CRESCENT BAY ACADEMY   作:西野圭吾

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第2話 16歳のトキ

 二月六日、土曜日。

 

 南カリフォルニアの冬は、日本で育った高山時春にとって、どうにも冬らしくないものだった。朝の空気には確かに冷たさがあるものの、窓の外には青々としたヤシの木が並び、空は雲一つないほど晴れ渡っている。東京にいた頃なら、二月といえば厚手のコートを着込み、手袋をして学校へ通っていたはずだ。それが今では、薄手のパーカーを羽織るだけで外へ出られる。そんな奇妙な季節感にも、アメリカでの暮らしが半年近くになると、少しずつ慣れてきていた。

 

 時春はベッドの中で目を覚ますと、しばらく天井を眺めていた。土曜日だから、いつものように慌てて起きる必要はない。午前中には体育館で軽い自主練習をするつもりだったが、まだ十分に時間があった。隣のベッドからは、ラリーの規則正しい寝息が聞こえてくる。机の上にはマインクラフトのフィギュアが並び、その隣では、一月の招待大会で獲得したファイナルMVPのトロフィーが朝日を受けて金色に輝いていた。

 

 それを眺めているうちに、時春はふと今日の日付を思い出した。

 

「……あっ」

 

 ゆっくりと上半身を起こす。

 

「今日、誕生日じゃん!」

 

 思わず声に出すと、隣のベッドで布団がもぞもぞと動いた。

 

「……朝から何なのさ」

 

「ラリー! 今日、俺の誕生日!」

 

「……知ってるよ」

 

「えっ、覚えててくれたの!?」

 

「君、一昨日から五回くらい言ってたじゃないか」

 

 ラリーは眠たそうにメガネをかけると、枕へ片肘をついた。ぼさぼさの髪はいつも以上に跳ねていて、どう見てもまだ起きるつもりはなさそうだった。

 

「……誕生日おめでとう、トキ」

 

「ありがとう!」

 

「十六歳になったからって、急に大人になったりしないからね」

 

「わかってるよ!」

 

「ならいいけど。あと、今日は僕のベッドの上で飛び跳ねないでよ」

 

「そんなことしないって!」

 

「去年、ゲームで勝ったときにやってたじゃないか」

 

「あれは嬉しかったから!」

 

「僕のベッドが壊れるかと思ったんだけど」

 

 ラリーは呆れたように息を吐いたが、時春は笑いながら布団を畳み始めた。スマートフォンを手に取ると、日本の家族からすでにお祝いのメッセージが届いていた。母親からは誕生日を祝う言葉と体調を気遣う文章があり、父親からは最近の試合の動画を見たという報告があった。日本にいる友達からも何件かメッセージが届いていて、時春は一つずつ嬉しそうに返信した。

 

 十六歳。

 

 日本で暮らしていた頃には、何となく遠い未来のように思っていた年齢だった。中学生の自分にとって、十六歳といえば高校生であり、少し大人に近づいた人間という印象があった。しかし、実際にその年齢になってみても、急に背が伸びたわけでも、英語が完璧になったわけでもない。昨日までの自分と何も変わらないまま、新しい一年が始まっただけだった。

 

 それでも時春は、何だか嬉しかった。

 

「ラリー、今日の夜、マイクラやろうよ!」

 

「……夜?」

 

「うん! せっかく誕生日だし!」

 

 その瞬間、ラリーの表情がほんの少し固まった。

 

 しかし、時春は気づかなかった。

 

「……あー、今日はちょっと用事があるかも」

 

「えっ、ラリーが?」

 

「何、その反応」

 

「だって、土曜日の夜じゃん!」

 

「僕だって用事くらいあるよ」

 

「そっかあ……」

 

 時春は少し残念そうに肩を落としたが、すぐに笑顔へ戻った。

 

「じゃあ、帰ってきてからでいいや!」

 

「……うん。まあ、それなら」

 

 ラリーは曖昧に頷くと、そっとスマートフォンを確認した。画面には、昨夜から何度も通知が届いているグループチャットが開かれていた。

 

『TOKI BIRTHDAY PLAN  』

 

 最新のメッセージは、ゾーイからだった。

 

『全員確認! 午後六時半にラウンジ集合。トキには絶対に内緒!』

 

 その下には、ジェイクからの返信が並んでいた。

 

『THIS IS GONNA BE AWESOME!!!(すげえ誕生日にしてやるぜ!!!)』

 

 ラリーは小さくため息をつき、画面を伏せた。

 

 どうやら今日も、静かな一日にはならないらしい。

 

     ◇

 

 午後六時を少し過ぎた頃。

 

 学生寮の共用ラウンジでは、普段とはまるで違う光景が広がっていた。

 

 天井からは青と白、それに金色の風船が吊るされ、壁には大きな文字で『HAPPY 16TH BIRTHDAY, TOKI!』と書かれたバナーが飾られている。テーブルには紙皿やカップが整然と並び、その周囲には色とりどりのスナック菓子や飲み物が用意されていた。片隅にはプレゼントの箱がいくつも積まれ、MJがプロジェクターの接続を確認している。

 

 寮のラウンジを借りるための手続きは、ベンが引き受けてくれた。使用時間は夜九時まで。後片付けを必ず行い、他の寮生に迷惑をかけないこと。それが条件だったが、ジェイクとノアがいることを考えると、最後の一つがもっとも難しい約束になりそうだった。

 

「Hey! この風船、もうちょっと右じゃねえか!?」

 

 脚立の上に立ったジェイクが叫んだ。

 

「ジェイク! 右じゃなくて左!」

 

 ゾーイが下から指示を飛ばす。

 

「お前から見て左!? 俺から見て左!?」

 

「だから、ジェイクから見て左!」

 

「OK! 了解!」

 

 ジェイクが勢いよく手を伸ばすと、隣の風船が彼の顔に当たった。驚いた拍子に脚立がわずかに揺れ、近くでテーブルを運んでいたマイルズが慌てて支える。

 

「おい! 落ちるぞ!」

 

「Whoa! 危ねえ!」

 

「危ねえじゃねえだろ! いいから降りろ!」

 

 マイルズは呆れた顔でジェイクを脚立から下ろした。その隣ではノアが風船をいくつも抱え、何やら勝手に装飾を増やそうとしている。

 

「なあ、これ天井全部埋めようぜ!」

 

「もう十分あるでしょ!」

 

 ゾーイが即座に止めた。

 

「でもよ、十六歳の誕生日だぜ!? 派手な方がいいじゃねえか!」

 

「片付けるの誰だと思ってるの?」

 

「……マイルズ?」

 

「俺を巻き込むな!」

 

 ラウンジには笑い声が広がった。

 

 一方、奥のテーブルではエマとグレースがケーキの準備をしていた。ダニーズ・ダイナーのダニーに相談して用意してもらったもので、緑色のクリームを使って、マインクラフトのクリーパーの顔が大きく描かれている。四角い目と口は黒いチョコレートで作られ、周囲には小さなチョコレートブロックが並べられていた。

 

「わあ……やっぱり可愛い!」

 

 エマは嬉しそうに笑った。

 

「トキ、絶対喜ぶね!」

 

「うん。ダニーにはちゃんとお礼言わなきゃ」

 

 グレースが微笑んだ。

 

 ダニーは最初、クリーパーとは何なのかと眉をひそめていたが、エマが画像を見せて説明すると、結局は引き受けてくれたらしい。もっとも、完成したケーキを渡すときにも、ゲームのキャラクターはよくわからないと文句を言っていたという。

 

 そんな中、マディソンが紙袋を抱えて近づいてきた。

 

