CRESCENT BAY ACADEMY   作:西野圭吾

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最終話 奇跡の16分

 第四クォーターまで、あと十六分。

 

 Crescent Coast MLK Invitational、決勝戦。

 

 クレセントベイ・アカデミー・ブレイカーズ対サウスリッジ・プレップ・タイタンズ。

 

 スコアは、四十対五十五。

 

 十五点差。

 

 後半の開始を告げるブザーが鳴ると、クレセントコースト・スポーツセンターの観客席から再び大きな歓声が上がった。

 

 タイタンズの応援団は、すでに優勝を確信しているかのような盛り上がりを見せていた。濃紺のユニフォームを着た選手たちも余裕のある表情でコートへ戻り、互いの肩を叩き合っている。前半でブレイカーズの攻撃をほぼ完全に封じ込めた彼らには、自分たちの戦い方を変える理由などなかった。

 

 一方、ブレイカーズのベンチからは、五人の選手たちが立ち上がった。

 

 マイルズ・カーター。

 

 ノア・レイノルズ。

 

 マイク・トンプソン。

 

 トム・ウェイク。

 

 そして、高山時春。

 

 その表情は、前半とは明らかに違っていた。

 

 ノアはもう苛立った顔をしていない。マイルズも、仲間たちへ厳しい言葉を浴びせるのではなく、一人ひとりの肩を叩いて送り出していた。マイクはシューズの紐を結び直しながら軽く屈伸し、トムは何度も両手を頭上へ伸ばしている。

 

 そして時春は、コートの中央を見つめていた。

 

 胸の鼓動は速かった。

 

 しかし、それはもう恐怖から来るものではなかった。

 

 楽しみだった。

 

 マイクがどんなふうにスクリーンを使って動くのか。ノアがどのタイミングでリングへ走り込むのか。マイルズが、どんな場所に仲間たちのためのスペースを作るのか。

 

 それを考えるだけで、頭の中にはいくつものプレーが浮かんできた。

 

 十五点差。

 

 確かに大きな点差だった。

 

 けれど、時春は今、スコアボードよりも仲間たちの姿を見ていた。

 

「トキ!」

 

 マイルズが声をかける。

 

 時春が振り返ると、キャプテンは軽く拳を差し出してきた。

 

「行こうぜ」

 

 時春はその拳へ自分の拳を合わせた。

 

「……うん!」

 

 そして、笑った。

 

「勝とう、マイルズ!」

 

 マイルズも大きく笑った。

 

「ああ!」

 

 五人がコートへ散っていく。

 

 観客席からは、エマたちの声が聞こえていた。

 

「LET’S GO、BREAKERS!!」

 

 時春は一度だけそちらへ顔を向け、軽く手を上げた。

 

 後半が、始まった。

 

     ◇

 

 第三クォーター最初の攻撃は、ブレイカーズだった。

 

 時春はベースラインからのスローインを受け取り、ゆっくりとボールを運び始めた。

 

 目の前には、前半に彼を何度も苦しめたタイタンズの長身ガードがいる。百九十センチ近いその選手は、時春を見るなり腰を落とし、両腕を大きく広げた。

 

「さあ、来いよ」

 

 挑発するような笑みだった。

 

 前半、時春はこの選手のプレッシャーに完全に飲み込まれていた。四度のターンオーバーを喫し、ポストアップでは何度も得点を許している。相手からすれば、同じことを繰り返すだけで勝利へ近づけるはずだった。

 

 しかし、時春は慌てなかった。

 

 右手でドリブルをつきながら、コート全体を見渡す。

 

 右コーナーにマイク。

 

 左ウイングにノア。

 

 ゴール下にはトム。

 

 そして、マイルズがフリースローラインの少し上へ移動している。

 

 時春は右手を軽く上げた。

 

「マイルズ!」

 

 マイルズが頷く。

 

 そのまま時春の右側へ走り込み、大きな体でスクリーンをセットした。

 

 ピック・アンド・ロール。

 

 前半、最初のターンオーバーを犯したプレーだった。

 

 タイタンズのガードは、時春の動きを見て小さく笑った。

 

 またそれか。

 

 彼はスクリーンに引っかからないよう、素早く横へ移動した。マイルズを守っていたフォワードも、ロールに備えて一歩後ろへ下がる。

 

 完全に読んでいる。

 

 時春がマイルズへパスを送れば、すぐに弾き返せる位置だった。

 

 だが。

 

 時春は、マイルズを見ていなかった。

 

 スクリーンを利用して右へドリブルを進めたあと、彼は突然速度を落とした。

 

 長身ガードはマイルズへのパスを警戒して、進路を塞ぐように動いていた。もう一人のフォワードはゴール下へ下がり、マイルズのロールを止めようとしている。

 

 その結果、二人のディフェンダーの間に、一瞬だけ小さな空間が生まれた。

 

 フリースローラインの右側。

 

 エルボー付近。

 

 時春の目が、そこを捉えた。

 

 トンッ。

 

 右足で床を蹴る。

 

 ドリブルを止め、体をまっすぐに起こした。

 

 相手ガードが慌てて振り返る。

 

 しかし、もう遅かった。

 

 時春は静かにジャンプし、右手からボールを放った。

 

 ミドルシュート。

 

 ボールは綺麗な弧を描いた。

 

 シュッ。

 

 ネットが揺れる。

 

 四十二対五十五。

 

 ブレイカーズ、後半最初の得点。

 

 観客席の一角から、大きな歓声が上がった。

 

「TOKIIII!!」

 

 ジェイクが立ち上がった。

 

「入ったぁぁ!!」

 

 エマも思わず両手を叩いた。

 

「やった!!」

 

 コートでは、時春が軽く拳を握っていた。

 

 その顔には、前半には一度も見せなかった笑顔が浮かんでいた。

 

 マイルズが駆け寄ってくる。

 

「Nice shot!」

 

「マイルズ、ナイススクリーン!」

 

 二人は拳を合わせた。

 

 マイルズは笑いながら言った。

 

「お前、俺にパスするつもりなかっただろ?」

 

「うん!」

 

 時春は悪戯っぽく笑った。

 

「相手がずっとマイルズ見てたから!」

 

 マイルズは一瞬目を丸くすると、豪快に笑った。

 

「ハハッ! いいじゃねえか!」

 

 ベンチでは、ヘイズコーチが静かに頷いていた。

 

 同じ形から、違う答えを出した。

 

 相手が何を警戒しているのかを見極め、その逆を突いた。

 

 それこそが、彼の見たかったプレーだった。

 

     ◇

 

 タイタンズはすぐに反撃してきた。

 

 相手のフォワードがゴール下で強引にシュートを決め、点差を再び十五点へ戻す。

 

 四十二対五十七。

 

 しかし、ブレイカーズの選手たちは、もう俯かなかった。

 

「次だ!」

 

 マイルズが声を上げる。

 

 時春も大きく頷いた。

 

 次の攻撃では、ノアが素早くベースライン沿いを走った。時春はそれを見つけたが、相手のディフェンダーがすぐに進路へ入ったため、パスを送らなかった。代わりにマイクへ一度ボールを預け、自分は反対側へ走る。

 

 マイクから戻ってきたボールを受け取る頃には、マイルズが再びスクリーンの位置についていた。

 

 時春は相手ガードへ一歩踏み込んだ。

 

 ディフェンダーが反応する。

 

 その瞬間、時春は鋭く左へ切り返した。

 

 マイルズのスクリーンをかすめるように抜け、一気にペイントエリアへ侵入する。

 

 タイタンズのセンターが慌てて前へ出てきた。

 

 長い腕が、時春の前に立ちはだかる。

 

 だが、時春はシュートを狙っていなかった。

 

 視線はリングへ向けたまま、右手でボールを高く持ち上げる。

 

 そのときだった。

 

 左サイドからノアが走り込んできた。

 

 相手フォワードを背後へ置き去りにし、リングへ向かって加速している。

 

 時春は、その動きを見ていた。

 

 そして、ボールを放った。

 

 シュートではない。

 

 リングの少し上。

 

 バックボードの横を通るような、高いパスだった。

 

「NOAH!!」

 

 時春が叫ぶ。

 

 次の瞬間。

 

 ノアが跳んだ。

 

 その体が、信じられないほど高く浮き上がる。

 

 空中でボールを掴み、そのままリングへ叩き込んだ。

 

 ドガァァァンッ!!

