十一月も終わりに近づく頃、クレセントベイの街には、ようやく秋らしい空気が漂い始めていた。カリフォルニアの空は相変わらず晴れる日が多く、昼間には半袖で歩いている生徒も珍しくなかったが、朝晩の風には少しずつ冷たさが混じるようになっていた。キャンパスの芝生には乾いた落ち葉が散り、学生寮の窓辺には、オレンジ色のカボチャや紅葉をかたどった飾りが並んでいる。
ブレイカーズのシーズンは、順調な滑り出しを見せていた。
十一月十六日の開幕戦でウェストハーバー高校に勝利したあと、チームは続く二試合でも白星を重ね、開幕三連勝を飾っていた。二戦目は相手の激しいディフェンスに苦しみながらも、イーサンの冷静な試合運びとマイクのスリーポイントで逃げ切った。三戦目ではノアが豪快なダンクを連発し、マイルズもゴール下で圧倒的な存在感を見せた。
時春にも出場機会が与えられていた。相変わらずスターターはイーサンだったが、第二クォーターや試合終盤には控えのポイントガードとしてコートへ送り出され、少しずつ実戦の経験を積んでいた。長い時間プレーできるわけではない。それでも、初戦で感じた高揚は薄れるどころか、試合を重ねるたびに大きくなっていた。
アメリカの高校バスケットボールは、想像していた以上に楽しかった。観客席から響く歓声も、試合前に流れる音楽も、ベンチで仲間たちと交わすハイタッチも、今では時春にとってシーズンの一部になりつつある。もちろん、ヘイズコーチから叱られることも少なくなかったが、それさえも正式なチームの一員として扱われている証拠のように思えた。
そんなある日の朝、時春は寮の部屋で、ラリー・ナードが妙に上機嫌なのに気づいた。
「……ラリー、何かいいことあった?」
時春が尋ねると、隣の机でノートパソコンを操作していたラリーは、画面から目を離さないまま答えた。
「いいこと? もちろん。もうすぐ休みだからね」
「休み?」
「……まさか、知らないの?」
ラリーが椅子を回してこちらを向いた。丸いメガネの奥の目には、何とも言えない呆れの色が浮かんでいる。
「木曜日はサンクスギビングだよ。金曜日も学校は休み。つまり、四連休」
「サンクス……何?」
「Thanksgiving。感謝祭。トキ、聞いたことくらいあるでしょ?」
「あっ! サンクスギビング! それなら聞いたことある!」
時春は手を叩いた。アメリカの映画やドラマで、家族が大きな七面鳥を囲んで食事をしている場面を見たことがある。確か、クリスマスほどではないにせよ、アメリカではかなり大きな行事だったはずだ。
「七面鳥食べるやつでしょ?」
「……まあ、間違ってはいないけど。それだけじゃないよ」
ラリーは少し考えるように顎へ手を当て、それから机の上に置かれていたスマートフォンのカレンダーを指差した。
「アメリカでは十一月の第四木曜日が感謝祭なんだ。もともとは収穫に感謝する行事が由来で、今は家族や親戚が集まって、一緒に食事をしたり、普段の生活でありがたいと思っていることを話したりする。歴史については、学校で習うような単純な話ばかりじゃないけどね」
「へえ……。じゃあ、日本のお正月みたいな感じ?」
「少し似てるかも。遠くに住んでる家族が帰省したりするから。感謝祭の翌日はブラックフライデーで、買い物に行く人も多いよ」
「ブラックフライデー! それも聞いたことある!」
「うん。僕としては、みんなが家族と食事をしている間にゲームを進められるのが一番ありがたいんだけど」
「それ、感謝するところ違くない!?」
時春が笑うと、ラリーは肩をすくめた。
「人それぞれだよ。感謝の形なんて」
そして再びパソコンへ向き直りかけたが、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、トキは感謝祭どうするの?」
「えっ?」
「家族と過ごす祝日だけど、君の家族は日本でしょ?」
時春は少しだけ考えた。
確かに、言われてみればそうだった。日本にいた頃は、十一月の第四木曜日が特別な日だと思ったことなどない。学校へ行き、部活をして、家に帰れば母親が夕飯を用意してくれている。それが当たり前だった。
しかし、今はアメリカにいる。
家族は日本だ。
「……あー、そっか。俺、どうするんだろ」
「たぶん寮に残るんじゃない? 休み中も一部の建物は開いてるし、留学生向けの食事も用意されるってメールが来てたよ」
「へえ、そうなんだ」
「うちみたいなボーディングスクールだと、海外から来た生徒は基本的に寮に住んでるからね。長い休みなら帰国する人もいるけど、四連休だけのために地球の反対側まで帰る人は少ないと思うよ。ホームステイしてる生徒なら、その家族と一緒に祝ったりするんだろうけど」
時春はなるほどと頷いた。確かに、わざわざ日本へ帰るには短すぎる休みだった。飛行機に乗っている時間を考えるだけでも、現実的ではない。
「じゃあ、俺も寮かな。ラリーは?」
「僕もここ。実家には冬休みに帰るし」
「じゃあ一緒じゃん!」
「……何が?」
「感謝祭! 二人で何か食べようよ!」
ラリーはしばらく時春を見つめたあと、わずかに口元を緩めた。
「まあ、ゲームの邪魔をしないならね」
「よし! じゃあ七面鳥食べながらMinecraftしようぜ!」
「キーボードが油まみれになるから絶対に嫌だ」
即答された時春は、思わず笑ってしまった。ラリーも小さく笑い、再びパソコンの画面へ視線を戻した。
その日の授業でも、感謝祭の話題は何度も耳にした。ジェイクは親戚が大勢集まるため家の中が騒がしくなると愚痴をこぼし、ゾーイは祖母の作るパンプキンパイが楽しみだと話していた。エマも家族で食事をする予定だという。誰もが当たり前のように家族との予定を口にするのを聞きながら、時春は少しだけ不思議な気分になった。
寂しい、というほどではなかった。日本の家族とは今でも連絡を取り合っているし、アメリカでの生活にもすっかり慣れてきた。それでも、こうした祝日を迎えると、自分が家族から遠く離れた場所にいるのだという事実を、改めて意識することになるのだった。
◇
十一月二十四日、火曜日。
感謝祭を二日後に控えた放課後、ブレイカーズはいつも通り体育館で練習を行っていた。翌日からは学校の休暇に入るため、この日は普段より少し短いメニューが組まれていたが、ヘイズコーチの厳しさが変わることはなかった。
「ノア! 今のディフェンスは何だ! 相手が勝手に道を譲ってくれるとでも思ったか!」
「No, Coach!」
「だったら足を動かせ!」
体育館に鋭い声が響き、選手たちが一斉に笑う。ノアは大げさに肩をすくめながらも、次のプレーでは誰よりも素早くディフェンスへ戻っていた。
時春はこの日、イーサンと組んでボールハンドリングの練習をしたあと、セカンドユニットを中心とした五対五に参加した。まだ判断が遅れる場面はあったものの、仲間たちの動きを予測しながらパスを出すことには、少しずつ手応えを感じるようになっていた。