「エマ! ケーキすっごく可愛いじゃん!」

 

「あっ、マディ! ありがとう!」

 

「トキ、マインクラフト好きなんだよね? これ見たら絶対テンション上がるよ!」

 

 マディソンは楽しそうに笑いながら、用意されたケーキを眺めた。明るいブロンドの髪は緩く巻かれ、普段より少し華やかなトップスを着ている。彼女は学校のイベントに慣れているだけあって、会場へ来てからも飾り付けやテーブルの配置を積極的に手伝っていた。

 

「そういえば、トキってどこに座る予定?」

 

 マディソンが何気ない調子で尋ねた。

 

「えっ?」

 

「主役の席! あっちのソファ?」

 

「うん。真ん中がいいかなって思って」

 

「そっか!」

 

 マディソンは嬉しそうに頷いた。

 

「じゃあ、私、その隣に座ろうかな」

 

 エマの手が止まった。

 

「……え?」

 

「だって、誕生日だし! 一緒に写真も撮りたいし!」

 

 マディソンは屈託なく笑っている。

 

 エマも微笑んだ。

 

「……うん。でも、私もトキと一緒に写真撮りたいな」

 

「もちろん! みんなで撮ろうよ!」

 

「そうだね」

 

 二人は笑顔を交わした。

 

 そのすぐ近くで、紙コップを並べていたゾーイが、そっと目を細めた。彼女は二人の会話に口を挟むことなく、ただ静かに様子を見守っていたが、その表情には何やら複雑なものが浮かんでいる。

 

 そこへジェイクがやって来た。

 

「おっ、何の話してんだ?」

 

「席の話」

 

 ゾーイが短く答えた。

 

「席?」

 

「トキの隣」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ジェイクの口元がゆっくりと緩んだ。

 

「……へえ」

 

「ジェイク」

 

「いや、何でもねえよ」

 

 彼はにやにやと笑いながら、ソファの方へ視線を向けた。

 

「こりゃ面白くなりそうだな」

 

「……余計なこと言わないでよ」

 

「言わねえって!」

 

 ジェイクはそう答えたが、楽しそうな顔を隠すつもりはまるでなかった。

 

     ◇

 

 午後六時四十分。

 

 学生寮の廊下を、時春とラリーが並んで歩いていた。

 

 時春はまだ練習着の上にパーカーを羽織ったままだった。午後は体育館で自主練習をしていたため、少し疲れた様子だったが、それでも表情は明るい。今日は誕生日ということもあり、練習中にはマイルズやノアたちから何度もお祝いの言葉をかけられた。ノアに至っては、誕生日プレゼントだと言って豪快なダンクを披露し、ヘイズコーチに注意されていた。

 

「で、ラリー。何でラウンジに行くの?」

 

「……ちょっと忘れ物があって」

 

「忘れ物?」

 

「うん。ゲームクラブの連中に貸してたもの」

 

「へえ、そうなんだ」

 

 時春は何の疑いもなく頷いた。

 

 ラリーは横目でその顔を見た。

 

 ここまで素直に信じられると、少し申し訳なくなる。もちろん、嘘をつくこと自体はあまり好きではない。しかし、今日の計画を成功させるためには仕方がなかった。

 

 ラウンジの扉が近づいてくる。

 

 中からは、かすかに物音が聞こえた。

 

 時春は足を止めた。

 

「……ん?」

 

 ラリーの心臓が跳ねる。

 

「何?」

 

「何か、すっごい人いない?」

 

「……土曜日だからじゃない?」

 

「そっか!」

 

 時春はあっさり納得した。

 

 ラリーは思わず安堵の息を吐いた。

 

 そして、ドアノブへ手を伸ばす。

 

「……じゃあ、入るよ」

 

「うん!」

 

 扉が開いた。

 

 その瞬間。

 

「SURPRISE!!!」

 

 ラウンジいっぱいに、歓声が響き渡った。

 

「うわああああっ!?」

 

 時春は思わず飛び上がった。

 

 目の前には、見慣れた友人たちがいた。ジェイク、ゾーイ、エマ、マディソン、オーウェン、エイブリー、ニーナ、MJ、テオ、イジー、グレース。そして、マイルズ、ノア、マイク、トム、イーサン、ライアン、ジェイスまでいる。後ろの方ではベンが笑顔で手を振り、何人もの生徒たちが一斉にクラッカーを鳴らしていた。

 

 青と白の紙吹雪が舞い上がる。

 

 天井には風船が浮かび、壁には自分の名前が書かれた大きなバナーが飾られていた。

 

「HAPPY BIRTHDAY, TOKI!!」

 

 ジェイクが両手を広げて叫ぶ。

 

「十六歳おめでとう、リトルマン!!」

 

 ノアが大声で続けた。

 

 時春は、その場に立ち尽くしていた。

 

「…………え?」

 

 目を丸くしたまま、周囲を見渡す。

 

 エマが笑っている。ゾーイも嬉しそうだ。マディソンは両手を叩き、MJはその様子をカメラに収めている。

 

「えっ……何これ……?」

 

 時春はもう一度、目の前の光景を見た。

 

「……俺の……誕生日?」

 

「当たり前だろ!」

 

 ジェイクが笑いながら肩を抱いた。

 

「他に誰がいるんだよ!」

 

「ええええっ!?」

 

 時春はようやく状況を理解したらしい。

 

「うっそ!? みんなで準備してくれたの!?」

 

「そうだよ!」

 

 エマが嬉しそうに駆け寄ってきた。

 

「トキ、十六歳おめでとう!」

 

「エマ!! ありがとう!!」

 

「ふふっ、びっくりした?」

 

「めっちゃびっくりした!!」

 

 時春は興奮した様子で周囲を見渡した。自分のために飾られた部屋。笑顔で集まってくれた友人たち。テーブルの上に並ぶ食べ物とプレゼント。どれも、自分が頼んだものではない。みんなが自分の知らないところで用意してくれたものだった。

 

 そこへマディソンもやって来た。

 

「トキ! Happy Birthday!」

 

「マディ! ありがとう!」

 

 マディソンは嬉しそうに両手を広げ、時春を軽く抱きしめた。突然のことに時春は少し驚いたが、すぐに笑顔になって礼を言った。

 

「十六歳のトキもよろしくね!」

 

「うん! よろしく!」

 

 その様子を見ていたエマの笑顔が、ほんの少しだけ固まった。

 

 もちろん、マディソンに悪気があるわけではない。アメリカでは友人同士でハグをすることも珍しくないし、誕生日ならなおさらだった。それでも、目の前であまりにも自然に抱きつかれると、どうしても胸の奥が落ち着かなくなる。

 

 そんなエマの隣へ、ジェイクがそっと近づいた。

 

「……おいおい」

 

「……何?」

 

「なかなか積極的だな、マディ」

 

「……そうだね」

 

 エマは微笑んだまま答えた。

 

 ジェイクはその横顔を見て、ますます楽しそうに笑った。

 

「お前も行ってこいよ」

 

「……何で?」

 

「いや、別に?」

 

「ジェイク!」

 

「Ha! 冗談だって!」

 

 そのとき、ゾーイが二人の間へ割って入った。

 

「はいはい! とりあえず全員、席について! ケーキ出すから!」

 

 その声を合図に、ラウンジは再び賑やかになった。

 

     ◇

 

 誕生日会は、時春の想像をはるかに超えるものだった。

 

 大きなテーブルにはピザやフライドチキン、サンドイッチ、それに大量のフライドポテトが並んでいた。飲み物にはジュースや炭酸飲料が用意され、エマがダニーズから持ってきてくれたバニラシェイクまであった。時春がそれを見つけた瞬間に歓声を上げたので、周囲からは笑い声が広がった。