 

 アリウープ・ダンク。

 

 四十四対五十七。

 

 一瞬遅れて、体育館が爆発した。

 

「OOOOOOOHHHHHH!!!」

 

 観客席から凄まじい歓声が上がる。

 

「OH MY GOD!!」

 

 ジェイクが頭を抱えた。

 

「今の見た!? 今の見た!?」

 

 オーウェンは口を開けたまま固まっていた。

 

「……な、何だよあれ……!」

 

 エイブリーが笑いながら彼の肩を叩く。

 

「見てなかったの?」

 

「見てたから言ってんだろ!!」

 

 エマは両手を胸の前で握り締めていた。

 

 そして、思わず笑った。

 

 あのパスだった。

 

 時春が得意とする、誰も予想していなかった場所へ飛んでいくパス。

 

 見慣れたはずのノアのダンクさえ、まるで初めて見るもののように輝いていた。

 

 コートではノアが大きく叫んでいた。

 

「LET’S GOOOO!!」

 

 そして時春を見つけると、勢いよく駆け寄った。

 

「リトルマン!!」

 

「うわっ!」

 

 ノアは時春の肩を掴み、笑顔で揺さぶった。

 

「最高だ!! 今のパス、最高だったぜ!!」

 

「ノアがちゃんと走ってくれたからだよ!」

 

「当たり前だろ! お前が出すって言ったんだからな!」

 

 ノアの笑い声が響く。

 

 前半、怒りに任せてタオルを叩きつけた男は、もうそこにはいなかった。

 

     ◇

 

 しかし、ブレイカーズが変わったのは攻撃だけではなかった。

 

 次の守備。

 

 タイタンズは、前半と同じように時春を狙ってきた。

 

 長身ガードが右サイドでボールを受け、時春へ背中を向けてポストアップを仕掛ける。自分より二十センチ近く小さい相手なら、簡単に押し込めるはずだった。

 

 時春は低く腰を落とした。

 

 体格差は消えない。

 

 相手が本気で押し込んでくれば、一人で止めるのは難しい。

 

 しかし、今度は怖くなかった。

 

「マイルズ!」

 

 時春が声を上げた。

 

「わかってる!」

 

 マイルズがすぐに反応した。

 

 相手ガードが背中で押し込もうとした瞬間、マイルズが横から素早くプレッシャーをかけたのである。

 

 長身ガードは慌ててボールを抱えた。

 

 二人に囲まれる。

 

 前半なら、時春はここで無理にスティールを狙い、相手に抜かれていたかもしれない。

 

 しかし、今度は違った。

 

 時春は相手の腰へ体を寄せ、ターンする方向を限定する。マイルズは高い位置で腕を広げ、パスコースを塞いだ。

 

 相手ガードは何とかボールを外へ出した。

 

 だが、そこにもノアがいた。

 

「こっちもいるぜ!」

 

 ノアが鋭く詰め寄る。

 

 タイタンズの選手は慌てて反対側へパスを送った。

 

 しかし、マイクがすでに動いていた。

 

 ボールを受けた相手がシュートを打とうとした瞬間、マイクが長い腕を伸ばしてチェックする。

 

 相手は再びパスを選んだ。

 

 ボールが右へ、左へと動く。

 

 しかし、どこへ行ってもブレイカーズの選手がいる。

 

 ノアが体を寄せ、マイルズがゴール下を守り、トムが腕を高く掲げる。時春もパスが出る方向を読みながら、素早く次の位置へ動いていた。

 

 タイタンズの攻撃は、次第に苦しくなっていった。

 

 ショットクロックが残り五秒を切る。

 

「FIVE!」

 

 ブレイカーズのベンチから声が上がった。

 

「FOUR!」

 

 相手ガードが焦ってドリブルを始める。

 

「THREE!」

 

 時春が一歩前へ出る。

 

「TWO!」

 

 相手は無理な体勢でパスを出そうとした。

 

 しかし、その瞬間。

 

 バシッ!

 

 時春の手が、ボールへ触れた。

 

 弾かれたボールがコートを転がる。

 

 時春はすぐに飛びつき、両手で確保した。

 

「GO!!」

 

 マイルズの声が響く。

 

 時春は顔を上げた。

 

 そして、ノアが走り出していることに気づいた。

 

 今度は迷わなかった。

 

 左手から鋭いパスを送り、ノアの進路へボールを届ける。ノアは走りながら受け取り、相手ディフェンダーの横を一気に抜き去った。

 

 リングへ向かって跳び上がる。

 

 力強いレイアップ。

 

 ボールがネットを揺らした。

 

 ブレイカーズのベンチが一斉に立ち上がる。

 

「YEAH!!」

 

 マイルズは時春へ駆け寄り、満足そうに拳を合わせた。

 

「それだ、トキ!」

 

「ナイスヘルプ!」

 

 時春も笑顔で答えた。

 

 前半、散々狙われ続けたポストアップ。

 

 しかし、今はそれが相手の弱点へ変わりつつあった。

 

 時春を狙って無理にボールを入れれば、マイルズがヘルプへ来る。慌てて外へ出せば、ノアやマイクがプレッシャーをかける。

 

 タイタンズは、これまで簡単に得点を生んでいた攻撃から、逆に自分たちのリズムを失い始めていた。

 

     ◇

 

 そして、次に目を覚ましたのはマイクだった。

 

 前半、彼は右コーナーでほとんど動けずにいた。

 

 タイタンズの守備は時春とノアへ集中しており、マイクにも一人のディフェンダーが張りついている。パスが届くことは少なく、シュートを打つ機会すらほとんどなかった。

 

 しかし、後半のマイクは違った。

 

 コートを端から端まで走り回り、味方のスクリーンを次々と利用しながら、相手ディフェンダーを振り回し始めた。

 

 時春がトップでボールを持つ。

 

 マイルズが左サイドでスクリーンをセットする。

 

 その横を、マイクが走り抜けた。

 

 相手ディフェンダーが追いかける。

 

 しかし、マイルズの大きな体に進路を塞がれ、一歩遅れた。

 

 マイクはそのままスリーポイントラインの外へ飛び出した。

 

 時春は、すでにそこへパスを送っていた。

 

「MIKE!」

 

 マイクは走りながらボールを受け取り、体の向きを整える。

 

 そして、迷わずシュートを放った。

 

 シュッ。

 

 スリーポイント。

 

 四十七対五十九。

 

「YES!!」

 

 マイクが静かに拳を握った。

 

 時春は満面の笑みで駆け寄った。

 

「ナイスシュート!」

 

「ナイスパス」

 

 マイクは短く答えた。

 

 だが、そこで終わらなかった。

 

 次の攻撃でも、マイクは走った。

 

 今度はトムのスクリーンを使い、ベースライン沿いを一気に駆け抜ける。ディフェンダーは必死に追いかけたが、トムの大きな体に進路を塞がれ、わずかに遅れてしまう。

 

 その隙を、時春は見逃さなかった。

 

 ボールをマイルズへ預け、すぐに反対側へ移動する。

 

 マイルズは一度だけゴール下を見るふりをした。

 

 相手センターが反応する。

 

 次の瞬間、マイルズの手から鋭いパスが出た。

 

 走り込んだマイクの手元へ、ぴたりと届く。

 

 キャッチ。

 

 ジャンプ。

 

 シュート。

 

 シュッ!