午後六時前に練習が終わると、選手たちはそれぞれの予定を話しながら更衣室へ向かった。ノアは親戚の家で大量の料理を食べると宣言し、ライアンとジェイスは誰の家の七面鳥が一番美味しいかという、どうでもよさそうな議論を始めていた。
時春も着替えを済ませ、スポーツバッグを肩へかけた。そのとき、更衣室の入口付近でマイルズ・カーターに呼び止められた。
「Yo、トキ。ちょっといいか?」
「あっ、マイルズ! どうしたの?」
「お前、感謝祭はどうするつもりなんだ?」
時春は一瞬きょとんとしたあと、笑って答えた。
「特に予定ないよ。家族は日本だし、寮でラリーとゲームでもしようかなって!」
「ゲーム?」
「うん! ラリー、四連休ずっとゲームするつもりらしいからさ!」
マイルズは呆れたように笑った。
「お前らしいな。せっかくの感謝祭だってのに、部屋でゲームかよ」
「だって、他にすることないし!」
「……そうか」
マイルズは少しだけ考えるように黙った。大きな手でバッグの持ち手を握り直し、時春の顔を見下ろす。
「なあ、トキ」
「ん?」
「お前さえよければ、うちに来ねえか?」
「……えっ?」
時春は思わず聞き返した。
「マイルズの家?」
「ああ。感謝祭には毎年、母さんが山ほど料理を作るんだ。どうせ全部食い切れねえし、お前が一人増えたところで大して変わらねえよ」
「でも、家族で過ごす日なんでしょ? 俺が行っちゃっていいの?」
「だから誘ってんだろ」
マイルズは当たり前のことを言うように答えた。
「うちは弟も妹もたくさんいるんだ。毎年、家の中はひでえ騒ぎだぜ。今さら一人増えたって誰も気にしねえよ。むしろ母さんは、人が来ると張り切るタイプだからな」
時春は少し驚いた。マイルズに弟や妹がいることは知っていたが、これまで家族について詳しく話したことはなかった。いつも落ち着いていて、誰よりも頼りになるキャプテンが、家ではどんなふうに過ごしているのだろう。
「……本当にいいの?」
「ああ。木曜日の昼前に迎えに行く。夕飯までいれば十分だろ。帰りも俺が送ってやるよ」
マイルズはそう言うと、にやりと笑った。
「ただし、うちのチビどもは遠慮ってもんを知らねえ。覚悟しとけよ」
時春もつられて笑った。
「うん! じゃあ、お邪魔してもいい?」
「もちろんだ。母さんには俺から伝えとく」
「ありがとう、マイルズ!」
「いいってことよ。せっかくアメリカに来たんだ。本物の感謝祭くらい経験しとけ」
そう言ってマイルズは時春の肩を軽く叩き、更衣室を出ていった。時春はその大きな背中を見送りながら、まだ少し信じられない気持ちで立っていた。
アメリカの家庭で過ごす感謝祭。
しかも、マイルズの家だ。
時春は急に木曜日が楽しみになり、寮へ戻る足取りも自然と軽くなった。
◇
十一月二十六日、木曜日。
感謝祭の朝、クレセントベイの空は雲ひとつない青色に晴れ渡っていた。普段なら授業へ向かう生徒たちで賑わうキャンパスも、この日は静かだった。すでに帰省した生徒が多いのだろう。学生寮の廊下にはほとんど人影がなく、中庭を吹き抜ける風の音だけが聞こえていた。
時春は朝から落ち着かなかった。
何を着ていけばいいのか迷い、ラリーに相談しては適当な返事をされ、ようやく選んだシャツに着替えたあとも、鏡の前で何度か髪を整えていた。
「……トキ」
ベッドに寝転んでいたラリーが、とうとう呆れたように声を上げた。
「君、結婚式にでも行くの?」
「違うって! マイルズの家に行くんだよ!」
「それはもう五回聞いた」
「でもさ、アメリカの感謝祭って初めてだし。変な格好して行ったら失礼かなって」
「普通の服でいいよ。向こうだって家族の食事なんだから」
ラリーはそう言って寝返りを打った。今日は学校も休みなので、朝からのんびりゲームをするつもりらしい。
「それより、何か持っていくものはあるの?」
「あっ、お菓子買ってきた! 昨日、学校の売店で!」
「へえ。珍しく準備がいいね」
「珍しくって何!?」
時春が抗議すると、ラリーは布団の中で小さく笑った。
やがてスマートフォンにマイルズからのメッセージが届いた。寮の前に着いたらしい。時春は慌ててバッグを持ち、玄関へ向かったが、ドアを開ける直前で振り返った。
「ラリー! 行ってくる!」
「うん。楽しんできなよ」
「帰ってきたら話聞かせるから!」
「……それは別に頼んでないけど」
ラリーはそう答えたあと、少しだけ顔を上げた。
「まあ、よかったね。誘ってもらえて」
思いがけない言葉に、時春は一瞬驚いた。それから笑顔で頷き、寮の部屋をあとにした。
外へ出ると、駐車場の端にマイルズの車が停まっていた。運転席の窓が開き、大きな腕がこちらへ伸びてくる。
「Yo、トキ!」
「マイルズ! おはよう!」
「おう。乗れよ」
時春は助手席へ乗り込んだ。車内には穏やかなR&Bが流れており、後部座席には買い物袋がいくつか積まれていた。
「それ、全部食べ物?」
「ああ。母さんに頼まれた追加の買い物だ。昨日あれだけ買ったのに、まだ足りねえらしい」
「そんなに作るの!?」
「うちは人数が多いからな。お前、朝飯は食ってきたか?」
「うん! ちょっとだけ!」
「正解だ。腹に余裕を残しといた方がいいぞ」
マイルズが笑いながら車を発進させた。
キャンパスの門を抜け、ヤシの木が並ぶ通りへ出る。感謝祭のためか、普段より交通量は少なかった。青い空の下には低い住宅が続き、遠くの丘には乾いた草が陽光を受けて淡く輝いている。時春は窓の外を眺めながら、いつも学校と街の中心部を行き来しているだけでは気づかなかった、カリフォルニアの生活の風景を楽しんでいた。
「マイルズの家って、学校から遠いの?」
「車で三十分くらいだ。海から少し内陸へ入った住宅街だよ」
「へえ! じゃあ普段は家から学校に通ってるんだ」
「ああ。朝は早いけどな。寮に入るよりは、家から通う方が都合がいいんだ」
「そっか。弟とか妹もいるもんね!」
マイルズは軽く笑った。
「四人な。ケイレブ、マヤ、レオ、ニア。全員、俺よりずっと元気だ」
「四人!? そんなにいるの!?」
「だから言っただろ。うちは賑やかなんだよ」
マイルズは前方の信号を確認しながら、少し懐かしそうな顔をした。
「一番上のケイレブはもう十四歳なんだが、下の三人はまだ小さい。特にレオとニアは、俺が帰るとすぐにまとわりついてくる。こっちは練習でへとへとなのに、構ってやらねえと文句を言われるんだ」
「ははっ! 楽しそう!」
「見てる分にはな」
そう言いながらも、マイルズの声はどこか嬉しそうだった。
しばらく走ると、街並みは少しずつ変わっていった。観光客向けの店や洒落たカフェが減り、低い屋根の住宅が並ぶ静かな地域へ入っていく。庭先にはバスケットゴールを設置している家もあり、玄関には感謝祭のリースが飾られていた。
「……うちは母さん一人なんだ」
ふいに、マイルズが言った。
時春は隣を見た。
「えっ?」
「俺たち兄弟は、ずっと母さんに育ててもらってきた。父親とは一緒に暮らしてねえんだ」