 

「うわっ! バニラシェイクまである!!」

 

「トキ、絶対喜ぶと思った!」

 

「エマ最高!!」

 

 時春が満面の笑みで答えると、エマも嬉しそうに笑った。

 

 しかし、その直後、マディソンが彼の隣へやって来た。

 

「トキ、こっち座ろうよ! 写真も撮りたいし!」

 

「あっ、うん!」

 

 時春がソファへ向かおうとすると、反対側からエマが声をかけた。

 

「トキ! こっちの方が食べ物取りやすいよ!」

 

「えっ、そうなの?」

 

「うん! ほら、シェイクもここに置けるし!」

 

「ほんとだ!」

 

 時春は嬉しそうに頷いた。

 

 マディソンも笑顔のまま続ける。

 

「でも、こっちの席、写真撮るときにバナーが背景に入るんだよね!」

 

「あっ、それいいじゃん!」

 

「でしょ?」

 

 時春は二人を交互に見た。

 

 それから、しばらく考え込んだ。

 

「……じゃあ、真ん中座ればよくない?」

 

 一瞬、沈黙が流れた。

 

 エマとマディソンが顔を見合わせる。

 

「……そうだね」

 

「……うん、それがいいかも!」

 

 二人は同時に笑った。

 

 時春は何の疑問も抱かず、真ん中のソファへ腰を下ろした。すると、エマがその左側に座り、マディソンが右側へ腰を下ろした。

 

 少し離れたところで、その一部始終を見ていたジェイクが、とうとう吹き出した。

 

「……くくっ」

 

「ジェイク、笑わないの」

 

 ゾーイが小声で注意した。

 

「いや、だってよ……!」

 

 ジェイクは肩を震わせた。

 

「お前、見たか? あの見事なポジション争い!」

 

「バスケみたいに言わないでよ」

 

「いや、完全にリバウンドの取り合いだろ!」

 

 ジェイクが笑いをこらえながら言うと、隣にいたノアまで興味を示した。

 

「何だ何だ? 何が面白いんだ?」

 

「おい、ノア。あっち見てみろよ」

 

 ジェイクが顎で示した先には、時春を挟んで座る二人の少女がいた。

 

「……おお」

 

 ノアの口元が緩んだ。

 

「なるほどなあ……」

 

「だろ?」

 

 二人は顔を見合わせた。

 

「Bro……」

 

「Bro……!」

 

 そして、同時に笑い出した。

 

 ゾーイは額を押さえた。

 

「……ほんと、男子ってしょうもない」

 

 しかし、ジェイクもノアもまったく気にしていなかった。

 

 むしろ、今夜もっとも楽しみにしている催しを見つけたかのような顔をしていた。

 

 一方、その中心にいる時春はといえば、両隣に座る二人の少女をまったく意識していなかった。目の前にある大量の食べ物に興味津々で、エマが取り分けてくれたフライドポテトを食べながら、マディソンの話を楽しそうに聞いている。

 

「トキ、今日の写真、あとでインスタに載せてもいい?」

 

「もちろん!」

 

「よかった! じゃあ、一緒に撮ろ!」

 

 マディソンがスマートフォンを取り出し、時春の方へ身を寄せた。

 

「ほら、もうちょっとこっち!」

 

「えっ、こう?」

 

「そうそう!」

 

 カシャッ、とシャッター音が響く。

 

 画面には、二人が笑顔で並んだ写真が映し出された。マディソンは満足そうにそれを眺め、時春にも見せた。

 

「どう? いい感じでしょ?」

 

「うん! めっちゃいい!」

 

 時春が嬉しそうに答えたところで、エマがそっと口を開いた。

 

「……トキ、私とも撮ろ?」

 

「もちろん!」

 

 時春はすぐに顔を向けた。

 

「エマとも撮ろう!」

 

 エマは嬉しそうにスマートフォンを構えた。二人が並ぶと、今度は彼女の方がほんの少しだけ時春へ身を寄せる。カメラの画面には、柔らかく微笑むエマと、いつもの満面の笑みを浮かべた時春が映っていた。

 

「……うん、いい写真!」

 

「ほんと? 見せて!」

 

「ほら!」

 

「おお! いいじゃん!」

 

 時春が無邪気に喜ぶと、エマも満足そうに笑った。

 

 その隣でマディソンが、何気ない調子で口を開く。

 

「エマ、トキとほんと仲良しだよね!」

 

「……うん。最初から友達だからね」

 

「そっか! 私ももっと仲良くなりたいな!」

 

 マディソンは明るく笑った。

 

 エマも微笑み返した。

 

「……うん。トキ、優しいからね」

 

「そうそう! そこがいいんだよね!」

 

 二人の間には、表面上は何の問題もなかった。むしろ、初めて会った人間が見れば、仲の良い女の子同士が友達について話しているようにしか見えなかっただろう。しかし、互いに相手の言葉を少しだけ意識していることは、二人自身にはよくわかっていた。

 

 もっとも、時春はというと、その会話をほとんど聞いていなかった。

 

「……あっ! ノア!」

 

 彼は突然、向こうのテーブルへ手を振った。

 

「そのピザ、俺も食べたい!」

 

「おう、リトルマン! 取ってやる!」

 

 ノアが大きなピザを一切れ持ち上げる。

 

「ほら、口開けろ!」

 

「えっ、投げないでよ!?」

 

「Ha! 冗談だって!」

 

 時春は笑いながら立ち上がり、ピザを受け取りに走っていった。

 

 その後ろ姿を、エマとマディソンが揃って見送る。

 

 しばらくして、マディソンが小さく笑った。

 

「……ほんと、可愛いよね」

 

 エマは少しだけ頬を赤くした。

 

「……うん」

 

 そこへジェイクの声が飛んできた。

 

「おーい! 二人とも! トキいなくなっちまったぞ!」

 

「ジェイク!!」

 

 今度はエマとマディソンの声が見事に重なった。

 

 ジェイクは腹を抱えて笑い出した。

 

     ◇

 

 やがて、ラウンジの照明が少し暗くなった。

 

 MJがプロジェクターを操作し、壁に大きな映像が映し出される。そこには、クレセントベイ・アカデミーの校門が映っていた。続いて、時春がアメリカへ来てから撮影された写真や動画が、ゆっくりと切り替わっていく。

 

「……えっ?」

 

 時春は思わず顔を上げた。

 

 最初に映し出されたのは、エマやジェイク、ゾーイと一緒に撮った写真だった。ダニーズ・ダイナーで初めてバニラシェイクを飲んだ頃の写真。アメリカンフットボールの試合を観戦した夜。クラブ紹介のイベントで笑っている姿。秋のホームカミングで友人たちと並んでいる写真。そして、ハロウィーンの仮装や、クリスマスに出かけたときの思い出が次々と流れていった。

 

 時春は一枚一枚を見つめながら、何度も嬉しそうに笑った。

 

 画面が切り替わると、今度はバスケットボールの映像が始まった。

 

 トライアウトでのプレー。初めて公式戦に出場したときのシュート。ノアへのパスから生まれたダンク。マイルズと拳を合わせる姿。マイクのスリーポイントが決まって飛び跳ねる時春。そして、一月の招待大会での大逆転劇が、音楽に合わせて次々と映し出されていく。

 

 最後には、あの写真が現れた。

 

 MVPトロフィーを抱えたラリーと、その隣で笑っている時春。

 

 写真の下には、小さな文字が表示されていた。

 

『WELCOME TO YOUR SECOND HOME, TOKI.』

 