 

 またしても、スリーポイント。

 

 五十二対六十一。

 

 十点差を切るまで、あと少しだった。

 

 観客席のブレイカーズ応援団は、すでに総立ちになっていた。

 

「MIKE!!」

 

「LET’S GO!!」

 

 ジェイクは興奮しすぎて、隣のオーウェンの肩を何度も叩いていた。

 

「おい! あいつ、また決めたぞ!」

 

「わかってるって! 俺だって見てるよ!」

 

 オーウェンが笑いながら抗議する。

 

 その横で、エマは時春を見つめていた。

 

 時春は、マイクがシュートを決めるたびに、自分のことのように喜んでいた。

 

 ノアがダンクを決めても。

 

 マイルズがリバウンドを奪っても。

 

 トムがゴール下で得点しても。

 

 そのたびに、誰よりも嬉しそうに笑っていた。

 

 エマは、ふと思い出した。

 

 初めて一緒に昼食を食べた日。

 

 英語に戸惑いながらも、時春は周りの人へ笑顔で話しかけていた。誰かが自分を助けてくれれば、何度も感謝を伝え、友達が何かに成功すれば、自分のことのように喜んでいた。

 

 あの頃から、時春は変わっていない。

 

 コートの上でも、まったく同じなのだ。

 

 自分が目立つことよりも、仲間たちが輝くことを喜んでいる。

 

 エマは小さく微笑んだ。

 

「……やっぱり、トキだね」

 

 隣のゾーイが顔を向ける。

 

「ん?」

 

「……ううん、何でもない!」

 

 エマは慌てて笑った。

 

 ゾーイは少しだけ目を細めたが、何も言わなかった。

 

     ◇

 

 第三クォーターの残り時間、ブレイカーズは完全に息を吹き返した。

 

 ノアは無理なドライブを減らし、相手の守備が崩れた瞬間にリングへ飛び込むようになった。時春がボールを持っているときには、いつでも得点できる位置を探し続けている。その動きに相手ディフェンダーが引きつけられれば、今度は別の選手が空く。

 

 マイルズはゴール下だけでなく、ハイポストでも積極的にボールを受けるようになった。そこからマイクへパスを送り、ノアのカットを見つけ、トムへスクリーンをかける。自らシュートを狙うときもあったが、周囲の選手を動かすことにも大きな役割を果たしていた。

 

 トムも、自分の長い腕を存分に使い始めた。

 

 時春がドライブを仕掛け、相手センターがヘルプへ出てきた瞬間、トムはゴール下で両手を高く掲げた。時春はそこへ、ふわりと柔らかいパスを送る。

 

 ボールは相手センターの指先を越え、トムの大きな手へ吸い込まれた。

 

 トムはそのままリングへ押し込んだ。

 

「NICE、TOM!」

 

 時春が叫ぶ。

 

 トムは嬉しそうに笑った。

 

「ありがとう、トキ!」

 

 その笑顔は、前半に何もできずに俯いていた頃とは、まるで違っていた。

 

 タイタンズも必死に得点を重ねていたが、ブレイカーズの勢いは止まらなかった。マイルズがゴール下で強さを見せ、ノアが速攻から得点し、マイクは次々とスリーポイントを沈めていく。

 

 そして、第三クォーター残りわずか。

 

 時春がトップでボールを持った。

 

 マイルズがスクリーンへ向かう。

 

 相手ガードが警戒して距離を詰める。

 

 しかし、時春は一度マイルズへボールを預け、自ら右側へ走った。

 

 その動きに合わせて、マイクが反対側から大きく回り込んでくる。

 

 トムがスクリーンをセットした。

 

 相手のディフェンダーが遅れる。

 

 マイルズの視線が、マイクへ向いた。

 

 次の瞬間。

 

 パスが飛んだ。

 

 マイクはスリーポイントラインの外側でボールを受け取り、迷わずシュートを放った。

 

 ブザーが鳴る。

 

 ボールは高い弧を描き――

 

 シュッ!

 

 ネットを通り抜けた。

 

「THREEEEE!!」

 

 ブレイカーズの応援席が爆発した。

 

 第三クォーター終了。

 

 ブレイカーズ 66 ― 70 タイタンズ

 

 わずか四点差。

 

 十五点あったリードが、たった八分間で四点まで縮まっていた。

 

     ◇

 

「YEEEEAAAHHH!!」

 

 ベンチへ戻ってきたマイクへ、ノアが飛びついた。

 

「お前、最高だ!! 何本決めるつもりだよ!?」

 

 マイクは少しだけ笑った。

 

「空いてたから」

 

「いや、その一言で済ませんなよ!」

 

 ノアが大声で笑う。

 

 その横でマイルズは時春の肩を抱き、力強く頷いていた。

 

「よくやってるぜ、トキ」

 

「マイルズも!」

 

「あと八分だ。最後まで頼むぞ」

 

「うん!」

 

 時春は笑顔で答えた。

 

 ベンチでは、ヘイズコーチがホワイトボードを手にしていた。

 

 しかし、彼の表情はまだ引き締まっていた。

 

「よし。よく戻した」

 

 選手たちが静かになる。

 

「だが、まだ四点負けている。相手もこのまま黙って負けるようなチームじゃないぞ」

 

「YES, COACH!」

 

「ここからは、一本の価値がさらに大きくなる。だが、焦るな。今やっていることを続けろ」

 

 ヘイズは時春へ目を向けた。

 

「トキ」

 

「はい!」

 

「全員を見ているな?」

 

「はい!」

 

 時春は大きく頷いた。

 

 ヘイズはわずかに笑った。

 

「それでいい」

 

 そして、全員へ向けて言った。

 

「あと八分。勝ちに行くぞ」

 

「YES, COACH!!」

 

 選手たちが一斉に立ち上がった。

 

 最後の八分間が始まろうとしていた。

 

     ◇

 

 第四クォーターに入ると、タイタンズは再び守備の強度を上げてきた。

 

 彼らもまた、決勝まで勝ち上がってきた強豪校だった。

 

 前半に十五点のリードを奪ったチームが、簡単にその勝利を手放すはずはなかった。

 

 相手ガードが鋭いドライブから得点し、ブレイカーズを突き放す。時春もミドルレンジからシュートを決めて応戦したが、タイタンズはすぐにゴール下で得点を取り返した。

 

 しかし、ブレイカーズの攻撃は止まらなかった。

 

 マイクがスクリーンを利用してスリーポイントを沈め、トムがオフェンスリバウンドから得点を重ねる。マイルズは相手のセンターと激しく体をぶつけ合いながら、何度も重要なリバウンドを奪っていた。

 

 そして、第四クォーター残り五分四十二秒。

 

 スコアは七十三対七十八。

 

 五点差だった。

 

 時春はゆっくりとドリブルしながら、右手で仲間たちへ合図を送った。

 

「マイク、動いて!」

 

 マイクが頷く。

 

 トムが左側へスクリーンをセットし、マイルズが反対側で相手の進路を塞ぐ。

 

 マイクは二人の間を縫うように走り抜けた。

 

 タイタンズのディフェンダーが追いかける。

 

 しかし、二つのスクリーンを続けて使われ、ほんの一瞬だけマークが外れた。

 

 時春は、その瞬間を待っていた。

 

 鋭いチェストパス。

 

 マイクの胸元へ、正確に届く。

 

 マイクは一度も迷わなかった。

 

 キャッチした瞬間に足を揃え、そのままジャンプシュートを放った。

 

 シュッ!