「あ……そうなんだ」
「母さん、今も仕事をいくつも掛け持ちしてる。俺たちが小さい頃からずっとだ。だから、家のことはできるだけ俺も手伝うようにしてるんだよ」
その声には、特別な悲壮感はなかった。マイルズはただ、自分の家族について当たり前のことを説明しているようだった。しかし、時春はそれを聞きながら、いつもチームの先頭に立っている彼の姿を思い出していた。
マイルズは誰よりも早く練習に来ることが多い。後輩の面倒をよく見て、仲間が失敗すれば声をかける。ノアがふざけすぎたときにはたしなめ、ヘイズコーチから指示が出れば率先して動く。そうした振る舞いが、単にキャプテンだからという理由だけではないのかもしれないと、時春は初めて思った。
「マイルズって、すごいね」
「何が?」
「だって、学校もバスケも頑張って、家のことも手伝ってるんでしょ? 俺だったらそんなにできるかなあ」
マイルズは照れくさそうに鼻を鳴らした。
「別に大したことじゃねえよ。家族なんだから、できることをやるだけだ」
少し間を置いてから、彼は言葉を続けた。
「それに、バスケを頑張ってるのにも理由がある。俺は大学へ行きたいんだ。できれば奨学金をもらってな」
「奨学金?」
「ああ。バスケで結果を出せば、大学から声をかけてもらえる可能性があるだろ。学費の負担が少なくなれば、母さんも助かる。もちろん成績も必要だから、勉強だって手は抜けねえけどな」
時春は黙って頷いた。
「大学を出たら、ちゃんとした会社に入って、安定した仕事に就きたい。母さんにはずっと苦労をかけてきたからな。いつか少しでも楽をさせてやりたいんだよ」
マイルズはハンドルを握り直した。
「それが俺の目標だ。バスケは好きだし、できるところまで上を目指したい。でも、プロになれなきゃ人生終わりってわけじゃねえ。大学へ進むための道にもなる。俺にとっては、そういう大事なものなんだ」
時春はその横顔を見つめていた。
自分がバスケットボールを始めた理由は、NBA選手になりたかったからだ。大きなアリーナでプレーし、世界中の人々から歓声を浴びる。そんな夢を追いかけて、十五歳でアメリカへ渡ってきた。
けれど、マイルズは違う。
同じコートで、同じ勝利を目指して戦っていても、その先に見つめているものは人によって違うのだ。
「……マイルズなら、絶対できると思う」
時春が言うと、マイルズは少し驚いたようにこちらを見た。
「何だよ、急に」
「だって、めちゃくちゃ頑張ってるじゃん! 勉強もバスケも、俺よりずっとしっかりしてるし!」
「そりゃお前と比べればな」
「ちょっと! そこは否定してよ!」
マイルズが声を上げて笑った。
「ハハッ! 冗談だよ。ありがとな、トキ」
その後は再び他愛のない話に戻った。時春が日本の家族について話すと、マイルズは興味深そうに聞いてくれた。日本の学校では部活動が朝早くから行われることもあると知って驚き、正月には家族で特別な料理を食べるのだと説明すると、感謝祭に似ているなと笑った。
やがて車は大通りを離れ、静かな住宅街の中へ入っていった。
「着いたぞ」
マイルズが車をゆっくりと停めた。
時春が顔を上げると、そこにはクリーム色の壁をした二階建ての家があった。
◇
カーター家は、住宅街の一角に建つ、ごく普通の一軒家だった。
建物は決して大きくなかったが、玄関の前には色とりどりの花が植えられ、窓辺にはオレンジ色の小さな飾りが並んでいた。庭の芝生には使い込まれた自転車が二台置かれ、その隣には子供用のバスケットゴールが立っている。ガレージの扉には、少し曲がった文字で『HAPPY THANKSGIVING』と書かれた手作りのポスターが貼られていた。
「……いい家だね」
時春が言うと、マイルズは少しだけ嬉しそうに笑った。
「ありがとな。さあ、入るぞ」
買い物袋を抱えて玄関へ向かう。マイルズが鍵を取り出そうとした、そのときだった。
バタンッ!
内側から勢いよく扉が開いた。
「MILES!!」
小さな男の子が飛び出してきた。
「うおっ!」
マイルズは慌てることなく片手で少年を受け止めた。
「おい、レオ! 玄関から飛び出すなって何回言えばわかる!」
「だって帰ってきたじゃん!」
「そりゃ帰ってくるさ。ここは俺の家だからな」
マイルズが呆れたように言うと、少年は楽しそうに笑った。その後ろから、さらに二人の女の子が現れる。
「マイルズ! その人がトキ?」
「ほんとに日本から来たの?」
二人とも目を輝かせ、時春の顔をじっと見つめていた。
時春は一瞬、どう反応すればいいのかわからず立ち尽くした。しかしすぐに笑顔を浮かべ、軽く手を上げた。
「Hey! 俺、トキ! よろしく!」
すると三人は一斉に騒ぎ始めた。
「日本って飛行機でどのくらいかかるの?」
「お寿司って毎日食べるの?」
「ねえ、バスケできる? マイルズより上手い?」
「おいおい、待て待て!」
マイルズが大きな声を上げた。
「一人ずつ喋れ! トキが困ってるだろ!」
しかし、子供たちはまったく気にする様子がなかった。むしろマイルズが声を上げたことで、さらに楽しそうに笑い始めた。
時春もつられて笑った。先ほどまで少し緊張していたのが嘘のようだった。
そんな騒ぎの中、家の奥から一人の女性が現れた。
「まったく、あんたたち! お客さんが来たばっかりでしょう!」
よく通る、明るい声だった。
現れたのは、四十代くらいの黒人女性だった。ゆったりとしたセーターの上からエプロンをつけ、髪を後ろでまとめている。マイルズほどの大柄ではないが、肩幅が広く、目元には彼とよく似た力強さがあった。
「母さん、連れてきたぞ」
マイルズが言う。
女性は時春を見ると、ぱっと表情を明るくした。
「あら! あなたがトキね!」
「は、はい! 高山時春です! 今日はお邪魔します!」
時春が慌てて頭を下げると、女性は驚いたように笑った。
「まあ、そんなにかしこまらなくていいのよ! 私はデニース。マイルズの母です。今日は来てくれてありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございます!」
「さあ、入って入って! みんな、トキを困らせないの!」
デニースが子供たちへ声をかける。しかし、三人はすでに時春を取り囲み、次々と質問を始めていた。
マイルズは買い物袋を持ち上げながら、呆れたように笑った。
「言っただろ。こうなるって」
「ははっ! でも、楽しい!」
時春が笑うと、デニースも嬉しそうに頷いた。
「そう言ってもらえると助かるわ。うちはいつもこんな感じだから」
玄関を抜けると、家の中には温かな空気が満ちていた。リビングには大きなソファと使い込まれた木製のテーブルがあり、壁には家族写真が所狭しと飾られている。幼いマイルズがバスケットボールを抱えている写真もあれば、兄弟全員が芝生の上で笑っている写真もあった。
そして何より、食欲をそそる香りが漂っていた。