 新しい、もう一つの故郷へようこそ。

 

 時春は、しばらくその画面を見つめていた。

 

 アメリカへ来たのは、まだ半年前のことだった。それなのに、画面に映し出された思い出の数は、まるで何年もここで暮らしてきたかのように多かった。初めて会ったときには、名前を覚えることすら大変だった友人たち。英語が聞き取れず、何度も聞き返していた日々。バスケットボールのトライアウトに落ちるのではないかと不安になっていた夜。そうした小さな出来事の一つひとつが、今ではかけがえのない時間になっている。

 

 そして、そのほとんどの思い出の中に、誰かがいた。

 

 一人でアメリカへ来たはずなのに、気づけばこんなにも多くの人々と一緒に笑っている。

 

 時春は唇を噛み、少しだけ俯いた。

 

「……やばい」

 

 声が小さく震えた。

 

「……めっちゃ嬉しい」

 

 その言葉を聞いて、エマが柔らかく笑った。

 

「よかった」

 

 ゾーイも嬉しそうに頷いた。

 

 ジェイクは時春の肩を抱き、少し乱暴に頭を撫でた。

 

「泣くなよ、Bro! まだケーキ残ってんだから!」

 

「泣いてないって!」

 

「ほんとかあ?」

 

「ほんとだよ!」

 

 時春は笑いながら目元をこすった。

 

 やがてエマとグレースが、あのクリーパーのケーキを運んできた。緑色の顔を見た瞬間、時春は再び大きな声を上げ、ラリーに至っては自分が提案したにもかかわらず、完成度の高さに少し驚いていた。

 

「うわああ! クリーパーだ!!」

 

「ね! 可愛いでしょ!」

 

「すっげえ! 何これ! めっちゃいい!!」

 

 時春は目を輝かせながらケーキを眺めた。

 

「ラリー! 見て見て!」

 

「……見てるよ。僕も知ってたから」

 

「えっ?」

 

「……あ」

 

 ラリーが口を閉じる。

 

 周囲から笑い声が上がった。

 

「お前が考えたんだろ、ラリー!」

 

 ジェイクが笑いながら背中を叩く。

 

「……余計なこと言わなくていいのに」

 

 ラリーは少し照れくさそうにメガネを押し上げた。

 

 時春は一瞬、きょとんとした顔をした。

 

 それから、ぱっと笑顔になった。

 

「……ありがとう、ラリー!」

 

「……別に」

 

 ラリーは視線を逸らした。

 

「君が喜ぶだろうと思っただけだよ」

 

 ケーキに十六本のキャンドルが立てられ、やがて小さな炎が灯された。ラウンジの照明が落とされると、周囲から自然とバースデーソングが始まった。ジェイクとノアが誰よりも大きな声で歌い、マイクが呆れたように笑い、トムは少し照れくさそうに手を叩いている。エマもマディソンも、時春のすぐ隣で楽しそうに歌っていた。

 

 時春はキャンドルの炎を見つめた。

 

 何を願えばいいのだろう。

 

 NBA選手になりたい。

 

 もっとバスケがうまくなりたい。

 

 チームのみんなで、州大会へ行きたい。

 

 願い事は、いくらでもあった。

 

 けれど、今夜だけは。

 

 この人たちと、これからも一緒に笑っていられたらいい。

 

 そんなことを思いながら、時春は大きく息を吸い込んだ。

 

「せーの!」

 

 ジェイクの声が響く。

 

 時春は一息にキャンドルを吹き消した。

 

 歓声と拍手が、ラウンジいっぱいに広がった。

 

「HAPPY BIRTHDAY, TOKI!!」

 

 時春は顔を上げた。

 

 目の前には、笑っている友人たちがいた。

 

 その光景を、きっと長い間忘れないだろうと思った。

 

     ◇

 

 誕生日会が終わったのは、午後九時少し前だった。

 

 全員で片付けを済ませ、ラウンジを元通りにしてから、時春は大量のプレゼントを抱えて寮の部屋へ戻った。バスケ部の仲間たちからは全員のサインが入ったバスケットボールを贈られ、ゲームクラブの面々からはマインクラフトのグッズをいくつももらった。マディソンからはスポーツ用のリストバンドと手書きのカードが贈られ、エマからは日本語で書かれた小さなメッセージカードと、丁寧に包まれたお菓子の詰め合わせを受け取った。

 

 部屋へ戻ってからも、時春は何度もプレゼントを眺めていた。

 

「……すげえなあ」

 

 ベッドに腰掛け、サインボールを両手で回す。

 

「俺、こんなにいっぱいもらったの初めてかも」

 

「……よかったね」

 

 ラリーはいつものようにパソコンの前に座っていたが、その声は少しだけ柔らかかった。

 

「ラリーもありがとうね!」

 

「……何が?」

 

「全部! ケーキも、サプライズも!」

 

 時春は満面の笑みで答えた。

 

「今日、めっちゃ楽しかった!」

 

 ラリーはしばらく黙っていた。

 

 それから、メガネを押し上げる。

 

「……まあ、君が楽しそうだったなら、それでいいんじゃない」

 

「うん!」

 

 時春は笑い、もう一度プレゼントの山へ目を向けた。その中には、エマからのカードとマディソンからのカードが並んで置かれていた。どちらにも温かな言葉が綴られていて、時春はそれを読んでは嬉しそうに頷いている。

 

 そんな彼を横目に、ラリーは小さくため息をついた。

 

 今日の誕生日会で、エマとマディソンが何度も時春の隣を取り合っていたことは、もちろん彼も気づいていた。ジェイクとノアが面白がっていたことも、ゾーイが何度も二人を気遣っていたことも、全部見ていた。

 

 しかし、肝心の時春だけが、最後まで何もわかっていなかった。

 

「……トキ」

 

「ん?」

 

「……君って、本当にすごいよね」

 

「えっ!? 何が!?」

 

「……いや、何でもない」

 

 ラリーは首を振った。

 

 説明するだけ無駄だと思ったのである。

 

 その夜、時春はベッドへ入ってからも、何度もスマートフォンの写真を見返していた。みんなで撮った集合写真。クリーパーのケーキ。笑っているジェイクやノア。エマと並んだ写真。マディソンと撮った写真。そして、ラリーが少し困った顔でプレゼントを渡してくれた瞬間の一枚。

 

 画面の中には、いくつもの笑顔があった。

 

 十六歳の最初の一日は、こんなにも賑やかで、幸せなものになった。

 

 時春は満ち足りた気持ちで目を閉じた。

 

 明日からもまた、いつもの毎日が始まる。

 

 バスケットボールをして、学校へ行って、友達と笑い合う。その何でもない日常が、今の自分にとってどれほど大切なものなのか、時春は今日、改めて知ったような気がしていた。

 

     ◇

 

 二月も第二週に入ると、ブレイカーズの周囲には、次第に緊張感が漂い始めた。

 

 レギュラーシーズンは終盤を迎え、CIFサザンセクションのプレーオフ出場権を巡る争いが、いよいよ本格化していた。招待大会での優勝によってチームの評価は高まっていたものの、リーグ戦では最後まで気を抜くことができない。上位校との直接対決が続き、一つの敗戦が順位を大きく左右する状況になっていた。

 

 そして、この時期のブレイカーズには、以前とは少し違う特徴が生まれていた。

 

 イーサン・コールの完全復帰である。

 

 負傷した左目はすでに回復し、医師からも通常通りのプレーを認められていた。練習での動きも以前と変わらず、ボールを扱う技術や試合を組み立てる判断力には、少しの衰えも見られなかった。グラント・ヘイズコーチは、コンディションが十分に戻ったことを確認すると、イーサンを再び先発メンバーへ戻すことにした。