 

 スリーポイント。

 

 七十六対七十八。

 

 二点差。

 

「LET’S GO!!」

 

 マイクが拳を握った。

 

 時春も嬉しそうに駆け寄る。

 

「ナイス! マイク!」

 

「また空いてた」

 

 マイクはいつものように淡々と答えた。

 

 時春は思わず笑った。

 

「ほんと、すごいよ!」

 

 続く守備ではマイルズが相手のシュートを難しい角度へ追い込み、トムがリバウンドを奪った。

 

 時春は素早くボールを受け取り、前方へ走り出す。

 

 左サイドをノアが駆け上がっていた。

 

 相手のフォワードがノアを追いかける。

 

 しかし、時春はその進路へぴたりとパスを送った。

 

「NOAH!」

 

 ノアはボールを受け取り、そのままリングへ跳び上がった。

 

 相手のディフェンダーが遅れて腕を伸ばす。

 

 しかし、ノアは空中で体をひねり、力強くレイアップを決めた。

 

 七十八対七十八。

 

 同点。

 

 観客席から、凄まじい歓声が上がった。

 

「TIE GAME!!」

 

 ジェイクが叫ぶ。

 

「追いついたぁぁぁ!!」

 

 エマは思わず両手で口元を押さえた。

 

 前半終了時点では、十五点差だった。

 

 あのときは、正直に言えば、もう勝つのは難しいと思っていた。

 

 しかし今、ブレイカーズは同点まで追いついている。

 

 しかも、選手たちは誰も苦しそうな顔をしていなかった。

 

 全員が、生き生きとした表情でコートを走っていた。

 

     ◇

 

 そこからの試合は、まさに死闘だった。

 

 タイタンズが得点すれば、ブレイカーズが取り返す。

 

 マイルズがゴール下でシュートを決めれば、相手のセンターも負けじと得点する。ノアが豪快なダンクを決めれば、タイタンズのガードが鋭いドライブから得点を重ねる。

 

 両チームの選手たちは、もはや体力の限界に近づいていた。

 

 それでも、誰一人として足を止めなかった。

 

 第四クォーター残り二分十一秒。

 

 スコアは、八十対八十二。

 

 ブレイカーズが二点を追いかけていた。

 

 時春はトップでボールを持ち、コート全体を見渡していた。

 

 目の前には相手の長身ガードがいる。

 

 前半、自分を何度も苦しめた選手だった。

 

 しかし、今の時春は違った。

 

 その長い腕も、激しいプレッシャーも、怖くなかった。

 

 むしろ、相手が自分へ集中してくれることが嬉しかった。

 

 その分、誰かが空くからだ。

 

 時春はマイルズへ視線を送った。

 

 マイルズがハイポストへ移動する。

 

 時春はそこへボールを預けると、すぐに右へ走った。

 

 相手ガードが追いかける。

 

 しかし、時春はそのままボールを受け取ろうとはしなかった。

 

 右へ走ったあと、急に方向を変え、左側へ戻る。

 

 その動きに相手ガードが反応した瞬間、マイルズは左サイドへボールを送った。

 

 そこにはノアがいた。

 

 ノアは一瞬だけリングへ向かう素振りを見せた。

 

 タイタンズのフォワードが、すぐに前へ出てくる。

 

 しかし、そのときだった。

 

 右コーナーから、マイクが走り出した。

 

 トムがスクリーンをセットする。

 

 相手ディフェンダーが引っかかる。

 

 ノアはすぐにボールをマイクへ送った。

 

 マイクはトップの少し右側でボールを受け取った。

 

 完全なオープン。

 

 シュート。

 

 ボールは綺麗な弧を描き――

 

 シュッ!

 

 スリーポイント。

 

 八十三対八十二。

 

 ついに、ブレイカーズが逆転した。

 

「YEEEEEEEEAAAHHHHH!!!」

 

 体育館の一角が、爆発したような歓声に包まれた。

 

 エマが立ち上がり、両手を突き上げる。

 

「やったぁぁぁ!!」

 

 ジェイクは興奮のあまり、隣のオーウェンと抱き合っていた。

 

「逆転だ!! 逆転だぞ!!」

 

「BROOOOO!!」

 

 オーウェンも叫んだ。

 

 ゾーイは笑顔で拍手しながら、スマートフォンでスコアボードを撮影している。

 

 その隣ではラリーが、少しだけ目を見開いていた。

 

「……へえ」

 

 普段、バスケットボールの試合を見ても大きな反応を示さない彼だった。

 

 しかし、今は違った。

 

 コートの上で時春が笑っている。

 

 そして、その周りで仲間たちが走り、互いに声をかけ合っている。

 

 その光景を見ていると、ラリーも少しだけ嬉しくなった。

 

     ◇

 

 しかし、試合はまだ終わっていなかった。

 

 タイタンズはすぐに反撃し、ゴール下から得点を決める。

 

 八十三対八十四。

 

 再びリードを奪われた。

 

 残り一分四十四秒。

 

 時春はボールを受け取り、慎重にドリブルを始めた。

 

 観客席の歓声は、もはや途切れることがなかった。

 

 ブレイカーズの応援団は立ち上がったまま、手を叩き、声を張り上げている。タイタンズの応援団も負けじと叫び続けていた。

 

 時春はその喧騒の中で、ゆっくりとコートを見渡した。

 

 マイルズが左側にいる。

 

 ノアは右ウイング。

 

 マイクはコーナー。

 

 トムはゴール下。

 

 全員の位置が、はっきりと見えた。

 

 時春は右手を上げた。

 

 ノアが頷く。

 

 マイルズがスクリーンをセットする。

 

 時春はその横を鋭く抜け、相手ガードを引き離した。

 

 しかし、タイタンズのセンターがすぐにヘルプへ出てきた。

 

 前半なら、ここで焦ってボールを失っていたかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

 時春は一度だけリングを見た。

 

 相手センターが反応する。

 

 その瞬間、時春はボールを右へ送った。

 

 ノアだった。

 

 ノアはパスを受け取った瞬間、迷わずゴールへ向かって跳び上がった。

 

 ディフェンダーが追いかける。

 

 しかし、その腕は届かなかった。

 

 ドガァンッ!!

 

 豪快なダンク。

 

 八十五対八十四。

 

 ブレイカーズ、再逆転。

 

「LET’S GOOOO!!」

 

 ノアが大声で叫ぶ。

 

 時春も嬉しそうに拳を握った。

 

 しかし、その直後、タイタンズは再び得点を奪った。

 

 八十五対八十六。

 

 残り一分を切る。

 

 またしても、一点を追いかける展開だった。

 

 ヘイズコーチはタイムアウトを要求した。

 

     ◇

 

 ベンチへ戻ってきた選手たちは、大きく肩で息をしていた。

 

 ノアはタオルで汗を拭きながら、何度も頷いていた。マイルズも膝に手を置き、呼吸を整えている。マイクは静かに水を飲み、トムは頭上へ大きく腕を伸ばしていた。

 

 しかし、誰の顔にも、前半のような絶望はなかった。

 

 ヘイズコーチはホワイトボードを取り出した。

 

「残り五十二秒。一点差だ」

 

 選手たちが顔を上げる。

 

「ここまでよく戻した。だが、ここからが勝負だ」

 

 ヘイズは全員の顔を見渡した。

 

「お前たちは、今日ここまで何度も苦しい場面を乗り越えてきた。だからこそ、最後まで自分たちのバスケットボールを信じろ」

 

「YES, COACH!」

 

 選手たちが答えた。

 

 ヘイズは時春へ視線を向けた。

 

「トキ」

 

「はい!」

 

「最後まで、全員を見ろ」

 

 時春は大きく頷いた。

 

「Yes, Coach!」

 

 その返事には、迷いがなかった。

 

 ヘイズは小さく笑った。

 

「よし。行ってこい」

 

 時春は立ち上がった。

 

 マイルズが隣へ歩み寄る。

 

「あと五十二秒だな」

 

「うん!」

 

「決めようぜ」

 

 時春は笑った。

 

「もちろん!」

 

 五人は再びコートへ向かった。

 

     ◇

 

 試合再開。

 

 残り五十二秒。

 

 八十五対八十六。

 

 ブレイカーズ、一点ビハインド。

 

 時春はスローインを受け取り、ゆっくりとボールを運んだ。

 