オーブンで焼かれている肉の匂い。バターとハーブの香り。甘いパイのような匂いも混じっている。
「……うわあ」
時春は思わず声を漏らした。
「めっちゃいい匂い!」
「ふふっ。もうすぐ七面鳥が焼けるのよ」
デニースはそう言ってキッチンへ戻っていった。
その背中を見送った時春の腕を、小さな女の子が引っ張った。
「ねえ、トキ!」
「ん?」
「日本の文字って書ける?」
「日本の文字?」
「漢字! 学校で習ったの! 絵みたいな文字!」
時春は思わず笑った。
「ああ、漢字ね! 書けるよ!」
「ほんと!? じゃあ、私の名前も書いて!」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の子供たちが一斉に集まってきた。
◇
リビングのテーブルに紙とペンが用意されるまで、ほとんど時間はかからなかった。
時春はソファに腰掛け、子供たちに囲まれていた。目の前には四人の兄弟が並んでいる。
一番上は十四歳のケイレブ。マイルズに少し似た顔立ちをしており、背も高くなり始めていた。落ち着いているように見えるが、弟や妹をからかうのが好きらしい。
その隣には十一歳のマヤ。好奇心旺盛で、時春が何かを話すたびに次の質問を考えているような女の子だった。
八歳のレオは、先ほど玄関から飛び出してきた少年だ。バスケットボールが大好きらしく、時春の隣に座るなりNBAの選手について質問を始めていた。
そして一番下が、六歳のニア。最初は少し人見知りをしていたものの、今では時春の袖を握りながら、じっと手元を見つめている。
「じゃあ、誰から書こうかな」
時春が尋ねると、全員が手を上げた。
「俺!」
「私が先!」
「レオから!」
「ニア!」
「ちょっと待って! 一人ずつ!」
時春が笑いながら言うと、ケイレブが年長者らしく肩をすくめた。
「じゃあ、マヤからでいいよ。どうせうるさいし」
「何それ!」
マヤが抗議する。時春は二人のやり取りに笑いながら、紙へペンを走らせた。
『真耶』
「はい! マヤ!」
「……わあ!」
マヤが目を輝かせた。
「これが私の名前!?」
「うん! 日本の漢字を使って、音が近くなるように考えたんだ。『真』は本当とか、まっすぐって意味があるんだよ」
「すごい! 何かかっこいい!」
マヤは紙を大切そうに抱えた。
続いてレオ。
『怜央』
「レオはこれ!」
「うおお! 何か強そう!」
「『怜』は賢いって意味があるよ」
「じゃあ俺、天才ってこと!?」
「まあ、そういうことにしとこうかな!」
レオは得意そうに胸を張った。
その隣でケイレブが笑う。
「宿題を忘れる天才だけどな」
「うるさい!」
時春は笑いながら、今度はケイレブの名前を書いた。
『慶礼武』
「ケイレブはちょっと漢字が多いけど、どう?」
ケイレブは紙を覗き込んだ。
「……すげえ。何か侍の名前みたいだな」
「ははっ! 確かに!」
「これ、部屋に飾ろうかな」
そう言うケイレブの顔は、少し照れくさそうだった。
最後にニア。
時春は小さな女の子の顔を見て、少しだけ考えた。それから丁寧に二つの漢字を書いた。
『仁愛』
「ニアはこれ!」
ニアは紙を見つめ、ゆっくりと首を傾げた。
「……どういう意味?」
「『仁』は人を大事にする気持ちで、『愛』は誰かを大切に思うこと。優しい名前だよ」
時春が説明すると、ニアは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、これ好き!」
「よかった!」
ニアは紙を胸へ抱え、兄弟たちへ見せびらかし始めた。
そのとき、買い物袋を片づけ終えたマイルズがリビングへ戻ってきた。
「おいおい。何やってんだ、お前ら」
「マイルズ! 見て!」
レオが自分の紙を掲げる。
「トキに名前書いてもらった!」
「へえ。漢字か?」
「うん! マイルズも書いてもらいなよ!」
マヤが笑いながら言った。
「俺はいいって」
「えー! 何で!」
「兄ちゃんだけ仲間外れ!」
子供たちが一斉に騒ぎ始める。
時春はにやりと笑い、マイルズへ手招きした。
「マイルズ! せっかくだし書くよ!」
「おい、トキ。お前まで乗るなよ」
「いいじゃん!」
時春は新しい紙を取り出し、少し考えてから漢字を並べた。
『舞流寿』
「……どう?」
マイルズは紙を覗き込んだ。
「何だこれ?」
「『舞』は踊る、『流』は流れる、『寿』はお祝いとか長生きの意味がある漢字だよ!」
するとレオが声を上げて笑った。
「兄ちゃん、踊るの!?」
「マイルズがダンスするんだ!」
マヤまで笑い始める。
「おい! 何でそうなる!」
マイルズが抗議すると、子供たちはますます盛り上がった。時春も笑いをこらえきれず、ソファに深くもたれかかった。
その騒ぎを聞きつけ、キッチンからデニースが顔を出した。
「あらあら、楽しそうね」
「母さん! 見てよ、トキがみんなの名前を日本語で書いてくれたの!」
マヤが嬉しそうに紙を見せる。
デニースは目を細めた。
「まあ、素敵じゃない! あとで額に入れようかしら」
「そんな大げさな!」
マイルズが言うと、デニースは笑った。
「いいじゃない。せっかく書いてもらったんだから」
時春は少し恥ずかしくなりながらも、嬉しかった。日本では当たり前のように使っていた漢字が、こんなふうに喜ばれるとは思っていなかった。
自分にとってはごく普通のことでも、ここでは誰かを楽しませることができる。
そんな小さな発見が、何だか心地よかった。
◇
午後二時を過ぎた頃、カーター家の食卓には次々と料理が並べられ始めた。
まず運ばれてきたのは、大きなローストターキーだった。こんがりと焼き色のついた皮が照明を受けて輝き、切り分ける前から香ばしい匂いを放っている。その周囲には、マッシュポテト、グレイビーソース、クランベリーソース、インゲン豆の料理、そしてパンや野菜を使ったスタッフィングが並んでいた。
さらに、焼きたてのコーンブレッドまで用意されている。
時春はその量を見て、思わず目を丸くした。
「……うわあ! すっご!」
デニースが楽しそうに笑った。
「遠慮しないでたくさん食べてね。若い男の子が二人もいるんだから、これくらい作らないと」
「いや、母さん。七人で食う量じゃねえだろ、これ」
マイルズが呆れたように言う。
「あら、あなたが一人で三人分くらい食べるんでしょう?」
「……まあ、否定はしねえけど」
子供たちが笑い出した。
食卓には七人が座った。マイルズは母親の隣でターキーを切り分け、ケイレブが皿を配る。マヤは飲み物を用意し、レオとニアは待ちきれない様子で料理を眺めていた。
すべての準備が整うと、デニースが静かに手を合わせた。
「さあ、みんな。食べる前に、今日の感謝を伝えましょう」
それまで騒がしかった子供たちも、少しだけ姿勢を正した。
時春は隣のマイルズを見た。マイルズは小さく頷き、目を閉じた。
デニースは穏やかな声で、今日も家族が元気に集まれたこと、美味しい食事を囲めること、そして新しい友人を迎えられたことへの感謝を口にした。