 

 ただし、以前とまったく同じ形ではなかった。

 

「いいか、二人とも」

 

 ある日の練習後、ヘイズは時春とイーサンを呼び止めた。

 

「これからは、相手によって先発を変える」

 

 時春は思わず顔を上げた。

 

「……相手によって、ですか?」

 

「そうだ」

 

 ヘイズはホワイトボードに、二人の名前を書いた。

 

『ETHAN COLE』

 

『TOKIHARU TAKAYAMA』

 

「イーサンは経験がある。試合の速度をコントロールする能力も高いし、フィジカルの強い相手にも対応できる。一方、トキハルにはスピードとパスの創造性がある。相手のディフェンスを崩し、チーム全体の攻撃を活性化させる力は、すでに十分証明した」

 

 時春は少しだけ驚いた。

 

 ヘイズが自分をそこまで評価してくれているとは思っていなかったのである。

 

「だが、同時に弱点もある」

 

 ヘイズは時春へ視線を向けた。

 

「お前の身長は百七十センチだ。相手のポイントガードが百九十センチ近くあり、ポストアップでお前を押し込んでくるような相手なら、守備で大きな問題が生じる。どれだけ速くても、十センチ以上大きな相手にゴール下で押し込まれ続ければ、簡単には守れん」

 

「……はい」

 

 時春は真剣な顔で頷いた。

 

「逆に、相手のガードがそれほど大きくなく、お前の守備でもサイズの問題が出ないなら、トキハルを長く使う価値は十分にある。お前が入ることで、マイルズもノアもマイクも、より良い形で得点できるからな」

 

 ヘイズは二人を見比べた。

 

「だから、どちらか一人に固定する必要はない。相手のポイントガードのサイズ、守り方、試合の展開。それを見て、最も適した選手を使う」

 

 イーサンが小さく笑った。

 

「……なるほど。つまり、俺たち二人とも忙しくなるってことですね」

 

「そういうことだ」

 

 ヘイズもわずかに口元を緩めた。

 

「ベンチに座っている時間も、ただ休んでいると思うな。相手の癖を見ろ。次に自分が出たとき、何をすべきか考えておけ」

 

「Yes, Coach!」

 

 二人は声を揃えて答えた。

 

 時春は胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 

 去年の十一月、トライアウトに合格したばかりの頃には、イーサンの控えとして少しでも長く試合に出ることが目標だった。それが今では、相手によって先発を任されるようになっている。しかも、イーサンが怪我をしているからではない。彼が完全に復帰したあとも、自分の力を必要としてもらえているのだ。

 

 それは、何より嬉しいことだった。

 

 しかし、同時に新しい責任も生まれた。

 

 相手によって起用されるということは、常に結果を求められるということである。自分の特徴を生かせなければ、ヘイズは迷わずイーサンを使うだろう。そして、イーサンの方が適している相手なら、時春はベンチから試合を見つめることになる。

 

 それでも、時春は不思議と不安を感じなかった。

 

 むしろ、楽しみだった。

 

     ◇

 

 その方針は、すぐに試合で実行されることになった。

 

 最初の相手は、フィジカルの強さを武器にするリーグ上位校だった。相手の先発ポイントガードは百九十センチ近い長身で、一般的なガードとは思えないほど肩幅が広かった。ドリブルで攻めるだけでなく、背中を向けてゴール下へ押し込み、体格の小さな相手から得点を奪うことを得意としている。

 

 この試合で先発したのは、イーサンだった。

 

 時春はベンチから相手の動きを観察しながら、その理由をすぐに理解した。相手のガードはボールを運ぶと、積極的にインサイドへ入り、背中でディフェンダーを押し込みながら攻撃を仕掛けていた。イーサンでさえ何度も体をぶつけられていたのだから、時春が同じ役割を担えば、より厳しい状況になっていたはずだった。

 

 しかし、だからといって時春の出番がないわけではなかった。

 

 第二クォーターの中盤、ヘイズは時春を呼んだ。

 

「トキハル。入れ」

 

「Yes, Coach!」

 

「相手のガードが下がったら、テンポを上げろ。だが、無理に一人で突破しようとするな」

 

「はい!」

 

 時春は勢いよく立ち上がった。

 

 コートへ入ると、相手はガードを交代させていた。先ほどまでの長身選手とは違い、今度は時春とそれほど身長の変わらない、素早い選手だった。ヘイズはそのタイミングを見逃さなかったのである。

 

 時春は最初の攻撃から、積極的にボールを動かした。

 

 マイルズのスクリーンを利用して右へドリブルし、ディフェンダーが追いつこうとした瞬間、反対側へ鋭いパスを送る。そこにはマイクが待っていた。ボールを受けた彼は迷わずシュートを放ち、ネットを綺麗に揺らした。

 

「NICE PASS!」

 

 マイクが親指を立てる。

 

 時春も笑顔で応え、すぐに守備へ戻った。

 

 その後も時春は、相手のディフェンスが整う前にボールを運び、ノアやトムへ積極的にパスを供給した。長身ガードが戻ってくるとイーサンと交代し、相手が再び小柄な選手を投入すれば、またコートへ送り出される。二人の特徴を使い分けることで、ブレイカーズは試合の主導権を少しずつ握っていった。

 

 試合後、ベンチで汗を拭っていると、イーサンが時春の隣へ腰を下ろした。

 

「……やるな、トキ」

 

「えっ?」

 

「お前が入ると、やっぱり攻撃のテンポが変わる」

 

「そんなことないですよ!」

 

「いや、あるって」

 

 イーサンは笑った。

 

「俺が落ち着かせる時間も必要だけど、お前が走らせる時間も必要なんだよ。相手からしたら、結構嫌だと思うぜ」

 

 時春は少し考え込んだ。

 

「……じゃあ、俺たち二人で一人のポイントガードみたいな感じですか?」

 

 イーサンは一瞬、目を丸くした。

 

 それから、声を上げて笑った。

 

「ははっ! 何だそれ!」

 

「えっ、違います?」

 

「いや、悪くないな」

 

 イーサンは笑いながら時春の肩を叩いた。

 

「でも、俺たち二人で一人じゃなくて、二人いるから相手を困らせられるんだろ」

 

「……あっ、そっか!」

 

「そういうこと」

 

 二人は顔を見合わせ、笑った。

 

 そして、その次の試合では、時春の出場時間がイーサンを上回ることになった。

 

 相手のポイントガードは身長百七十五センチほどで、スピードと外からのシュートを武器にする選手だった。時春との身長差はわずかで、インサイドへ押し込まれるような心配もほとんどなかった。むしろ、相手が小柄なガードを二人並べてきたことで、ブレイカーズは速い展開を作りやすくなっていた。

 

 ヘイズは試合開始から時春を先発させ、その後も長い時間コートへ残した。

 

 時春は期待に応えた。

 

 速攻ではノアへ絶妙なタイミングでパスを送り、ハーフコートではマイルズのスクリーンを何度も利用した。相手がパスを警戒して距離を取れば、自分でジャンプシュートを打った。マイクが厳しくマークされると、今度はトムをゴール下へ走らせ、相手の守備がどこか一か所へ集中しないよう攻撃を組み立てた。

 

 この試合で時春は二桁得点を記録し、アシストも二桁に達した。

 

 ブレイカーズは快勝した。

 

 試合後、ノアが時春の肩を抱いて大騒ぎしたことは言うまでもない。

 

「Bro! お前、今日ずっと走ってたな!」

 

「ノアもでしょ!」

 