 タイタンズのガードが距離を詰めてくる。

 

 しかし、時春は焦らなかった。

 

 右手でドリブルをつきながら、マイルズへ視線を送る。

 

 マイルズがハイポストへ移動した。

 

 時春はそこへボールを預けた。

 

 そして、自分は左側へ走った。

 

 タイタンズのガードが追いかける。

 

 しかし、時春はすぐにボールを受け取ろうとはしなかった。

 

 マイクが右コーナーから動き出す。

 

 トムがスクリーンをセットする。

 

 ノアは左側でリングへ走り込む準備をしている。

 

 相手のディフェンダーたちは、どこを守ればいいのかわからなくなっていた。

 

 そのとき、マイルズが動いた。

 

 ハイポストでボールを持ったまま、相手センターへ一歩踏み込む。

 

 ディフェンダーが反応する。

 

 マイルズは素早く体を反転させた。

 

 右手でボールを持ち上げ、リングへ向かってフックシュートを放った。

 

 ボールは高く上がり――

 

 シュッ。

 

 ネットを揺らした。

 

 八十七対八十六。

 

 ブレイカーズ、再びリード。

 

「YEAH!!」

 

 マイルズが拳を握った。

 

 しかし、すぐに守備へ戻る。

 

 残り三十六秒。

 

 タイタンズは、最後の攻撃を仕掛けてきた。

 

 相手ガードが素早くボールを運び、右サイドからドライブを狙う。

 

 時春が腰を落とした。

 

 相手は身長差を利用して、再びポストアップを仕掛けようとした。

 

 だが、今度は時春も準備していた。

 

「HELP!」

 

 時春が叫ぶ。

 

 マイルズがすぐに寄った。

 

 相手ガードは慌てて外へパスを出す。

 

 しかし、その先にはマイクがいた。

 

 マイクは素早く詰め寄り、シュートを打たせなかった。

 

 タイタンズの選手は反対側へボールを送る。

 

 今度はノアが飛び出した。

 

「NOPE!」

 

 ノアが長い腕を伸ばす。

 

 相手は再びパスを出した。

 

 しかし、もう時間がない。

 

 ショットクロックが減っていく。

 

 タイタンズのフォワードが強引にシュートを放った。

 

 ガンッ!

 

 ボールはリングの手前側へ当たった。

 

 跳ね返ったボールを、マイルズが両手で掴む。

 

「REBOUND!!」

 

 マイルズの声が響いた。

 

 その瞬間、時春は走り出していた。

 

 マイルズが顔を上げる。

 

 アウトレットパス。

 

 時春はコート中央でボールを受け取り、全力で加速した。

 

 追いかけてくる相手ガードの足音が聞こえる。

 

 しかし、今の時春には十分な距離があった。

 

 大きな一歩でリングへ踏み込み、右手でボールを持ち上げる。

 

 レイアップ。

 

 トンッ。

 

 ボールはバックボードへ当たり、ゆっくりとリングへ落ちた。

 

 八十九対八十六。

 

 残り十二秒。

 

 ブレイカーズ、三点リード。

 

 体育館の歓声が、さらに大きくなった。

 

 タイタンズは最後の力を振り絞り、素早くボールを運んだ。

 

 相手ガードがドライブを仕掛け、ファウルを受ける。

 

 フリースロー。

 

 一本目が決まった。

 

 八十九対八十七。

 

 二本目。

 

 ガンッ!

 

 外れた。

 

 トムが長い腕を伸ばし、リバウンドを確保した。

 

 そして、すぐに時春へパスを送った。

 

 タイタンズの選手たちが必死に追いかける。

 

 しかし、時春は無理にドリブルを続けなかった。

 

 前方へ走り込んでいたノアを見つけると、鋭いパスを送った。

 

「NOAH!」

 

 ノアが受け取る。

 

 目の前には、ほとんど誰もいなかった。

 

 大きな一歩で踏み込み、リングへ向かって跳び上がる。

 

 ドガァァァァンッ!!

 

 豪快なダンク。

 

 九十一対八十七。

 

 残り三秒。

 

「YEEEEEEAAAHHHHH!!!」

 

 ブレイカーズのベンチが一斉に立ち上がった。

 

 タイタンズは最後にスリーポイントを放ったが、ボールはリングへ届かなかった。

 

 そして。

 

 ブザーが鳴った。

 

 試合終了。

 

 Crescent Bay Academy Breakers 91 ― 87 Southridge Prep Titans

 

 Crescent Coast MLK Invitational。

 

 優勝は、ブレイカーズだった。

 

     ◇

 

 一瞬、時春は動けなかった。

 

 スコアボードの数字を見つめたまま、息をすることさえ忘れていた。

 

 九十一対八十七。

 

 勝った。

 

 本当に、勝ったのだ。

 

 十五点差。

 

 前半、何もできなかった。

 

 パスを奪われ、ディフェンスで狙われ、仲間たちの顔を見ることさえできなかった。

 

 しかし、今。

 

 ブレイカーズは、優勝した。

 

「TOKIIIIIIII!!」

 

 ノアの叫び声が響いた。

 

 次の瞬間、時春の体が大きな腕に包まれた。

 

「うわっ!?」

 

 ノアだった。

 

 そのまま勢いよく抱き上げられる。

 

「やったぞ!! 俺たち、やったぞ!!」

 

「ノア! ちょっと、降ろして!!」

 

「無理だ!! 今日は降ろさねえ!!」

 

「えええっ!?」

 

 時春が笑いながら叫ぶと、マイルズが駆け寄ってきた。

 

「ノア! お前、少し落ち着け!」

 

「無理だって!!」

 

 ノアは豪快に笑った。

 

 マイルズもつられて笑い始める。

 

 その横から、マイクが静かに近づいてきた。

 

「……トキ」

 

「マイク!」

 

「ナイスパスだった」

 

 短い言葉だった。

 

 しかし、その表情には大きな喜びが浮かんでいた。

 

 トムも近づいてきて、嬉しそうに笑った。

 

「トキ、ありがとう!」

 

「トムも! すごかったよ!」

 

 時春は笑顔で答えた。

 

 ライアンとジェイスもベンチから飛び出してきた。

 

「トキーー!!」

 

「優勝だぞ!!」

 

 二人は勢いよく時春へ抱きついた。

 

 ノア、マイルズ、マイク、トム、ライアン、ジェイス。

 

 気がつけば、時春は仲間たちの真ん中にいた。

 

 誰かが肩を叩き、誰かが抱きつき、誰かが大きな声で笑っている。

 

 時春はその光景を見て、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 そして、思いきり笑った。

 

「やったぁぁぁぁ!!」

 

 その声は、歓声に包まれた体育館へ響いていった。

 

     ◇

 

 観客席も、大変なことになっていた。

 

「うおおおおおお!! 優勝だぁぁぁ!!」

 

 ジェイクが立ち上がり、両手を振り回していた。

 

 その隣でオーウェンが飛び跳ねている。

 

「BROOOO!! マジかよ!!」

 

「ちょっと、二人とも危ないって!」

 

 エイブリーが笑いながら注意したが、自分も嬉しそうに拍手していた。

 

 ニーナは両手を胸の前で握り締め、何度も笑顔で頷いている。

 

「すごい! 本当に勝っちゃった!」

 

 ラリーはその横で、少しだけ呆れたように笑っていた。

 

「……うるさいなあ、もう」

 

 しかし、その声にはいつもの皮肉っぽさがほとんどなかった。

 

 彼もまた、コートの中央で笑っている時春を見つめていた。

 

 そして、エマ。

 

 彼女は両手を口元へ当てたまま、しばらく何も言えずにいた。

 

 時春が仲間たちと抱き合い、嬉しそうに笑っている。

 

 その姿を見た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、一気に溢れてきた。

 

「……よかった」

 

 小さく呟いた。

 

 そして、もう一度。

 

「……本当によかった……!」

 