長い言葉ではなかった。しかし、その声を聞いているうちに、時春はこの食卓がカーター家にとって大切な時間なのだと感じた。
やがてデニースが顔を上げる。
「それじゃあ、いただきましょう!」
「YEAH!!」
子供たちが声を上げた。
時春も笑顔で皿を受け取り、マイルズが切り分けてくれたターキーを口へ運んだ。
「……っ!」
思わず目を見開いた。
肉は柔らかく、噛むと温かい肉汁が広がった。ハーブの香りが鼻へ抜け、表面の皮には香ばしい焼き色がついている。グレイビーソースを少しかけると、旨味がさらに深くなった。
「……うまっ!」
時春は思わず叫んだ。
デニースが嬉しそうに笑う。
「本当?」
「めっちゃ美味しいです! これ、すごい!」
「あら、ありがとう!」
「母さん、こいつ本気で言ってるぜ。顔見りゃわかる」
マイルズが笑った。
「だって本当に美味しいんだもん!」
時春は夢中で食べ進めた。マッシュポテトは驚くほど滑らかで、バターの風味が口いっぱいに広がった。スタッフィングにはハーブや野菜の香りが染み込み、ターキーと一緒に食べると絶妙な味わいだった。クランベリーソースの甘酸っぱさも、最初は少し不思議だったが、脂の乗った肉によく合っていた。
デニースはそんな時春の様子を見ながら、何度も料理を勧めてくれた。
「トキ、ポテトはもう少しいる?」
「はい! お願いします!」
「コーンブレッドも食べてね」
「ありがとうございます!」
「母さん、そいつにばっかり食わせてると、俺の分がなくなるぞ」
マイルズが冗談めかして言うと、デニースは笑った。
「あなたはいつでも食べられるでしょう。今日はトキがゲストなんだから」
時春は思わず笑った。
食事が進むにつれ、話題は自然と日本のことへ移っていった。
ケイレブは日本の学校生活に興味を示し、マヤは日本の食べ物について質問した。レオは相変わらずバスケットボールの話ばかりで、ニアは日本にも感謝祭のような祝日があるのかと尋ねてきた。
「日本だと、お正月がちょっと似てるかも。家族が集まって、特別な料理を食べたりするんだ」
「どんな料理?」
マヤが尋ねる。
「おせちっていう料理があるんだよ。小さい料理がいっぱい入ってる箱みたいなのがあってさ」
「箱!?」
「うん! あと、お雑煮っていうお餅の入ったスープも食べる!」
するとレオが身を乗り出した。
「お餅って何? 甘いの?」
「甘いのもあるけど、スープに入れるやつは甘くないよ。伸びるんだ!」
「伸びる!?」
レオが目を輝かせた。
「すごい! 食べてみたい!」
時春は笑いながら、日本の正月について知っていることを説明した。初詣やお年玉の話をすると、子供たちは特に興味を示した。
「お年玉って、お金もらえるの!?」
ケイレブが驚いたように聞く。
「そう! 親戚とかから!」
「マイルズ! 日本に引っ越そうぜ!」
レオが叫ぶと、マイルズは吹き出した。
「お前、金がもらえるって聞いた途端にそれかよ!」
食卓に笑い声が広がった。
それから、デニースが時春へ尋ねた。
「トキ、日本のご家族は元気?」
「はい! この前も電話しました!」
「そう。遠くにいると寂しいでしょう」
時春は少し考えてから頷いた。
「たまに寂しくなることはあります。でも、学校に友達がたくさんできたし、バスケもすごく楽しいので、大丈夫です!」
「それならよかったわ」
デニースは柔らかく笑った。
「十五歳で家族と離れて暮らすなんて、簡単なことじゃないもの。あなたのご両親も、きっと心配しているでしょうね」
「そうですね。母さんには、ちゃんと食べてるかとか、怪我してないかとか、いつも聞かれます」
「あら、どこの母親も同じね」
その言葉に、マイルズが苦笑した。
「母さんも俺に毎日言うもんな。ちゃんと食ったか、ちゃんと寝たかって」
「当たり前でしょう。あなたは放っておくとバスケばっかりしてるんだから」
デニースはそう言いながら、マイルズの皿へ追加のターキーを載せた。
時春はそのやり取りを見て、何だか温かい気持ちになった。
日本にいる母親も、きっと同じようなことを言うだろう。
離れた国で暮らしていても、家族が子供を心配する気持ちは変わらないのだ。
◇
食事の後半になると、話題はブレイカーズのことへ移った。
きっかけは、レオがマイルズの試合について尋ねたことだった。
「ねえ、トキ! マイルズって学校でもすごいの?」
「すごいよ! めっちゃ上手い!」
時春が即答すると、マイルズは少し照れくさそうに笑った。
「おい、トキ。大げさに言うなよ」
「大げさじゃないって! マイルズ、チームのキャプテンなんだよ!」
「知ってる!」
レオが得意そうに言う。
「兄ちゃん、去年も試合でいっぱい点取ってた!」
「そうなんだ! 今年もすごいよ。ゴール下だと、なかなか止められないし!」
時春は身振りを交えながら、マイルズのプレーについて話し始めた。相手の大きな選手と体をぶつけ合いながらリバウンドを取ること。ゴール下では左右どちらの手でもシュートを決められること。何より、試合中に誰かがミスをすると、真っ先に声をかけてくれること。
「俺、最初の公式戦ですごく緊張してたんだけど、マイルズがパスを受けてくれたおかげで、初アシストできたんだ!」
「へえ!」
マヤが目を輝かせた。
「じゃあ、マイルズがトキを助けたの?」
「うん! いつも助けてもらってる!」
時春は大きく頷いた。
「俺がミスしたときも、次があるって言ってくれるし。練習でわからないことがあったら教えてくれるんだよ!」
デニースは黙ってその話を聞いていた。時折マイルズへ視線を向け、嬉しそうに微笑んでいる。
時春はさらに、ブレイカーズの仲間たちについて話した。
ノアが練習中に余計なことを言って追加のダッシュを命じられた話をすると、子供たちは大笑いした。マイクがどんな状況でも冷静にスリーポイントを決めることや、イーサンが試合中に仲間たちへ細かく指示を出していることも説明した。
マイルズは途中で何度も口を挟み、時春の話を訂正したり、からかったりした。
「おいトキ。ノアが毎日怒られてるみたいに言うなよ」
「だって、ほとんど毎日怒られてるじゃん!」
「……まあ、それはそうだな」
マイルズまで笑い始め、食卓は再び賑やかになった。
デニースはその様子を見ながら、静かに言った。
「マイルズが学校でそんなふうにしているなんて、嬉しいわ」
時春は顔を上げた。
「えっ?」
「この子、家ではあんまり学校の話をしないのよ。試合に勝ったとか、練習が大変だったとか、そういうことは聞かせてくれるけどね。誰とどんなふうに過ごしているのかまでは、なかなか話してくれないから」
「母さん、別に隠してるわけじゃねえよ」
「わかってるわよ。でも、こうしてお友達から聞けるのは嬉しいものなの」
デニースはそう言って、マイルズの肩へ手を置いた。
マイルズは少し居心地が悪そうに笑い、グラスの水を飲んだ。
その姿を見て、時春は不思議な気分になった。