「当たり前だろ! 俺を走らせるのがお前の仕事だからな!」

 

「それ、結構大変なんだけど!」

 

「Ha! 俺を使いこなせるようになったら一人前だぜ!」

 

 その隣でマイクが静かに口を開いた。

 

「お前を使いこなす前に、黙らせる方法を知りたいけどな」

 

「Bro! 何でそうなるんだよ!」

 

 周囲から笑い声が上がった。

 

 こうして、ブレイカーズのポイントガード起用は、以前とはまったく違うものになっていった。

 

 大柄なガードを相手にする場合は、イーサンが多くの時間を担う。相手が小柄で、時春のディフェンスに大きな問題が生じないなら、時春が長時間コートに立つことも珍しくない。ときには時春の出場時間がイーサンを大きく上回り、逆にイーサンがほとんどの時間を任される試合もあった。

 

 それでも、二人の間に妙な対立は生まれなかった。

 

 どちらが先発しても、もう一人はベンチから声を出し、プレーの改善点を伝えた。タイムアウトになれば、互いに相手のガードの癖を教え合った。時春が無理なパスを出そうとすればイーサンが注意し、イーサンが攻撃を組み立てるのに苦しめば、時春は相手の守備がどこでずれているのかを伝えた。

 

 二人とも、試合に出たいと思っていた。

 

 しかし、それ以上に、チームを勝たせたいと思っていた。

 

 それだけは、決して変わらなかった。

 

     ◇

 

 二月も中旬に差しかかろうとしていた。

 

 ブレイカーズはリーグ戦で勝利を重ね、ついにプレーオフ出場圏内へと浮上していた。しかし、最後の数試合を残した段階では、まだ出場権が完全に確定したわけではなかった。リーグの上位校も勝ち星を積み重ねており、順位争いは最後まで続いていたのである。

 

 そんなある日の練習後。

 

 ヘイズは選手たちを集め、ホワイトボードの前に立った。

 

「いいか。次の試合に勝てば、俺たちのプレーオフ出場が決まる」

 

 その言葉に、選手たちの表情が変わった。

 

 マイルズが静かに顔を上げ、ノアも珍しく黙っていた。

 

「去年、俺たちは地区大会の一回戦で負けた。あの悔しさを覚えている者も多いだろう。今年はもう一度、あの舞台へ戻るチャンスを手にしている」

 

 ヘイズは全員を見渡した。

 

「だが、まだ決まったわけじゃない。次の試合を勝ち切る。それだけを考えろ」

 

「YES, COACH!」

 

 体育館に声が響いた。

 

 時春は胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 

 十一月、初めてVarsityの練習に参加した日、ヘイズはCIFのプレーオフについて説明してくれた。あのときは、まだ大会の仕組みすらよく理解していなかった。地区大会へ進み、そこから勝ち上がれば州大会へ行ける。そう聞いて、ただ漠然とすごいことなのだと思っていた。

 

 しかし、今ならわかる。

 

 その舞台へ進むために、どれほど多くの試合を戦わなければならないのか。どれほど厳しい練習を重ね、どれほど多くの失敗を乗り越えなければならないのか。時春はこの数か月間、仲間たちと一緒に少しずつ知ってきた。

 

 勝てば次へ進める。

 

 負ければ、そこで終わるかもしれない。

 

 その単純な事実が、今では以前よりずっと重く感じられた。

 

 練習が終わったあと、時春は体育館の中央でしばらく立ち止まっていた。

 

 目の前には、ブレイカーズのエンブレムが描かれたコートがある。天井には照明が並び、壁には過去の大会で獲得したバナーが掲げられている。十一月に初めてここへ足を踏み入れたとき、時春はその広さに圧倒されていた。それが今では、どこに立てば床の感触が少し違うのか、どの位置からシュートを打つと照明が目に入るのかまでわかるようになっていた。

 

「……トキ」

 

 背後から声が聞こえた。

 

 振り返ると、マイルズが立っていた。

 

「何してんだ?」

 

「……いや、ちょっと」

 

 時春は笑った。

 

「何か、すごいなって思って」

 

「何がだ?」

 

「俺、アメリカ来たとき、地区大会とか全然知らなかったんだよね」

 

 マイルズは黙って聞いていた。

 

「でも、今はその大会に出られるかもしれないんだなって」

 

 時春はコートを見渡した。

 

「……何か、めっちゃ嬉しい」

 

 マイルズはしばらく時春を見つめていた。

 

 それから、ゆっくりと笑った。

 

「……まだ決まってねえぞ」

 

「うん!」

 

「だったら、次の試合で決めようぜ」

 

 時春は大きく頷いた。

 

「……うん!」

 

 二人は拳を合わせた。

 

 その向こうでは、ノアがマイクと何やら言い合っていた。トムは最後のリバウンド練習を続け、イーサンはベンチでシューズの紐を結び直している。誰もがいつも通りの時間を過ごしていたが、その心の中には、同じ目標があった。

 

 地区大会へ行く。

 

 それは、もう遠い夢ではなかった。

 

     ◇

 

 運命の試合は、週の終わりに行われた。

 

 クレセントベイ・アカデミーの体育館には、試合開始前から大勢の観客が集まっていた。生徒たちの声援が高い天井へ反響し、青と白の応援グッズが観客席を彩っている。学校のスポーツアカウントでも大きく告知されていたため、普段より多くの生徒たちが試合を見に来ていた。

 

 その中には、もちろんエマやジェイク、ゾーイ、マディソンたちの姿もあった。

 

「TOKI! LET’S GO!」

 

 ジェイクが大きく叫ぶ。

 

 その隣では、エマとマディソンが揃ってコートへ手を振っていた。

 

「トキ! 頑張って!」

 

「絶対勝ってね!」

 

 時春はウォーミングアップの途中で二人に気づき、嬉しそうに手を振り返した。

 

 その瞬間、エマもマディソンも同時に笑顔になった。

 

 ジェイクはその様子を見て、またしても楽しそうに口元を緩めた。

 

「……ははっ」

 

「ジェイク」

 

 ゾーイがすぐに注意した。

 

「……今日はバスケに集中しようね」

 

「わかってるって!」

 

 ジェイクは笑いながら両手を上げた。

 

 コートでは、ヘイズが最後の指示を出していた。

 

 相手の先発ポイントガードは、身長百八十センチ台後半の大柄な選手だった。外からのシュートだけでなく、体を使ったドライブやポストアップも得意としている。ヘイズは迷わずイーサンを先発させ、時春にはベンチから相手の動きをよく観察するよう指示した。

 

「トキハル。出番は必ず来る。準備を怠るな」

 

「Yes, Coach!」

 

 時春は力強く頷いた。

 

 試合が始まると、予想通り激しい展開になった。

 

 相手は序盤からフィジカルを生かして攻め込み、ブレイカーズの守備を何度も揺さぶってきた。イーサンは冷静にボールを運び、マイルズやマイクへ正確なパスを送り続けたが、簡単に得点できる場面は少なかった。相手のディフェンスは組織的で、ノアのドライブにも素早くヘルプが寄ってくる。

 

 第一クォーターは接戦のまま終了した。

 

 第二クォーターに入っても、両チームの勢いはほとんど変わらなかった。ブレイカーズが得点すれば相手も取り返し、どちらかが少しリードしても、すぐに追いつかれる。観客席の歓声は次第に大きくなり、ベンチの選手たちも一つひとつのプレーに声を上げていた。

 

 そして、第二クォーターの中盤。

 

 相手チームがポイントガードを交代させた。

 

 長身の先発選手がベンチへ下がり、代わって入ってきたのは、時春とほとんど身長の変わらない小柄なガードだった。

 

