三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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AI利用です


第二十七話 次の約束

 

 釘崎から写真が届いたのは、放課後だった。

 

 画面いっぱいに、背の高いパフェが写っている。果物とクリームが何層にも重なり、その横に、小さな文字で値段が添えられていた。

 

『東京に来たら、ここも行きましょう』

 

 三輪は数字を見て、しばらく黙った。

 

 おいしそうではある。

 

 とても、おいしそうだ。

 

 ただ、一人で全部食べるには大きい気がするし、今月は刀の手入れに使うものを買ったばかりだった。

 

『二人で分けても大丈夫なお店?』

 

 返事を打つと、すぐに通知が鳴った。

 

『調べます』

 

 それから、もう一通。

 

『三輪先輩、絶対そこ聞くと思いました』

 

 三輪は思わず笑った。

 

「何を見ている」

 

 向かいの席で、メカ丸が顔を上げた。

 

「釘崎さんがお店の写真を送ってくれたの。ほら」

 

 携帯電話を向けると、彼は画面を見た。

 

「大きいな」

 

「そうなんだよね。二人で分けられるか、聞いてくれるって」

 

「一人で食べるものではないだろう」

 

「そうかな。虎杖くんなら食べられそう」

 

「それを基準にするな」

 

 三輪は笑いながら、画面を自分の方へ戻した。

 

 交流会のあと、東京校の一年生たちとは、以前よりよく連絡を取るようになった。

 

 襲撃についての詳しい話は、先生たちを通して聞く。

 

 だから、互いに送るのは、授業や買い物、ご飯の話が多かった。

 

「また、行く予定を立てているのか」

 

「うん。まだ日付は決まってないけど」

 

 三輪は手帳を開いた。

 

 交流会の日の下に書いてあった予定を、余白へ写してある。

 

 取り消したのではなく、日にちが変わっただけ。

 

 そう思うことにした。

 

「幸吉くんは、行ってみたいところってある?」

 

 教室には、二人だけだった。

 

 名前を呼ぶとき、三輪はまだ少し気をつける。

 

 皆の前でどう呼ぶかは、本人ときちんと話していなかった。今のところは、以前頼んだとおり、二人のときだけだった。

 

 メカ丸はすぐには答えなかった。

 

「……考えたことはある」

 

「どこ?」

 

「外だ」

 

 三輪は顔を上げた。

 

 彼は窓の方を見ていた。

 

「店でも、公園でも、どこでもいい。自分の足で行けるなら」

 

 三輪は、携帯電話を机へ伏せた。

 

 ついさっきまで、お店の値段を考えていた。

 

 そのことが悪いわけではない。それでも、同じ外出という言葉で思い浮かべるものが、自分と彼では違うのだと分かった。

 

「そっか」

 

「別に、気を遣うな」

 

「うん」

 

 彼は少し間を置いた。

 

「治ったら――」

 

 そこまで言って、止まる。

 

 三輪は待った。

 

 メカ丸の指が、机の端へ触れた。

 

「……具合がよくなれば、そういう場所へ行くこともあるかもしれない」

 

 三輪は、その言葉をゆっくり受け止めた。

 

 家入との相談では、普通の身体へ作り直すことはできないと聞いた。

 

 けれど、痛みを軽くする方法や、今の処置を見直す余地まで、なくなったわけではない。

 

 少しでも楽になって、いつか会える。

 

 彼は、その話をしているのかもしれなかった。

 

「じゃあ、そのときは案内してね」

 

「俺が?」

 

「うん。幸吉くんが行きたいところ」

 

「俺も、行ったことがない場所だぞ」

 

「じゃあ、一緒に調べよう」

 

 三輪は手帳を軽く持ち上げた。

 

「私、調べるのは得意になってきたから。値段とか、乗り換えとか」

 

「そこまで決めるのか」

 

「行ってから帰れなくなったら困るでしょ」

 

 彼は、ほんの少しだけ肩を動かした。

 

 笑ったのかもしれないと思った。

 

「……そうだな」

 

 三輪も笑った。

 

 窓の外で、部活動の声に似た掛け声が聞こえた。

 

 稽古場では、まだ誰かが訓練を続けている。

 

     *

 

 数日後、通信機材の確認が行われた。

 

 襲撃の調査は続いていたが、任務は止まらない。使える機材を確かめ、問題のある部分は交換しなければならなかった。

 

 三輪は歌姫の前で端末を操作し、受信側の反応を待った。

 