体育館では、誰よりも堂々としているマイルズ。
ノアがどれほど騒いでも動じず、ヘイズコーチの厳しい言葉にも正面から応えるキャプテン。
しかし、家族の前では少し照れくさそうに笑う、ごく普通の高校生なのだ。
その当たり前のことが、時春には何だか新鮮だった。
やがて食事の最後に、デニースが大きなパンプキンパイを運んできた。濃いオレンジ色の表面にはシナモンの香りが漂い、切り分けられた一皿にはたっぷりとホイップクリームが添えられている。
「デザートもあるからね!」
デニースが笑う。
「……えっ、まだ食べるの!?」
時春は驚いた。
すでにお腹はいっぱいだった。しかし、目の前のパイから漂う甘い香りに、どうしても抗うことができない。
マイルズがにやりと笑った。
「だから朝飯は少なめにしろって言っただろ」
「……なるほど」
「さあ、遠慮すんな。母さんのパンプキンパイは最高だぜ」
時春は恐る恐る一口食べた。
柔らかなカボチャの甘みと、シナモンやナツメグの香りが広がった。日本で食べていたカボチャのケーキとは少し違う、濃厚で温かな味だった。
「……うまっ!」
その声に、デニースが満足そうに笑った。
「ふふっ。よかった!」
時春は結局、パイまで綺麗に平らげた。
食事が終わる頃には、もうしばらく何も食べられそうにないほど満腹になっていたが、それでも今日の料理の味は長く覚えているだろうと思った。
◇
食事が終わると、子供たちはリビングへ移動していった。
レオがマイルズの腕を引っ張り、バスケットボールで遊ぼうとせがんでいる。マヤとニアも兄のそばへ集まり、ケイレブは少し離れたところからその様子を眺めていた。
「ちょっと待てって! 腹いっぱいなんだぞ!」
マイルズが笑いながら抗議する。
「じゃあ座ってていいから!」
「座ってバスケって何だよ!」
やがてリビングには、子供たちの笑い声とマイルズの困ったような声が響き始めた。どうやら柔らかいボールを使って、即席のシュートゲームが始まったらしい。
時春はその賑わいを少し離れたところから眺めたあと、キッチンへ向かった。
デニースが一人で皿を片づけていた。
テーブルから運ばれてきた食器がシンクの横に積まれ、大きな鍋やトレーが調理台に並んでいる。七人分の食事を用意したあとだけに、洗い物の量も相当なものだった。
「デニースさん!」
時春が声をかけると、彼女は振り返った。
「あら、トキ。どうしたの?」
「俺、手伝います!」
「えっ?」
「皿洗い! やらせてください!」
デニースは少し驚いたあと、困ったように笑った。
「まあ、そんなことしなくていいのよ。あなたはお客さんなんだから、リビングでみんなと遊んでらっしゃい」
「いや、でも! こんなに美味しいご飯食べさせてもらったし、何か手伝いたくて!」
「気にしなくていいのよ。いつものことだから」
そう言われても、時春は引き下がらなかった。
たくさんの料理を作り、家族全員の世話をして、食事が終わればまた一人で片づけをする。その姿を見ていると、ただ座っているのが何だか申し訳なく感じられた。
「お願いします! 日本でもたまに皿洗いしてたし、できます!」
時春が真剣な顔で言うと、デニースは少しだけ目を丸くした。それから、柔らかく微笑んだ。
「……そう。じゃあ、お願いしようかしら」
「はい!」
「それじゃ、私が洗うから、トキはそっちの布巾で拭いてくれる?」
「任せてください!」
時春は嬉しそうに頷き、シンクの横へ立った。
キッチンの窓からは、午後の柔らかな日差しが差し込んでいた。外の庭には少し長くなった影が落ち、遠くの住宅街は穏やかな休日の静けさに包まれている。リビングからは子供たちの笑い声が聞こえ、ときどきマイルズの大きな声が混じった。
デニースが皿を洗い、時春が一枚ずつ布巾で拭いていく。洗った食器を受け取るたび、温かな陶器の感触が手に残った。
「今日は本当にありがとうございます」
時春が改めて言うと、デニースは笑った。
「あら、もう何回も聞いたわよ」
「でも、すごく楽しかったです。料理も美味しかったし、みんな優しくしてくれて」
「それならよかった。子供たちもあなたが来てくれて嬉しかったみたい。特にレオなんて、朝からずっとトキはまだかって聞いてたのよ」
「ははっ! 本当ですか?」
「ええ。マイルズが日本から来たバスケの友達を連れてくるって話したら、もう大騒ぎでね」
デニースは皿をすすぎながら、楽しそうに笑った。
「マイルズが誰かを家に連れてくるのも、最近は珍しいから」
「そうなんですか?」
「昔はもっと友達を呼んでたんだけどね。最近は学校とバスケで忙しいみたいだし、帰ってきても下の子たちの面倒を見てくれるから、ゆっくりする時間があんまりないのよ」
時春は手を動かしながら、マイルズが車の中で話していたことを思い出した。
奨学金をもらって大学へ行きたいこと。将来は安定した仕事に就いて、母親を少しでも楽にしてあげたいこと。家族のために自分ができることをしたいと、彼は当たり前のように話していた。
「……マイルズ、すごく頑張ってますよね」
時春が言うと、デニースは静かに頷いた。
「そうね。あの子は昔から、何でも自分でやろうとする子だったわ」
彼女は洗い終えた皿を時春へ渡した。
「私が仕事で帰りが遅くなると、下の子たちに夕飯を食べさせてくれたり、宿題を見てくれたりね。まだ自分だって子供なのに、いつの間にか家の中で一番頼りになる存在になっていたの」
時春は黙って話を聞いていた。
デニースの声は穏やかだったが、その言葉の奥には長い年月が感じられた。
「もちろん、助けてもらえるのはありがたいわ。マイルズがいなかったら、もっと大変だったと思う。でもね、時々心配になるのよ」
「……心配?」
「ええ。あの子、自分がしっかりしなきゃいけないって、いつも考えてるみたいだから」
デニースは水道を止め、少しだけリビングの方へ目を向けた。
そこではマイルズが床に膝をつき、レオとニアの遊び相手をしていた。あれほど大きな体を小さく丸めながら、子供たちに何かを教えている。レオがシュートを決めると、マイルズは大げさに倒れ込み、ニアが笑いながらその背中へ飛び乗った。
体育館で見る彼とは、まったく違う姿だった。
「……マイルズはね、本当にいい子なの」
デニースが静かに言った。
「でも、頑張りすぎちゃうところがあるのよ。家族のことも、学校のことも、バスケのことも。何でも自分で背負おうとして、疲れていてもなかなか弱音を吐かないの」
時春はリビングにいるマイルズを見つめた。
思い返せば、マイルズが誰かに助けを求めるところを、ほとんど見たことがなかった。
練習中にチームの雰囲気が悪くなれば、真っ先に声をかける。誰かがミスをすれば励まし、コーチから厳しい言葉を向けられても、決して言い訳をしない。
いつも誰かを支える側にいる。
しかし、そんな彼にも疲れる日があるはずだった。
「だからね、トキ」
デニースが時春へ向き直った。