 ヘイズはすぐに動いた。

 

「トキハル!」

 

「はい!」

 

「入れ!」

 

 時春は勢いよく立ち上がった。

 

 イーサンと交代するとき、先輩が肩を軽く叩いた。

 

「頼んだぞ、トキ」

 

「はい!」

 

「相手のガード、左への切り返しが速い。最初の一歩に気をつけろ」

 

「わかりました!」

 

 時春は大きく頷き、コートへ走り出した。

 

 相手のガードは、時春を見ると少し意外そうな顔をした。自分と同じくらい小柄な選手が出てきたことに驚いたのかもしれない。しかし、時春はそんなことを気にせず、腰を落としてディフェンスの姿勢を取った。

 

 最初の攻撃で、相手は鋭く左へドリブルを切り返した。

 

 イーサンの忠告が頭に残っていた時春は、一歩目で簡単に反応せず、相手の腰の動きを見て横へ滑った。相手がさらに加速しようとした瞬間、時春は体を寄せて進路を塞ぐ。完全に止めることはできなかったが、相手のガードは予定していたコースを失い、やむなく外側へパスを出した。

 

「NICE DEFENSE!」

 

 マイルズの声が響く。

 

 時春はすぐに次の動きへ備えた。

 

 攻撃に転じると、今度は自分のスピードを生かした。マイルズからボールを受け取り、センターラインを越えると同時にテンポを上げる。相手のガードが後退しながら進路を塞ごうとするが、時春は一瞬速度を落とし、すぐに右へ切り返した。

 

 ディフェンダーの足が遅れる。

 

 その瞬間、ノアがベースラインからリングへ走り込んだ。

 

「TOKI!」

 

 時春は迷わずボールを放った。

 

 高く浮かせたパスが、相手のディフェンダーの頭上を越える。

 

 ノアが跳び上がる。

 

 両手でボールをつかみ、そのままリングへ叩き込んだ。

 

「BOOOOM!!」

 

 体育館が揺れるほどの歓声が上がった。

 

「LET’S GOOOO!!」

 

 ノアが大きく叫ぶ。

 

 時春は思わず拳を突き上げた。

 

 観客席ではジェイクが飛び上がり、エマとマディソンも立ち上がって拍手している。ラリーは少し驚いたように目を丸くしていたが、隣のオーウェンに肩を揺さぶられると、呆れたように笑っていた。

 

 ブレイカーズは、このプレーをきっかけに流れを引き寄せた。

 

 時春がコートにいる間、攻撃のテンポは明らかに速くなっていた。相手のガードが小柄なため、時春は守備で大きな不利を抱えることなく、自分の得意なプレーへ集中できる。マイルズのスクリーンを利用して相手を崩し、マイクへパスを送り、ときには自分でミドルレンジのシュートを決めた。トムもゴール下で貴重な得点を重ね、ノアは何度も速攻の先頭を走った。

 

 しかし、相手も簡単には引き下がらなかった。

 

 後半に入ると、相手は再び長身のポイントガードを投入し、時春のいる場所へ積極的にボールを運んできた。最初のポゼッションで、時春は相手に背中で押し込まれ、ゴール近くまで後退させられてしまった。マイルズがヘルプへ出たものの、相手はその隙にパスを送り、簡単な得点を許してしまう。

 

 ヘイズはすぐにタイムアウトを取った。

 

「トキハル、よくやった。だが、ここからはイーサンだ」

 

「……はい!」

 

 時春は悔しさを感じながらも、素直に頷いた。

 

 今の相手には、イーサンの方が適している。

 

 それは、もう理解していた。

 

 イーサンがコートへ戻ると、ブレイカーズの守備は少しずつ落ち着きを取り戻した。相手の長身ガードに簡単なポストアップを許さず、マイルズと連携して進路を塞ぐ。攻撃では無理に速い展開へ持ち込まず、ボールを回しながら確実な得点機会を作った。

 

 その落ち着いたプレーが、ブレイカーズを支えた。

 

 第四クォーターに入る頃には、両チームの点差はわずかだった。

 

 残り時間が少なくなるにつれて、体育館の空気はさらに重くなっていった。観客席の声援は途切れることなく続き、ベンチに座る選手たちも、ほとんど休む暇なく立ち上がっていた。マイルズは何度もリバウンドを奪い、ノアは激しい接触の中でもリングへ向かった。マイクは一本のスリーポイントを決めるたびに、静かに拳を握った。

 

 そして、残り四分を切ったところで。

 

 相手チームが再び小柄なガードを投入した。

 

 ヘイズはベンチへ目を向けた。

 

「トキハル!」

 

「はい!」

 

「最後まで行くぞ!」

 

 時春は勢いよく立ち上がった。

 

 イーサンがすれ違いざまに拳を差し出す。

 

「決めてこい、相棒」

 

 時春は笑った。

 

「任せて!」

 

 二人の拳が、力強くぶつかった。

 

 残り三分。

 

 ブレイカーズは二点差でリードしていた。

 

 時春はボールを運びながら、コート全体を見渡した。マイルズがハイポストへ上がり、ノアが左ウイングに広がる。マイクは右コーナーで待ち、トムはゴール下で相手のビッグマンと体をぶつけ合っている。

 

 相手のディフェンスは、時春のドライブを警戒していた。

 

 マイルズがスクリーンをセットする。

 

 時春はその横を抜けた。

 

 相手のガードが追いかけてくる。もう一人のディフェンダーもヘルプへ寄った。その瞬間、マイルズがリングへ向かって走り込む。

 

 時春は一度、彼へ視線を向けた。

 

 相手のセンターが反応する。

 

 しかし、時春はパスを出さなかった。

 

 ボールを一度だけ強く床へ叩き、急停止する。

 

 ディフェンダーが一歩遅れた。

 

 そのわずかな空間で、時春は跳び上がった。

 

 フリースローライン付近からのジャンプシュート。

 

 ボールが高い弧を描き、リングへ向かう。

 

 そして、綺麗にネットを揺らした。

 

「YES!!」

 

 時春が拳を握る。

 

 観客席から大きな歓声が上がった。

 

 ブレイカーズは四点差へリードを広げた。

 

 しかし、まだ終わりではなかった。

 

 相手はすぐにタイムアウトを取り、最後の反撃へ備えた。再開後には連続で得点を奪い、残り一分を切ったところで再び一点差まで迫ってきた。時春は必死にボールを運びながら、何度もベンチへ目を向けた。ヘイズは腕を組み、じっとコートを見つめている。その横ではイーサンが立ち上がり、時春へ向けて何かを叫んでいた。

 

「トキ! 落ち着け!」

 

 その声が、はっきりと聞こえた。

 

 時春は一度だけ深く息を吸った。

 

 急ぐ必要はない。

 

 残り時間を使えばいい。

 

 十一月、初めてイーサンと一対一をしたときに教わったことだった。相手が動かないなら、無理に答えを出す必要はない。ポイントガードには、時間を使う仕事もある。

 

 時春はドリブルの速度を落とした。

 

 相手のガードが距離を詰めてくる。

 

 マイルズがスクリーンをかけようと動いたが、時春は小さく手を振って止めた。代わりにマイクへ視線を向ける。マイクはそれを見て、コーナーから少しだけ上がった。

 

 ディフェンダーの注意が、一瞬だけそちらへ向いた。

 

 その隙だった。

 

 時春は鋭く右へ踏み込んだ。

 

 相手のガードが反応する。

 

 しかし、時春はそこからさらに左へ切り返した。ディフェンダーの体が遅れ、わずかな通路が生まれる。時春はそこへ飛び込み、ゴール下へ向かった。

 