 目の奥が、少しだけ熱くなった。

 

 隣のゾーイが、その顔を見つめた。

 

「……エマ?」

 

「……な、何?」

 

「泣いてる?」

 

「な、泣いてない!」

 

 エマは慌てて目元を拭った。

 

 ゾーイは小さく笑った。

 

「……そっか」

 

 そして、それ以上は何も言わなかった。

 

 今日は、からかう日ではなかった。

 

 エマがどれほど時春のことを心配していたのか、ゾーイにはよくわかっていたからだ。

 

     ◇

 

 少し離れた席では、ESLの仲間たちも大騒ぎしていた。

 

 野球好きのテオは、両手を頭の上へ突き上げながら叫んでいる。

 

「TOKI!! LET’S GO!!」

 

 その隣で、映画や映像制作が好きなMJがカメラを構えていた。

 

 時春がノアに抱き上げられる瞬間を逃さず撮影し、画面を確認すると満足そうに頷いた。

 

「……これは、いい映像になるな」

 

 イジーも嬉しそうに拍手していた。

 

 普段は音楽制作クラブでキーボードやパソコンに向かっている彼女だったが、今日は周囲の歓声に合わせて大きく手を叩いている。

 

「トキ、すごかったね!」

 

 テオが大きく頷いた。

 

「マジで! あいつ、めっちゃパスうまいじゃん!」

 

 MJはカメラを下ろし、少しだけ笑った。

 

「今の試合、短い動画にまとめたら絶対面白いよ」

 

 その近くでは、ロボット工学クラブのグレース・チェンも拍手していた。普段は計算式やプログラムの話をしている彼女も、今は複雑な理屈など忘れたように、満面の笑みを浮かべている。

 

「まるで、全員の動きが計算されてるみたいだったね」

 

 そう呟くと、隣の生徒が笑った。

 

「グレース、こんなときまで計算?」

 

「だって、すごかったんだもん!」

 

 さらに後ろの席には、寮の先輩であるベンの姿もあった。彼は大きな体を揺らしながら笑い、周囲の生徒たちとハイタッチを交わしている。

 

「やるじゃねえか、トキ!」

 

 その声は、会場の歓声にかき消された。

 

 けれど、ベンは満足そうに笑い続けていた。

 

 思えば、昨年の夏。

 

 ロサンゼルスへ到着したばかりの時春を、寮の部屋まで案内したのはベンだった。

 

 英語に戸惑い、慣れない生活に緊張していた少年が、今ではこんな大きな大会の決勝でチームを勝利へ導いている。

 

 その成長を目の当たりにし、ベンもどこか誇らしい気持ちになっていた。

 

 観客席のさらに上の方では、ダニーズ・ダイナーのダニーが腕を組んで立っていた。

 

 いつものように少し怖そうな顔をしていたが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。

 

「……やるじゃねえか」

 

 誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。

 

 その隣にいた常連客が笑う。

 

「ダニー、嬉しそうだな!」

 

「……別に」

 

 ダニーは素っ気なく答えた。

 

 しかし、視線はずっとコートの中央へ向けられていた。

 

     ◇

 

 そして、ブレイカーズの応援席には、もう一つの大きな歓声が響いていた。

 

 マイルズの家族だった。

 

 母デニースは、立ち上がって大きく拍手していた。隣では十四歳のケイレブが両手を突き上げ、十一歳のマヤが嬉しそうに跳ねている。レオは興奮のあまり何度もマイルズの名前を叫び、まだ幼いニアも兄姉たちの真似をして手を叩いていた。

 

「MILES!!」

 

 ケイレブが大声で叫んだ。

 

「兄ちゃん、優勝したぞ!!」

 

 マヤも笑った。

 

「すごい! すごいよ!」

 

 デニースは、その姿を見つめながら静かに微笑んでいた。

 

 息子がどれほど努力してきたのか。

 

 どれほど家族のことを考え、将来のために頑張っているのか。

 

 彼女は誰よりも知っていた。

 

 だからこそ、今はただ嬉しかった。

 

 マイルズが仲間たちと抱き合い、笑っている。

 

 その姿を見ることができただけで、十分だった。

 

 ふと、デニースの視線が時春へ向いた。

 

 小柄な日本人の少年が、ノアに抱き上げられながら大きな声で笑っている。

 

 サンクスギビングの日、家族と一緒に食卓を囲んだ少年だった。

 

 マイルズが一人で何もかも抱え込まないように、そばにいてあげてほしい。

 

 あの日、デニースは時春へそう頼んだ。

 

 そして今、マイルズは仲間たちに囲まれて笑っていた。

 

 デニースは胸の前でそっと両手を合わせ、満足そうに頷いた。

 

     ◇

 

 観客席の別の一角では、マディソン・リードがスマートフォンを掲げていた。

 

 金色の髪を揺らしながら、彼女は興奮した様子で動画を撮影している。

 

「Oh my God! トキ、すごすぎ!」

 

 その隣にいた友人たちも、楽しそうに歓声を上げていた。

 

 マディソンは時春の姿を画面に収めながら、嬉しそうに笑った。

 

「もう! ほんと、かっこいいんだから!」

 

 そう言って、スマートフォンを少しだけ持ち上げる。

 

 その画面には、コートの中央で仲間たちと抱き合う時春の姿が映っていた。

 

 数秒後、彼女のInstagramには短い動画が投稿されることになる。

 

 白いユニフォームの小柄なガードが、ノアへ鋭いパスを送り、豪快なダンクを演出する場面だった。

 

 添えられた文字は、シンプルだった。

 

 OUR MVP ✨ 

 

 もっとも、この時点では、まだ誰がMVPに選ばれるのかは決まっていなかった。

 

 マディソンは、そんな細かいことなど気にしていなかった。

 

     ◇

 

 やがて、表彰式が始まった。

 

 コート中央には大会の主催者と関係者が並び、その前にブレイカーズの選手たちが集まっていた。タイタンズの選手たちも悔しそうな表情を見せながら、相手チームへ拍手を送っている。

 

 場内アナウンスが響いた。

 

『Ladies and gentlemen……the champions of the Crescent Coast MLK Invitational……(紳士淑女の皆様、クレセントコーストMLK大会のチャンピオンは……)』

 

 一瞬の間。

 

 そして。

 

『CRESCENT BAY ACADEMY BREAKERS!!』

 

「YEEEEAAAAHHHH!!!」

 

 観客席から、再び大歓声が上がった。

 

 マイルズが代表して前へ出る。

 

 大会関係者から大きな優勝トロフィーを受け取ると、彼は仲間たちへ視線を向けた。

 

 ノアが大きく頷く。

 

 マイクも、トムも、ライアンも、ジェイスも。

 

 時春も笑顔で拳を握っていた。

 

 マイルズは大きく息を吸った。

 

 そして、トロフィーを頭上へ掲げた。

 

「WE DID IT!!(やった!!)」

 

 その瞬間、ブレイカーズの選手たちは一斉に叫んだ。

 

「LET’S GOOOO!!」

 

 観客席からは紙吹雪が舞い、会場の照明が金色のトロフィーへ反射していた。

 

 マイルズは満面の笑みを浮かべていた。

 

 その姿を見つめながら、時春は胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 

 去年、プレーオフ一回戦で敗れたチーム。

 

 誰も優勝候補だとは思っていなかったチーム。

 

 そのブレイカーズが、今、地区の強豪校を相手に招待大会を制したのだ。

 

 ヘイズコーチも、選手たちの後ろで静かに拍手していた。

 

 普段は厳しい表情を崩さない彼だったが、今ははっきりと笑っていた。

 

 そして、表彰式は続いた。

 

『And now……the Finals MVP!(そして、ファイナルMVPの発表です!)』

 

 場内アナウンスが響く。

 

 選手たちが顔を上げた。

 

 決勝戦でもっとも印象的な活躍を見せた選手へ贈られる、ファイナルMVPの発表だった。

 