「学校では、あの子のことを任せたよ」
時春は少し驚いた。
「……俺が、ですか?」
「ええ」
デニースは柔らかく笑った。
「マイルズが誰かの面倒を見てばかりじゃなくて、自分も友達に頼れるようにしてあげてほしいの。何か困っていたら、話を聞いてあげるだけでもいいから」
時春は手元の布巾を見つめた。
自分はまだ一年生で、マイルズよりもずっと小さく、バスケットボールの実力も経験も足りない。普段はむしろ、彼に助けてもらってばかりだ。
それでも、だからこそできることがあるのかもしれなかった。
試合でマイルズがミスをしたら、今度は自分が声をかければいい。疲れているようなら、少しでも負担を減らせるように動けばいい。いつも頼りになるキャプテンだからといって、何もかも任せきりにしてはいけないのだ。
時春は顔を上げた。
「……はい!」
デニースが微笑む。
「ありがとう」
「俺、マイルズには本当にお世話になってるんです。だから、俺も何かできることがあったら絶対に手伝います!」
時春は少し照れくさくなりながらも、はっきりと言った。
「マイルズが困ってたら、今度は俺が助けたいです」
デニースはしばらく時春を見つめていた。それから、ほっとしたように目を細めた。
「……そう。ありがとう、トキ」
その笑顔は、どことなく日本にいる母親に似ていた。
時春は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じながら、再び皿を拭き始めた。
◇
片づけが終わる頃には、外の空が夕暮れの色へ変わり始めていた。
時春がリビングへ戻ると、マイルズはまだ子供たちに囲まれていた。今度はテレビの前に座り、レオとケイレブが遊んでいるバスケットボールのゲームを眺めている。マヤはソファでニアの髪を結び直しており、テーブルの上には先ほど時春が書いた漢字の紙が綺麗に並べられていた。
「おっ、トキ!」
マイルズが顔を上げた。
「どこ行ってたんだ?」
「デニースさんと皿洗いしてた!」
「……は?」
マイルズが驚いたような顔をした。
「お前、客だろ? 何やってんだよ!」
「だって、あんなに美味しいご飯食べさせてもらったし!」
時春が笑うと、マイルズは少し呆れたように首を振った。
「まったく。変なところで律儀な奴だな」
「いいじゃん!」
「まあな。母さんも助かっただろうし、ありがとな」
そう言ってマイルズは笑った。
レオが時春の腕を引っ張る。
「トキ! 一緒にゲームしよう!」
「いいよ!」
「俺、マイルズのチーム!」
「おい! 俺を勝手に使うな!」
再びリビングに笑い声が広がった。
その後しばらく、時春は子供たちと一緒にゲームをした。レオは自分のチームが得点するたびに飛び跳ね、ケイレブは負けそうになると急に真剣な顔になった。マヤとニアも応援に加わり、マイルズは途中から審判のような役割を押しつけられてしまった。
そんな賑やかな時間を過ごしているうちに、時春はいつの間にか、この家に来る前の緊張をすっかり忘れていた。
初めて訪れた家なのに、不思議と居心地がよかった。子供たちは遠慮なく話しかけてくれるし、デニースは何度も飲み物を勧めてくれた。マイルズも普段のように時春をからかいながら、弟や妹たちと楽しそうに笑っていた。
ここには、特別な豪華さがあるわけではない。
大きな家でも、立派な家具が並んでいるわけでもなかった。
それでも、家族の笑い声と食事の香りに満ちたこの場所には、何にも代えがたい豊かさがあるように思えた。
◇
夜七時を過ぎた頃、時春はカーター家をあとにすることになった。
デニースは帰り際、冷蔵庫からいくつもの保存容器を取り出し、ターキーやマッシュポテト、パンプキンパイを詰め始めた。
「トキ、これ持って帰ってね」
「えっ!? こんなに!?」
「ラリーっていうお友達が寮にいるんでしょう? 二人で食べなさい」
時春は驚いた。
「ラリーの分まで!?」
「もちろん。せっかくの感謝祭なんだから」
デニースはそう言って、袋を時春へ差し出した。
「またいつでも遊びにいらっしゃい。うちは大歓迎だから」
「……ありがとうございます!」
時春は両手で袋を受け取った。
玄関では、子供たちが名残惜しそうに集まっていた。
「トキ! また来てね!」
マヤが手を振る。
「次は絶対ゲームで勝つから!」
レオが悔しそうに言う。
「漢字、友達に見せる!」
ケイレブも笑った。
そしてニアは、時春の袖をそっと引っ張った。
「……また来る?」
時春はしゃがみ込み、ニアの顔を見た。
「うん! また来るよ!」
ニアは嬉しそうに笑った。
その後ろでマイルズが腕を組み、満足そうに頷いている。
「どうだ、トキ。言っただろ? うちは賑やかだって」
「うん! めっちゃ楽しかった!」
「そいつはよかった」
マイルズは笑いながら車の鍵を取り出した。
時春は最後にもう一度、デニースへ向かって頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました! ご飯、すっごく美味しかったです!」
「ふふっ。どういたしまして」
デニースは優しく笑った。
「気をつけて帰ってね。マイルズ、ちゃんと送るのよ」
「わかってるよ、母さん」
マイルズが苦笑する。
時春は玄関先で手を振る家族たちを見ながら、助手席へ乗り込んだ。
車がゆっくりと走り出す。
サイドミラーの中では、レオとマヤがいつまでも大きく手を振っていた。やがて角を曲がると、カーター家の明かりは住宅街の向こうへ見えなくなった。
◇
帰り道、車内には静かな音楽が流れていた。
日中の賑わいが嘘のように、街は穏やかな夜に包まれている。道路沿いの家々には暖かな明かりが灯り、窓辺に飾られた小さなランプや秋の装飾が、通り過ぎる車の窓からちらちらと見えた。
時春は助手席に座り、膝の上に置いた料理の袋を見つめていた。
「……マイルズ」
「ん?」
「今日はありがとうね」
マイルズは前を向いたまま、軽く笑った。
「何だよ。もう何回も聞いたぜ」
「でも、本当に楽しかったから!」
「ならよかった。母さんもチビどもも喜んでたしな」
時春は頷いた。
「みんな、すっごくいい人だった。マイルズがあんなにしっかりしてる理由、ちょっとわかった気がする」
「……何だそりゃ」
マイルズが苦笑する。
時春は少し考えてから、言葉を続けた。
「マイルズって、いつもみんなのこと考えてるじゃん。バスケでもそうだし、家でもそうなんだなって」
マイルズはしばらく黙っていた。
信号が赤になり、車がゆっくりと止まる。
「……まあ、長男だからな」
彼は短く答えた。
「俺がちゃんとしねえと、下の連中が調子に乗るんだよ」
「ははっ! それはわかる!」
「だろ?」
二人は笑った。
やがて信号が青に変わり、車が再び走り出した。
「……でもさ、マイルズ」
時春は窓の外を眺めながら言った。
「たまには俺たちにも頼ってよ」
「……ん?」
マイルズが少しだけ顔を向けた。