 小さな音が鳴る。

 

「届いてるわ。次は、音声の方を」

 

「三輪です。聞こえますか」

 

『聞こえている』

 

 メカ丸の声が返った。

 

 彼は別室で、中継用の機材を確かめている。

 

「今、雑音は?」

 

『ない。少し移動してくれ』

 

 三輪は廊下を進んだ。

 

 曲がり角を一つ、二つ。

 

 歌姫が後ろからついてくる。

 

「ここはどう?」

 

『問題ない』

 

「分かった。じゃあ、次は階段の下に行くね」

 

『了解した』

 

 声が届くことを、一つずつ確かめる。

 

 簡単な作業に見えるけれど、建物の中と外では違う。壁や扉の位置によって、聞こえ方も変わる。

 

 試験が終わると、歌姫は二人を職員室へ呼んだ。

 

「次に、確認先の更新をします」

 

 机の上には、連絡先をまとめた用紙があった。

 

「任務先からの連絡が戻らないとき、どこへ確認するか。本人の機材に連絡して、それでも応答がなければ、誰に引き継ぐか」

 

 三輪は自分の欄を見た。

 

 普段使う携帯電話。

 

 任務を担当する補助監督。

 

 校内にいるときの確認場所。

 

「家族にすぐ連絡が行くわけではないんですね」

 

「ええ。まず、こちらで状況を確かめる。必要になったら、学校から連絡するわ」

 

「分かりました」

 

 メカ丸の前にも、別の用紙が置かれた。

 

 ただし、そこには、三輪から見えないように表紙が重ねてあった。

 

 療養場所や身体のことを、誰もが知ってよいわけではない。

 

 三輪は自分の用紙へ目を戻した。

 

「メカ丸の方も、予備の連絡経路を更新するわ」

 

 歌姫が言う。

 

「療養場所へ直接確認する場合の担当者と、設備の確認方法。以前の記録から変わったところは?」

 

「補助電源の位置が変わっています。入口から見える操作盤は同じですが、通信機材は奥の部屋へ移しました」

 

「図面に書き込んでもらえる?」

 

「はい」

 

 彼は用紙を引き寄せた。

 

 傀儡の指が、ペンを握る。

 

 三輪は、その手元を見かけて、すぐに視線を外した。

 

 身体の場所も、生活の様子も、まだ詳しくは知らない。

 

 彼が話せることだけを聞くと、自分で決めた。

 

「それと、私用で接続を切る時間があるなら、事前に知らせて」

 

 歌姫が言った。

 

「機材の整備や診察で応答できない時間を、異常と間違えないためよ。ただ、予定を過ぎても戻らなければ、こちらから確認します」

 

「分かりました」

 

「連絡できない事情があれば、全部説明する必要はないわ。いつまで応答できないかだけでも、分かる範囲で伝えて」

 

 メカ丸は少し黙った。

 

 それから、短く頷いた。

 

 三輪は自分の用紙を揃え、歌姫へ渡した。

 

 以前なら、こういう確認は、任務へ出るまでの準備の一つだと思っていた。

 

 今は少し違う。

 

 自分が返事をできなくなったとき、誰かが探してくれるための紙だ。

 

 できれば、使われない方がいい。

 

 けれど、書かずに済ませていいものでもなかった。

 

     *

 

 その日の夕方、三輪は部屋へ戻る途中で、メカ丸に呼び止められた。

 

「三輪」

 

「うん?」

 

「明後日、少し接続を切る」

 

「整備?」

 

「……そんなところだ」

 

 三輪は頷いた。

 

「先生には話した?」

 

「今、伝えてきた」

 

「じゃあ、大丈夫だね」

 

 彼は何も言わなかった。

 

 三輪は刀袋を持ち直した。

 

「どれくらい?」

 

「長くはない。予定は学校に出してある」

 

「分かった。じゃあ、その時間は連絡しないようにする」

 

「急ぎなら、学校へ伝えろ」

 

「うん」

 

 それで会話は終わるはずだった。

 

 けれど、メカ丸は廊下の端へ視線を向けたまま、動かなかった。

 

 三輪も、少し待った。

 

 窓が開いていて、熱い風が入ってくる。

 

 日中ほどではないが、まだ蒸し暑い。

 

「ねえ」

 

 三輪が声をかけた。

 

「この前の、外に行く話なんだけど」

 

 彼が顔を向ける。

 

「最初は、あんまり遠くないところでもいいよね」

 