 時春はノアの隣に立ちながら、誰が選ばれるのだろうと考えていた。

 

 マイルズかもしれない。

 

 ゴール下で何度も重要な得点を決め、守備でも相手の攻撃を止め続けていた。

 

 あるいはマイクだろうか。

 

 後半、彼は数え切れないほどのスリーポイントを沈めていた。あのシュートがなければ、十五点差からの逆転など不可能だったはずだ。

 

 ノアも大活躍だった。

 

 豪快なダンクで何度もチームを勢いづけ、終盤には重要な得点を重ねていた。

 

 時春は、嬉しそうに仲間たちを見渡した。

 

 誰が選ばれても、きっと嬉しい。

 

 そう思っていた。

 

 しかし、次の瞬間。

 

『The Finals MVP is……(ファイナルMVPは……)』

 

 大きな歓声が、少しだけ静まった。

 

『From Crescent Bay Academy……number eleven……(クレセントベイアカデミーから、背番号十一)』

 

 時春は瞬きをした。

 

 十一番。

 

 それは、自分の背番号だった。

 

『TOKIHARU TAKAYAMA!!(高山時春!!)』

 

 体育館が、爆発した。

 

「TOKIIIIIIII!!」

 

 ノアが叫んだ。

 

「お前だ!! お前だぞ!!」

 

「……えっ!?」

 

 時春は目を丸くした。

 

「お、俺!?」

 

 マイルズが笑いながら背中を叩いた。

 

「当たり前だろ! 行ってこい!」

 

「えっ!? でも、俺……!」

 

 時春は慌てて周囲を見渡した。

 

 マイクも笑っていた。

 

 トムも頷いている。

 

 ライアンとジェイスは、すでに大声で時春の名前を呼んでいた。

 

「TOKI! TOKI! TOKI!」

 

 ノアが時春の背中を押した。

 

「行けって! MVP!」

 

「う、うん!」

 

 時春は慌てて前へ出た。

 

 大会関係者の前へ立つと、小さな金色のトロフィーが差し出された。

 

 台座には、文字が刻まれていた。

 

 CRESCENT COAST MLK INVITATIONAL

 

 FINALS MVP

 

 TOKIHARU TAKAYAMA

 

 時春は、その文字を見つめた。

 

 自分の名前だった。

 

 何度見ても、間違いなく自分の名前だった。

 

 大会関係者が笑顔でトロフィーを渡してくれる。

 

「Congratulations!(おめでとう!)」

 

 時春は両手で受け取った。

 

「……Thank you!」

 

 声が少し震えた。

 

 そして、顔を上げた。

 

 観客席から、凄まじい歓声が上がっていた。

 

 エマが大きく手を振っている。

 

 ジェイクが飛び跳ねている。

 

 ゾーイも、テオも、MJも、イジーも。

 

 オーウェン、エイブリー、ニーナ。

 

 グレース、ベン、そしてマディソン。

 

 みんなが、時春の名前を呼んでいた。

 

 その中に、ラリーの姿も見えた。

 

 彼はいつものように、少しだけ眠そうな顔で拍手していた。

 

 時春は、その姿を見つめた。

 

 そして、ふっと笑った。

 

     ◇

 

 表彰式が終わると、ブレイカーズの選手たちは再び仲間同士で抱き合い、記念写真を撮り始めた。

 

 ノアは優勝トロフィーを持ったマイルズの横へ飛び込み、わざと大げさなポーズを取っていた。

 

「HEY! マイルズ! もっと笑えよ!」

 

「笑ってるだろ!」

 

「足りねえって! 優勝したんだぞ!?」

 

 その横でマイクが呆れたように笑い、トムは少し照れくさそうに立っていた。

 

 時春も何枚かの写真に収まったが、しばらくすると、ふと観客席の方へ目を向けた。

 

 そこには、今も多くの友達が立っていた。

 

 エマが大きく手を振っている。

 

 ジェイクが何か叫んでいる。

 

 ゾーイはスマートフォンで写真を撮っていた。

 

 そして、ラリー。

 

 彼は少し離れた席に立ち、周囲の騒ぎを眺めていた。

 

 時春は、手の中のトロフィーへ目を落とした。

 

 金色の小さなトロフィー。

 

 自分の名前が刻まれた、ファイナルMVPの証。

 

 それを見ているうちに、昨夜のことが頭へ浮かんできた。

 

 寮の部屋。

 

 薄暗い天井。

 

 震えていた自分の手。

 

 そして、眠そうな顔で話を聞いてくれたラリー。

 

『コーチは、君しかいないから君に頼んだんだろ』

 

『つべこべ言わずにやるしかないんだよ』

 

『勝っても負けても、別に僕はどうでもいいし』

 

『帰ってきたら一緒にゲームしよう』

 

 あの言葉がなかったら。

 

 自分は、今夜も不安を抱えたまま眠れなかったかもしれない。

 

 今日の後半、仲間たちの顔を見られなかったかもしれない。

 

 そして、何より。

 

 負けることが怖くて、最後まで自分らしいバスケットボールができなかったかもしれない。

 

 時春は小さく笑った。

 

 そして、急に走り出した。

 

「……おい、トキ!?」

 

 ノアが振り返る。

 

「どこ行くんだ!?」

 

「ちょっと待ってて!」

 

 時春は笑顔で答えた。

 

 手には、MVPのトロフィーを抱えている。

 

 そのままコートの端へ向かい、観客席へ続く通路を駆け上がった。

 

     ◇

 

「……なに!?」

 

 ラリーは、突然目の前に現れた時春を見て、思わず声を上げた。

 

 つい先ほどまで、コートの中央で表彰されていたはずの少年が、金色のトロフィーを抱えながら自分のところへ走ってきたのである。

 

 時春は息を弾ませながら笑っていた。

 

「ラリー!」

 

「……何だよ、急に」

 

「俺、やったよ!」

 

 時春は満面の笑みで言った。

 

 ラリーは少しだけ目を細めた。

 

「うん、見てたからね」

 

「優勝した!」

 

「うん」

 

「トロフィーもらった!」

 

「うん。よかったね、おめでとう」

 

 ラリーはいつものように、淡々と答えた。

 

 その横ではエマたちが笑いながら二人を見つめていた。

 

 ジェイクは早くも時春へ抱きつこうとしていたが、ゾーイが腕を引っ張って止めている。

 

「ちょっと待ちなよ、ジェイク」

 

「えー! 何で!?」

 

「今、何か話してるでしょ」

 

 ゾーイはそう言って、小さく笑った。

 

 時春はそんな周囲の様子に気づかないまま、ラリーの前へ立っていた。

 

 そして。

 

 突然、両手に持っていたトロフィーを差し出した。

 

「はい!」

 

 ラリーは瞬きをした。

 

「……え?」

 

「ラリーにあげる!」

 

 一瞬、時間が止まった。

 

 ラリーは時春の顔と、差し出されたトロフィーを交互に見つめた。

 

「……は?」

 

 時春は笑顔のままだった。

 

「だから、あげる!」

 

「え!? なんで!?」

 

 ラリーは思わず声を裏返らせた。

 

「僕、バスケプレーしてないんだけど!?」

 

「うん!」

 

「うん、じゃないよ! 何で僕に渡すんだよ!?」

 

 時春は笑った。

 

「でも、ラリーのおかげで勝てたから!」

 

 ラリーは、完全に固まった。

 

「……は?」

 

 時春はトロフィーを差し出したまま続けた。

 

「昨日さ、俺、めっちゃ怖かったじゃん」

 

「……うん」

 

「でも、ラリーが言ってくれたから、最後はちゃんと眠れたんだ」

 

 時春は少しだけ照れくさそうに笑った。

 

「勝っても負けても帰ってくる場所があるって思ったら、何かすごい楽になったんだよ」

 

 ラリーは黙って聞いていた。

 