「だって、いつも助けてもらってばっかりだし。俺だってチームメイトなんだから、何かできることあると思うんだ」
マイルズは一瞬、意外そうな表情を浮かべた。
それから、ゆっくりと笑った。
「……何だよ。母さんに何か言われたのか?」
「えっ!?」
時春は思わず声を上げた。
その反応だけで十分だったらしい。
マイルズは大きく笑い始めた。
「ハハハッ! やっぱりな! あの人、余計なこと言いやがって!」
「い、いや! 別に変なことじゃないよ!」
「わかってるよ。昔からそうなんだ。俺がちょっと忙しそうにしてると、すぐ心配するんだよな」
マイルズはそう言って笑っていたが、少ししてから声の調子を落とした。
「……でも、ありがとな」
時春は顔を上げた。
「えっ?」
「そう言ってもらえるのは、悪くねえ」
マイルズは前方の道路を見つめながら続けた。
「俺もお前らのこと、頼りにしてるさ。キャプテンだからって、一人で試合に勝てるわけじゃねえからな」
時春は嬉しくなって笑った。
「うん!」
「ま、まずはお前がもっと上手くなってくれ。そうすりゃ俺も助かる」
「うわっ! 結局バスケ!?」
「ハッ! 当たり前だろ!」
マイルズが愉快そうに笑った。
時春もつられて笑いながら、シートへ深く体を預けた。窓の外には、見慣れたクレセントベイの街並みが少しずつ戻ってきていた。
やがて車はキャンパスへ到着し、学生寮の前で停まった。
「じゃあな、トキ。残りの休み、ゆっくりしろよ」
「うん! マイルズもね!」
「おう。また練習でな」
時春は車を降り、料理の袋を持ち直した。
走り去っていくマイルズの車を見送りながら、ふと今日一日のことを思い返した。
大きなターキーを囲んだ食卓。漢字の名前を見て喜んでくれた子供たち。リビングで弟や妹たちと笑っていたマイルズ。そして、キッチンで皿を洗いながら聞いたデニースの言葉。
学校では知ることのできなかったマイルズの姿が、そこにはあった。
頼りになるキャプテンであり、家族のために頑張る長男でもある。誰よりも大きな体でチームを支えている彼も、家に帰れば母親に心配され、弟や妹に振り回される一人の高校生なのだ。
時春はそんなことを考えながら、寮の玄関を開けた。
◇
部屋へ戻ると、ラリーは案の定、パソコンの前に座っていた。
ヘッドホンをつけ、真剣な顔で画面を見つめている。時春がドアを開けてもすぐには気づかず、ようやく足音に反応して顔を上げた。
「……おかえり」
「ただいま!」
「どうだった? 感謝祭」
「めっちゃ楽しかった!」
時春は満面の笑みで答えた。
ラリーはその顔を見るなり、少し呆れたように笑った。
「……まあ、見ればわかるよ」
「聞いてよ! マイルズの家、弟と妹が四人もいるんだよ! それでさ、みんなに漢字で名前書いてあげたら、すっごく喜んでくれて!」
「へえ。それはよかったね」
「あと、七面鳥! めっちゃ美味しかった! マッシュポテトも、パンプキンパイも!」
時春は一気に話し始めた。
ラリーは最初こそ適当に相槌を打っていたが、時春が持っている袋に気づくと、少しだけ目を見開いた。
「……それ、何?」
「あっ! そうそう!」
時春は袋を机の上に置いた。
「マイルズのお母さんが、ラリーの分も持たせてくれたんだ!」
「……僕の分?」
「うん! 二人で食べなさいって!」
ラリーはしばらく袋を見つめていた。
透明な保存容器の中には、ターキーやマッシュポテトが丁寧に詰められている。別の小さな容器には、パンプキンパイまで入っていた。
「……へえ」
ラリーは少しだけ驚いたような顔をした。
「会ったこともない僕の分まで?」
「うん!」
「……そうなんだ」
彼は小さく笑った。
「じゃあ、ありがたくいただこうかな」
「よし! 温めて食べようぜ!」
「その前に手を洗ってきなよ。君、さっきからずっと袋持ってるでしょ」
「あっ、そうだった!」
時春が慌てて洗面台へ向かうと、背後でラリーが小さく笑う声が聞こえた。
その夜、二人は寮の共用キッチンで料理を温め直し、部屋の机を挟んで遅めの夕食を取った。ラリーはターキーを一口食べるなり、思っていたよりずっと美味しいと驚き、時春は嬉しくなってカーター家での出来事をさらに詳しく話した。マイルズの弟や妹たちのこと、漢字を書いてあげたこと、デニースが作ってくれた料理のこと。ラリーはときどき皮肉っぽい冗談を挟みながらも、最後まで話を聞いてくれた。
食事が終わると、ラリーは再びゲームを始め、時春はベッドへ腰を下ろした。窓の外には静かなキャンパスが広がり、遠くの建物にはわずかな明かりが残っている。
日本にいる家族とは、明日にでも電話をしようと思った。母親に今日のことを話せば、きっと喜んでくれるだろう。父親も、アメリカで新しい友達ができたことを嬉しく思ってくれるはずだ。もしかすると、マイルズの家族にきちんとお礼を伝えるようにと言われるかもしれない。
時春は机の上に置いたスマートフォンを手に取り、今日撮った写真を眺めた。食卓を囲むカーター家の家族写真。漢字の紙を嬉しそうに掲げる子供たち。レオとニアに挟まれ、少し困ったように笑っているマイルズ。
そのどれもが、今日初めて知った家族の姿だった。
感謝祭とは、家族や大切な人と集まり、日々の恵みに感謝する日なのだとラリーは言っていた。
今朝までは、時春にとってそれはアメリカの文化を説明する言葉にすぎなかった。しかし、実際にカーター家の食卓を囲んだ今なら、その意味が少しだけわかる気がした。
遠く離れた日本の家族。アメリカで出会った友達。そして、今日、自分を温かく迎え入れてくれたマイルズの家族。住んでいる場所も、生まれ育った環境も、話す言葉も違う。それでも、一緒に食事をして笑い合う時間には、不思議と国境を感じさせないものがあった。
時春はスマートフォンを置き、ベッドにゆっくりと横になった。
これから先、バスケットボールのシーズンが進めば、もっと厳しい試合が待っているだろう。マイルズが話していた大学への進学も、決して簡単な道ではないはずだ。自分だって、いつまでも控えのままで満足するつもりはない。もっと上手くなりたいし、もっと長くコートに立ちたい。
けれど、今日のようにバスケットボールから少し離れて過ごす時間も、きっと大切なのだと思った。
マイルズがどんな思いでコートに立っているのか。どんな家族に囲まれ、何を目標に頑張っているのか。それを知ったことで、時春にとって彼は、ただ尊敬するキャプテンというだけの存在ではなくなっていた。
次にマイルズがコートで苦しんでいたら、自分も力になりたい。
そんな思いを胸に、時春は静かに目を閉じた。
カリフォルニアで迎えた、初めてのサンクスギビング。
その日、彼が受け取ったのは、美味しい料理と温かなもてなしだけではなかった。アメリカで暮らす一つの家族の姿と、仲間を知ることの大切さ。そして、遠い異国の地にも、自分を迎えてくれる場所があるのだという、穏やかな安心感だった。
窓の外では、十一月の夜風がヤシの葉を静かに揺らしていた。