「……ああ」

 

「学校の近くとか。静かなところを探しておこうか?」

 

「お前、また予定を立てるのか」

 

「立てるだけなら、ただだから」

 

 メカ丸が黙った。

 

 三輪は少し慌てた。

 

「あ、勝手に決めるって意味じゃないよ。候補だけ。嫌なら、別のところでいいし」

 

「嫌じゃない」

 

 返事は、思ったより早かった。

 

 三輪は口を閉じた。

 

 彼は少し間を置いてから、続けた。

 

「……それでいい」

 

「そっか」

 

 三輪は笑った。

 

「じゃあ、暑すぎなくなったら、歩きやすいところがいいね」

 

 いつになるかは分からない。

 

 だから、日付は言わなかった。

 

 でも、行けるようになったら。

 

 そのときの話をしてもいいと思った。

 

「三輪」

 

「何?」

 

「その話、覚えておけ」

 

 三輪は不思議そうに彼を見た。

 

「覚えてるよ」

 

「そうか」

 

「幸吉くんも、忘れないでね」

 

 彼は、ゆっくりと頷いた。

 

     *

 

 自分の部屋へ戻ってから、三輪は手帳を開いた。

 

 次の任務の予定を確かめ、授業の提出物を書き足す。

 

 そのあと、余白へ小さく書いた。

 

『近くの、静かなところ』

 

 少し考え、日陰がある場所、と付け足す。

 

 身体の状態を詳しく知らないまま、遠くへ連れていく予定を考えるのは違う。

 

 まずは、本人が行ける範囲から。

 

 必要なら、先生にも相談する。

 

 そう決めて、手帳を閉じた。

 

 携帯電話を開くと、釘崎から返事が届いていた。

 

『取り分け可でした。二人で行きましょう』

 

 三輪は笑った。

 

『ありがとう。楽しみにしてるね』

 

 送信したあと、もう一つ連絡先を開く。

 

 メカ丸。

 

 名前はまだ、登録したときのままだった。

 

 三輪は少し迷い、表示名を変えようとして、やめた。

 

 今度、本人に聞こう。

 

 皆の前では、今までどおりの方がいいのか。

 

 自分だけが違う呼び方をして、困ることはないのか。

 

 聞きたいことは、まだあった。

 

 けれど、それは急がなくてもいい。

 

 三輪は携帯電話を机へ置き、明日の教科書を鞄へ入れた。

 

     *

 

 幸吉は、暗い部屋で文章を作っていた。

 

 傀儡を通した操作ではない。

 

 身体に無理のない位置へ固定された入力機器を、わずかに動く指で操作する。

 

 一文字ずつ、時間をかけて打つ。

 

『三輪』

 

 最初に名前を書いた。

 

 そのあとが、続かなかった。

 

 身体のことなら、話せた。

 

 家入との相談も受けた。

 

 名前も、自分から伝えた。

 

 それで何かを始められたように思ったのは、ほんの短い間だった。

 

 彼女が知らないことは、まだ残っている。

 

 いや。

 

 残っているのは、話の付け足しではない。

 

 彼女が今、自分をどう見ているかを、根元から変えてしまう事実だった。

 

 幸吉は文字を続けた。

 

『俺は、学校の情報を外へ渡していた』

 

 画面の中に、その一文が残る。

 

 言い換えようがなかった。

 

 通信の空白。

 

 結界の点検日。

 

 敵が知るはずのない、校内のこと。

 

 それらを、彼は伝えた。

 

 身体を治すために。

 

『京都校の人間には手を出さないと約束させた』

 

 打ち終えてから、幸吉は目を閉じた。

 

 それが、何の弁明になる。

 

 交流会で、三輪は実際に刀を抜いた。

 

 真依も、加茂も、東堂も、西宮も、その場にいた。

 

 彼女が無事に戻ったことを、自分は心から喜んだ。

 

 同じ自分が、襲撃に使われる情報を渡していた。

 

 幸吉は次の文を打った。

 

『それで、許されると思っているわけではない』

 

 文章が長くなる。

 

 けれど、どれだけ書いても、最初の一文は変わらなかった。

 

 学校の情報を、敵へ渡していた。

 

 彼は、画面の端にある送信先を見た。

 

 三輪霞。

 

 押せば、届く。

 

 少なくとも、今この回線が繋がっている間なら。

 

 届いたあと、三輪はどうするだろう。

 

 先生へ話すだろう。

 