「今日の前半は、全然うまくいかなかった。ほんとに最悪だったし、もうどうすればいいかわからなかった」

 

 時春は一度だけ、金色のトロフィーへ視線を落とした。

 

「でも、コーチが俺のこと信じてくれて、みんなも信じてくれて……それで、もう一回頑張ろうって思えたんだ」

 

 ラリーは何も言わなかった。

 

「それにさ」

 

 時春は顔を上げた。

 

「昨日、ラリーが言ってくれたじゃん」

 

「……何を?」

 

「つべこべ言わずにやるしかないって!」

 

 ラリーは思わず顔をしかめた。

 

「……そんなの、ただ適当に言っただけだよ」

 

「うん! 知ってる!」

 

「知ってるの!?」

 

 時春は笑った。

 

「でも、俺にはすごく大事だったんだよ」

 

 その言葉に、ラリーは黙った。

 

 時春は、もう一度トロフィーを差し出した。

 

「だから、これ、ラリーにあげる!」

 

 ラリーはしばらく動けなかった。

 

 目の前には、金色のトロフィー。

 

 自分のルームメイトが、決勝戦で大活躍して手に入れたものだった。

 

 本来なら、時春が自分の部屋に飾るべきものだろう。

 

 学校の代表として戦い、十五点差から逆転勝利を収めた証なのだから。

 

 それなのに、本人は何の迷いもなく、自分へ差し出している。

 

「……いや、でも……」

 

 ラリーは困ったように言った。

 

「僕、ほんとに何もしてないよ?」

 

「してくれたよ!」

 

「何を?」

 

「話聞いてくれた!」

 

「……それだけ?」

 

「うん!」

 

 ラリーは大きくため息をついた。

 

「……なんだよそれ……」

 

 しかし、その口元には、少しだけ笑みが浮かんでいた。

 

 時春は嬉しそうに笑った。

 

「ほら、受け取って!」

 

「……わかったよ」

 

 ラリーは渋々といった様子で、トロフィーへ手を伸ばした。

 

 金色の台座を両手で支える。

 

 思っていたより、ずっしりと重かった。

 

「……重っ」

 

「でしょ!?」

 

「何で嬉しそうなんだよ」

 

「ははっ!」

 

 時春は笑った。

 

 そして、ラリーの肩へ腕を回した。

 

「ありがとう、ラリー!」

 

 その声は、いつも以上に明るかった。

 

 ラリーは少しだけ顔を背けた。

 

「……別に」

 

 しかし、トロフィーを握る指先には、自然と力が入っていた。

 

     ◇

 

 そのときだった。

 

「……ちょっと待って」

 

 ゾーイが小さく声を上げた。

 

 彼女はスマートフォンを取り出し、二人の姿へ向けていた。

 

「二人とも、そのまま!」

 

「えっ?」

 

 時春が振り返る。

 

 ラリーも驚いたように顔を上げた。

 

 しかし、もう遅かった。

 

 カシャッ!

 

 シャッター音が鳴った。

 

 画面には、二人の姿が収まっていた。

 

 白いユニフォームを着た時春が、満面の笑みでラリーの肩へ腕を回している。

 

 その隣では、少し困ったような顔をしたラリーが、金色のファイナルMVPトロフィーを両手で抱えていた。

 

 背景には、ブレイカーズの優勝を祝う観客たち。

 

 色とりどりの応援ボード。

 

 そして、体育館の中央には大きく掲げられた『CHAMPIONS』の文字。

 

 ゾーイは画面を確認し、満足そうに笑った。

 

「……いい写真!」

 

 その隣で、MJもカメラを構えていた。

 

「ちょっと、もう一枚!」

 

 時春が笑顔で振り返る。

 

「いいよ!」

 

 ラリーは慌てた。

 

「いや、僕はもう……!」

 

 しかし、エマが笑いながら言った。

 

「ラリー、ちゃんとトロフィー見せて!」

 

「……いや、だから、これ僕のじゃ……」

 

「もうトキからもらったんでしょ?」

 

 ニーナが嬉しそうに笑った。

 

「いいじゃん!」

 

 オーウェンも大声で叫んだ。

 

「BRO! MVPじゃん!」

 

「違うから!!」

 

 ラリーが叫ぶ。

 

 しかし、その声は周囲の笑い声にかき消された。

 

 ジェイクが大きく両手を広げた。

 

「よーし! みんな! こっち見ろ!」

 

「何するの?」

 

 エマが笑いながら尋ねる。

 

 ジェイクはにやりと笑った。

 

「記念写真だろ!!」

 

 その声に、周囲の生徒たちが次々と集まってきた。

 

 エマが時春の隣へ立ち、ゾーイも笑顔で加わる。オーウェン、エイブリー、ニーナがラリーの周りを囲み、テオとイジーも駆け寄ってきた。

 

 グレースは少し遅れてやって来て、嬉しそうに手を振った。

 

 ベンも後ろから顔を出した。

 

 マディソンはスマートフォンを片手に笑顔で加わり、時春へ大きく手を振った。

 

「トキ! こっちも撮ろうよ!」

 

 エマは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに笑顔へ戻った。

 

 今日は、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 

 時春が優勝したのだ。

 

 みんなで喜びたい。

 

 その気持ちの方が、ずっと大きかった。

 

 そして、中央には時春とラリー。

 

 金色のトロフィーを抱えた、少し困った顔のルームメイト。

 

 その肩へ腕を回し、満面の笑みを浮かべている小柄な日本人ガード。

 

 MJがカメラを構えた。

 

「みんな、準備いい?」

 

「YEAH!!」

 

 ジェイクが大きく叫ぶ。

 

 ラリーは小さくため息をついた。

 

「……もう、好きにして」

 

 時春は笑った。

 

「ラリー、笑って!」

 

「……無理」

 

「えー!」

 

「……しょうがないな」

 

 ラリーは少しだけ口元を緩めた。

 

 その瞬間。

 

 カシャッ!

 

 シャッターが切られた。

 

     ◇

 

 その日の夜。

 

 クレセントベイ・アカデミーの公式スポーツアカウントには、一枚の写真が投稿された。

 

 金色のファイナルMVPトロフィーを抱えたラリーと、その肩へ腕を回して笑う時春。

 

 その周囲では、多くの友人たちが笑い、手を振り、歓声を上げている。

 

 写真には、短い言葉が添えられていた。

 

 CRESCENT COAST MLK INVITATIONAL CHAMPIONS  (クレセントコーストMLKトーナメントチャンピオン)

 

 ONE TEAM. ONE FAMILY.(チームであり、家族)

 

 投稿は瞬く間に学校中へ広まり、多くの生徒たちがコメントを寄せた。

 

『トキ、最高だった!』

 

『あのアリウープ、やばすぎ!』

 

『マイクのスリー、全部入ると思った!』

 

『ブレイカーズ、マジで今年強い!』

 

 そして、その中には、こんなコメントもあった。

 

『ところで、MVPのトロフィー持ってるメガネの子、誰?』

 

 それを見たラリーが、翌日スマートフォンを片手に頭を抱えることになるのだが――。

 

 このときの二人は、まだそんなことなど知る由もなかった。

 

 十五点差からの大逆転。

 

 イーサンの負傷。

 

 初めてのスターティングラインナップ。

 

 そして、ヘイズコーチが日本からスカウトしてきた小さなガードが見せた、仲間たちを輝かせる不思議な力。

 

 そのすべてを象徴する写真として、この一枚は、後にブレイカーズのファンの間でも長く語り継がれることになる。

 

 しかし、時春にとっては、そんなことはどうでもよかった。

 

 あの夜、自分の話を聞いてくれたルームメイトへ、どうしても感謝を伝えたかった。

 

 ただ、それだけだった。

 

 金色のトロフィーは、ラリーの手の中にあった。

 

 そして、その隣で笑っている時春の顔には、試合中に見せていたどんな表情よりも、幸せそうな笑みが浮かんでいた。

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