
三輪は手を握り、ほどいた。
「でも、できなかったのは、残念だよ」
メカ丸は黙った。
廊下の窓の向こうで、木の葉が動いている。
三輪は、その明るい景色を見た。
彼の身体は、ここにない。
同じ場所に立って、同じ風を受けているわけではない。
そのことが、前よりはっきり分かった。
「……俺もだ」
小さな声がした。
三輪は振り向く。
メカ丸は窓を見ていた。
「俺も、残念だ」
三輪は、今度は静かに頷いた。
*
帰り際、家入は本人へ、今後の相談の進め方を説明した。
できる範囲で記録を確認し、現在受けている処置も含めて考える。
新しい対応を行うなら、本人の了承を取る。
急に状態が変わった場合は、待たずに連絡する。
メカ丸は、その説明を最後まで聞いた。
歌姫は三輪へ、先に教室へ戻っていてよいと言った。
三輪は頷きかけて、彼を見る。
「待っててもいい?」
メカ丸は少し間を置いた。
「……長くなるかもしれん」
「今日、急ぐ用事はないから」
彼は何も言わなかった。
三輪は、廊下の椅子に座った。
手帳を出し、今日の授業で分からなかったところへ印をつける。
読むつもりだったのに、同じ行を何度も目で追っていた。
しばらくして、扉が開く。
メカ丸が出てきた。
「終わったの?」
「ああ」
「じゃあ、戻ろう」
三輪は手帳をしまい、立ち上がった。
*
教室へ戻る途中、メカ丸が足を止めた。
「三輪」
「うん?」
「お前には、名前を言っていなかったな」
三輪も止まる。
「名前?」
「メカ丸は、この傀儡の名だ」
「あ……うん」
言われてみれば、そうだった。
けれど、普段から皆がそう呼んでいたから、三輪もずっと同じように呼んでいた。
「与幸吉」
彼は言った。
「それが、俺の名だ」
三輪は心の中で、一度繰り返した。
与、幸吉。
初めて知った名前だった。
「幸吉くん」
口にすると、傀儡の顔が少しだけこちらへ向いた。
「……何だ」
「呼んでみただけ」
「そうか」
「いつから、そう呼んでいい?」
尋ねると、彼はしばらく黙った。
「好きにしろ」
「じゃあ、二人のときは、幸吉くんって呼んでもいい?」
「構わん」
「うん」
三輪は笑った。
名前を知ったからといって、身体が治るわけではない。
聞いていないことも、まだある。
それでも、彼が自分から話してくれたものを、ちゃんと受け取れた気がした。
「私の名前は、知ってるよね」
「知っている」
「だよね」
「今さら自己紹介するつもりか」
「一応、釣り合いが取れないかなって」
「取れている」
三輪は小さく笑い、また歩き出した。
傀儡の足音が、隣からついてきた。
*
その夜、幸吉は自分の名前を思い返していた。
三輪の声で呼ばれた、その短い音を。
身体のことを話した。
家入への相談も受けた。
今まで誰にも言えなかったことを、一つ話せたような気がした。
けれど、一番言わなければならないことは、まだ残っていた。
敵へ情報を渡したこと。
京都校にいる仲間を守るという約束を、敵との間で交わしていること。
自分の身体を治すために、その取引を続けていること。
今日、家入は、できないと言った。
その言葉は誠実だった。
分からないことを分かると言わず、検討できることを、一つずつ説明してくれた。
だからこそ、別の声が頭から離れない。
治せる、と言った声。
人の身体を変えられるのだと、何でもないことのように話した呪霊。
その言葉が嘘かもしれないことを、幸吉も考えた。
願いにつけ込まれていることも、分かっていた。
それでも、手を放せなかった。
もし本当なら。
もし一度だけでも、自分の足で外を歩けるなら。
窓の向こうの日差しを、痛みに怯えず浴びられるなら。
傀儡を通さず、三輪へ自分の声で返事ができるなら。
幸吉は目を閉じた。
その願いのために、自分が何をしているのか。
分からなくなったことは、一度もない。
分かったまま、やめられなかった。
*
翌日の昼休み、三輪は教室へ入ると、いつもの席を見た。
メカ丸が、教科書を開いている。
真依はまだ来ていなかった。
三輪は近づき、声を落とした。
「幸吉くん」
彼が顔を上げる。
返事が来るまで、三輪も少しだけ緊張した。
「何だ」
「昨日、話してくれてありがとう」
「礼を言われることじゃない」
「でも、私に話すかどうか、決めてくれたんでしょ」
彼は黙った。
三輪は自分の席へ座った。
「今日、授業で分からないところ、聞いてもいい?」
「どこだ」
「ここ。昨日、廊下で読んでたんだけど、全然頭に入らなくて」
教科書を開き、指で示す。
幸吉はその箇所を見ると、少し呆れたように言った。
「一つ前の式から見ろ。そこで条件が変わっている」
「あ、ほんとだ」
「先に進む前に確認しろと、前にも言っただろう」
「うん。言われた」
三輪はノートを引き寄せた。
彼は、机の向こうから説明を始める。
身体の話を聞いたあとでも、分からない問題は分からなかった。
彼も、そこを急に甘く採点してくれるわけではない。
三輪は途中の式を書き直した。
「これで合ってる?」
「まだだ。そこの符号」
「ああ……」
ため息をついてから、二人とも少し笑った。
扉が開き、真依が入ってくる。
「何、また計算?」
「またって言わないでよ」
「間違えてるから言うの」
「まだ見てないでしょ」
「その顔で分かる」
三輪はノートを隠しかけて、やめた。
「じゃあ、真依にも見てもらう」
「何で私まで」
文句を言いながら、真依は隣の椅子を引いた。
三輪は二人の間にノートを置いた。
昨日、できないと分かったことがある。
今日も、できないままのことがある。
それでも、隣の人に聞けることまで、諦める必要はなかった。
「もう一回、最初からお願い」
そう言うと、幸吉は教科書の一行目を示した。
三輪は今度こそ、そこから読み始めた。