 それは当然だ。

 

 自分のことを守るために、彼女が黙っているとは思えない。彼女は友人だからといって、他の誰かを危険に置ける人間ではない。

 

 学校が動く。

 

 取引は止まる。

 

 自分の身体は、このままかもしれない。

 

 幸吉は、動かせる指へ力を込めた。

 

 腕が欲しい。

 

 脚が欲しい。

 

 痛みのない皮膚が欲しい。

 

 外へ出たい。

 

 それを望むこと自体を、間違いだとは思えなかった。

 

 けれど、そのために選んだ方法を、正しいとも言えなかった。

 

 画面が少し滲む。

 

 彼は目を開き直した。

 

 三輪の声を思い出す。

 

『じゃあ、一緒に調べよう』

 

 彼女は未来の話をした。

 

 今の身体のままでも、楽に過ごせる方法を探しながら、いつか会えると思っている。

 

 その未来と、自分が向かおうとしている場所は、同じところへ続いていない。

 

 幸吉は文章を読み返した。

 

 削除はしなかった。

 

 送信も、しなかった。

 

 下書きとして残し、画面を閉じた。

 

     *

 

 翌日、歌姫は更新された確認先の用紙を揃えていた。

 

 メカ丸が接続を切る予定時刻と、復帰予定。

 

 応答が戻らない場合の確認先。

 

 療養場所の図面には、通信機材と補助電源の位置が追記されている。

 

「ここ、以前のものと違うわね」

 

 隣の補助監督が、図面を見た。

 

「本人から更新がありました。予備の通信設備もあるそうです」

 

「分かった。古い方と混ざらないようにして」

 

 歌姫は用紙へ日付を入れた。

 

 調査中の記録も、別に机へ置いてある。

 

 交流会で生じた数秒の空白。

 

 まだ、その原因は確定していない。

 

 本人への確認と、機材の調査は続けていた。

 

 ただし、身体の事情による接続停止まで、すべて疑いの目で扱うわけにはいかない。

 

 事前の予定を受け取り、時刻を過ぎれば確かめる。

 

 誰に対しても、同じ手順で行う。

 

 歌姫は、復帰予定時刻へ印をつけた。

 

     *

 

 その日の放課後、三輪は稽古場で刀を振った。

 

 抜く。

 

 踏み込む。

 

 刃を返し、次の足を置く。

 

 交流会で、根を断ったときの動きを確かめていた。

 

 斬ること自体に、迷いはなかった。

 

 けれど、敵を追うか、別の人を助けるかを選ぶ場面では、自分一人の技量だけでは済まない。

 

 東堂が相手を見ていた。

 

 加茂が根を止めた。

 

 真依が道の先にいた。

 

 その声を聞いて、三輪は走った。

 

 次も、聞き落とさないようにする。

 

 自分の声も、ちゃんと届ける。

 

 三輪は刀を納めた。

 

 腰の端末へ手を伸ばし、取り出す。

 

 受信確認の操作をすると、少し遅れて音が鳴った。

 

『聞こえる』

 

 メカ丸の声だった。

 

「三輪です。こっちも聞こえるよ」

 

『もう稽古は終わりか』

 

「うん。今日は、ここまで」

 

『刀袋の留め具、緩んでいないか』

 

 三輪は足元の袋を見た。

 

「大丈夫。昨日も見たし、今日も見た」

 

『ならいい』

 

「何回も確かめてるって、前は言ってたのに」

 

『運ぶ前なら、構わん』

 

 同じ返事を、前にも聞いた。

 

 三輪は笑った。

 

「分かった。じゃあ、また戻ったら話そうね」

 

 通信の向こうで、少し間があった。

 

『……ああ』

 

「近くのお店も、いくつか調べておく」

 

『そんなに急がなくていい』

 

「候補だけだよ」

 

『分かった』

 

 通信が切れる。

 

 三輪は端末を戻し、刀を袋へ入れた。

 

 留め具を閉じる前に、もう一度だけ紐を見る。

 

 問題はない。

 

 肩へかけると、いつもの重さが収まった。

 

 稽古場の戸を閉め、校舎へ戻る。

 

 明日は任務がある。

 

 帰りが遅くならなければ、夕方には教室へ顔を出せるだろう。

 

 三輪は歩きながら、携帯電話の予定表を確かめた。

 

 まだ日付のない約束が、いくつかある。

 

 消さずに残した予定の一つを見て、彼女は画面を閉じた。

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