 ヘルプが寄る。

 

 リングの正面には、長身のディフェンダーが立っていた。

 

 だが、時春はシュートを打たなかった。

 

 左手でボールを押し出す。

 

 相手の腕の下を抜けたバウンドパスが、ゴール下へ走り込んでいたトムの手元へ届いた。

 

 トムはボールを受け取り、迷わず跳び上がった。

 

 両手でリングへ叩き込む。

 

「BOOOOOM!!」

 

 体育館が歓声に包まれた。

 

 トムが着地すると同時に、時春が駆け寄った。

 

「NICE!! トム!!」

 

「トキ!」

 

 二人は拳を合わせ、すぐに守備へ戻った。

 

 残り時間は、もうわずかだった。

 

 相手は最後まで諦めずに攻撃を仕掛けてきたが、マイルズがゴール下で体を張り、最後のシュートを難しいものにした。ボールはリングに当たって跳ね返り、トムが両手でリバウンドを奪った。

 

 その瞬間、時春は両手を上げた。

 

「トム! こっち!」

 

 ボールが渡される。

 

 時春は相手に囲まれないよう、慎重にドリブルを続けた。相手のガードがファウルを狙って近づいてくるが、マイルズが素早く体を入れ、進路を作った。時春はその隙を利用してボールを運び、残り時間を確実に使っていった。

 

 そして。

 

 試合終了のブザーが鳴り響いた。

 

「BUZZZZZZ!」

 

 体育館のスコアボードには、ブレイカーズの勝利を示す数字が並んでいた。

 

 時春はその場で立ち止まった。

 

 周囲の歓声が、一瞬だけ遠く聞こえた。

 

 勝った。

 

 自分たちは、勝ったのだ。

 

 その意味を理解した瞬間、ベンチからマイルズの声が響いた。

 

「WE DID IT!!(やった!!)」

 

 ノアが両手を突き上げた。

 

「PLAYOFFS, BABY!!(お前ら次はプレイオフだぜ!!)」

 

 選手たちが一斉にコートへ飛び出してくる。

 

 マイクが拳を握り、トムが満面の笑みを浮かべている。イーサンは時春へ駆け寄ると、力強く肩を抱いた。ライアンとジェイスも大きな声を上げ、ベンチの選手たちが次々と輪に加わっていく。

 

 時春は笑いながら、何度も仲間たちと拳を合わせた。

 

「やった……!」

 

 声が震えた。

 

「……やったあああっ!!」

 

 その叫び声に、ノアが豪快に笑った。

 

「リトルマン!! 最高だぜ!!」

 

 彼は時春を抱え上げ、ぐるりと回った。

 

「うわっ! ノア! 下ろして!!」

 

「Ha! 今日は特別だろ!!」

 

 マイルズが笑いながら近づいてくる。

 

「おい、ノア! そろそろ下ろしてやれ!」

 

「わかってるって!」

 

 ノアはようやく時春を床へ下ろした。

 

 その瞬間、ヘイズコーチが選手たちの前へ歩いてきた。

 

 普段なら厳しい表情を崩さない彼も、今日は少しだけ口元を緩めていた。

 

「……よくやった、お前たち」

 

 選手たちが静かになる。

 

「これで、俺たちのCIFサザンセクション・プレーオフ出場が決まった」

 

 その言葉が、体育館に響いた。

 

 時春は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 ヘイズは全員を見渡した。

 

「去年、俺たちは一回戦で負けた。あのときの悔しさを忘れた者はいないだろう。今年、俺たちはもう一度その舞台へ戻る」

 

 マイルズが静かに頷いた。

 

 ノアも真剣な表情でコーチを見つめていた。

 

「だが、ここがゴールじゃない。俺たちが目指しているのは、地区大会へ出ることだけではないはずだ」

 

 ヘイズは一度言葉を切り、コートの中央へ視線を向けた。

 

「ここから先は、一つ負ければ終わりの戦いだ。相手は今まで以上に強くなる。簡単な試合など一つもないだろう。それでも、お前たちはここまで来た。その意味を、忘れるな」

 

 選手たちは黙って聞いていた。

 

 そして、マイルズが一歩前へ出た。

 

「……コーチ」

 

「何だ?」

 

「俺たちは、今年こそもっと先まで行きます」

 

 マイルズの声は、静かだった。

 

 しかし、その言葉には強い決意が込められていた。

 

「去年みたいに、一回戦で終わるつもりはありません」

 

 ヘイズはしばらくキャプテンを見つめていた。

 

 それから、ゆっくりと頷いた。

 

「……なら、証明してみせろ」

 

「Yes, Coach!」

 

 マイルズは力強く答えた。

 

 そして、仲間たちへ振り返った。

 

「お前ら!!」

 

 全員の視線が集まる。

 

「俺たちは、何をする!?」

 

「WIN!!(勝つ!!)」

 

 体育館いっぱいに声が響いた。

 

「聞こえねえぞ!! 何をするんだ!!」

 

「WIIIIIN!!(絶対勝つ!!)」

 

 マイルズが拳を突き上げた。

 

「LET’S GO, BREAKERS!!」

 

「LET’S GOOOOOO!!」

 

 歓声が弾けた。

 

 時春も両手を突き上げ、声の限りに叫んでいた。

 

 観客席では、ジェイクが飛び跳ね、ゾーイが笑いながら拍手している。エマは嬉しそうに両手を胸の前で合わせ、マディソンも満面の笑みで時春へ手を振っていた。ラリーは相変わらず少し困ったような顔をしていたが、それでも静かに拍手を送っていた。

 

 時春はそんな友人たちを見つけ、嬉しそうに笑った。

 

 アメリカで迎えた十六歳の誕生日から、まだ一週間も経っていない。

 

 それなのに、もう一つ大きな出来事が起ころうとしていた。

 

 CIFサザンセクション・プレーオフ。

 

 地区大会への出場が、ついに決まったのだ。

 

 十一月にトライアウトへ合格し、初めてVarsityのユニフォームを着た日。初めて公式戦でコートへ立った日。イーサンの負傷によって、突然チームの司令塔を任された日。そして、招待大会の決勝戦で十五点差をひっくり返した日。そうした数々の経験が、今この瞬間へとつながっているように思えた。

 

 もちろん、これで終わりではない。

 

 むしろ、ここからが本当の勝負だった。

 

 しかし、時春はもう、以前のように未来をただ遠くから眺めているだけの少年ではなかった。自分より大きな選手たちに囲まれながらも、何度もコートへ立ち、何度も失敗し、そのたびに仲間たちと立ち上がってきた。イーサンという頼れる先輩がいて、マイルズというキャプテンがいて、ノアやマイクやトムがいる。そして、コートの外には自分を応援してくれる友人たちがいる。

 

 そのすべてが、今の自分をここまで連れてきてくれたのだ。

 

 時春は体育館の中央に立ち、もう一度、観客席を見渡した。

 

 青と白の歓声の中で、仲間たちが笑っている。

 

 これから始まる戦いがどれほど厳しいものになるのか、まだ誰にもわからない。だが、少なくとも今夜だけは、全員が同じ喜びを分かち合っていた。

 

 高山時春、十六歳。

 

 アメリカへ渡って、およそ半年。

 

 小さな日本人ポイントガードと、その仲間たちは、ついにカリフォルニアの地区大会へと歩みを進めた。

 

 そして彼らの視線は、すでにその先へ向けられ始めていた。

 

 地区を勝ち抜き、州大会へ。

 

 ブレイカーズの挑戦は、まだ終わらない。

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